CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #27

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 瞼に触れる光を感じて、ウィルははっとして目を開いた。
 身体を起こそうとして、それが難しい事を感じる。まだ疲労が抜けきっていないのか――いや。
 ウィルは視線を落とし、自分の胸に顔を埋めるようにして寝息を立てる、ソフィアの姿を見た。ふう、と息を深めに吐いて、ソフィアに触れないように、右腕を持ち上げてみる。二、三度、手を握ったり開いたりして身体の感触を確かめてみるが、少なくとも何か苦痛があるとかそういった事はなさそうだった。石床の上での睡眠で疲れを取りきる事は難しいだろうが、おそらく動ける程度には回復している。
「ん……」
 唐突に、溜息のような吐息をソフィアが漏らしたので、ウィルは慌てて動きを止めたが、彼女を起こしてしまったのではないようだった。緩慢に少しだけ唇を動かすと、彼女はまた先程迄と同じ規則正しい寝息を立て始める。
 ウィルは、彼女の寝顔を見るのは初めてだということに、不意に気付いた。逆に、寝顔を見られた事は何遍もあったようだが、彼女のこんな無防備な顔を、それもこんな間近で見る事など初めてで……
(って、何やってんだぁ、俺はっ!)
 意識せずソフィアの頬に手を伸ばしていた事に自分で驚いて、ウィルは思わず叫びそうになっていた。
 自分の耳にも鼓動が聞こえるほどに心拍数が上がっている。胸に伏せているソフィアが、もし今起きてしまったら、間違いなく聞こえてしまうだろう。とにかく落ち着こうと、ウィルはソフィアを起こさないようにゆっくりと深呼吸した。
(どうかしてるよ……)
 困り果てたように独りごちて、ウィルは手を自分の額に置いた。だがそう呻く一方、彼はその理由――自分が『どうかしてる』理由が分からないでもなかった。分かっているようで、やっぱり分からない、そんな気もしないでもないが。
 ――だから嫌だったのだ。認めるのは。一旦認めてしまえば、他の事が目に入らなくなるくらいにただそれだけに熱中してしまう自分の性癖は、知っていたから。認めてしまったら、もう押さえられない――
 ウィルは、ソフィアの肩に手を触れた。彼女はさすがに上着だけしか脱いではいなかったが、その肩は案外暖かかった。頬にも、普段通りの健康そうな赤味がさしている。服はまだ湿っていたが、彼女の亜麻色の髪は乾きかけていた。手櫛を通すように彼女の髪を撫で付ける。
(本当に、どうかしてる……俺)
 再度胸中で呟いて、彼女の頬の輪郭を指先でなぞる。白くて柔らかい彼女の素肌は、指先に何か、触感以上の不思議な感覚を投げかけてくる。
(多分、これなんだ。ディルト様がソフィアに感じている感覚は)
 今なら確かに分かる。彼女は渡さないと宣言した彼の気持ちが。
 ふと――
 彼女の色素の薄い瞳が自分を微笑みながら見つめているのに彼は気がついた。
「おはよう、ウィル」
「……おはよう」
 彼女は彼の身体の上で一旦腕を組み直して、再び体重を彼に預けてきた。何かを面白がっているような眼差しで――と、ウィルには見えた――彼を黙って見ている。根負けしたように、ウィルは口を開いた。
「何だよ」
「あたしの寝顔、そんなに可愛かった?」
 からかうように言われて、まともに、うっ、と言葉に詰まりながら、ウィルは明後日の方を向いた。しかし、彼女は視線を彼の顔から外してはくれなかった。じっと彼の横顔を、首をちょこんと傾げながら見つめてくる彼女に、ウィルは言い返すべき何か気の聞いた文句を思いつく事ができず、視線だけ彼女の元へ戻す。目を合わせて、ソフィアはふっと吹き出した。
