CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 4 #20

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「……で、なんだってまた、あんな事をしたんだ?」
 問われて。
 ソフィアのこめかみにひとすじの汗が流れるのを、ウィルは横目で見ていた。
「あんな事って?」
 それでも平静な口調――言い換えれば白々しい口調で返してくるソフィアの目を、今度は正面から見る。
「騎兵隊の指揮を君に任せた覚えはない。そりゃ前には、君に指揮を執ってもらいたいって言ったけどな。その時は従わなかったのに、クリスやエルンスト達もそこそこ実戦経験を積んできて、そろそろ任せても大丈夫かなって思ってきたときになって急にやりたがるってのはどういうつもりなんだ?」
 半ば詰問するような口調で言われて、ソフィアはたじろいだようだった。明らかに困った表情をして、ウィルを見上げる。
「うーん……何て言うか、一度やってみたくて」
「嘘つけ。面白くも何ともないことを、理由もなくやってみようなんて、君は絶対考えないだろ。らしくないんだよ」
 彼女らしくない。
 根本的に、疑問点はこの一点なのだ。なぜ、彼女が彼女らしくない行動を取っているのか。
「ディルト様が言ってたんだよ。ソフィアらしくないって」
「ディルト様が?」
 聞き返されて、ウィルは自分でも分からないが何故か一瞬、頷きを返すのをためらったが、ああ、と肯定する。
「何かあったのかって、俺に聞いてきた」
「…………」
 沈黙するソフィアを、ウィルも黙したままただじっと見ていた。
 彼女は、困っているのと、悩んでいるのが半々くらいの表情で、耳元に落ちてきた髪を掻き上げた。何もかも、らしくない。沈黙で話題をやり過ごそうとする事など、彼女が使う手段ではないはずなのに。
 表情にしたってそうだ。彼女の表情はいつからこんなに読み易くなった?
「何もないんだけどな」
 囁くような小声でソフィアが言うのを、ウィルは危うく聞きもらしそうになっていた。
「何もないって……」
「あのね、あたしは知りたかったの。ただそれだけなの。だから、何があったってわけじゃないのよ」
 身長差で、必然的に見上げる形になるウィルの目を、真っ正面から見つめながら、ソフィアは何とか言葉をつなげようと努力しているようだった。決して彼女は口下手ではないが、よほど今思った事は言葉にまとめるのは難しいのだろう。途中途中、考えながら続ける。
「ただね、分かんなかったから、分かるために知ろうって思ったの」
「……こっちがよく分からん。一息に言わなくていいから、順に話せ。な?」
 諭すように言われて、ソフィアは軽く頷いた。返事、というよりは、自分の頭の中で言うべき事をまとめる作業の一環のようにも見えたが。
「ウィル、イライラしてたみたいだから。軍をまとめるのって大変なんだろうなって思って。きっとあたしも、迷惑かけてるんだろうって思ったんだけど、あたしは、軍をまとめる苦労って知らないから、知っておかないと理解は出来ないだろうなって思ったの」
「……へ?」
 言い直した割にはやはり分かりにくく、その上覚えのない事を言われて、ウィルは眉根を寄せた。それを見て、ソフィアも表情に疑問符を浮かべる。
「だって、ウィル怒ってたし」
「もしかして、船でか?」
 ようやくソフィアの言わんとしていた事を何となくだが理解する。
「そんな事気にしてたのかよ。怒ってないって言ったじゃないか」
「嘘。怒ってたじゃない」
「怒ってたわけじゃないよ」
 ふう、と、溜息を吐いて、ウィルは繰り返した。
「確かにイライラしてたけど、怒ってたわけじゃない。それにイライラしてたっていうのも、ソフィアの言うのと理由は違う」
「どういうこと?」
 気抜けたような表情で、しかし、きちんと聞き返してくるソフィアを、ウィルは考え込むように自分の顎を撫でながら見下ろしていた。
「どっかの馬鹿王子が余計な事言うから」
「なにそれ?」
「勘違いしてるんだろ。いろいろと」
「分かんないわよ」
「だろうな。俺だってよく分かってないんだから」
「……はぁ?」
 完全に要領を得ない表情で聞きかえすソフィアに、何か上手く説明する手段を見つけようと試みたが、見出す事が出来ずに諦める。
 いや――ひとつだけ、確実な手段はあるのは分かっていた。
 すなわち、全部ディルトの口からソフィアに対して語ってもらうことだ。そうすれば彼は、自分の誤解を知り、またソフィアが理解していない全ての事を何よりも確実に伝えるだろう。
