CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 3 #14

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 何もかも。おおよそ今の自分自身に備わる知識の全ては、『彼』から教わったような気がする。
 剣の振るいかたも。魔術の制御の仕方も。
 大陸の歴史も。古語の文法も。小難しい魔法物理の理論も。
 礼儀作法も。星の位置から方角を割り出す方法も。毒キノコとそうでないキノコの見分けかたも。店屋で店員を上手くおだてて品物を値切る方法も。
(どうせなら、どうしようもなくわがままなじゃじゃ馬娘をおとなしくさせる方法も教えといてくれてもよかったのに)

 誰から?

 分からない。知らない。……思い出せない?
 ――いや、或いは――思い出すのを、拒否している……?

 何を?

 分からない。知らない。……思い出せない……
 今見た夢の内容さえ、もう思い出せない――



 目を開けて、まず最初に彼の視界に入ったのは、ぼろ布のような天井だった。
(なんだ、そりゃ)
 訝って、二、三度、まばたきをする。が、目に映ったものはその姿を変えなかった。ということは、目に見えているものが、現実ということなのだろう。
 がたがたとひっきりなしに揺れる床の寝心地は最高に悪かったが、身を起こすのも面倒で、ウィルはそのまま首だけを動かしてあたりを見た。
 揺れる木の床。ぼろ布の天井。辺りには木箱や何かの詰まった麻袋がいくつも積んである。後ろ側の出入り口には、垂れ幕がかかっているはずだが、今は開いていて青い空が見える。
 つまりは、輸送用の幌馬車の中らしかった。

「目が覚めたか、ウィル」
 突然かかった声に驚きもせず――さっき見回したときにいる事には気付いていたのだ――ウィルは身体を起こしながら、声の方を向いた。
「まだ寝ていていいぞ」
「いや、平気です、ディルト様」
 頭を掻きながら、答える。元々寝起きは弱い方だが、今は普段の朝に更に輪をかけて苦痛だった。まあ、こんなところで眠っていたのなら、当然といえば当然であるが。
 お陰で、何がどうなって自分はこんなところに放り出されているのかすら、把握しきれない。
 そんなウィルの様子を見てか、ディルトが説明するように言う。
「突然倒れるから驚いたぞ。シスターに聞いたところ、大きな魔術を使った後にその反動で意識を失うということは希にある事だが、心配しなくていいと言われたので、こうしてほとんどほったらかして運搬しているところだ」
「そりゃどーも」
 ほったらかすにも限度があるでしょう、とでも文句をつけようと思わない事もないが、倒れて迷惑をかけた手前、あまり言えたものでもない。なのでとりあえず皮肉だけ呟いて、この件は忘れる事にした。
「で、ここはどこです?」
「ああ、お前の指示通り今は、港町セイルに向けて進んでいる。セイルには、コルネリアスと同じように派遣した、聖騎士ライラ・アクティがいるからな。もしかしたら船の手配が出来るかもしれない」
「保証はないですね」
「まぁ、そうだが。どちらにしろあんな山奥でくすぶっているよりはよかろう」
「そうですね」
 とりあえず確認する内容もなくなって、ウィルは口をつぐんだ。どれくらい眠っていたか、と言うのを聞いていないが、二日以上眠っていたということもないだろう。暇を持て余すように、積み荷によりかかって背を伸ばす。
 と、再びディルトの方から口を開いてきた。
「なぁ、ウィル」
「何ですか」
 眉根を寄せながら、ディルトの顔を見る。彼の口調が、いやに真剣だったのだ。
 しかしディルトはすぐにはその先を続けては来なかった。何か悩むように――若しくはためらうように、口許に手をやったまま、考え込んでいる。
 わざわざ急かす事もないだろうと、ウィルが黙って待っていると、ディルトは決心したように顔を上げた。
「ソフィアの事なのだが」
「また何かやりましたか?」
 呻くように呟く。ソフィアの名前が出てきて、面倒が起きなかった試しなどない。我知らず警戒して、その感情が声に出てしまったのだが、ディルトは慌てて、手を振って見せた。
「ソフィアが何かしたという話ではなくて……ただ、何というか」
 呟いて、困ったように視線を上に上げる。どうやら一旦決まったディルトの決心が鈍ってしまったらしい事に気がついて、ウィルは首を傾げた。彼の知る限り、このディルトという人間は、優柔不断なところはなかったはずだが。
 とりあえず先程と同じように待ってみる。と、ディルトは、今度は天井を仰いだまま、言ってきた。
「ソフィアの事、どう思う?」
「は?」
 ぼそりと呟かれたその声が聞こえなかったということではない。が、ウィルは聞き返していた。胸中で反芻する。
(どう思う……って、どうも何も)
 首を傾げながら、とりあえず思い付いた事を答えてみる。
「戦力的には我が軍にとって必要不可欠な人間だと思いますが、もうちょっとおとなしくしてくれれば……」
「いや、そういうのでなくて」
 視線を下げて、ディルトは呟いた。一旦瞼を閉じて、開きながら、ウィルの方を見る。
「お前個人的に、ソフィアという少女の事をどう思っているかを聞きたいのだ、ウィル」
「へ……?」
 我ながら、間抜けとしか言いようのない呟きを、ウィルは漏らしていた。

