CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 4 #18

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「知らなかったな……」
 船内の廊下を、ソフィアは口の中で小さく呟きながら歩いていた。普段は殆ど見せた事のない、明らかにしょんぼりとした彼女の表情を通りすがりにでも誰かが見れば、きっと驚かせることになるだろうが、今の彼女にはそんな事を気にしている余裕はなかった。もっともそれ以前に、たまたまだろうが、誰もすれ違ってくる事はなかった。
 とにかく、彼女は大きなショックを受けていた。無論、ウィルを怒らせた(のだろう、多分)こと自体が原因という訳ではない。むしろ自分自身に対してのショックともいえた。
(全然気付かなかった。あんなに、冗談も通じないくらい焦ってたなんて)
 軍師の責任は大きい。兵士たちの命を一手に預かっているといっても過言ではない。素人目には初期の、戦力に乏しかった頃ほど現在の状況はひっ迫していないような気がするのだが、そういう訳でもないのだろう。
 もしかしたら、万が一だが、自分がやってきた少々無茶な行動も、ウィルの焦りの一因となっているのかもしれない。
「そうか……そうかも。……よし」
 一人、ある決意をして、ソフィアはこぶしを握り締めた。



 聖地と呼ばれる島、ファビュラス――
 東端の小さな港町。その船着き場にひっそりと――という程規模の小さい船でもないが――入港する解放軍の帆船を出迎えたのは、たった一人の青年だった。彼の位置からだと、丁度船に乗る皆の姿は逆光になるらしく、目の上に手を翳しながら眩しそうに見上げている。
 珍しくはない黒髪。瞳も黒だろう。そして、やはり黒色のローブを身に纏っている。魔術士としては典型ともいえる姿だった。まず真っ先に、安全を確認するように降り立ったコルネリアス将軍に続いて下船したディルトに、その青年は迷わず近づいてきた。
 すぐ傍まで寄り、胸元で祈るような仕草をしてから、述べる。
「お初にお目にかかります、ディルト王太子殿下。私は、ファビュラスで神官を務めておりますナーディ・レイクと申します。ファビュラス教会大神官、カイルターク・ラフインの命により、貴方様をファビュラス総本山までご案内する任を仰せつかりました」
「ご苦労様です。大神官殿のご厚意、感謝してもし尽くせません」
 丁寧にディルトが返すのを、ウィルは横合いから黙って見ていた。使者とのやり取りは、身の危険がない限りこの王子の仕事である。と、完全に傍観を決め込んでいたウィルに、一通りディルトとの話を終えたナーディが笑顔を向ける。
「お久しぶりです、ウィル」
「ああ」
 そっけない挨拶を返すウィル。むしろその声には軽い警戒が混じっているのだということに、ナーディはおそらく気付いたのだろう。くすりと笑う。
「と言ってもまだ半年程ですか。それでも、貴方が出ていってしまわれて、大神官様はいたく寂しがっておいででしたよ」
「カイルが? 馬鹿言え。そもそもあいつが俺の事を厄介払いしたんじゃないか」
「貴方が教会で、居心地悪そうにしていたから、わざわざ理由を作って下さったのではないですか」
「はいはい。有難いことですよ」
 ひらひらと鬱陶しそうに手を振るウィルに、ナーディは苦笑を漏らす。
「とにかく、戻ったら一度くらいはご挨拶に行って差し上げて下さいね」
「俺がわざわざ行かなくったって、あいつの方から絡んでくるだろ、どうせ」
 肩を竦めてから、ウィルはふと気になって問いかけた。
「そう言えば、何でお前がこんなところにいるんだ? 大神官お付きの魔術士が」
「ああ、そうでした」
 こちらも、たった今思い出したような口調で答えるナーディ。しかし即座に神妙な面持ちになって先を告げる。
「重要なことをお伝えせねばなりません。アウザール帝国が、刺客をこのファビュラスに送り付けているという情報がありました。道中、戦闘が起きるかもしれないということをご覚悟下さい」
「まぁ、そんなとこだろうな」
 ある程度予測されていたことではある。まさか中立のファビュラスに正規軍を送り付けてくるような真似は出来ないだろうが、流れ者くらいなら動かせないこともないだろう。場所柄、息のかかった魔術士が紛れ込んでいても目立たないということも、厄介といえば厄介である。
「とりあえず、こちらの準備は抜かりはない。どうせ、連携も何もなってないごろつき風情だろ」
「魔術士もいると考えられますが」
「なんとかなるさ……あれ?」
 呟いて辺りを見回すウィルを見て、ナーディは首を傾げる。
「どうかしましたか、ウィル」
「いや、なんでもないけど」
 ぽりぽりと困ったような仕草で、ウィルは頭を掻いた。
 こういう話をしているときには、いつもほぼ間違いなくソフィアが嬉々として口を挟んでくるのだが、今日はどういった訳か、彼女の姿が見当たらない。
 無意識のうちに視線を巡らせて捜していると、ずっと向こうで、誰かと談笑している姿が見えた。
「……まぁ、いいか」
 何となく違和感を持ちながらも、ウィルは、小さく独りごちた。