 だがそれは――
「ウィル?」
 覗き込むように見つめられて、ウィルは一瞬狼狽した。
「とにかく、俺は別に怒ってなんてないんだからな。俺の言った事を気にしていたんなら謝るから、ソフィアは……その、なんだ」
 いつも見ているはずのソフィアの真っ直ぐな視線に、どういう訳か今は耐えられなくて、ウィルは、目を逸らしながら指先で頬を掻いた。
「気にしないで普段通りにしてればいいんだ。君はそれが……多分一番いい」



(やっぱり、分かんないなぁ……)
 ウィルに、解放軍の兵士の為にそれぞれあてがわれた滞在用の部屋の入口まで送ってもらって――
 去っていくウィルの後ろ姿が見えなくなると、ソフィアは部屋に入る事もなく、また廊下を歩き出していた。今度は迷子にならないように道順を頭に叩き込みながらだが。
(あたしの所為じゃないって、言ってくれたんだってのは分かるけど。じゃ、なんなのかな。王子って、ディルト様と喧嘩したとか? ……まさかね)
 気にするなと言われると、余計気になってしまう。もともと、疑問に思った事はとことん追究しないと気が済まないたちなのだ。
 頭の中で、地図を作りながら、知らない建物の中を無目的に歩く。元々、歩くのは好きだった。というより、じっとしているのが苦手だっただけだが。それは考え事をしているときでも例外ではない。歩行によって足の裏から伝わる振動が頭を程よく揺さぶって、よりいい考えがまとまるような気がする。
(何て言うのかな。……そう、はぐらかされた感じよね。そう、それだ。はぐらかされた)
 しっくりする言葉をようやく見つけ出して、ソフィアは胸中でそれを繰り返した。しかし、だからと言ってその言葉に、浮かんだ疑問を全て打ち消すほどの効力があったわけではない。
 はぐらかされたのなら、彼には本当に言いたい事が、別にあったはずなのだ――
 ふと。
 何気なく中途半端に開いた扉の奥を見て、ソフィアは一旦考え事を止めた。
 その扉の奥は、ぱっと見ただけでも、この教会内にある他の部屋とは、全く違った物のように見えた。他の部屋は、宿泊施設や食堂などを除くならほぼ例外無く、所狭しと本や何かよく分からない研究資料のようなものが置かれた魔術士の研究所と言った様子だったが、この部屋だけはがらんとしていた。そして、強固な石造りの建物の中において、ここだけは床に木の板が敷き詰められている。
「運動場?」
 概ね、そんな印象を受ける部屋だった。引き込まれるように扉を開けると、その感想がおそらく正しかったのだという事が確認出来た。部屋の隅の方に無造作に、木剣や槍などが立てかけられている。それは、かつて解放軍が本拠としていた辺境トゥルース城の、兵士の室内訓練場と似たような光景だった。
「へぇ、教会にも運動場なんてあるんだ」
「ああ、ファビュラス教会の魔術士の中には、魔術以外の戦闘術について研究する者もいるらしいからな」
 期せずして返ってきた返答に、ソフィアは、部屋の中――今迄彼女が向いていたのと逆の方向を見た。そこには何故か、ディルトが木剣を手に立っていた。
 運動着、という訳ではないが動き易そうな室内着で、身体全体が汗で多少湿っている。ということは、ここでその木剣を使って一人、稽古でもしていたのだろう。それは理解できたが、
「何やってるんですか、こんな所で」
 彼がそんな事をしているという意外さの方が勝って、分かりきった質問をソフィアは返してしまっていた。
 ディルトは右手の木剣を軽く振って見せる。
「先程、大神官殿に少しばかり教会内を案内していただいて、この部屋を見つけたのだ。レムルスを出てから少々忙しくて、稽古を怠っていたのでな、ちょっと借りていたところだ」
「稽古って、ディルト様そんな事してたんですか?」
 およそ、武術とは結びつかない繊細な容姿のディルトを見て、ソフィアは驚きの声を隠そうともしなかった。それを聞いても、ディルトは自覚があったのか、不服の表情すら見せずに笑って見せる。
「剣術なら子供の頃からコルネリアスに習っていたよ」
「へえ……」
 意外そうに溜息を吐いて、ソフィアは頷いた。素直に思った事を表に出す彼女に、ディルトは微笑んでから、壁の方を向いて上段に木剣を構えた。しゅん、と小気味よい音を立てて、剣を振り下ろす。
 確かに、初めて見るディルトの太刀筋は、きちんとした指導を受けた人間のものだった。彼の言葉通り、幼い頃から叩き込まれ、体に正しい型が染み着いている、それである。素振りだけでは、実際の能力の程まではよく分からないが――
「あ、そうだ。あたしが相手しましょうか?」
