CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #23

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「もう来やがった」
 およそ、臣下が君主に吐くには適当でないせりふを吐いて、ウィルは小さく舌打ちした。ノックの音に、これと言って特徴があったわけではない。だが、それが間違いなくディルトのものであるという確信が、ウィルにはあった。そして、
「私だ、ウィル。開けて欲しい」
 それを裏付ける当人の声が、ドアの外から響いてきた。
 どうしたものか――
 ちらり、と隣に立つソフィアの顔を見て、ウィルは唾を飲んだ。ソフィアはこの期に及んで彼の焦りの理由を理解してくれていないようだが、幸いな事に、声を立てたりはしていなかった。
 何か言い訳を作ってディルトが部屋に入ってくるのを拒む事はもちろん、居留守や、この少女を有無を言わさず窓から放り投げる事まで手段として頭の中に列挙しながら、しかしウィルはただ黙ってドアの外のディルトを透視するような気持ちでドアを見詰めていた。
 と、今一度外から響いてきたのはウィルの想定を根本から無意味にする一言だった。
「開ける」
 言うが早いか。
 ばきっ!――おそらくちょうつがいが剥がれ落ちた音だろう――という音を立て、ドアは、設計者の意図しない開き方で開いていた。
 目にしたウィルやソフィアとまさに同じようにあんぐりと口を開いたその入口に、片足を無造作に振り上げた格好で、ディルトが立っていた――口許に優しげな、いつもの微笑を浮かべて。
 但し、その瞳は少しも笑っていない。
「鍵……開いてるのに……」
「済まないな。気が急いていたもので」
 穏やかな口調で告げながら、ディルトはその笑顔――と言ってもいいものなのか――をウィルに向けた。次に、同じ視線をソフィアにも向ける。さすがに、ぎょっとした表情で、彼女は半歩ほど引いていた。
「ひとつ、尋ねたかったのだが」
「ソフィアなら、ここにいますね」
 言って、とん、とソフィアの背中をディルトの方へ軽く突き飛ばすと、彼女は恨みがましい視線を投げかけてきたがウィルはきっぱりと無視した。ウィルとディルト、二人の対峙する場の丁度中間の位置に立つ羽目になったソフィアをディルトは一瞥したが、すぐさまその視線をウィルに戻した。
「そう、それを尋ねたかったのだよ。しかし丁度この部屋の前まできたときに、声が聞こえてな。その必要性がない事を知った」
「見つかったのなら、いいじゃないですか。どうぞお連れ帰り下さい」
「あっ、友人を売る気!?」
「やかましいっ! 君らの面倒ごとに俺を巻き込むな!」
 ソフィアの非難の声に、即座にウィルは叫び返す。が、そのソフィアの声を聞いて、内心ほっとしていた。さっきウィルが口を滑らせた失言は、本当にただの言い間違いとして、ソフィアは受け取ってくれたようだった。
 更にソフィアは言い返そうと息を吸ったが、一歩、静かに前に進み出たディルトの気配に、その息を言葉にして吐く事はしなかった。ディルトは、表情を変えぬままで、ただ静かに告げる。
「何故、ソフィアはここにいる?」
 それはどちらに対して投げかけられた問いなのだろうか。判断する事ができず、ウィルもソフィアも見開いた目で、ディルトの微笑みを――凄絶な微笑みを眺めていた。だが、ディルトの視線は、黙秘を許さないようだった。呻くように、ウィルが口を開く。
「ソフィアが……勝手に逃げ込んできたんですよ」
 真実を述べると、ソフィアが声には出さず、裏切り者、と呟いた。ディルトの追及の視線はソフィアに移る。
 ソフィアは、こわごわとディルトの視線を見上げた。
「何でって言われても……ウィルの部屋があったから」
「他にももっと近くに逃げる場所ならあったはずだが、何故ウィルなのだ?」
 言って、ふっとその瞳を曇らす。
「そもそも、それ程迷惑だったのか……?」
「そうじゃなくって!」
 慌てて、ソフィアは言い返した。
「ただ、あたし、ディルト様の事そういうふうに考えた事なかったし……」
「ウィルの事はそういう対象として考えていたのか?」
「何でそうなるんですか!?」
 ディルトにそう叫び返したのは、問われたソフィアではなく、ウィルだった。口を挟むつもりはなかったが、ディルトに言い募られるソフィアをさすがに見かねたのだ。叫んでから、しまった、と思ったが、後の祭りである。仕方なしに、後を続ける。
「いい加減しつこいですね、ずっと違うって言ってるでしょう? 俺とソフィアはそういう仲じゃないし、俺も彼女の事は恋愛対象としては見ていないって……」
「成る程……」
 ディルトは一言、同意してきた。いや、同意というより――
 彼の眼差しは、冷淡なものだった。端正だが愛敬のある顔つきのこの王子の表情とは思えないほどに、双眸を鋭くする。それは、あまりにも鋭利な怒りだった。
「ならば、私が彼女と結婚しようとどうしようと異存はないという事だな」
「彼女が同意するのなら、あるわけないでしょう」
 言うと、ディルトはすぐ傍に立っていたソフィアの腕を強く掴んで、自分の傍に引き寄せた。
「只今をもって決定する。ソフィア・アリエスは私が娶る……レムルス王国王太子妃とする」
「えぇ!?」
「ちょっと待って下さいよ!」
 ソフィアとウィルの驚愕の声が同時に響く。ディルトは横目でウィルの方を見た。
「ソフィアは……同意してないじゃないですか!」
「レムルスの法では王族の婚姻は当人の一存で決定できるのだ」
「そんな無茶苦茶な! 第一ここはレムルスじゃない……」
「何故、お前がそれほどまでにこだわる? 関係ないのだろう?」
 問われて――ウィルは言葉を失った。
 そんなウィルから視線を外し、ディルトはソフィアの肩を掴んだまま彼に背を向けた。そのままソフィアを半ば強引に連れゆっくりとした歩調で歩いてゆくディルトに、やはりウィルは何も言う事が出来ないでいた。
 壊れた扉をくぐる瞬間、一度だけ、ディルトは微かにウィルを振り返り、ウィルに聞こえるぎりぎりの声で、囁いた。
「お前などには……彼女は渡さない」

