CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 5 #21

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 第5章 僕の大切な姫君

「ぼーっとしてる場合じゃないわよ、ねえ、ウィル君!?」
 闖入者はそう叫びながら慌てたように両腕をぱたぱたと振った。
 何となくその仕草に見覚えを感じて、記憶の糸を手繰る。と、程なく重装鎧を身に纏ったポニーテールの少女の姿が弾き出されたが、今彼の目の前でそうしているのは彼女ではなく、彼女より五、六は年上の女性だった。その女性にしても、まだ二十代前半、落ち着きの出る年齢というほどでもなかったが。
 とはいえ、彼女ほどの高名な騎士が、あからさまに若い女性然とした声で騒ぎ立てる、というのも、彼女と知り合ってまだ日の浅いウィルには珍しいものに思えていた。
「どうかしたんですか、ライラさん」
「呑気ね。そんなんだからディルト様に横からかっ攫われちゃうのよ」
「はぁ?」
 訳が分からなくて、ウィルは素っ頓狂な声を上げていた。
「かっ攫われちゃうって……何を」
「決まってるでしょうが、ソフィアちゃんよ」
「…………は?」
 ますます何のことか分からなくて――ウィルは絶句した。

「まさかウィル君、知らないの? ここ一週間ばかり、ディルト様とソフィアちゃんが特訓してるの。二人っきりで」
 二人っきりで、というところにアクセントを置いて、ライラは言った。だがウィルは、それには気付かない振りをして、冷静な口調で呟いた。
「知らないですけど。このファビュラス教会は、帝国の脅威から隔絶されたいわば安全地帯ですから、ディルト様が何してようと構いませんよ。一般兵が何をしてるかなんて、全て関知しているわけではないですし」
「またそう白々しいことを」
 白い目で、彼女はウィルの事を睨んだ。少々苛立ちを込めた口調で言う。
「私が何を言いたいか分からないでもないんでしょう? そうやってはぐらかすのってよくないと思うわ」
「だったら回り道しないで言いますけどね」
 ウィルの方も、相手は騎士であり、女性であるのであからさまに苛ついた態度を示す事はなかったが、それでも感情を心の中に仕舞い込めずに、刺のあるせりふを吐いた。
「どうしてみんなが誤解するのかって方が、俺には分からないんですよ。俺はソフィアとは関係ないんだって、いつも言ってるのに」
「ソフィアちゃんの事、嫌いだって言うの?」
「嫌いではないですよ。当然でしょう? 好意を持っていますよ、友人として」
「ああそう」
 呻いたライラの表情は、最早険悪になっていた。ウィルのつくテーブルに手をついて、真っ正面から顔を寄せてくる。その険悪な視線で、じっと彼の目を覗き込むように。ウィルも、負けじと彼女の瞳を見かえしていた。
 見つめあって――いや、睨み合って数秒。
 唐突に、ライラはその視線をすっと細めた。年よりは幼く見えるその容姿にはあまり似合ったものではないが、口の端に、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「ふぅん。ならいいのね。特訓とは名ばかり、密室で二人っきりのディルト様とソフィアちゃんが、本当はどういう事をしてるか知らないままでも」
「なっ――!?」
 さすがに聞きとがめ、思わず座っていた椅子すら蹴り倒して立ち上がるウィルを見て、ライラはにやりとした。そこで、ウィルも彼女の策略に気付く。耳が火照る理由が、まんまとはめられた悔しさか、その言葉による動揺なのかは彼自身でも判断の付かないところだったが、それでも精一杯表情を険しくして言い放つ。
「……こんな事で勝った気にならないで下さいね。彼女はまだ、十六歳の女の子だ。心配してもおかしくはないでしょう?」
「恋人がいても、おかしくはない年だわ。ましてやその恋人と何をしていようとも」
「…………っ!」
 反射的に叫んでしまいそうになって、ウィルはぐっと奥歯を噛む事でそれを制した。下腹に力を入れて激昂をやり過ごしながらライラを睨み付ける。が、彼女は全く臆した様子は見せなかった。それどころか逆に、笑みすら浮かべている。
「この程度で理性を失いかけて……それでも貴方はソフィアちゃんの事を何とも思っていないって言うわけ?」
 からかうふうではなく、純粋に穏やかな口調でそう言われて。
 ――ウィルは、その場から駆け出していた。