 脇に目もくれず剣を振るディルトに、ソフィアは名案を思い付いたように手を打って、声をかけた。と、ディルトは振り下ろした剣をぴたっと止めて、ソフィアの方を向く。
「有難い。是非お願いするよ」
「はい♪」
 嬉々として、その辺りに立てかけてあった木剣の一本を拾い上げるソフィアに、ディルトは真剣な眼差しで向き合った。

 お互い、剣の間合いより数歩退いた位置で構えを取り――
 先に動いたのは、ディルトの方だった。僅かに剣先を下げ、踏み出してくる。
 思ったより速い踏み込みに、ソフィアは少し、警戒するように攻撃を受ける構えを取った。かなり的確に、そして素早い動作でディルトがソフィアの肩を狙って剣を打ち下ろしてくるところを見ると、彼女が受ける事を前提にそうしてきたのか、手加減する余裕が無かっただけなのかはわからないが、度胸はそれなりにあるという事は分かる。
 否めない腕力の差で、打ち下ろされてきた衝撃を弾き返す事は出来ずにソフィアがいると、ディルトはすかさず追撃をかけてきた。二、三、剣を合わせて、一瞬生まれた間合いを利用して、ソフィアは後ろに退いた。
 そして今度は、ソフィアの方からディルトに接近する。
 さっきとは全く逆の立場で、彼女の振るう剣をディルトは受けていた。しかし、彼女とは違いディルトにはその剣の嵐から逃げるタイミングは掴めていない。
 このまま、剣を打ち込んでいれば確実に勝てる自信はあったが、ソフィアはあえて、大きく剣を振り上げた。
 もちろんディルトは僅かに生まれたその隙を見逃さなかった。がら空きになった彼女の胴に、実戦さながらの剣の動きで打撃を入れる。
 が、ソフィアの方が上手だった。
 ディルトの打撃を体の重心を僅かにずらすだけと言った、極度に無駄のない動きで躱し――
 これが実戦なら、攻撃を外した敵に対し、一撃をくれてやるだけで終了なのだろうが。
 ソフィアは、ディルトがその剣を引き、もう一度体勢を立て直す時間を彼に与えた。
「結構やりますねー、ディルト様」
 彼の剣には見かけによらず、粗削りで力押しな点があるようだった。しかし、彼の反応の素早さがその欠点をフォローして、逆に力強さを際立たせた。こういう相手は彼女のように、腕力はさほどでもないが技と瞬発力で勝負するタイプにとってはやりにくい部類に入る。
 とはいえ、純粋な技量の差はその程度で埋められるものではなかったが。
「誉められたのは嬉しいが」
 その差にはディルト自身も気付いたようで、台詞とは裏腹に感動したように目を輝かせながら、言ってくる。
「話には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。私では到底敵わんな」
「実戦経験の違いってだけですよ」
 実際、足りないのはその点だけと思える程には、彼の技は完成していた。言っている以上に訓練を積んでいるのだろう。身体能力を見れば、かなり鍛えてある事が分かる。短時間とはいえ真剣に立ち合わせて、彼は少々呼吸数は上昇しているが、息を乱しているというほどでもない。これがウィルなら今ごろ、肩で息をしているところだ。
「それで、私の力はどうだった? ソフィア。貴女は対戦者としてというより、指導者として私と手合わせしてくれたようだから」
「あら、分かってましたか」
 ほんのちょっとだけ舌先を覗かせながら、ソフィアは素直に認める。
 彼女がわざと隙を作ったり、後一歩踏み込めば倒せるところでそうしなかったという事を、彼はちゃんと分かっていたのだ。
「そうですね、純粋に戦闘能力って事で考えれば、エルンストと勝負できるレベルだと思います。……とか言うとウィルに怒られちゃうかな」
 エルンストは、精鋭のコルネリアス隊を除く若手の騎士の中でなら、一、二を争う剣の腕前を持っている。つまりはこのままディルトが戦場に出ても、他の兵士らと何ら遜色なく戦える能力があると認めるということだ。常々戦場に出たがっている彼にこう言うのは、それを反対しているウィルの立場にしてみれば困ることだろう。
 自分のその発言をフォローするように、ソフィアは付け加えた。
「でも、ウィルがディルト様を戦場に出すのを嫌がる理由は分かりますね。あ、もちろん、ディルト様がレムルスの王子だって事がその理由なんですけど。……例えば、それでも誰にも負けないような絶対的な力を持っているのなら、反対はしないと思うんですよ」
「なるほどな。完全に自分を護りきれると保証できるほどの腕ではないという事か」
「申し訳ないですけど、そうですね」
「ソフィアがそう言う必要はない。私の力が足らぬ故だ」