「そう聞かれたらお世辞でも可愛いって言うもんよ、ウィル」
「どこで教わったんだ、そーいうせりふを」
 呆れたように呟くと、彼女は小さく痙攣するように肩を震わせて笑った。一応気を使っているらしく、音を立てないようにしているのだが、身体に体重をかけているせいで振動が完璧に伝わってくるので、まるっきり意味はない。
 ひとしきり笑って満足したのか、ソフィアは話題を変えてきた。
「随分時間が経っちゃったね。日が出てる」
「ああ」
 この取水塔の中に潜り込んだ正確な時間は分かりようもないが、おそらくは真夜中は過ぎていたはずである。それから日の出後しばらく、と言ったところだから優に四、五時間は経過していることになる。その間発見されなかっただけでもかなりの幸運だっただろう。ともあれ同じ場所にこれ以上留まるのは危険過ぎる。
「日が完全に昇りきる前に移動しなくちゃな。もうどっちにしろ似たようなもんだけど」
 呟いてから、ウィルはもう一度、最初目が覚めたその時のように視線を降ろした。ソフィアはまだ同じ体勢のまま、のほほんと彼を見続けている。
「ってことだから退いてよ」
「何で?」
「……何でって」
 さすがにそう来るとは思っていなかった。もっとも彼女が予想外の要素を含まない返答をすることの方が希ではあるのだが。もう一度同じ事を説明しても、再び何でと聞かれる無限の輪の中に陥るような予感がして、彼はとりあえず言葉を捜す努力をしてみた。
「重くて起き上がれない」
「あ、失礼な言い草」
「そういう意味じゃなくてだな」
 間違いなく、彼女は彼をからかって喜んでいる。そのことに気付いて、ウィルは陰険に目を細めた。悪い冗談には、悪い冗談で返すのが流儀だろう。
「ふぅん、つまり君はそんなに俺と触れ合ったままお喋りしてたいってわけか」
 現に、今迄これほど近づいたことはないというくらいに、彼らは接近していた。つまりは、吐息さえも触れあうほどに。言われて初めてそれを意識したのか、ソフィアは驚いたように目を見開く。
 その一瞬の戸惑いを突いて、ウィルはソフィアの肩を軽く押しのけて、上体を起こした。そうしながら――
(そういや、俺はもう少しからかわれたな)
 思い出して、身を起こした自分の方にもう一度、彼女の肩を引き寄せた。ころん、と、横倒しになる格好で、ソフィアはウィルの膝の上に転がる。それを彼は、上から押さえつけた。
 先程よりもずっと近く、彼女の鼻先に顔を寄せる。
「それはそれでいいんだが、俺としてはこういう体勢の方がもっと嬉しかったりするな」
 口の端に意地の悪い笑みを浮かべながら、ウィルは彼女に囁きかけた。
 ――数秒――
 この少女をまばたきも出来ないほどに驚かせてやれた事にそこはかとなく満足を感じて、彼は手を離した。
「冗談だよ。まぁ、嬉しいってのが嘘ってわけじゃないけど」
 言われてようやく呪縛が解けたように、ソフィアはぱっと起き上がった。さすがに彼の身体に寄りかかる事は止めて、彼のすぐ傍にぺたりと座っている。そのまま――その見開いた目のまま、彼女は一言も発せずに彼を凝視している。表情を見る限りでは怒ってはいないようだが――
「冗談だってば。君が俺の事をからかうからつい、な。悪かったって」
 思わず弁解じみたことを口走る。が、彼女が求めていたのは謝罪でも、ましてや言い訳でもないらしかった。思い出したように数回目をしばたいてから、口を開く。
「……驚いた」
「ただ驚いてただけかよ」
 微妙にずれたペースで答えてきたソフィアに、ウィルも気抜けた声を出した。だが、
「本当に、ウィルってあたしの事好きなのかと思っちゃった」
 続けざまに吐いて来た台詞に、彼は思わずその場に崩れ落ちた。

「あのさあぁぁ……」
