CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 6 #31

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「ケンカでも、したの?」
 出し抜けにそう問われて、ソフィアは剣を砥いでいた手を止めた。
 教会の建物内の各所にある中庭のうちの一つで、彼女は水桶と砥石を前に剣を手入れしていた。
 普段は欠かした事もない武器の手入れを、この教会に着いてから一回も行っていないことに気付いて(と言っても武器を使う機会がなかったからなのだが)、急に思い立ったのだ。数日の後にはファビュラスを発つことになる。そうなるとおそらく、今ほど自由な時間も取れなくなるだろう。親指の腹で刃の研ぎ具合を確認しつつ、目の前の女性を見上げる。
 しかし、彼女に話しかけてきた数歳年上の女性――ライラは、彼女の方を見るではなく、その顔を横に向けていた。それに倣うようにソフィアもそちらに視線を動かす――
「ここしばらく、一緒にいるの見ないんだけど」
「……そうですか? そんな事ないんですけどね」
 何やら難しい顔で手の中の数枚の紙を睨みながらこちらに向かって歩いてくるウィルから、視線をライラに戻してソフィアは言った。
「別に、ケンカなんてしてないですよ」
「あ、いいところにいた」
 こちらに気がついて、小走りに寄ってくるウィルをソフィアは再び見る。
「どうしたの?」
「いや、これな、フレドリック王国の地図なんだけど、俺、王都以南って詳しくないんだよ。この辺りどうなってるか、ソフィア詳しく知らないか?」
「ああ、この辺?」
 砥ぎかけの剣を置いて、ソフィアも彼の持つ紙を一緒に覗き込んだ。かなりまめに手書きのメモが入っている所為でかえって読みにくくなっているその地図を熱心に見ながら、何箇所かを彼に指し示して説明するソフィアを、ライラは黙って眺めていた。
「――で、この街道から山方面に入ったところに、貴族の別荘だったっていう城があったはずよ。ここからなら王城まではあと一息だから、拠点としてうまく落とせればいいと思う」
「そうだな。それを考えに入れて進軍経路を組み立てよう」
 軽く頷いて、ウィルは地図から顔を上げた。ちらり、とライラを視界に入れてから、ソフィアを見る。
「……ソフィア、話があるんだけど」
「何?」
「いや、ちょっと」
 今度は視線こそ向けなかったが、彼がライラの存在を気にしているらしいことに、ソフィアも、無論当のライラも気付いていた。
「あ、私なら……」
「悪いけど」
 もう行くから、と言いかけるライラの言葉を遮って、ソフィアは声を発した。にこっと微笑んで、足元の剣を指す。
「剣の手入れ、途中なの。また今度にしてくれないかな?」
「あとでも出来るだろ」
「今やっておきたいのよ。もう一度道具出すのも面倒だし」
「じゃあ、やりながらでもいい。時間は取らせないよ」
 言われて、あからさまに言葉に詰まった表情をするソフィアを見つめるウィルの表情に、隠そうとしても隠し切れない焦燥が浮かんでいることにライラは気付いていた。
(ふうん)
 呟きは内心だけに留め、彼女は二人に向かって、ひらひらと手を振る。
「それじゃあね」
 ソフィアが、あ、と呟きを漏らしたのは敢えて聞かなかったことにして、ライラは去っていった。

「……ウィル」
 この際だから持っている刃物は全部研いでおこうと、今度はナイフを砥石に当てながら呟くソフィアに、呼ばれた彼は視線だけ向けてきた。
「これから先の予定って、どうなってるの? あと少ししたらファビュラスを出るのよね」
「三日後。来る時に使った港町で、船の手配ができてるからそれに乗って大陸西部フレドリック王国に向かう。そちらで反帝国のレジスタンス組織と合流する手はずになっている」
「って、それ以前に上陸はどうするの? 西側って言ったら、完全に帝国の勢力範囲内じゃない。港は使えるの?」
「まず無理だろうな。だから、船を沖合いに停泊させて小船で浜から……って考えてるんだけど」
「乱暴ねー。今に始まったことじゃないけど」
 あはは、と他人事のように笑いながらソフィアは、刃を太陽に翳した。ぎらり、と湿った輝きに目を細める。
「教会魔術士を借りるんだって?」
「ああ、百人程度だけどな。今のままじゃ帝国軍との戦力差は正直、話にならないから。カイルの馬鹿まで付いてくる気でいるみたいだけど、何考えてんだか。大神官が」
