CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #22

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「あ……」
 その呟きが、自分のものだったのか、ソフィアのものだったのか。その瞬間のウィルには分からなかった。ただ、ディルトのものではないという事だけは、どういう訳か認識できていた。
 自分が瞳に映した事実を衝動的に受け止めまいと、ウィルは自制した。だがそんな自制などは、さほど必要ないらしい事を、彼は数秒後には認識していた。
 自分に言い聞かせるまでもなく、彼は冷静だったのだ。心の中には動揺の細波すら、立っていない。だから、ソフィアの肩を抱き寄せたまま、ディルトが尋ねてきたときも、ウィルはびくりともしなかった。
「何か用か? ウィル」
「いえ、別に。たまたま通りがかっただけです。……お邪魔しました」
「ウィル!」
 即座に踵を返して退散しようとするウィルを、別の声が呼び止めて来る。無視する理由もなく、彼は声の主――ソフィアの方に、素直に振り返った。
「ん?」
「ウィル……」
 再び彼の名を呟いて、それっきりソフィアは沈黙した。言葉に出していないだけで、瞳の中にたゆたう感情が消えた訳ではなかったが。
 もう一度だけ、ソフィアに問いかけようと口を開きかけたウィルに、今度はディルトが声をかけてきた。
「ウィル、私はソフィアに求婚した」
 率直にディルトが言った瞬間、ソフィアの肩が小さく震えたのには、ウィルが気付いたのだから無論ディルトも気付いていただろう。だが彼は、ソフィアには目をやらず、視線の先のウィルのみを見据えていた。ウィルはその射るような視線と真っ向から睨み合う事はせずに、僅かにディルトの瞳から視線を外しながら、答えた。
「……ええ、聞こえていました」
「まだ、返事は聞いていないが」
「そうみたいですね」
 お互い、分かりきった言葉に、分かりきった答えを返す。その愚かしさを意識しない訳でもなかったが、気にはせずにウィルはもう一度ディルトに軽く会釈した。
「失礼します」
 言って再び部屋から外に足を踏み出したウィルは、背中に視線を感じながらも、そのまま振り向かずにドアを閉めた。