 違和感は、消えるどころか時間が経つにつれて大きくなっていった。

 市街地以外は、一面の荒野が広がる、聖地ファビュラス。元々、精神修養の意味合いも込め、この辺ぴな地に教会が設立されたという説もある。そんな広大な荒野が、今は戦場と化していた。
 戦闘が起きるということも、敵の姿もほぼ予想通りだった。傭兵上がりのような剣士や、魔術士。戦い慣れている分手間のかかる敵だが、決して遅れを取るような相手でもない。こんなところには違和感などかけらもなかった。
 違和感を感じるのは――

「下がって、そこ!」
 響き渡るソフィアの声に、騎兵の一団は素直に応じ、前線を少々下げた。それを追うように敵兵は前進する。後退と前進。有利なのは無論、前進する方だが――
「エルンスト!」
 合図と同時に、下がった一団の後ろから回り込むように接近していた別の騎兵隊が横合いから敵軍に襲い掛かる。奇襲に一瞬戸惑いを見せた敵兵達を、
「舞え、凍てつく霧よ!」
 更に逆方向から放たれたナーディの魔術が一気に叩いた。
「なーいすっ! さすが教会魔術士ねー」
 感嘆の声を上げ、ナーディに向かってソフィアは大きく手を振る。
「…………」
 その様子をウィルは、隊の後列から黙って眺めていた。理由の分からない違和感を感じながら。
 彼の横で、やはり彼と同じようにディルトもソフィアの方を見ているのにウィルは気付いていたが、何も言わずにいた。
 と、ディルトがぽつりと呟くのが耳に入る。
「何かあったのか?」
 その声はあまりにも小さすぎて、最初、ウィルは自分に対して言われた言葉だというのに気がつかなかった。眉根を寄せて、え? と聞き返す。
「ソフィアはどうしたのだ? まるでいつもの彼女らしくないではないか」
「彼女らしくないって……」
 言われて、もう一度ソフィアの方を向く。彼女はいつもと変わらない声で、皆に指示を与えているように見えるが――
 ――どこがだ?
 声には出さず呟く。いつもと変わらない声。表情。……表情?
 額の汗を手の甲で拭う彼女を見て、冷水を浴びせ掛けられたような錯覚を覚える。
「何で……!」
 普段、どれだけ動こうとも、彼女が汗をかいているところなど見たこともない。とはいえ、いくらなんでも彼女が発汗していること自体に疑問を持ったわけではない。それなのに思わず叫んでしまったその訳は――
「何で彼女は戦おうとしてないんだ!?」
 誰に対する疑問という訳ではなかった。ディルトに尋ねても意味はない。自問なら、胸中で問えばいい。それでも声に出してしまったのは、やはり誰かにそう問うてみたかったからなのかもしれない。そんな意味のないことを頭の隅で考えながら、彼は再び叫んでいた。
 違和感の理由に、やっと思い当たった。
 彼女は指示を出すだけで、自ら戦おうとしていないのだ。戦いを望んで止まなかった彼女が。確かに『彼女らしく』ない。ディルトの言う通りだ。違和感は感じても、言われなければ、気付かなかった――
 ただそれだけのことだが、何か妙に重要なことのような気がして、ウィルは思わず走り出しかけた。が、
「行ってどうするのだ、ウィル」
 後ろからかけられたディルトの冷静な声は、その足をあっさりと止めさせた。
「どうするって……」
 呟いて、沈黙する。どうすると言われても、具体的にどうするかなど、考えていようはずもない。
 その戸惑いを見越していたかのように、ディルトが落ち着いた声音で呟く。
「どうも出来ないだろう。……というより、どうにかしなければならない状態なのか、これは?」
 ソフィアの指揮する隊を見やる。騎兵隊を軸とする彼らは、確実に敵の数を減じているようだった。彼女は部隊戦の戦術など学んだことはないだろうが、天性の勘なのか普段からの慣れなのか、文句無しにうまくやっている。
 やってはいるが――
「らしくはないが、彼女のことだ。勝算も無しにやっているわけではあるまい。任せておけ」
 こちらを見据えながらディルトが言う言葉に、ウィルは従うより他はなかった。

