CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #25

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 忍ばせるような微かな足音のみを立ててやってきた魔術士の一団をやり過ごして、ソフィアは息をついた。
「ふう、危なかったね」
 言いながら、彼女は廊下に飛び降りた。
 魔術士の接近に気づいた瞬間、廊下の梁に飛び乗っていたのだ。
「……何ていうか、君、慣れすぎ」
 呆れたように呟いたのは、もちろんウィルだった。彼も彼女と同じように梁に登っていたのだが、彼女がそうするのを見なければ、魔術士達に発見される前にそれを思い付く事は出来なかっただろう。登ったときと丁度反対の動作で、梁に手をかけてぶら下がってから、足を床に落とす。
「ちなみに、その場が明るすぎたり梁がない場合は窓から懸垂の要領で外にぶら下がるのが有効だよ。梁より多少発見確率高いけどいざというときは即逃げられるし」
「そんな知恵に頼らなきゃいけないような日常生活送りたくない」
「自分でこの状況を生み出しておいて、何言ってるのよ」
 そう言ってソフィアはすぐに走り出したが、ウィルの足は重かった。単純に疲労である。ほとんど慣性に任せて走っていたのを止めてしまったから、いざ再び動き出そうとしても思うように身体が動かない。ウィルがついて来ないので、ソフィアは後ろをくるりと振り返って、半眼で呻いた。
「あーあ。だからもうちょっと体力つけときなよって言ってるのに」
「ちょっと前よりかはましになった方だろ。まだ何とか動けるぞ」
「自慢になんないってば」
 数歩戻って、ソフィアは彼の手を取った。
「ほら行くよ、ウィル」
「ちょっ……ソフィア!?」
 赤くなってうろたえた声を出すウィルに、しかしやっぱりというかソフィアは気付こうとすらせずに、彼の手を握り締めたまま走り出した。



「まだ発見できないのか?」
 いつものように平然とした――というより抑揚のない声でのカイルタークの問いに、魔術士は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いい。相手が上手なだけだ。……しかし妙なものだ。ウィルごときに教会魔術士達を出し抜ける程の知恵があるとは」
「ごとき、ですか?」
 大陸解放軍の軍師をこき下ろされて少々むっとしたのか、カイルタークの独白にディルトが口を挟んでくる。執務用の椅子に深く腰を下ろしたまま、カイルタークは視線だけ彼の方へ向けた。
「取り柄といえば生まれついての魔力だけの虚弱馬鹿だと認識しておりましたが」
 あっさりとそう言われて、ディルトは一瞬口篭もるが、反駁は止めなかった。
「少なくともここまで立派に軍を率いて来るだけの能力は持ち合わせていました」
「やけに擁護しますね。今、彼は敵ですよ? 貴方の大切な方を奪い去って行った。……違いますか? 王太子殿下」
 そう返され、今度こそ完全に沈黙するディルトに、カイルタークはこっそりと苦笑を漏らしていた。
「とはいえ、どうせこの教会の外に逃げ出す事は出来ない。かといって長期間潜伏するにも、彼はここでは顔が売れすぎている……さて、何を考えているのやら」
 わざと、興味をディルトからウィルとソフィアの二人に移した振りをして、カイルタークは椅子の背もたれに身体を預けた。