 顔の上に開いた薄い本をかぶせた格好で、ウィルは、自室のベッドに寝転がっていた。
 何を考えるでも無しに、ただウィルはそうしていた。こういう時だけは、この息苦しいほど静寂な教会も素晴らしいものだと感じられる――
 その静寂が破られた訳ではないのだが。
 何となく気付いて、ウィルが顔を上げると、ベッドから数歩離れたところ――つまりは部屋の丁度真ん中あたりに、ソフィアが立っていた。
「何だよ、怖いな」
「鍵。開いてたから」
 俯いて、黙りこくったまま立ち尽くすソフィアのその姿に対してウィルは言ったのだが、ソフィアはまた、いつものように気付かれもせずに部屋に侵入して来たことを言われたと思ったのだろう。いつもの事とはいえ、確かに彼女のその技能にも不可解な点はあったから、ウィルは彼女の思った言葉の意味で返答した。
「鍵が開いてたって気付かれないで部屋に入って来れるってもんでもないと思うんだけどな。そういう特殊技能をこんな所で無駄使いするなよ」
「使ってなくなる訳でもないんだから、いいじゃない」
「そりゃそうだけど」
 思わず呟いてから、この答えではソフィアが部屋へ侵入してくる事を黙認していると取られかねないな、とも思ったが、実際たいした問題でもないので、ウィルはそのままにしておいた。ソフィアが現れてから、時間にして一分ほども経ってはいないが、まだソフィアは顔を上げなかった。呟いている言葉はいつもの軽口そのものだ。声を詰まらせているという訳でもなかったが――
 唐突に、ウィルはベッドから飛び起きて、ソフィアの前に駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。反射的にその顔を上げたソフィアの頬や瞳に、しかし彼が予想していたような涙の跡はない事にいくらか安堵しながら、ウィルは、掴んでいた手を放す。
「何? 急に」
「何でもない……いや、泣いてるのかと思ったんだよ」
「泣かないわよ」
 かぶりを振って言い直したウィルに、ソフィアは案外あっさりとした口調で返してきた。
「泣くわけないじゃない。苛められたわけでもないし」
 いつもと変わらない調子で呟くソフィアに、ウィルも咄嗟に同じ調子で、君は苛められたって泣きゃしないだろ、などと言いそうになるが、その言葉を飲み込んで、ソフィアに言葉を続けさせた。
「ただちょっと、困った事になったけど」
「困るって、何で」
 心底意外に思ってウィルが聞き返すと、ソフィアはぱっと顔を上げた。睨むというほどでもないが、少々八つ当たり気味な困惑の視線でウィルを見詰める。
「何でって、そんな急に困るじゃない。結婚だなんて今迄そんな事考えた事もなかったのに!」
「困りゃしないだろ。相手はディルト様だぞ? 性格は悪かないし、あれでも一国の王子だ。こんな時世でさえなきゃ一生の幸せが約束されたようなもんだぞ」
「そういう打算の問題じゃないでしょ!? ウィルだってディルト様に求婚されたら困るでしょうが!?」
「イヤ……それはめちゃめちゃ困るけど」
「ああっ、そうじゃなくて……どっかの国のお姫様に求婚されたからって、ほいほいとその話に乗ったりはしないでしょ!?」
「可愛くて性格もよければ乗るかも」
「もう、真面目に聞いてよ!」
 ウィルとしてはそうふざけたつもりもないのだがソフィアには不服だったらしく、叫んでくる。焦燥に駆られたように手を擦り合わせる彼女に、ふと気になってウィルは尋ねた。
「……あの後、ディルト様に返事したんじゃないのかよ」
「逃げてきちゃった」
「は?」
 聞き返すウィルに、ソフィアは顔を赤らめながらぼそぼそと呟く。
「どうしていいか分かんなくって、思わずディルト様突き飛ばして、怯んだ隙に窓から跳んで逃げた」
「そこまでする……?」
 逃げるのならせめて、普通にドアから走って逃げてもいいようなものだが、人間焦っていると通常通りの発想が出来なくなるものらしい。確かあの部屋は二階だったような気もするが、彼女にはどうということもないのだろうと、とりあえずウィルは納得する――それはそれでいいのだが。次の瞬間、ウィルは気付いてしまった恐ろしい事実に、顔を蒼白にする。
「って、おい!? まさか、そのままここに逃げ込んできたんじゃないだろうな!?」
「え、そうだけど」
「あのなあっ……!」
 絞り出すような声で呻くが、彼が慌てる理由に気がつかないソフィアは目をぱちくりとしている。
「何考えてんだよ、そこで俺のとこに逃げ込んできたら……それがディルト様にバレたら、どう思われるのか、分かってんのか!?」
「なにそれ」
 戦闘やその他様々な事に対してならずば抜けた洞察力を持つくせに、人の感情、こと恋愛感情に関しては究極の疎さを見せるソフィアに、ウィルは噛んで含めるように言った。
「いいか、そんな事になったら絶対ディルト様は勘違いするからな。俺も君も、間違いなく面倒な事になる。いいからさっさとここから離れろ」
「だから、何をよ」
「あーもう!」
 納得せずに更に聞いてくるソフィアに、ウィルは、苛立ち紛れに言い放った。
「俺が、君の事を好きだってバレるだろうがっ!」
「……へ?」
 言い放って。
 そして、その言葉に対してソフィアが間の抜けた呟きを返して――ウィルは、自分でも考えてもいなかった失言に気付いた。
 頭から、すっと、血の気が引いていく。それは先程、ディルトとソフィアが抱き合っている姿を見た時と、同じ感覚だった。おかげでウィルはあの時何故自分があんなに落ち着いていたのかという事を理解できた――
(違ったんだ……ソフィアの事を何とも思ってないから落ち着いていられたんじゃなくて……)
 そうだとばかり思っていたのだが、それはどうやら違ったようだった。
(ただ単に、ショック受けて頭の中が空っぽになってただけじゃないか)
 ソフィアも、その言葉に慌てた様子は見せなかった。ぽかんと、呆けたような表情のみを見せている。
 しかし、冷静になれたのはウィルにとっても都合のいいことだった。慌てなければ――これ以上失言を重ねなければいい。
「じゃなくて、君が俺の事を好きなんだって、誤解されちゃうんだよ、ディルト様に。そう思われたら余計ややこしくなるだけだってのは、分かるだろ?」
 あえて、前言を撤回したり言い訳をしたりする事はウィルはしなかった。少々強引だが、言い間違えた言葉のようにさらりと流してしまうことにした。今すぐに対処しなければならない問題があるというのも、今だけは好都合といえば好都合ではある。
「とにかく……」
 ウィルが言葉を発しかけたのと。
 ――こんこん。
 折り目正しいノックの音が部屋に響いたのは、ほぼ同時だった。


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