CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #29

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「ウィルっ!?」
 悲鳴にこれ以上ない程近い声で彼の名を呼んで、ソフィアは舞台の上に飛び乗っていた。
 血まみれで膝をつくウィルに駆け寄ろうとして――制止され、その足を止める。
 誰が止めても従う気はなかったが、彼女が足を止めたのは、制止してきたのが他でもない、ウィル自身だったからである。彼は、左肩を押さえたままふらりと立ち上がった。
「……ウィル……!?」
「大丈夫だ。見た目ほど酷くない」
 ぞっとして呻いたソフィアに、ウィルは小さく呟いた。斬られたのは左肩口である。一歩間違えば頚動脈だが、確かにその辺りは傷ついてはいない。恐らくは、ディルトに対して剣を振り抜いた勢いを使って、ディルトの剣の軌道から身体を逸らしたのだろうが、黙殺していいほど浅い傷でもない。これだけ出血があれば、左腕は完全に上がらないはずである。
「左腕なんかいらないさ。どうせ利き腕以外で剣振れるほど器用じゃない」
 ソフィアの内心を読み取ったように言うウィルに、彼女はヒステリーを起こしかけている自分を自覚して、押し殺した声で伝えた。
「剣は……折れたわ。勝負はついたでしょう?」
「そういやそうだったな。参ったな……」
 はは、と力ない笑いを浮かべながら彼は、足元に取り落とした剣を拾い上げた。半ばから折れ、その長さは短剣程度になっている。
「ああ、結構残ってるじゃないか。大丈夫、短剣なら扱えるから」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
 叫んで――ひとたび叫んだら止められなくなると知りつつも、もうどうしようもなく叫んで――ソフィアはウィルを精一杯睨んだ。手が、足が冷たくなって、震える。流血や、これ以上凄惨な怪我など、戦場ではいくらでも見てきたはずなのに。自分を抱きしめるように身体に回した手の爪が腕を突き刺す僅かな痛みが、彼女の自制を保つ最後の砦だった。
「お願いだから、もうやめてよっ! 意味ないじゃない、もう、見てるの嫌だよっ……」
 鳴咽を喉元で堪えて、ソフィアは下を向いた。だが、それでも止める事の出来なかった涙が、そのまま下に落ち、床と靴の先を濡らす。
 溜息のような、苦笑のような緩やかな音が、ウィルの口から漏れた。
「意味ならね、あるんだ。小さなことだけど」
 剣の柄を右手だけで弄びながら、彼は呟いた。彼自身、自分でも笑えるほどにあっさりと。
「君のこと好きだから。誰よりも、俺が一番好きだから。否定されると頭に来るんだ」
「え?」
 ぽかんと呟いて、思わず顔を上げるソフィアに、ウィルは血の気の薄い顔色で、優しく微笑む。
「言い訳になるけど、最初は本当に誤魔化してたわけじゃないんだ。本気で気付いてなかったんだよ。でも、まぁ、誤魔化したうちに入るかな。自分自身を、だけど」
「……え?」
 再び問い返したソフィアに、しかしウィルはくるりと背を向けて、ディルトの方に向き直った。
「さて、それじゃ決着つけましょうか」
 言って、折れた剣を片手で構える。しかしディルトは拗ねた子供のような眼差しを向けて来たのみだった。
「ディルト様?」
「……決着のついた勝負に固執するほど、馬鹿ではなかったはずだったんだがな」
 溜息と共に呟いて、ディルトは自分の刃を鞘に納めた。呆然とするウィルとソフィアを尻目に、すたすたと壇上を横切る。丁度、舞台を下りる瞬間、ディルトとカイルタークの目が合ったようだったが、カイルタークはひょいとその視線を逸らしていた。
「……へ?」
 呆けたように、今度はウィルが呟きを漏らす。と、ディルトは唐突に彼らの方を振り向いて、びし、とウィルを指差した。
「ちなみに今の勝負は、お前の負けだからな。反則負けだ。あれほど手加減無用と言ったのに」