「ふーん、でも大神官様も魔術士なんでしょ? 戦力的には大歓迎じゃない」
「気まぐれな奴だし、あんまり当てにならないな」
「へえ……」
 呟きながら、ソフィアはナイフを振って、軽く水気を払った。剣と同じように足元に並べて、更に上着の内側からナイフを取り出す。これはあまり使ってないので刃こぼれ一つないが、何もすることがなくなってしまうのは嫌で、ソフィアはそれも砥石に当てた。
「……なあ、ソフィア」
「ん?」
 呼ばれて、彼女は顔は上げずに返事を返す。と、ウィルは自分の方から彼女と視線を合わせるように、ソフィアの前に膝をついてきた。彼女はナイフの刃から視線を外さなかったが。
「ちゃんとこっち見ろよ。逃げるなんて卑怯だぞ」
「誰が逃げてるのよ」
 むっとした口調で返す。おそらく、彼女の顔を上げさせようという彼の作戦だったのだろうが、あえてその策に引っかかってやることにして、彼女はじろりとウィルを睨んだ。
「分かったわよ、言いなさいよ。話があったんでしょ?」
「俺は、君の事を『彼女』の代わりだなんて思っていない」
 前置きも何もなしに言われたそのせりふに、少々面食らいながら、それでもそれを表情には出さずにソフィアは呟く。
「……それだけ?」
「ああ、それだけだよ。君が気になっていたのはそれだけなんだろ?」
 ずばり言われて、ソフィアはかっと顔を赤く染めた。声を上ずらせるのだけはどうにか押さえて、引きつった唇に無理矢理笑みを浮かべる。
「結構自意識過剰ね。あたし、ウィルのこと好きだって言ったことあったっけ?」
「嫌いなんだったら、期待持たせるようなことしないで欲しいね」
 ――こいつはっ!
 と思っても彼女が叫び返さなかったのは、彼の瞳にからかうようなニュアンスがなかったからだった。
 からかう、どころじゃない。むしろ、この瞳は……
 しかしソフィアはその意味の解釈を終えるよりも先に、別の言葉を口に出していた。
 たった一言だけ。彼を真っ正面から見つめたまま。
「……嫌いよ」
 とっておきの台詞を吐いても、彼は眉一つ動かさなかった。憎らしいことに、まだこの台詞に続きがあることに、彼は気付いているのだ。一瞬、これで終いにしてやろうかとも思ったが、さすがにそれは大人げないと思い直して、告げる。
「あたしが気にしてるの知ってて、説明する気もないんだもん」
 微かに――
 ウィルが表情に舌打ちするような雰囲気を滲ませたことに、ソフィアは陰湿な愉悦を感じていた。
「それは……君が、あれ以降説明する機会も与えてくれなかったんだろ」
「違うわよ。言う気があれば誤解される前に手を打ってるはずだもの、ウィルなら。そうでしょう?」
 ぐっと、ウィルは唇を噛んだ。暗くほくそ笑んで、ソフィアが呟く。
「ウィルにとって、あたしって何なの?」
「大切な女の子だよ」
「じゃあ、エルフィーナって人は? そもそも誰なの、その人」
 最初の問いには迷わずにウィルは返してきたが、更に問われて、彼は言葉を出す事ができなくなったようだった。それでも、何かを呟きかけて唇を小さく動かす。
 それはやがて、小さな小さな声になった。
「……言えない」
 その答えは非常に単純で、正直だった。それは多分、彼の精一杯の誠意なのだろうが、ソフィアの頭はそう好意的に解釈することを拒否していた。
「どうしてよ!?」
 さっきとは全く正反対の立場で、視線を合わせまいとするウィルの両肩を掴んで、強引にソフィアは自分の方に向かせた。それでも彼は、彼女の方を見ようとはしなかった。そのことに腹が立って、再度叫ぶ。
「言えないって何よ? 何で隠す必要があるわけ?」
 問い詰めても、ウィルは小さくかぶりを振るのみだった。
「何で……」
 するり、と彼の肩から手を滑らせて、彼女は力なく両手を自分の膝の上に降ろした。
「分かんないよ、ウィルの言ってること……信じられないよ……」
 彼が、自分のことを大切だと言ってくれたことすら、真実として受け止められない。
「……ごめん」
 彼は小さく、だがしっかりとした声で謝罪してきた。が、ソフィアは首を横に振った。聞きたくない。今聞きたいのは謝罪の言葉なんかじゃないのに。
「本当に、ごめん。でも、嘘じゃないから。本当に俺は……」
 だが、ウィルが最後までその台詞を口にすることはなかった。