 よろよろと起き上がりながら呻くウィルを、ソフィアは不思議そうに小首を傾げて見つめていた。それを見て盛大に溜息を吐こうとして、何とか我慢し、代わりに頭を抱える。
「……いや、ああ、そーだな、誤魔化したのは俺だもんな。悪くないよなソフィアは。うん。そういやさらわれたって自覚がないんだから、その理由は何だと思ってるんだとか聞こうとしたって無駄なんだよな」
「何を自分を納得させるように呟いてるの?」
「そうでもしなきゃ納得できないようなせりふをどこかの鈍感なお嬢さんが吐いて下さったから」
 半眼で呻くと、彼女は理解できなかったように眉根を寄せた。が、唐突に叫ぶ。
「…………あたしぃ!?」
「他に誰かいるように見えたか?」
 ややオーバーなリアクションで驚くソフィアに、ウィルは今度こそ我慢せずに嘆息した。何もかもが阿呆くさくなって、面倒臭げに首の後ろをぽりぽりと掻く。もっとも、面倒臭くなったからと、起こした全ての問題を今更放棄する事は叶わないが。立ち上がって、背筋を伸ばすように天井近くの窓を見上げる。
「それじゃ、そろそろ行くか」
 呟いてから、ふと彼はまだ、寝る前に脱いだ服を着てもいない事に気付いて、足元に視線を落とした。絞りもしなかった為、まだぐっしょりと濡れているシャツはやたら冷たかったが、仕方なしに身につける。
「もう素潜りはしないの?」
「したい?」
 尋ねてくるソフィアに即座に聞き返すと、彼女は、絶対いや、と首を横に振った。
「だろ? ……どこか、その辺に出入り口があったはずだから……ああ、そっちだ、そこから出よう」
 ソフィアの丁度真後ろに位置していたドアを指差して言うウィルに、彼女は心配そうな視線を向ける。
「大丈夫なの? 開けた瞬間、いきなり待ち伏せられてたりしない?」
「平気だよ。別にそんな気配はしないだろ」
 取水塔は厚い壁に囲まれた密室だったが、高い位置にあるとはいえその出入り口の壁にも窓が存在するので、もしその外に魔術士の一団が待ち構えていたりするのなら、そんな気配くらいは伝わってくるだろう。一応は納得して、彼女はドアの方へ近づいていった。ドアノブに手を触れ、もう一度入念に外の気配を探るように耳を澄ませてから、彼女はノブを回した。
 重たげな音を立てながら、扉は何事もなく開く。出入り口で外の光を浴びる彼女の方へと、ウィルも近づいていった。
 と、するり、と彼女はドアノブから手を離した。そのまま両手を、肩の辺りまで挙げた格好で静止する。
「…………!」
 訝しく思った、という問題ではなかった。半ば、ウィルは理解した。すぐさま彼女の傍に駆け寄って――
「ウィルぅ……」
 こちらには視線を向けずに――いや、向ける事ができずに呟くソフィアと、その彼女に剣の切っ先を突き付ける、大神官カイルタークの姿を彼は目にしていた。
 他には誰もいない。だが、それでもこの彼女が動く事すらできない油断なさで、カイルタークは立っていた。剣先を微動だにさせず、カイルタークはウィルの方に顔を向け、薄く唇を開く。
「ようやくお目覚めか、ウィル。……待ちくたびれたぞ」



「まさかー。大神官サマ直々に犯人の捕縛現場に出向いてくるなんてー。普通考えないと思うんですけどー」
 真後ろから油断なくカイルタークに剣を突き付けられたまま、しかしウィルは手を頭の後ろで組んだままふらふらと歩みを進めていた。カイルタークの半歩後ろを、ソフィアは付き従うように歩いている。彼女は、剣も突き付けられてもいないし注意すら払われてはいないが、もとより逃げるつもりはなかった。逃げるつもりがない事に関しては、ウィルにしても同じであるらしい事に、大神官も彼女も気付いてはいたが。
「それって言い訳?」
「そうなるけどさ。でも俺を叱るんでなくてソフィアに気配すら気付かせないこいつを誉めるべきだと思うぞ、この場合」