「で、これから、どうするつもりなの?」
「どうしようか、ねえ?」
 これ以上何の解決ももたらさない答えもないだろうというくらい無責任な返答に、ソフィアは思わずその足を止めていた。
「何だよソフィア。止まったら後が辛いだろうが」
「辛いだろうがとか言ってる場合じゃないでしょうが!」
 息を荒げて答えるウィルに、別の意味で息を荒げながらソフィアが叫んだ。
「じゃあ何? なんの考えも無しに窓ぶち破ってディルト様に攻撃しかけたわけ!?」
「ディルト様だって俺の部屋のドア壊したんだからおあいこだろ。それに攻撃って、魔術の事? あんなの攻撃のうちに入るか」
「入るよ、十分! あたしめちゃめちゃ空飛んでたじゃない」
「うん、そりゃそれが狙いだったからね」
 悪意なく微笑んで言うウィルに、ソフィアは半ば諦めたような吐息を漏らす。それを見てウィルはぽんと手を打った。
「これって、いつもの逆だな。普段君に振り回されてる時の俺の気持ちって、そんな感じだよ」
「分かったわ。反省する」
 うんざりと呻いて、ソフィアは手を上げた。彼女は、しばらくお喋りを中断するつもりらしい。何を考えているでもなく、ただ、息を整えているだけのようだった。さすがの彼女も多少は疲れてきたのだろう。ウィルもそれに倣って息を整える。彼の方は、もうかなり限界に近い。出来れば、少しでいいから休息を取りたいところだが、それは叶わないようだった。ソフィアがぱっと顔を上げる。
「!……やばい、近くにいるわよ」
 囁き声で叫んで、ソフィアはウィルの腕を掴んだ。そのまま彼を引きずるように、もと来た道を走ってゆく。走りながら、ソフィアは後ろのウィルに囁きかけた。
「もし、よ。魔術士の人達に見つかったとしたら……ウィルは何人まで捌ける?」
「捌くって、無茶言うな。ここにいるのはエリートなんだぞ。一対一ならともかくとして、複数で来られちゃそうそう勝てない」
「見たとこ魔術士のチーム、一組五人だったわね。それじゃ、四人お願い。あたしは丸腰だから一人でいいでしょ」
 返答を全く聞いていないとしか思えない台詞を返してくるソフィアに、しかしウィルは、それとは違った意味で問い返した。
「何だよ、それどういう……!?」
「分かったわよ。三・二なら文句ないわね?」
「そうじゃなくて、見つかったらって……!」
「言葉通りの意味よ」
 言って、ソフィアは舌打ちした。ウィルの言葉にではなく、前から近づいてくる魔術士達の気配にだろう。確かめるように廊下を見回す。前後から接近する一団のどちらかを突破する以外に逃げ道はない。
「仕方ない、やるわよ」
「おい、ソフィア!」
 抗議をする間もあらばこそ。彼女は、もう既に床を蹴っていた。
 暗い廊下に、魔術士達の持つランタンが輝く。が、ソフィアは闇に紛れるすべを知っているのか、その光に影を写さない。
 音もなく振り下ろされた手刀に味方の一人が打ち倒される瞬間まで、魔術士達は彼女の接近に気付いていなかった。魔術士達の顔に、一斉に驚愕の色が走る。
「くそっ!」
 毒づいて、ウィルはその場から、ソフィアをも巻き込む形で――と言っても彼女の事だから、何とか避けるだろうと踏んで――魔術を解き放った。本来無音の圧力が、しかし壁や窓ガラスを打ち叩く音を立てる。目に見えない力に叩きふせられ、魔術士達の数人――三人が、床に転がった。
「一人……」
 足りない――!
 即座に気付いて、ウィルはもう一度魔術のための精神集中を開始した。いくら、呪文を用いず魔術を行使する能力があっても、タイムラグはなくはない。その一瞬の隙のうちに、残りの一人の姿を、彼は発見していた。その魔術士は迷うことなく、こちらに背を向け、胸元をまさぐった。
「ソフィア、押さえろ!」
 言われるまでもなく、やはり魔術を躱していたソフィアがその魔術士を追う。だが彼女が魔術士を捕まえるより一瞬早く、甲高い呼び子の笛の音は辺り一帯に響いていた。

「ウィル!」
 一応、その魔術士を昏倒させてから、ソフィアは後ろを振り返った。
「どうせ、一戦やらかしたんだ。同じことだよ」
 呟いて、ウィルは彼女の方へ、つまりは今迄の進行方向へ走り出した。ざっと、教会内部の地図を頭の中に浮かべながら、ソフィアを見る。
「この二つ先を右に曲がったところに階段がある。上へ行く」
「上へ?」
 怪訝な表情で問い返してくるが、ウィルは答えなかった。彼女もそれ以上は何も言わずに、黙って彼の後に従う。
 もう足音を忍ばせる事もせずに集まってくる魔術士達の気配を背後に感じながら、ウィルは残る全力を出し切って走った。



 大神官カイルタークの執務室、すなわち急ごしらえの作戦本部は、敵魔術士を発見したという報を受けてからにわかに慌ただしくなってきた。
「それが……」
 その雰囲気に相応しいといえばそうなのだろうが、慌てた声で、魔術士は報告を行っていた。
「敵魔術士と、ソフィア様……と思しき女性は、魔術士隊を撃破し、西方面へ疾走していると……」
 捕らえられているはずの準王族の女性が、何故か捕らえているはずの魔術士の手助けをしてこちらに攻撃を仕掛けてきているというのだ。直接彼女を知らない人間が、その文面通りの言葉を聞けば、意味不明である事だろう。
「彼女は、敵魔術士に魔術をかけられ操られているのだ。気にするな」
「そんな馬鹿な……」
 明らかに呆れ声で、しかし魔術士には聞きとがめられないように小声で呟いたディルトを、カイルタークは机に頬杖をついたままちらりと見やる。
「そういうことにしないと、ここまで大掛かりに追手を差し向ける理由が薄くなってしまうもので」
「はぁ」
 曖昧な返事をして、ディルトはソファーの背に身を預けた。何か思う事があるように、背もたれに寄りかかって天井を睨み付ける。彼が何を考えているのかは、カイルタークにも分からないでもなかったが、あえてそれについては言及しようとはしなかった。
 ゲームはようやく面白くなってきたところだ。



