CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 3 #16 |
わああぁぁ……っ! そんな雄叫びが、敵味方ともから沸き起こっていた。 捨て鉢な叫びにも似た声が戦場に――セイルの街中に響き渡る。市街地の中で前線を作って部隊戦を行う、ということはどちらもしなかった。街の各所で入り乱れて、あちこちで剣と剣がぶつかり合う。 戦闘を局所的に見れば、すなわち、一対一の戦いにおいてなら、どちらの兵士が強いということもないようだった。大方においては。 だが―― 「死にたくなければぁ――」 およそこのような戦場には不釣り合いな、甲高い音域の少女の声が響く。 それを聞いて、蜘蛛の子を散らしたように引いていったのは、その声をいやという程聞きなれている、味方のはずの解放軍の兵士たちだった。 「おとなしく武器は捨てましょーうっ!」 声を上げながら、彼女――ソフィアは、今迄敵味方が入り乱れていた交戦地点に突っ込んでいく。自分の身長よりも長い槍の根元の方を、両手剣を扱うような無茶な構えで握りながら一直線に走り込んでくる細身の少女の姿に、敵は当然だが、仰天する。 それが致命的な隙となり、一瞬の後には、すれ違い様に槍の柄で打たれた三人が、地に倒れ伏していた。 「ひッ――」 息を飲む音が、味方側からも聞こえたのは、悲しい事だがソフィアの聞き間違いではないだろう。 鎧の上から棒切れで打たれて、失神したのだ。それだけの衝撃を与える事が不可能だとは言わないが、それを、攻撃した少女の腕を折らずに行うというのは物理的に無理なはずである。 もはや、彼女に対する恐怖は、人外のモノに対するそれと等しかった。 「いやーん! 何かあたしの事を化け物呼ばわりしてる視線がちくちくする感じーっ!」 戦場のど真ん中であるにもかかわらず、頭を抱えて嘆く彼女に攻撃を仕掛けようとするものは、誰一人としていなかった。 ウィルは今迄剣を交えていた敵兵士に一撃だけ、深い斬撃を入れた。悲鳴すら上げず、敵は崩れ落ちる。たった一撃でその兵士は事切れていた。 「……悪いな。俺はソフィアほど強くないんでね。手加減してやれないんだ」 物言わぬ屍と成り果てた兵士に向かって、ウィルは小さく呟いた。 ソフィアは出来る限り、敵は殺さないようにしているらしい。絶対に殺さない、という誓いを立てているという訳でもないようだが。 一撃で致命傷を与えるより、殺さずに戦闘不能に陥らせる方がはるかに難しい。絶命させるつもりであれば、確実に急所だけを狙って攻撃を仕掛ければいい訳だが――とはいえこれとてそう簡単な事ではないが――、戦闘力だけ奪うつもりなのであれば、数ヶ所骨や腱を断ち切ってやるか、昏倒させるくらいしかない。しかしそのどちらも手間がかかったり、最悪、敵の戦闘力を奪いきる事ができずに逆襲に遭うという大きなリスクもある。 それでもこともなげに成してしまうのが、ソフィアのソフィアたる所以なのだろう。 「ソフィア一人に任せちゃえばよかったかな」 無茶苦茶な事を苦笑と共に呟いて、ウィルは新たにこちらに剣を向けてきた敵兵士と向き合った。 (へー、ウィルって、やっぱり強いんだ) ウィルの剣さばきを横目で見ながら、ソフィアは胸中で呟いた。 一度手合わせしたので彼の大体の技量は知ってはいたが、こうして横から見てみると、やはりなかなかの腕を持っている事が分かる。おそらく、コルネリアス隊の剣士と戦っても、互角以上にはやれるはずだ。 (それでも……やっぱりあたしのほうが上ね) 当然である。魔術を使わない魔術士――つまりは丸腰の戦士に負けたとあっては、少しは名が知れているトレジャーハンターとしての沽券に関わってしまう。 そんな事を考えながら、ソフィアは、すぐ横手で解放軍の騎士と剣を交えている敵兵の足を軽くすくってやった。 敵が彼女に攻撃を仕掛けてこようとしないので、彼女は自ら敵に向かって行ってみたのだが、あまりにも必死の形相で敵が逃げてゆくので諦めて、今は、味方のフォローに専念しているのだ。 彼女がいるだけで、その近辺での味方への被害はほぼ皆無に等しくなっている。だがソフィアは自分自身の味方への劇的な効果など自覚してはいなかった。ただそれ以外にする事がなかったというだけなのだが―― ――からんっ! 凄まじい騒音の中、小さく響いた剣と剣の交錯する音とは違う金属音を耳にして、ソフィアは即座に、誰かが剣を取り落とした音だと判断した。反射的にその方向に顔を向ける。 と、やはり思った通りに、十数メートル先で慌てて足元の剣を拾おうとしている、名前は知らないが顔は見たことのある解放軍の兵士と、その目の前に立つ敵兵の姿を見つける。 