CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #28

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「何を……考えてるんですか、ディルト様!」
 二人の青年の対峙する円形の舞台の裾まで駆け寄って、声を張り上げるソフィアにディルトは微笑みを浮かべた視線を投げかけた。
「決闘でもするって言うんですか、冗談は止めて下さい! 真剣なんて持ち出して、洒落じゃ済みませんよ!」
「心配するな、もとより、洒落で済ますつもりなどない」
「屁理屈言ってる場合ですか! 自分の立場考えて下さい! 貴方にもしものことがあったら、どういう事になるか分かってるんですかっ!?」
「心配してくれるのは有難いが、少しはウィルの心配もした方がいいのではないか?」
 余裕を含んだ声音でそう言われて、ソフィアはぎくりとした。
 ここ数日でディルトが驚くべき成長を遂げたとはいえ、単純に力量を比べるのであれば、ウィルにはまだ及ばない。それに間違いがないことは、ソフィアも分かっていた。
 ただ、ウィルはどちらかというとソフィアと同じような――技量と素早さに頼った剣を使う。つまりは、ディルトのようなタイプの相手は苦手としているはずである。それに加え、ただでさえ体力のない彼が、疲労が抜けきっていない身体で能力を十分に発揮する事は不可能だろう。
 総合的に分析すれば、今の状況でなら互角か、ややウィルの方が不利なくらいである。そのことに、ディルトが気付いているのだ。
(気付いてて……手加減しない気!?)
 それを卑怯とは言えない。勝つための正しい手段である。が――
「大丈夫だよ」
 俯き加減になっていたソフィアの顔を上げさせたのは、ウィルの声だった。
「傷の一つや二つは男の勲章だって、このボンクラ王子にきっちり教えてやるから」
「ほう、強気だな。ならば、手心をを加える必要はないな」
「最初っからそんな気ないくせに。ていうかこの俺に手心を加えようなんざ十年早いです」
「よく言った」
 言って、二人は同時に剣の切っ先をお互いの方へ向ける。
「もう……! 知らないわよ!」
 吐き捨てるように、ソフィアは言った。もう、こうなったら決着とやらがつくまでは止める事は出来ないだろう。一旦目を逸らして――向き直る。
 ちゃんと、見届けなければならない。
「行くぞ!」
 叫んで、先手を打って出たのはディルトだった。素早い足でウィルへと肉薄する。型通り、上段から振り下ろされたディルトの剣を、しかしウィルはさほど苦もなく受け流していた。続けざまに放たれた横一文字に薙ぐ斬撃も、どうということもなく弾き返す。
「冗談は止めて下さいよ? この程度じゃ、掠り傷だってつけられませんよ」
「なに、ほんの小手調べだ」
 挑発するようなウィルの声に、ディルトも笑みすら浮かべて軽く応えた。だが刹那、その笑みを消す。鋭く放ってきた剣の一閃を、ウィルは受けずに上体を反らして躱していた。剣の軌跡に取り残されたシャツが、さっくりと切れる。
「成る程……ね」
 取り残されていたのは、シャツだけではなかったらしかった。ほんの皮一枚だが、斬られて僅かに血の滲む胸を、手のひらで軽く擦る。その手のひらを見下ろして、ウィルは双眸を細めた。陰険な笑みの形に。
「傷の三つ四つは男の勲章だって、教えて差し上げますよ、ディルト様」
 その瞳のままの微笑みで、ウィルは、切っ先を真っ直ぐにディルトに向けた。

「案外、簡単に熱くなるところは師譲りだな」
 呑気な口調で呟くカイルタークの方に、ソフィアは視線を向けた。
「師、って」
「リュート・サードニクス。奴も、普段は冷静だったが、一旦火がつくと……そうだな」
 言ってカイルタークが目を舞台にやったので、ソフィアもそれに倣って舞台上の二人に視線を戻した。
 半ば無茶苦茶に、ウィルがディルトに斬りかかっている。あの笑みを顔に貼り付けたまま、というのが少々――いや、かなり怖い。
「早い話が、あんな感じだ」
「やな兄弟だなぁ……」
 思わず呻くソフィアに、カイルタークは一瞬怪訝そうな表情を向ける。
「兄弟? 君にもそう言ったのか?」
「え?」
 きょとんとソフィアに見つめ返されて、カイルタークは、いや、と視線を背けた。しばし考えるようなそぶりを見せてから、視線は舞台に向けたままで彼が問いかけてくる。
「失礼だが、君の出身は?」
「レムルスの……トゥルース地方の山村ですけど」
「生まれたときから?」
「ええ、両親が早くに亡くなったそうで、祖父と祖母に育てられました。……それが何か?」
「いや……済まない」
 そう言ったきり再び黙り込むカイルタークに、ソフィアは疑問の視線を投げかけたが、その理由を言ってくれそうにはなかったので諦めて、視線を彼から離し、壇上へと戻した。
 ディルトが丁度反撃を開始した時だった。