「手加減ってわけじゃ、ないんですけど……」
 独り言のようにウィルは呟いたが、ディルトは剣を肩に担いだまま振り向きもせずに去ってゆく。その後ろ姿をぼんやりと見送っていたが、彼は急激に襲ってきた、出血過多による脱力感に膝を折った。
「きゃあっ! ちょっと、しっかりしてよウィルっ!」
 慌てたソフィアに抱きかかえられる感触は、実は彼には結構気持ちいいものだった。



「で、結局……」
 彼女が今自分で持ってきた、かごに入った果物を抱えたまま、ライラは小首を傾げた格好でベッドの上のウィルを見た。
「あ、俺、梨好きなんです。ありがとうございます」
 見舞いの果物を受け取ろうとしたウィルの手から逃れるようにかごを持ち上げ、その代わりに、ずいっと顔を近づけてくる。
「あれだけの騒動起こしておいて、ソフィアちゃんとは全然進展してないって、どういうことよ?」
「……どうって」
 困ったように頬を掻いて、ウィルは苦笑した。
 教会内にある、診療所の清潔な病室。治癒の魔術にかけては権威の大神官に処置を受けた上、すぐさまここへ運び込まれて、神官魔術士達の適切な治療を施されたお陰で、ディルトに斬られた傷は跡すら残っていない。もっとも、今更一つ二つ傷痕が増えたところで自分でも気が付きはしないだろうが。治癒の魔術では、皮膚を塞ぐ事は割と簡単なのだが、深い傷を内部まで治すのは極端に難しいので、ここ数日ばかり療養生活を余儀なくされているのだ。
 とはいえ、元々何もせずにぼーっと過ごすのも嫌いではないし、何よりソフィアが付きっ切りで看病していてくれたので、当人としてはしばらくこの生活が続いてもいいなぁ、とか思っていたりするのだが。
「……そう言えば、そのソフィアちゃんは?」
「薬を取りに行って来るってさっき出て行きましたよ」
 その言葉に、ライラはふぅん、と頷いて、再びウィルの傍に顔を近づけて来た。
「で、どういうことよ。どうして何もないのよ。つまらなさ過ぎるわ。どうしてこう、くぅぅっ! と燃えるよーな展開にならないの!? ギャラリーとしては非常に不服だわっ!」
「あああ。やっぱりそれが本音ですかあんたはーっ!」
 発端の一部を担ってるくせにとてつもなく勝手な事を、ライラは、ウィルの襟首を掴み、あまつさえがくがくと彼の身体を揺さ振りながら叫んできた。そんなことをされても最早傷はかけらも痛まない。そろそろこの幸せな療養生活も終わりだろう。
「まったく、こんなんじゃディルト様も浮かばれないわよね。折角泣く泣く引き下がってくれたのに。草葉の陰で泣いてるわよ」
「いや、死んでませんって」
「ねぇ、ちょっと言っていい?」
 細めた眼差しで聞いてくるライラを、よく分からないながらもウィルは、どうぞ、と促す。
「お子様恋愛」
「うっ……」
「一方通行ラブ」
「ぐっ……」
「男としてそれで満足かー?」
「あうぅぅぅ……」
 上掛けに伏せて涙するウィルを、ライラはふっ、と前髪を掻き上げながら見下ろした。
「……まだまだね」
「ううっ……いつかこの人を見返してやるんだっ……!」
「何やってるの?」
 拳を握り締めて固く決意するウィルを、いつのまにか帰ってきたらしいソフィアが見下ろしていた。部屋の入口からライラがひらひらと手を振っている。そのまま意味深な笑みを浮かべて立ち去って行く彼女を、ソフィアはきょとんとした表情で見送った。
「何の話してたの?」
「話っていうか、一方的に苛められただけのような……」
 なにそれ、とソフィアは呟いたが、すぐに興味を今ライラが持ってきた果物のかごに移したようだった。
「あ、梨だぁ。あたし好きなんだー」
「俺の見舞いだぞそれは」
 半眼で呟いたがソフィアは聞いたそぶりを見せず、傍らの引き出しを漁って、果物ナイフを取り出した。その場で早速、鼻歌を歌いながら皮剥き作業に取り掛かっている。
 確かに、そんなふうに今迄と同様、自分の周りでくるくると動き回っている彼女を見るのは楽しいが――