「馬鹿っ! 引きなさいっ!」 走り出しながら、叫ぶ。接戦の中で武器を取り落とした場合、それが足元なら丸腰になる事を怖れ、思わず拾ってしまう――というのはわからないでもないが、最良なのはとにかく気にせずその場から引く事である。 ――などという瞬間の判断は出来なかったのだろう。実戦経験が足りなければ、当然の事だ。瞬間の判断。その点ではその兵士は敵兵に劣っていた。 ソフィアの声は聞こえただろうが、体勢を立て直す事ができずに無防備にしゃがみ込んだままの兵士目掛けて、敵兵が剣を振りかぶる。 (間に合わないっ!) 実際にはしなかったが、顔を背けたいような気持ちでソフィアは内心で叫んだ。 どすっ! 鈍い音を立てて、敵兵の剣は止まっていた。 振り上げられた形のままで。敵兵の腹からは、血に塗れた別の剣が突き出ていた。 「な……」 声を上げたのは、へたり込んだままの兵士である。その声を聞くまでもないが、やったのは無論、彼ではないだろう。倒れ込んでくる敵兵を這ったままで慌てて避ける。 その後ろから現れたいくつかの顔にも、ソフィアは見覚えがあった。 「ライラさん!」 その中で一番よく知っていた顔に対して思わず声を上げると、彼女はこちらに気がついて、軽く手を振ってきた。 「無事だったんですね、よかった」 「もちろんよ。サージェンもツァイトもいるんだもの」 駆け寄って来たソフィアに、ライラは、今し方敵兵を剣でこともなく一突きしたサージェンと、少々遅れて来たツァイトを目で示す。 「それはそうと、ソフィアちゃん、ディルト様は?」 「ああ、ディルト様は外のコルネリアスさんと一緒にいると思いますけど」 「それなら……」 「何より、この町の制圧が先決だな」 重装歩兵の鎧を着つつもさしたる音すら立てず近づいて来たツァイトが、言いかけたライラの言葉を継いでいた。そのままソフィアの方に視線をやり、聞いてくる。 「……しかし、コルネリアス様が外で待機となると、中の指示を出しているのは?」 「ウィルです」 「ウィル?」 怪訝な顔で聞き返されて、初めてソフィアは、彼らとウィルが直接顔を合わせたことがないということを思い出した。 「ツァイトさん達がトゥルースを離れてから解放軍にやって来た、ファビュラス教会の魔術士です。軍師がいなかったものだから、来たそうそうそのポストを回されて来ちゃったってわけですよ」 「ほう……?」 やや、疑問の念が残った表情で呟く。元々レムルスの人間は総じて魔術や魔術士に関して疎いので『教会の魔術士が軍師をやる』というのがありえる事なのかどうかはいまいち判断が付かなかったという所だろう。深刻な人手不足も知っていたし、教会から派遣されたということは身元ははっきりとしているので、唐突に現れた人間が重要なポストに就く、ということ自体にはたいして疑問を持っていないはずだが。 考え込むように顎に手をかけていたツァイトに、今迄一言も喋っていなかったサージェンが声をかける。 「……今は、そんな話をしている場合ではないだろう」 「ああ、そうだな。取り合えず二手に分かれよう。ライラとサージェン、ソフィアと俺でいいな?」 別にどういう分かれ方をしたところで大差はないので、異議を唱える者はいなかった。 「では、事態が収拾したら落ち合おう」 頷きあって、二組は、お互いに別の方向に走り出していた。 「ご苦労だった、解放軍の騎士たちよ」 街中の帝国兵の残党を、全て港まで追い立てていき、最後の兵が降伏したところで、戦闘は終了した。 生き残った敵兵は全て捕縛した後に、コルネリアス率いる街外周での待機部隊と王子ディルトは、セイル入りを果たした。ディルトは戦闘後の兵士たちに労いの言葉をかけ、次々と報告を受けている。味方の被害、捕縛した敵兵の人数、セイルの状況などである。ソフィアや、合流を果たした聖騎士団員の功績もあったのか、乱戦ながら自軍の死者は数人と少なく、概ね完勝と言ったところだった。 「そしてご苦労だったな、ライラ、ツァイト、サージェン。これだけ被害を軽微に押さえられたのも貴方達の力によるところが大きい」 「勿体無きお言葉にございます、ディルト王子」 騎士らしく慇懃に礼をして、ライラが答えた。 「お話は変わりますが、このセイルに入られたとなりますと、帝国本土への進撃は船を使うつもりという事になりますね」 「ああ、そうだ。無論、民間の帆船で、敵国に直接乗り込むと言ったような真似はしないが。ファビュラスを経由し、大陸西端から上陸するつもりだ」 「ファビュラス、ですか? しかしファビュラスは、先の大戦においても中立の立場を取っていたはず……入国できますでしょうか」 口許に手を当てながら、ライラが呟く。