 彼には――
 自分でも、その理由が分からなかった。つまり、唐突に走り出してしまった理由は。走って、どこに行こうなど考えていた訳でもない。もちろん、ライラの前にいるのが耐えられなくなった訳でもない。
 とにかく、爆発するような衝動に突き動かされたとしか言いようがないが――
(なんだってんだ?)
 それはライラにではなく、自分への問いだった。全力疾走していたウィルは、自問して頭を冷やしながら歩調を緩め、やがてその場に停止した。誰もいない廊下に、自分の息切れした呼吸音だけが響く。
(これじゃ、認めてるようなもんじゃないか。俺がソフィアの事を……)
 彼女の事を。
 本当に、どう思っているんだ?
 自問しようとして、ウィルは体温が上昇していくのを感じ、慌てて止めた。そこで初めて気がつく。
 あれだけディルトやユーリンからいろいろと言われていたにもかかわらず、まともにソフィアの事を一人の女の子として考えた事はなかったという事に。いや、正しくは意識していなかったという方が正解かもしれない。もしくは、意識しようとしなかった、か。
(って、何考えてんだよ俺は! 当たり前じゃないか、今は誰が好きだのなんだのって言ってる場合じゃないんだよ! その前にやんなきゃいけない事があるんだから!)
 わたわたと、思考を打ち消すかのように手すら振りながらウィルは内心で叫んだ。しばしそうしていると、少しは冷静になってきた証拠なのか、その自分の錯乱が第三者の視点から見たように滑稽なものに思えてくる。
(全く、調子狂うな。たかだか一人の女の子に、かき回されるなんて)
 紅潮した顔を覆い隠すように口許に手をやりながら――無論その程度で隠す事など出来なかったが――、ウィルは口の中で呟いた。もうこれについて考えるのはやめよう。そう思いながら。
 それでも、彼の足は、思考とは切り離されたかのように無意識に、室内運動場に向かって歩き出していた。



 ディルトの剣の腕は、信じられない速さでに、一日毎に、確実に上達していた。
 昨日は躱せなかったはずのソフィアの剣が今日は躱され、その次の日には反撃に移ろうとしてくるその姿に、ソフィアは、戦場で腕の立つ敵と相対したときに似た、戦慄を帯びた歓喜を感じていた。
 そして。
「くっ……」
 予期せず腕を掠めた軽い痛みに、ソフィアは思わず、寸止めするつもりで振った木剣を、そのまま振り抜いてしまった。当然のように伝わってきてしまった軽からぬ手応えに、はっとする。
「きゃあ! ディルト様っ!?」
 一応、まともに急所に入る前に咄嗟に腕かどこかで防御していたのだろうが、それでもその一撃に完全に負けた格好で床に転がるディルトに、ソフィアは剣も投げ捨て慌てて駆け寄った。おろおろと、彼の横に膝をつき手を触れると、その手をディルトはしっかりと握り返してきた。
「大丈夫。どうということはない」
 実際、手応えを感じた瞬間、骨や腱を断ち切ったような妙な感触は伝わってこなかったから、打ち身以上の怪我はないだろうが、それでもソフィアには大きなショックだった。
「ごめんなさい、あの、ちゃんと止めるつもりだったんですけど、つい加減しきれなくて……」
「分かっている。いや、逆に嬉しいくらいだ。貴女の余裕を少しは奪えたということになるのなら」
 屈託なく微笑んでくるディルトに、ソフィアは一瞬きょとんとする。そんな彼女にディルトは挑戦者の眼差しで告げるのだった。
「次は、もっと本気になってもらう」
 ――彼は、もっと強くなる。
 直感が囁く声が、ソフィアの意識を、彼の剣術の教師から挑戦を受ける王者へと改めさせる。
「望むところです」
 ソフィアの答えにディルトは満足したように立ち上がり、勇ましく剣を構えて見せた。