 ソフィア・アリエス。十六歳。トレジャーハンター。戦闘能力は極めて高い。性格は、人懐っこいが、他人の迷惑を顧みない点あり――
 取り合えず字面だけで、ソフィアを思い描いてみる。だが、ディルトの聞きたいのはこういう事でもないだろう。
 なら、彼の聞きたいのは?
 呆然としていた――のだろう。ウィルには自覚はなかったが。その反応に、ディルトはむっとしたわけではないだろうが、口調を少々鋭いものに変えてくる。
「ならば率直に言う。少し前、お前とソフィアの噂を耳にした。あれは真実なのか?」
「なっ……」
 ようやく、ディルトの言わんとしている事に気がついて、ウィルは絶句した。爆発的に血液が顔に集まってくる。おそらく、耳まで真っ赤になっているであろう自分の顔を鏡で見ているような気持ちに陥りながら、それでも平静を保っているという事を示しておこうと、ウィルは口を開いた。
「だっ……誰が言ったんですかそんな事!?」
 だが、絶望的に裏返った自分の声を聞いて、それが自分の意図した演出と全く逆の効果をもたらしたであろう事に気づき、彼は自分自身を呪った。
 数秒遅れて、発言内容の間抜けさも。
(誰って……ユーリンしかいないじゃないかっ!)
 発生源が分かれば、ディルトの耳にしたという噂の詳細も聞くまでもなく分かる。それどころか、もしかしたらウィルの想像を超えた尾鰭がついている可能性すらあるが、それを考慮に入れないとしても、十分に赤面するだけの理由にはなりうる。
 だが、ディルトから返ってきた言葉は案外、冷静なものだった。
「聞いた話全てを鵜呑みにするつもりはない。その……なんだ、お前がそういう事をする人間だとは思えないし」
(要するに俺にはまっ昼間から女の子とイチャイチャするよーな甲斐性はないだろって事か?)
 概ね、それは正しい分析といえるだろうが。だが今はそんな事より、噂についての誤解を解く事が先決である。
「ディルト様がどういう話を聞いたかは、よくは分かりませんが……噂は噂です」
 なんとか落ち着きを取り戻した声音を、ウィルはゆっくりと吐いた。
「ソフィアとは同じ軍の同志という関係以外ありません。……まぁ、友人ではありますが」
「現在の関係については分かった」
 呟いて、ディルトもひとつ息をつく。が、その視線から力を失わせはしなかった。鋭い眼差しで、射るようにウィルを見る。
「それで、お前自身はどうなんだ。噂は噂として、お前は彼女の事をどう思っている」
 ――正直――
 何故ここまで、ディルトが突っかかってくるかは、ウィルには理解できなかった。もし、万が一だが、本当にウィルと彼女が恋仲であったとしても、男女交際禁止などという規律があるわけでもなし、どこかから、ましてや王子から、文句を言われる立場にはないはずだ。
 とうとう限界に来て、ウィルは反論した。
「何なんですか。そんな事がディルト様に何か関係があるんですか?」
「大いにあるな」
 即座に、表情すら変えずに返され、思わず気圧されたようにウィルの方が口をつぐむ。
「レムルスの王太子としての私には関係はない。一人の男としての、私の問題だ」
 ウィルの脳を介さずに、後に続くディルトの言葉を耳は勝手に受け入れようとしている……
「私は彼女を――」
 呟かれるのと同時に。
「隊長ーっ!!」
 がしょんっ!
 何やらけたたましい騒音と声が、ディルトの台詞を中断させていた。

「また君か……ユーリン」
 またも何もないものだが、ウィルはうんざりした口調で呟く。
 騒音は、おそらく相当慌てていたため、着ていた鎧を馬車のどこかにぶつけた音だったのだろう。慌てているときの彼女の癖らしいが、ぱたぱたと重い小手の装着された両腕を振って、馬車の下からこちらを見上げている。
「何なんだよ、いつもいつも急に。誰もかれも何かっつーとすぐ俺のこと呼びやがって」
「いいじゃないですかだって大変なんですもん。それより大変なんですっ!」
 混乱しきった口調で言われて、よっこらしょ、という感じでウィルが立ち上がる。ぼさぼさの頭を掻きながら近づいて、彼女の方を睨んだ。
「言っとくけど、並みの大変な事だったらぶつぞ」
「並みの大変な事って何ですかぁ」
 抗弁は無視し、ウィルは続きを促した。それで思い出したように、ユーリンは一旦止めていた腕の振りをしなくていいのに再開する。
「そう、大変なんです。港町セイルが、帝国軍の残党によって占拠されてるんですっ!」


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