CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 4 #19 |
突如視界に満たされた白光に抗するために、ソフィアはほとんど無意識のうちに瞼を固く閉じ、体をかがめて防御の姿勢を取っていた。 その一瞬後には、無音の爆圧が身体を襲う。あえて逆らう事はせずに、ソフィアはその圧力に身を任せた。二、三度地面の上を転がされたところで体が圧力から解放される。 「いったぁ……」 肌がちりちりするような熱波が収まった事を確認してから、ソフィアはそっと瞼を開いた。 そして、目の前の光景を見て、口を呟いた形に開いたまま、言葉を失う。 目の前には、直径五十メートルほどのクレーターが出現していた。おそらく、つい数秒前までそこにいたであろう敵の一団は、影も形もなくなっていた。 「どういう……こと?」 その場にへたり込んだまま何とか口に出せたのは、そんな意味のない呟きだけだった。だがそれでも、言葉を発する事ができたのは大したものだったのかもしれない。十メートルほど後方にいる解放軍の騎兵隊の面々は、未だ、呆然とした表情のままでぽかんと前を見ているのみである。 呆気に取られていたソフィアは、後ろから足音が近づいてくるのに気がついても、振り向く事すら出来なかった。 「大丈夫か、ソフィア!」 ぐっと腕を掴まれて、ソフィアはようやく上を振り仰いだ。 「あ、ウィル……あたしは大丈夫だけど……」 ぼんやりと呟きながら、ウィルの顔と、目の前のクレーターを順に眺める。目の焦点を合わせるように眉間にしわを寄せてクレーターを見つめながら、ようやく自分が混乱していたのだという事に気付いた。軽く頭を振って冷静な思考を呼び戻す。 「ウィル、これ貴方がやったの?」 「いや、俺じゃない。俺の魔術は届かなかった」 ウィルの答えを聞いてから、ソフィアはまたクレーター と、その後ろにそびえる、尖塔を頂く巨大な城塞――ファビュラス教会の方に目をやった。と、ぽつんと、閉ざされた門の前に一人の人影が立っている事に気がつく。 「誰だろ?」 ソフィアの呟きに、ウィルも彼女と同じ方向を向いた。そして――顔色をすっと変える。 「……カイル……」 呻くように呟くウィルを、ソフィアは不思議そうに見上げていた。 教会の前に立っていたのは、一人の男だった。 年の頃はどう見たところで二十代前半だが、その眼差しだけはどこか、老練されたものを感じさせた。身には、深緑色の法衣を纏っている。教会最高位の神官――大神官の証である。 解放軍の騎士たちを後ろに従え、目の前までやってきたディルトに、男は礼をする代わりにナーディと同じように胸の前で印を切る。そういえば、これがファビュラス教の神官が貴人に対して話し掛ける際に行う礼の仕草だという事を説明していないとウィルは思い出したが、言わずともディルトは理解していたようだった。 「よくぞ参られました、レムルス王国王太子ディルト・エル・レムルス殿下。私はこのファビュラス教会を統括する役目を預かる、カイルターク・ラフインです。長旅お疲れの事と思います。しばらく教会に滞在し、休息を取りながら軍備の補給を行うといいでしょう」 大神官、という言葉だけを聞いていたディルトはおそらく、その姿を風格のある白髪の老神官だとでも想像していたのだろう。その名乗りに、彼は少々驚いたような表情をするが、すぐに顔つきを王太子のそれへと変える。 「ご厚意、誠に有難く存じます、大神官殿。心苦しいですが、お言葉に甘えさせていただく事になると思います」 「貴方がたは正しい行いをしているのですから、それに助力するのは我らミナーヴァ神に仕える者の当然の役目。遠慮なさる事はありません。このような所で立ち話もなんですので、奥へお進み下さい」 講堂で説法を説く時とそのまま同じような口調で、大神官カイルタークが言うと、それを合図にしたかのように、人々の身長の何倍もある聖なる教会の大扉が開かれていった。 「ファビュラス、か……」 自分の足音以外、何一つ物音のしない廊下を歩きながら、ウィルは小さく独りごちた。 このファビュラス教会の総本山は、構造的にはひとつの建物であるが、その面積は常識を外れてとてつもなく広い。延べ面積なら小さな街一つ分の広さがあるかもしれない。もっともそうでなければ毎年、数万の巡礼者を迎え入れる事など出来ないが。千人では済まない解放軍の兵士たちを抱え込んですら、人口密度に目に見えた変化が出る事もない。 だから、かつては歩きなれた無駄に広い廊下を今こうやって歩いても、その頃と変わった印象を受ける事はなかった。薄ぼんやりとした明るさと石造りの冷たさと、静寂だけを残した場所。 いや、この廊下だけではない――それは、このファビュラス教会全体に言える事だ。 息苦しい、場所。 (息苦しくても……故郷だしな。第二の、だけど) この雰囲気を拭う事は出来ないだろう。拭ってしまったら、それは故郷ではなくなる。既視感と区別がつかないくらいの記憶の中の微かな香りを拭ってしまったら。 