「うーん」
 再び――いや、もう十数回目だが――ソフィアに叩きふせられ、その体勢のまま床に寝そべって、天井を睨みながら、ディルトは悩むような唸り声をあげていた。横に座るソフィアが、そのディルトの顔を覗き込む。
「何です?」
「いや、何だか、物理的に貴女には勝つ事は出来ないのではないかと、真剣に考えていたのだが」
「そんなわけないじゃないですか」
 変な事を言いますね、とばかりにぱたぱたと手を振るソフィアを、ディルトはその苦悩の視線のまま見つめた。
「私が勝てないのは仕方ないとしても、ソフィアは誰かに負けた事はあるのか?」
「そりゃありますよぉ。サージェンさんと対戦すると、五分五分くらいですよ? まぁお互い、まともにやりあって怪我するのも面白くないんで、どうしても加減しちゃいますけど」
 さらりと、大陸随一とも噂される剣士の名を出されて、ディルトは何となく尋ねる相手を間違った事に気がついた。何と返答したものかと考えているうちに、ソフィアが続けてくる。
「あと、ライラさんもやっぱり強いですね。本気で頑張れば負けるつもりはないですけど。あ、やった事はないですけど、エルンストとクリスとユーリンに、三人がかりで来られたらどうかなぁ。最近クリスも上達してるみたいだから、面白いかも」
「ウィルは?」
 少しばかり気になって、ディルトは尋ねた。と、ソフィアはうーん、と考え込む仕草をする。
「ウィルは……剣術はかなりの腕前なんですけど体力ないから、実は大した事ないんですよね。って言っても並みの剣士相手なら、ウィルがバテる前に勝負つく程度には強いから、問題ないかな。……ああ、でも」
 呟きながら、ふふっと微笑みを漏らすソフィアに、ディルトは黙って視線だけ向けた。
「訓練じゃなくて、実戦で対戦したら、きっとあたしが負けちゃうんだろうなぁって思う、今のところ唯一の人ですよ」
「……魔術を使われれば、という事か?」
 接近戦に弱いという弱点はあれど、魔術士の戦闘能力は魔術士ではない者にとってはかなりの脅威である。その上ウィルは、その弱点をもカバーしている。だが、ソフィアはちょこんと首を傾げた。
「んー。そういうのとは何か違うんですよ。剣も使える魔術士ってだけなら、やりにくい相手だとは思うんですけど、対処のしようならいくらでもあるし。ただ、何かイメージって言うのかな、ウィルはとにかく、誰にも負けないような印象があって……」
 ディルトは、ソフィアの眼差しが自分を真っ直ぐに見詰めているのにもかかわらず、その目の中には自分は入っていないという事を痛烈に自覚していた。
「戦ってるときも、彼が傍にいれば、どれだけ無茶してもフォローしてもらえるようなそんな気がしちゃって。だからいけないんですよね。ウィルには迷惑かけてばっかり」
 眉を寄せて微笑むソフィアの姿に、胸の奥底に、軋むような痛みを感じて――
 ディルトは、彼女の細い肩を、胸に抱きしめた。
「――ディ――?」
「私では役者不足だという事は分かっている」
 ソフィアが声を言葉にするのよりも先に、ディルトは彼女の耳元に囁きかけた。
「だが、貴女に斬りかかる剣があれば、私が身体で止めて見せる。貴女を護る役目は、私が引き受けたい」
 ソフィアが、すっと息を飲む音が聞こえる。こちらの言わんとした事を察したという訳ではなく、何かを言おうとして、言葉に窮したようだった。意図していた訳ではないが、身動きできないほどに固く彼女を抱きながら、ディルトはあえぐように言葉を続けていた。
「愛しているんだ、ソフィア……私と、結婚して欲しい」

 彼らを捜していた――わけではなかったが。
 室内運動場に辿り着いたウィルが、ノックも無しにドアを開け、その中を覗き込んだときに目に飛び込んできたのが、丁度そのシーンだった。


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