(……満足では、ないよなぁ)
 はう、と嘆息して、ウィルは窓の外に視線を移した。このファビュラスでは珍しくない、蒼穹の空がどこまでもどこまでも広がる、荒野の晴天。地上に降りれば過酷だが、建物の中から眺めている分には爽快な風景である。この数日もずっとこの天気が続いていたはずだが、カイルタークは一連の騒動の事後処理で、これを眺める暇もなかったはずだ。いい気味である。
「つってもどーせ、またナーディに押し付けてるんだろうけど」
「?」
 梨の皮を剥きながら、ソフィアが首を傾げてくるが、それには答えずにウィルは窓の外を眺めたまま、ディルトの顔を思い浮かべた。
 あの日以降、まだディルトとは顔を合わせていないが、彼の事である。心配する必要もないだろう。彼からも、見舞いの果物が届いた。ただしその中には、山ほどいがぐりが詰まっていたが。嫌がらせかと思ったら、やっぱりそうだった。中に一つだけ、ウニが混じっていたのだ。ともあれ、そういう手の込んだ冗談をかましてくる程度には元気らしい。
(結局全部終わったら、何事も元どおり、か――)
 元の関係が嫌だったわけでは、決してない。ないけれど。
「ソフィア」
「なーに?」
 梨に視線を落としたまま聞き返してくるソフィアに、ウィルは構わずに言った。
「好きだ」
 ぷつ。
 思わず、果物ナイフの刃を滑らせてソフィアは指と衝突させていた。てんとう虫のような赤い滴が彼女の親指に生まれてくる。
「わ、何だよいきなり」
「……それってこっちのせりふ」
 親指を口にくわえて、恨めしそうな目で見るソフィアに、ウィルは肩を竦めた。
「今更驚くなよ。もう言った事じゃないか」
「じゃ、今更どうして言い直すのよ」
「確認したかったから、かな。それに、ソフィアから返事聞いてないし」
 ウィルに笑いもせずに凝視されて、ソフィアは困ったように視線を何もない天井に向けた。と、唐突に頬に触れてきた、ウィルの手の冷たい感触に再度びっくりする。
「これ以上俺が行動を起こして、逃げ出さなかったら別に困ってないって見なすからな」
「なっ!? ちょっとっ……!」
 驚いた声を上げてくるが、ウィルは取り合わなかった。言葉通り、逃げ出せる余地を十分に残した力加減で彼女の腕を掴み、壊れ物を扱うかのようにそっと、彼女の耳元に手を添える。
「ソフィア……」
 囁いて、頬を指先で撫でると、ソフィアは小さく震えたが、逃げ出しはしなかった。ほんの少しだけ怯えたような瞳の光を、瞼を閉じて、彼女は消した。
 ゆっくりと、彼女の唇に近づいてゆく――
 そして。
「たいちょーっ! 元気ですかー?」
 ばたんっ!
 やたら元気な声と共に扉が開いて――その場の空気は凍結した。
 ソフィアとの距離、あと数センチまで近づいたその状態で、ウィルは頬を引きつらせた。喉の奥から、くっくっく、という声が漏れていたから、それが笑顔だと気付いた者もひょっとしたらいたかもしれない。だが即座に彼女から手を離し、ぱっと開いたその手を躊躇せずにドアへ向けてきたのを見て、気まずいやら驚いたやらの表情を浮かべていたユーリン達――きちんと確認してはいないが彼女とつるんでいるのはエルンストやクリス辺りだろう――の表情は一瞬にして色を失った。
「き・み・ら・はぁぁぁぁぁっ! またこのオチかぁぁぁぁぁ!」
「ひぃえぇぇぇぇぇっ!?」
 涙すら滲んだ叫び声を聞いて、蜘蛛の子を散らすように走り出す少女らの背を、魔術の爆風が廊下の端まで吹っ飛ばしていた。
 爆風の余韻に髪をはためかせながら、何となく彼は悟っていた。
 自分はタイミングの神様に見放されているんじゃなくて、面白おかしくからかわれているんだということに……

 それでも。
 まあいいか、と彼は溜息を吐いた。人生何百度目かとも知れない溜息。
 手を伸ばせば届くところに、いつでも君はいるんだから。
 僕の大切な姫君――


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