 固く握り締めていた手から、ゆっくりと力を抜くのが見えたのが、ソフィアの視界の限界だった。彼の顔は、見る事ができない。同じようにゆっくりと、ウィルは立ち上がった。
 徐々に遠ざかる足音を、ソフィアは幻聴のように聞いていた。



 その言葉を最後まで紡ぐのは簡単だった。だが、耳こそ塞ぎはしなかったが頑ななまでに彼の言葉を拒む彼女に、今そう言っても逆効果なのは目に見えていた――
 俯いて歩いていたウィルは、目の前の地面に、肩幅に開いた足があるのに気がついて、視線を上げた。
「……カイル」
 ぼんやりと、視界の中に飛び込んできた男の名を呟く。カイルタークはいつものようにきっちりと深緑色の法衣を着込み、腕組みをしてそこに立っていた。ウィルより少々彼の方が身長は高いが、見下ろすとまでは行かないはずの彼の視線が、ウィルを見下ろしている。
「何だよ」
「別に」
 声にも表情にも抑揚をつけずに答えてきたカイルタークのその頬に、お前馬鹿だろ? と書いてあることに、彼とそろそろ付き合いの長いウィルは気付いていた。
「放っとけよ」
 見えないメッセージに毒つきながら、ウィルは彼の横を通り過ぎようとした。丁度彼の真横に並んだ瞬間。
「彼女は本当に『彼女』なのか?」
 下手をすれば聞き逃しかねない何気なさで、カイルタークは呟いた。
 だが、ウィルは聞き漏らしはしなかった。ゆっくりと、カイルタークの方へ首を向けるウィルの口の端には曖昧な笑みが浮かんでいた。
「何か、哲学的な問いだな」
「揚げ足を取れる程度には回復したのか。何よりだ」
 まるっきりの皮肉を平坦な口調で呟いて、やはり平坦なその目で彼はウィルを見ていた。まるで観察するように。その視線に多少、居心地悪さを感じてウィルは数歩、前に進み、カイルタークの姿を視界から追い出した。
「当たり前じゃないか。俺が『彼女』を見間違うはずがない」
 一片の揺るぎもなくウィルが答えると、カイルタークは元々瞼を大きく開けない癖のあるその目を、更に細める。
「だが、彼女には故郷も家族もあると聞いた」
「ああ、俺も聞いた事ある。トゥルースの山奥だろ?」
「どう説明する? それは」
 更なる問いにウィルは、さあ、と無責任に肩を竦めて見せた。
 こと『彼女』に関しては、どのような証拠よりも自分の感覚の方に絶対の自信がある。
「……まあいい。して、どうするつもりだ?」
「どうって?」
 振り返って、問い返す。無論、全く彼の言っていることが分からなかったと言う訳ではない。ある意味、確認に近い。
 彼へ、というよりむしろ自分自身への。
「本当に、このまま真実を告げずにいるつもりか?」
「当然だろ」
 さも心外なことを聞かれたと言わんばかりに口を尖らせて彼は呟く。
「折角忘れてるのに、わざわざ思い出させることもないだろ、あんな忌まわしい記憶を」
「彼女を傷つけて、か」
「本当のことを知る方が、彼女は傷つく。……彼女が泣くのはもう見たくない」
 呟くウィルに、カイルタークは嘲りを含んだ眼差しを向ける。
「傷つけるのが嫌だったら、最初から思いを告げることなどしなければよかったものを」
 容赦なく胸を抉る一言に、ウィルは思わず目を伏せた。
「それは迂闊だった。反省してる。……でも」
 顔を上げるのは苦痛だった。分かっていた。間違いなく、これは自分のエゴ。
 彼女を護ると言っておきながら彼女の心より自分のエゴの方を優先させた自分への苛立ちを、しかし結局言い訳にすることしか出来ないことが、あまりにも情けなかった。
「止められなかったんだ。彼女が好きでどうしようもなくて……彼女にどうしても伝えたくて」
「別にそれを責めるつもりはない。恋愛など得てしてそんなものだ」
 言って、小さく肩を竦める。
「まぁ、お前のような尻の青いガキに言っても分からんだろうがな」
「どういう意味だよ、それ」
「言葉として成る以上の意味はない。……それ自体にはな」
 言いながら、カイルタークは投げやりに手を振った。話はもうそろそろ終わりなのだろう。ただ、最後に呟いた付け加えるような一言――
「真に責められるべきは、相手の望みを叶えてやれない弱さだと思うが」
 その言葉に対して何も言う事ができず、とり残されたもどかしさだけを抱えて、ウィルはその場に立ち尽くした。


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