「そろそろ、疲れてきたのではないか? ウィル」
 熾烈な攻撃を繰り返している最中とは思えないような悠然とした口調で軽口を叩いてくるディルトに、ウィルは皮肉げな眼差しを向けた。
「ご心配なさらずに。まだ……余力はありますよっ!」
 相手の剣を絡めて受け流すようにして、ディルトが体勢を崩したその隙に、一瞬にして防戦から攻勢へとまわる。二、三剣を合わせて、自ら間合いを作って引いたのは、ディルトだった。
「さすがだな。余裕を持って勝てるような相手ではないと、分かってはいたが」
 呟くディルトの額には、玉の汗が浮いていた。対してウィルの方も、ほとんど同じ程度に疲労している。体力は彼の方がディルトより劣るが、技量で上回っている分、消耗の度合いは低いのだろう。
 しかし技量で勝っているとはいえ、相対するディルトも一気に畳み込まれるほど弱くはないので、攻めあぐねているようだった。
(まずいわよ……絶対、これ以上は)
 気を揉みながら、ソフィアはじっと二人の動きを見つめていた。お互いに、掠り傷程度の裂傷は既に何本か負っている。だが真剣を振り回して、この程度で済んでいる方がほとんど奇跡なのだ。もう少し文明的な言い方をすれば、無意識のうちに致命的な加撃を控えているのだろう。
 だが――それがそううまく続くとは限らない。疲労が濃くなってくれば、止めるつもりで放った一撃を振り抜いてしまう事だってありうる。
 それでも、制止の声をかけられないのは、明らかに舞台上の二人がそのことを理解しているからだった。

「最初はな、ウィル。失望していたのだよ、私はお前に」
 呼吸を整えるための時間稼ぎのように、開いた間合いのままディルトが呟いてきた。が、どうやらそうではないらしかった。ただ、目算もなく言いたいから彼は言っている。恐らく今仕掛けても彼は文句をつけたりはしないだろうが、ウィルは彼の言葉に耳を傾けた。
「彼女の事が好きなくせに認めようともせず、言い訳で逃れるなんて絶対に卑怯だ。それに、頭に来るじゃないか。ライバル宣言しても相手にされないなんて」
 唐突に、剣先を少し下げた構えでディルトが走り出す。彼の突撃のちょっとした癖だ。このまま、剣の間合いまで接近し、すくい上げるように剣を繰り出すという事を、ウィルは俯瞰するような気持ちで思い浮かべていた。
「ウィルがそういう気なら、遠慮などしてやるものかと……勇気を出したんだ。精一杯勇気を出して、ソフィアに気持ちを告げた」
 ディルトの剣は、ウィルの想定通りの軌跡を残し、彼の胸の前を通り過ぎる。続く斬撃。これもまた、一定の癖がある。何回も見せられれば、そう難しくなく避けきる事ができる。
 が――
 頭上に閃いた銀色の輝きに、ウィルは思わず剣を水平に繰り出した。金属と金属が触れ合う耳障りな音を立て、ディルトの剣がウィルの眼前で静止する。読まれている事を悟り、あえて今迄出さなかった大振りで仕掛けてきたのだ。
「だがな、駄目だったんだよ、私では! 悔しいが、分かるんだ。自分が愛した女性だ、何も言わなくても、彼女が誰を見ているかなんて分かるんだよ!」
 ディルトは、剣をウィルの剣とかみ合わせたまま、更に力を加えた。その膂力だけで、ウィルの剣を打ち砕かんとばかりに。力比べではディルトに勝てないウィルにとって、これ以上ないというほど不利な体勢だった。相手が位置的に上方にある以上、拮抗状態で押さえているだけでも体力を使う。できるだけ早くこの状態から逃れ出なければならない。強力な力で押さえつけられているにしても、それだけなら刃を滑らせるなり何なりして逃れる方法はいくつかある。だが、ウィルは動く事ができなかった。
 自分を真っ正面から睨み据える、薄く涙の浮かんだ青い瞳から逃れる事は。
 その輝きに戸惑って、ウィルは開きかけた口から言葉を漏らせないでいた。と、ディルトが嘲るような笑みを漏らす。
「私は、彼女を本気で愛していたんだ。お前などには負けないくらい、真剣に」
 ――本気で――
 ディルトはウィルを彼の剣ごと、断ち切ろうとしているつもりらしかった。信じられないことだが、ウィルは自分の剣の丁度ディルトの剣と噛み合っている位置にひびが入るのを目にしていた。一旦ひびが入れば、金属は脆い。
 だがウィルは、剣が砕け散る危険を無視して、ありったけの力を込めてディルトの剣を押し返した。奥歯を噛み締めながら、呻く。
「誰に……負けないくらいですって?」
 想像以上の力で押し返されて、初めてディルトの顔に僅かに驚愕の色が走った。そのことにほんの少しだけ、してやったりと思いながら、渾身の力でもって、ウィルは剣を振り抜いた。
 音は。つまり、剣の砕ける音は、小さく、澄み切っていた。
 振り抜いたウィルの剣は、折れて間合いが小さくなっていた事もあり、ディルトには掠りもしなかった。だが、ディルトの剣は――今迄かかっていた力の通りに、真下、ウィルの身体目掛けて振り下ろされる――
 冗談のように吹き出した鮮血が、ディルトの視界を赤く染めていた。


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