 問うてくるソフィアの方に振り向いたりしても、カイルタークは特に何も言わなかった。どこか大儀そうな律義さで剣を切っ先をウィルに向けている。ただ彼は与えられた仕事をこなしているに過ぎないということなのだろう。
「で、カイル。俺をどこに連れて行く気だ? 詰め所じゃないようだが」
 先頭を歩いているのはウィルだが、当然進行方向の指示はカイルタークが出している。取水塔を出てから大分歩くが、教会の建物に入ろうとする気配はなかった。むしろ次第に外れの方に連れ出されている。ファビュラス教会の施設はこの厳しい気候下にあるゆえに、そのほとんどが一続きの建物の内部に存在する。その巨大な建物――便宜上『大神殿』と呼ぶこともあるが――から棟を別とする建物は数えるほどしかない。
 今、彼らが向かっている方角にあるのは――
「闘技場だ」
 そっけない口調でカイルタークが答えてきた。闘技場。およそ教会などという場所には似つかわしくない施設だが、もちろん後世になって建造したわけではなく、古代の遺跡である。このファビュラスの地にはそのような古代文明の跡がいくつも見られる。かつては、今のような気候ではなく、もっと大規模な街が存在していたらしい事も研究者の間では知られている事である。だから、闘技場と言っても実用されているものではなく研究対象でしかないのだが、
「闘技場?」
 その単語に嫌な予感を覚えて、ウィルは繰り返した。



 闘技場――それは、屋根のない円形の建物だった。
 丁度中央に位置する舞台を囲むように、すり鉢状に座席がしつらえてある。永き時の流れに身を委ねた当然の結果として階段も座席も風化しかけてはいたが、元々が堅牢なものであるので遺跡という割にはさほど気を使って管理する必要もないらしかった。したがって普段なら誰がいるわけでもなく、閑散としている。しかし今は、閑散とはしていたが、無人ではなかった。
 古代、地方貴族の所有する剣闘士が、上流階級の人間達の娯楽のために血を流し合ったと言われているその舞台の中央に、だが今立っているのは娯楽を享受していた貴族達の血を引いているかのような優雅な顔立ちの青年だった。手に、鞘に入った剣を持って。
「ディルト様……?」
 全く予測していない事ではなかった。特定の場合、つまりは今回のような場合においては激しい気性を持つことを実感させてくれた彼の事である。頭の隅ではこういう展開もあるかも知れないとウィルは考えていたが、それでも実際に剣を手に目の前に立たれるとさすがに面食らって彼は尋ねていた。
「どういうつもりですか?」
「決着をつけねばならないと思ったのだ」
 朗々と、彼は告げてきた。こちらに視線は向けていないが、目を逸らしているのとは違う。どこか、高みを見詰めている。
「お前も、その必要性は感じていたはずだ。そうでもしないと終止符は打たれない。永遠に」
「それは婉曲な強制ですか?」
 皮肉るように呟いて見せる。と、ディルトは悪びれもせずに笑いを漏らした。紛れもなく問いを肯定する笑みだが、台詞は完全な肯定とは言えなかった。
「これしか手段がないだけだろう。違うか?」
「……そうかなぁ。ですけど、一番潔い手段ではありますね」
 答えて、ウィルはカイルタークの方へと振り向いた。彼は、今迄自分が使用した剣を、抜き身のままウィルに渡す。舞台上のディルトも早々に鞘から剣を抜き放っていた。
「さあ、上がってくるがいい、ウィル。一人の女性を取り合っての真剣勝負、これ以上に趣のある舞台もなかろう?」
 過去に幾人の血を吸ってきたとも知れない盤石の舞台の上で、ディルトは刃の銀光を煌かせた。


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