 僅かに後退も繰り返しながら、しかし解放軍は確実に、聖地ファビュラスの中心――ファビュラス教会に近づいていた。
「もうすぐだから、頑張って!」
 全軍に声援を送りながら、ソフィアは祈るような気持ちで前線を見守っていた。
 緊張で、心臓が高鳴る。自分で武器を取って前線に繰り出すときなんかとは比較にならないほどに。
(これが、みんなの命の重さ……)
 ウィルの背負っているものをどうしても知りたくて、騎兵隊長のクリスに頼み込んで、騎兵隊の指揮を任せてもらったのだ。絶対に間違いは許されない。――いや、いつでも間違いは許されなかったし、間違いを犯したことなどなかったのだ。それでも賭ける金額が高くなれば、否応無しに緊張するのは当然である。
(あたしは……みんなの命を背負って賭けに出られるほど……強くない)
 ともすれば、意識を失ってしまう程の極度の緊張に晒されながら、しかしソフィアは表情では極力平静を保っていた。
 ファビュラス教会まで――後僅か。もう既に教会の門すら視認範囲に入っている。が、それと同じように、門前に陣取る一団も見て取れた。
「ソフィア、あれは敵かな?」
「決まってるでしょ、どう見たってお出迎えってふうには見えないわよ!」
 クリスの声に、半ば叫び声で返してから、ソフィアは後悔してこっそりと舌打ちした。焦りを表面上に出さないように気をつけていたのに。それでも露骨にその表情を表に出す事もなく、彼女は前方を睨み据えた。
「剣士が十……五人、魔術士が二十人ってとこね。かなり集めてきてるわ」
 敵方は正規の軍隊ではないだけあって、ほとんど散発的な攻撃を繰り返して来ただけだったのだが、このあたりまで来てさすがに戦力を分散させたままでは勝機はないと気がついたのだろう。戦力の集中を図ってきたようだった。数的にはたいしたものではないが、それが魔術士となると話は違ってくる。
 元々魔術士の能力はセオリー通りに布陣を敷いて進軍してくる敵に、広範囲にわたって打撃を与えるのに適している。対してこちらはそのセオリー通りの戦法を得手とする騎兵隊が主力である。言うなれば、敵にとってこの状況はおあつらえ向きとさえ言えるはずだ。
(ウィルは……どうするの、こういう時……?)
 もし自分が一介の戦士としてこの場にいるのなら、今しなければならないことの判断は容易に出来る。だが、指揮者として最善の行動は――
 わからない。だが、何よりもこのまま敵に時間を与えることも、取れる手段をいい方から並べたとき、かなり下位に位置するものであるということは理解できる。
 対峙する両軍。先に動き出してきたのは――帝国の軍隊の方だった。

 彼女は文句無しにうまくやっている。やってはいるが――
「……っ! やっぱり俺、行きます!」
 走り出したウィルに、ディルトは再び制止の声を投げかけようとしたが、おそらく今度はウィルは足を止めないであろう事に気づいて、諦めたようだった。
 ソフィアの率いる騎兵隊の一隊は、ファビュラス教会前において、敵軍と衝突する寸前だった。敵軍に魔術士――それも遠隔攻撃の出来る紋章魔術士がいれば、後十数メートル前進すれば射程内に入る。
(気がついてるんだろうな、ソフィアはその事に……!)
 教会の真ん前の地面に紋章などを描くという真似もしないだろうから、本当に紋章魔術士がいるという確率は高くはないが、万が一いたとしたら、隊は無傷では済まない。それでなくても、じりじりと敵の隊は前進を始めている。通常の魔術攻撃だって、騎士が接近に気がついて走り出してからそれを打ち倒す呪文を唱えるだけの時間を稼ぐ射程は十分に持っている。
 ソフィアの隊は、前進も後退も出来ないようだった。ソフィアが迷っているのかもしれない。それがどれだけ危険な事かが分からない訳ではないだろうが。
(くそ、頼む、間に合え……!)
 まだ魔術の射程距離には程遠く達しないが、ウィルは小さく呪文を唱え始めていた。しかし、頭の中の冷静な部分が、的確な情報を伝えてくる。
 敵の魔術が自軍に到達する方が、速い。
 敵の魔術士達も、進軍しながら呪文の詠唱を始めたようだった。射程内に入った途端、ぶつけてくるつもりなのだろう。
「ふざけんなっ!」
 相手は自分の魔術の射程にはまだ入っていない。しかし、敵の魔術士の手のひらに灯が点るのを見て、ウィルは構わず、術を放っていた。

(後退……するべきだった!?)
 ソフィアは驚愕していた。戦いの場において迷いは致命的である――そんな事は言われずとも分かっていた……はずだった。だが――
(分かってなかった……あたしは!)
 今からでは、敵に背を向けるだけ後退も不利である。
 浪費してはいけない時間を浪費してしまった罪。それは――賭けに負ける罰。
「……冗談じゃないわよっ!」
 叫んでしまえば、体は軽かった。いつもやっている通りにしろと言われれば、迷いなど生じる隙もない。ソフィアはその場を飛び出していた。無謀な突進のような勢いを殺さずに、一直線に自軍の前線を超え、走る。
 敵の魔術士の手のひらに灯が点るのを見たのは、この瞬間だった。
 そして――

 辺りを、白い閃光が包む。


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