「何を感傷に浸っている?」 唐突に―― 全く人の気配も感じなかったところで声をかけられて、ウィルは一瞬、微かに肩を震わせてから真後ろを振り返った。 廊下に等間隔に立つ柱のうちの、少し離れた一本に、深緑色の法衣を着た男が腕を組んで寄りかかっていた。 「カイルターク……」 苦り切った表情で、ウィルはその男の名を呟いた。彼には悪いが、なるべくなら今は話をしたくない相手だと、本心から思う。だが、男――カイルタークはウィルのそんな表情などお構いなしに近づいてきた。 「浸るほど、ここを離れていたわけではあるまい。ウィル」 「そうだけどさ」 目を背け、ぼそぼそとウィルが呟くのを見て、感情を表情に表す事の少ないカイルタークが珍しく、眉を動かす。よく見ていれば何とか分かる、といった程度に、彼は微苦笑を漏らしていた。 「……嫌われたものだな」 「違う!」 自嘲のような呟きに、ウィルは即座に伏せていた目を上げた。咄嗟に叫んだが、その後はまた声のトーンを落とす。 「別に、あんたが嫌いなわけじゃない、カイル。ただ……」 だが、喉元まで出掛かった言葉を、ウィルは飲み込んだ。早く話題を変えてくれないかとウィルは内心望んだが、カイルタークはしばらくの沈黙を挟んでも、同じように黙ったままそれに続く言葉を待っているようだった。意を決して、ウィルが先を呟く。 「ただ、嫌なんだよ。あんたは……似てるから」 「リュート、か。私の無二の親友だった男。似ているとは思わんが」 「似てるよ。もちろん見た目とか性格とかは違うけど、雰囲気はそっくりだ。この教会と同じ雰囲気をしてる」 ほのかな明るさと微かな冷たさ。静けさ。それを全てひっくるめてしまえば、ぬるま湯の温もりに似ている。何となくくすぐったい、居心地の悪い場所――だがそれは同時に安息の場所でもある。 カイルタークは、吐息を漏らした。落胆するふうではなく。 「確かに彼は失うには惜しい人間だった……だがお前は、まだ気にしているのか? 六年も前の話を」 「当たり前だろ!? 全ては俺のわがままの所為だって言うのに! あの時俺があいつに……っ」 堰を切ったように喋り出した口を、カイルタークにいきなり手で塞がれて、ウィルは一瞬呼吸を詰まらせた。それに対して文句を言うよりも先に、カイルタークが目にしたものを発見して、彼がそうした理由を知る。 「あ、ごめん……お話の邪魔しちゃった?」 さっきカイルタークが寄りかかっていた柱の辺りに、きまり悪そうに頬を掻きながら、ソフィアが立っていた。 「その、立ち聞きとかそう言うんじゃなくて……ちょっと出歩いてたら、広いから迷子になっちゃって」 珍しく、言い訳のような事を言う。彼女の言葉通り、こちらの話を聞いていたという様子はないが、何か込み入った話をしていたのだという雰囲気は伝わってしまったのだろう。落ち着きなく手を振る。 「それじゃ、ごめん、あたし戻るね」 「待てよ」 去ろうとしたのを呼び止められ、ソフィアはいたずらを見つけられた子供のようにびくっと縮こまる。それを見て、ウィルは思わず苦笑した。 「迷子になったんだろ? 一緒に行くよ」 「あ、うん」 慌てすぎてさっき自分で言った、自分の状況すら忘れていたのかもしれない。こくこくと頷く。 カイルタークに背を向けかけて、ふと思い出して、ウィルはもう一度彼に向き直った。 「カイル」 「何だ?」 ウィルは、ソフィアには聞こえない程度の声で呟いた。 「クレーター。埋めとけよ、ちゃんと」 それだけ言ってウィルは再びソフィアの方へ顔を向けたが、視線を逸らす瞬間カイルタークの目が宙を泳いでいたのは見逃さなかった。 (またナーディに命令してやらす気だな。……喜んで従うあいつもあいつだけど) 直径五十メートルの巨大な陥没。これが魔術によるものだというのには皆が気付いただろうが、どうすればここまでのことになるか、というのはおそらく魔術士であるナーディにさえ理解できなかっただろう。いや、魔術士なればこそ、それが人間の魔術士の能力の限界を超えた技である事には気付いたかもしれない。 一応、皆に対しては、教会の魔術士が、複数人の魔力を相乗させる術を用いて放ったものだと説明しておいたのだが、本当は、それは違うという事をウィルは知っていた。 あれは、カイルターク一人の力で放たれたものだ。 教会内のどんな魔術士をも凌ぐほどの卓越した魔力を持ちながら、彼は攻撃の魔術を使う事を好まなかった。その代わりにその能力を、神官の使用する魔術の研究に費やしている。その功績を認められ、若くして大神官という地位を手に入れた、ということであるのが一般的な見方ではあったが。 とにかく、彼がその気になれば、あの程度の事をやってのけるのも不可能ではない。 (まったく、自信なくすよな。何が教会魔術士だよ。俺が逆立ちしたって敵わないような人間がごろごろいるってのに) あの瞬間、自分の放った魔術が標的に当たる事もなく、効力を失って霧散していったのを何となく思い出して―― 口の中でぼやきながら、ウィルは、ソフィアと肩を並べて歩き出した。 |