 すっとした表情で微笑んで、ディルトはそう言った。はっきりとそう言われて、かえって満足したらしい。
「ならば、更に鍛錬を重ねねばなるまいな」
「でもディルト様、どうして貴方自らが剣を取ろうなんて考えてるんです? 王子である貴方がわざわざそんな危ないことをしなくても」
「ヴァレンディア王の話は知っているか、ソフィア」
 質問をしたソフィアが逆に問い返されて、彼女は首を横に振った。話、と言われてもこれといって思い付かない。ヴァレンディアが滅びたのは、六年も前の事。彼女が十やそこらの子供だったころだ。無論、ディルトにしても大差があるわけではないが。
「六年前の、ヴァレンディアの決戦は知っているな。各国に侵略を開始した直後のアウザール帝国が、ローレンシア王国を陥落したその次に、聖王国ヴァレンディアに攻め上がってきたのだ」
 それは知っている。彼女だけでなく、子供から老人まで皆の知るところだろう。大国ヴァレンディアに無謀にも挑戦してきたアウザール帝国。だがその無謀だと思われた挑戦は――
「アウザール帝国は、悪魔が憑いたようなその力でもって城下を焼き尽くし、城に篭った僅かなヴァレンディアの騎士達を追いつめた。だが、ヴァレンディアの騎士は最後の最後まで統率を失うことなく抗った。何故だと思う?」
 ソフィアは再び、首を横に振った。帝国が聖王国に攻撃を仕掛けて、滅ぼした、という以上の話は、彼女は聞いた事がなかった。
「当時、十二歳にして国内随一の魔術士だった国王自らが敵前に立ち、その戦いを指揮していたのだ。誇り高きヴァレンディアの騎士たちが、その勇敢な姿に従わぬわけはあるまい」
「十……二!?」
 何よりも、その国王の年の若さに驚いて、ソフィアは声を上げた。たかだか十二の少年が剣を取って――それも先の見えた戦で戦うなんて。
「……そう。大陸が平和だったころ、聖王国で行われた行事で一度だけ顔を合わせた事があったが、力ある魔術士だというのが信じられない程体の小さなあどけない少年だったよ」
 その後彼がどうなったか――それはソフィアには聞けなかった。聞けない、という言い方は正しくないかもしれない。その先は、知っていたのだから。ディルトも言いにくそうに声のトーンを下げて、呟く。
「城内での最終決戦……大軍に押し寄せられるも、最後までヴァレンディアの騎士たちは剣を捨てなかったという。そして、国王以下全ての騎士が、戦死したと伝えられている」
 気が遠くなるような思いで、ソフィアはその話を聞いていた。
 戦争に、悲劇は必ずついてまわる。とはいえ、そのどれを取っても言える事だが、当然の事と割り切ってしまうにはあまりにも重過ぎる事実だった。
 ディルトは静謐な声音で、告げた。
「……私も、そうなりたいのだよ。いや、無論壮絶な戦死を遂げたいという意味ではないが、私が剣を取る事で、皆を奮い立たせる事ができるのなら、私は喜んで敵の前に立ちたい。それにはヴァレンディア王のような相応の実力が備わらなければならないだろうが」
 相槌を打つことすらできずに、ソフィアはディルトをただ見つめていた。引き締められた口許。厳しく前を見つめる眼差し。彼の悲壮なほどの決意を感じて、声を出そうにも出なかったのだ。
 ずっとソフィアは彼を見てはいたが――ふと、彼の視線が、厳しいものから別のものへと変わっていたのに気が付く。
 瞳に帯びた熱だけは失わせずに、厳めしさだけを取り去っていた。そんな彼の視線が、ソフィアを見詰めている。
「それともうひとつ、かもしれないな。私が戦わねばならぬ理由は」
 いくらか、口調も穏やかなものへと変え、ディルトは呟いた。
「このままでは護りたいものも護れない……それでは男として、あまりにも情けないからな」
「ディルト様……?」
 ディルトの眼差しに篭る熱に浮かされたように、ぽつりとその名を口にするソフィアに、ディルトは普段から見せている落ち着いた微笑みを投げかけた。
「頼みがある、ソフィア。もしよかったら、このファビュラスに滞在している間だけでもいいから、私の剣の稽古に付き合って欲しい」
 微笑みとは対称的に、少々緊張の見える声でそう言われて。
 数拍おいてから、ソフィアはふっと微笑んだ。
 王子ともあろう者が下々のものに頼みなどをさせるほど、彼の『護りたいもの』は、彼にとって大切なものなのだろう。とはいえ躊躇なくそう頭を下げられること自体、彼らしいといえば彼らしかったが。
「もちろんです、ディルト様」
 心からソフィアは彼にそう言った。


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