 背後から迫り来る魔術士の人数は、また更に増えたようだった。人気のない区画へ向かって走っている事もあり、前から出くわす相手がいないというのは救いだったが、それでも、立ち止まる事が決して許されないというのは彼女にしても辛かった。
 いや、幸いといえたかもしれない。ウィルだけではない。彼女とて、体力の限界はとうに超えている。おそらく、今度立ち止まったらもう動けない――
 最早、泣き言はおろかソフィアへの指示さえも口に出す気力もないらしく、ウィルはただ黙って、何か伝えたい時にはソフィアを引っ張った。
「こっち、行くの?」
 その言葉にただこくこくと力なく頷くウィルを、さすがに心配そうにソフィアは見たが、黙ったまま彼を引っ張っていった。

「いたぞ!」
 案外ありきたりなその声に、ソフィアは驚いて背後に視線をやった。追われている――つまりは敵がこちらの位置を把握しているのは承知していたが、思っていたより敵との距離は近かった。最早大きなお荷物と化しているウィルが原因だろう。
「あーん、ウィル捨ててっちゃえば何とか逃げ切れるんだけどな」
 本末転倒なことを考えながら、ソフィアは呼吸とともに呻いた。

 そして。
 いつのまにか先回りに成功していたのだろう、ついに前からもやってきた魔術士の一団のランタンの灯りを目にして、とうとう二人はその場に足を止めた。どっと襲ってくる疲労に、膝が折れそうになるが、何とか耐える。ウィルの方はというと、重病人のような顔つきで壁に寄りかかっていた。
 廊下の前後と、一応窓の外に目をやって、ソフィアは溜息を漏らした。前後から迫る魔術士の一団は、どちらが多いという事もなく、ほぼ均等に、二人では絶対に対処しきれない人数でやって来ていた。窓の外は――論外である。これだけ疲労が溜まっていなくとも、五階から窓の外に出てロッククライミングに挑戦してみようなどという気には、とてもではないがならない。
(さて、どうするか……)
 それでも、何故か頭の中はいやに冷えた状態でいる事にソフィアは驚きながら、胸中で呟く。と、
「ソ……フィア……」
 あえぐようなウィルの声に、ソフィアは聞き取れなかったかのように、え? と聞き返した。
「ナイフ、持ってないか……? 小さいので、いいんだけど……」
「ある……けど」
 答えて、ソフィアは上着の胸ポケットから、投擲用の小さいナイフを取り出した。護身用に携帯しているものだが、この状況ではたいして有効な武器にもなりはしないので、今迄使いもしなかったのだ。それを受け取って、ウィルは壁から背を離す。
「そこまでのようですね、ウィル」
 彼らを取り囲むように展開した魔術士の中から聞き覚えのある声を耳にして、ウィルは視線をそちらへ向けた。
「ナーディ……」
 ウィルの呟きに応じるように前へ進み出た一人の魔術士――ナーディは、おもむろに懐から白いハンカチを取り出した。それを目元に当て、声を詰まらせる――振りをする。
「同期の桜の貴方にこのような事をせねばならないとは、誠に遺憾でございます。ですが、大神官カイルターク様の命なれば、我ら教会魔術士が従わぬ訳にはいかぬこと、貴方もご承知の上でしょう。という事で頼みますからおとなしく掴まって下さい」
「動くな!」
 勧告のような懇願のような事を言いながら数歩近づいてこようとしたナーディの足を、ウィルは一喝して止めた。そして、出し抜けにソフィアの身体を後ろから羽交い締めにする。ぎょっとして目を剥くナーディ以下、魔術士達を見回しながら、彼はソフィアの細い首に、たった今その彼女から受け取ったナイフを突き付けた。
「彼女の命が惜しければ、その場から動くな」
 言って数センチ刃先を喉元に近づけるのを見て、ざわり、と魔術士達に微かなざわめきが広がった。声ではない。ただ、動揺の気配である。そんな中、ほんの一瞬だけ、ナーディが別の魔術士に合図を送るように視線を外したのを、ウィルは見逃さなかった。
 瞬間。肘を振り上げ、ウィルは木製の窓枠ごと、背後の窓を叩き割った。
「しまっ……!」
 ナーディが叫ぶが、もう遅い。
 彼は迷わずに、ソフィアを抱えたまま窓の外へ――地上五階の窓の外へ――その身を投げ出していた。
 暗闇の中に放り出された二人の身体は、やけに小さな水音と共に、ファビュラス教会を取り囲む、闇色に彩られた濠の水面に呑み込まれていった――


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