おそらくディルトはその辺りまでは考えていなかったのだろう。振り返ってくるディルトに代わり、ウィルが答えた。 「ファビュラス教会がアウザール帝国との中立を宣言しているのは、拮抗した力関係上仕方のない事です。帝国は強大な力を持ちますが、数千もの魔術士を擁するファビュラスとは事を構えたくないはずですし、ファビュラスとしても、帝国と戦う事によって致命的な打撃を受けてしまいます。どちらに軍配が上がるかわからない以上、お互いにおいそれと手を出すわけにいきませんからね」 「貴方は?」 「ファビュラス教会承認上級魔術士、ウィル・サードニクスです。大神官カイルターク・ラフインの命により、微力ながら解放軍に助力しています」 初対面の人間に対する魔術士としての正式な立場を名乗り、ウィルは言葉を続けた。 「……話を元に戻しますが、教会が表立ってアウザールに宣戦布告できないのは立場上での事。影から援護できるのであれば、教会側としても願ってもない事ですので、ご安心下さい」 その言葉にライラだけでなくディルトまでもが今更納得顔をしていたりするが、それは気にしない事にして、ウィルは逆にライラへ質問した。 「その為なんですが、大型の帆船が必要になります。手配は出来そうですか? ライラ・アクティ殿」 「ライラでいいわ。その事なら心配しないで。セイルの民は私達に協力的だから、比較的安全なファビュラスまでなら、迷わず出してくれるわ」 ライラの言葉にひとまず安堵して、ウィルは、彼女と、サージェン、ツァイトに対して一礼した。 と―― 背後から唐突に誰かに飛びつかれて――誰かと言ってもそんな事をするのは一人しか思い付かないが――ウィルは体勢を崩しかけた。 「ウィル♪」 「何だよ……」 呆れた表情で肩越しに振り返るウィルに、ソフィアはにこっと、微笑みを投げかけた。無言でウィルの右腕をひょいと持ち上げ、二の腕の辺りに触れる。 「いってぇ……っ!」 「あはぁ、やっぱり」 ウィルの苦悶の声に、ソフィアは逆に妙に嬉しげな歓声を上げる。ウィルはソフィアの手を振り払おうとしたが、彼女は放さなかった。 「ほら、服が返り血で汚れてるから目立たないけど、ここ、怪我してるでしょ。放っといちゃだめだよー。手当てしてあげるね」 「いいって、掠り傷……」 「掠り傷じゃないでしょ今の痛がりようは。あー、見なさいよこれ。……縫っちゃおうか?」 「止めろ、君、人の腕ハンカチか何かだと思ってるだろ!?」 おそらく冗談のつもりなのだろうがポケットから裁縫道具を取り出してくるソフィアに心底恐怖して、ウィルは引きつった声を上げた。それすらも、ソフィアには楽しくてしょうがないようだったが。 それを眺めながら、ライラは小声で傍らにいたユーリンに囁きかける。 「ウィル君って、ソフィアちゃんのお気に入り?」 「というか、ラブラブです。こないだも……」 「こら、ユーリン! 妙なこと吹聴すんな!」 ユーリンの囁きが耳に入ったのか、それとも気配が伝わったのか、ソフィアに捕らえられながらもウィルがユーリンに向かって怒鳴って来た。思わずなのか、怪我をしている右腕で彼女の方をびしっと指差す彼のその腕の下に、ソフィアが素早く入り込んで、黄色い軟膏のようなものをべたりと塗り付けている。 「あ゛あ゛あ゛あ゛……!?」 蛙を踏みつけたような悲鳴を絞り出してその場にうずくまるウィルを、ソフィアは勝ち誇ったような――というのは周りの人間の主観なのだろうが――視線で見下ろしていた。手に持った黄色い小瓶を掲げながら弾んだ声を出す。 「これ、効くでしょう? 何か傷の痛みなんて一発でさよならって感じでしょ?」 「あほたれ! それ以上の痛みを与えてさよならなんて邪道な洒落、面白くないわ!」 涙まで浮かんだ瞳で抗議するウィルを、ソフィアは「何でぇ?」と言った表情で見つめ返している。ライラとツァイトは大口を開けてぽかんと、サージェンでさえもがその様子を、こめかみにひとすじ汗など垂らしながらじっと見ている中、他の解放軍のメンバーはというと、至極冷静に、撤収の作業に移っていた。つまりは、この程度の騒ぎはよくある事なのだろう。 「ラブラブ、ねぇ……」 微笑ましい、と言ったら彼は気を悪くするだろうか。そんな事を思いながら、ライラはそっと呟いた。そろそろ船の手配でもしてこようと、くるりと踵を返した瞬間、未だ大騒ぎしている彼らの方をじっと見る、ある姿に気がつく。 (ディルト様?) 声に出さず独りごちたのが聞こえたかのように、ディルトははっとしてライラの方へ顔を向け、即座に視線を逸らす。逃げるように去っていく彼の背中を、とりあえずライラはその姿が見えなくなるまで眺めていた―― |