 ――聞いてたんだ、あの人は――
 今更ながらに気付いて、ウィルは歯噛みした。
 声が聞こえた、と言っていた。だったら、話していた内容まで聞き取れてもおかしくはない。あの失言についても、ソフィアはうまく誤魔化されてくれたが、そもそもその方が不思議だったくらいだ。あんな、ダイレクトな台詞を、同じ女性に好意を持つ男が――それも、ディルトのように直情径行な男が聞いて、黙っていられるはずもない。
 だから、あれほどまでにウィルに対し怒りを抱いたのだ。ウィルが彼女に対して好意を持っていた事にではない。そのことに自分自身、気付いてからも、何でもないなどと言ってしまういい加減さに――
(俺だって、好きでそう言ったわけじゃないっ……!)
 怒りに任せて振り上げたこぶしを、しかしウィルはどこへも叩き付ける事ができずに、そのまま力なく降ろした。
 ディルトが怒るのも当然だった。自分自身でも、情けなく思う。正直に本音を言えない自分。言い訳をしてしまう自分。言えない理由を自問したとき、その問いに対する答えを即座に弾き出してしまえる自分。
 『俺』はこう言うのだろう。今はそんな事を言っている場合じゃない。帝国のこと、解放軍のこと、エルフィーナのこと。頭を悩ませなければならない問題は山積みなのに、これ以上抱え込んだところで、対処できるわけはない――
 それを言い訳にして、ソフィアの視線の意味にも気づこうとしなかった、愚かな自分。
「……ふざけんなよ」
 ウィルは、自分自身に毒づいた。ぎっ、と、奥歯を噛み締める。
「彼女を護るって決めたのは、俺の方が『先』なんだよ……今更譲れるか!」
 叫んで、吹っ切ったように彼は部屋を飛び出した。


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