CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 3 #13

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(完全に俺のミスだ……くそっ、ディルト様の命を狙うつもりだったんだな)
 胸中で毒づいて、ウィルは拳を握り締めた。手のひらに爪が食い込み痛むが、錯乱しそうな思考をまとめるには、丁度いい。
 ディルト王子の暗殺。相手はかなり正確に、ディルトのいる位置を襲撃したようだった。敵の術中にまんまとはまってしまった形になる。
 大陸解放の象徴たる、レムルス王国の王太子 ――これがアウザールに暗殺されたとなれば、兵士たちの士気、ひいては大陸解放への人々の希望を奪い去るということになる。それは、何としても避けなければならない。
 前方からの敵を容赦なく全滅させたのも、万が一だが、もう既にディルトが殺害されていた場合、その情報を帝国本国に持ち帰らせないためだった。
(ふざけるな、こんな所で終わってたまるか……!)
 こんな所では終われない。全てを終わらせるために。約束を守るために。



(どうしろって言うのよ、もう!)
 他の騎士たちとともにディルトを取り囲みながら、ソフィアは口の中で呟いた。
 矢の跳んでくる方向から、どこにどれだけ敵がいるのかは分かる。だが、それが分かったとしても、こちらには反撃する手段はなかった。
 かといって騎士たちの纏う厚い鎧や盾を貫くほどの威力も、相手の武器にはないようだった。ということはおそらく敵の持つのは戦争仕様のボウガンなどではなく、たいした作りでもない弓矢という事になるだろう。ということは帝国の正規兵ではないということになるが、この際関係ない。
(あっちの矢が尽きれば、退却するだろうけど、それはそれで面倒になりそうだし……さっさとウィル、戻ってきてよね)
 唯一反撃の出来そうな彼が早急に現れる事をただ祈りつつ、ソフィアはその場にじっとしていた。

 そして――唐突に、その場が白く光り輝いた。

「やった、ウィル!」
 思わず歓声を上げて、彼女は真上を見上げた。彼女の後方、つまりは隊列の前方から発せられた大きな光の筋が、空中で分裂し、十三本の細い矢となって敵のことごとくを打ち落とす。レムルス城攻略の際に彼が見せた魔術である。
 敵の攻撃が完全に沈黙したのを見届けて、ソフィアは彼の方を振り向いた。
 しかし、そこにいたのは、彼女の見慣れたウィルの姿ではなく――
 見知らぬ、漆黒のローブを纏った人影だった。

「誰? あなた……」
 呟くソフィアに、その人物は、ふっと笑ったような気配を見せた。
 さほど近くはない、かといって目を凝らさなければならない位置でもない場所に立つその人物の表情が気配でしか知れなかったのは、顔の上半分を完全に覆うほど目深に被ったフードの所為だった。フードの下から見える形のよい唇が、微かに歪んでいる。
 正体不明の黒ずくめの男。ぱっと見で性別の判定しづらい格好をしていたが、おそらく男であるはずだった。遠目に見てもそう分かる程、長身である。
「誰……?」
 再びソフィアは問う。相手が何かしらの動きを見せたわけではないが、最初の声よりは幾分警戒の色を強めて。
「……こちらの方が知っておられるようですから、お聞きしたらどうです?」
 徐に、声が響いた。意外と澄んだ、若い男の声だった。言いつつ、男は道を開けるかのような仕草で横に移動し、後ろを振り向く。
「ねえ……?」
「お前は……」
 丁度、黒ローブの男の所為で死角になっていた位置にいたのだろう。立ち尽くしたままのウィルの姿が現れる。しかし、彼が見据えているのは解放軍ではなく、黒ローブの男の方だった。
「お前は……暗黒魔導士ラー……!」
 ウィルの発した一言で、その場は騒然となった。

「暗黒魔導士ラーだと!?」
 ディルトの叫び声に、ソフィアはきょとんとした眼差しを向けた。
「知ってるんですか?」
「知っているも何も……」
 と、少々困ったような視線を向けてくる。
「アウザール帝国皇帝ルドルフ・カーリアンの腹心にして、帝国軍最強の魔術士。六年前の大戦の際も、数多の街を焼き払い、残虐の限りを尽くしたという……」
 ディルトはソフィアに対し律義に説明したが、解放軍内の人間は当然のように知っている情報らしかった。その言葉を聞くまでもなく、あるものは恐れおののき、またあるものはあからさまに敵意を漲らせた表情をしている。
「ソフィアが知らないとは思わなかったが……」
「専門外の情報については疎いんです」
 という自覚はなかったのだが、皆が知っている事を知らなかった以上、そうなのだろう、とソフィアは認める。
(でも……どうしてウィルは、見ただけでそれが暗黒魔導士だって分かったのかな……?)
 ソフィアの心中の声は、当然だが誰に聞かれる事もなく消えていった。

「誰だ……お前は」
 しかしウィルは、前言を撤回するような呟きを漏らしていた。意図して声を小さくする。目の前の暗黒魔導士と名乗る男と会話する分には支障ないが、少し離れた場所にいる仲間たちには聞き取れない、そのような声である。ウィルは同じ調子で鋭く囁いた。
「その姿、前に一度見た暗黒魔導士のものだが……あれは老人だったはずだ。奴はどうした? 俺は奴に用がある」
「彼は、死にました」
 こちらは声をあえて小さくする事はしてこなかったが、解放軍に対し背を向けているので、やはり皆には聞こえてはいないだろう。あっさりと返ってきた返答に、ウィルは驚愕の表情を見せた。
「死んだ、だと……?」
「ええ、六年前に。私は、暗黒魔導士の名と使命を受け継いだ、新たなる暗黒魔導士ラー。以後お見知り置きを」
 言って、彼は――暗黒魔導士ラーは優雅に一礼した。
 しばしウィルは言葉もなく目の前の暗黒魔導士を見詰めていたが、やがて、表情から驚愕の色を消し、彼を睨み据えた。
「それで、その暗黒魔導士が、何の用だ? まさか、皇帝の腹心ともあろう者がこんな所で散歩しているという訳でもないだろう?」
「ええ、少々貴方がた……ディルト王太子殿下に用事がありましてね」
「……殺しに来たという訳か?」
 いつでも攻撃態勢に入れるほど緊張して、ウィルは言い放つ。しかし、暗黒魔導士から返ってきた言葉は意外といえるものだった。
「いいえ、殺すなどとはとんでもありません。今日は貴方がたによいことをお教えしようと参上した次第です」
「何……?」
 さすがに呆気に取られ、再び絶句するウィルから視線を逸らし、背すら向けてラーはディルトの方へ歩み寄る。接近を警戒して、近くにいた騎士たちがディルトの前に出るが、ラーは意にも介さなかった。
「お初にお目にかかります、ディルト王太子殿下。私は、アウザール皇帝陛下が配下、暗黒魔導士ラー。本日は貴方様に帝国内部の機密情報をお伝えすべく参じました」
 高くはないが、よく通る澄んだ声で、ディルトに――というより、軍全体に響かせるように続ける。
「皇帝陛下は貴方がた反乱軍がこのルートで進軍してくるであろうと確信しておいででしてね、この山を越えた先にかなりの戦力を集められました。今の貴方がたではとても太刀打ちできません。このままこの進路を取るのはあまり得策とは言えませんね」
「何故そんな事をわざわざ教える!? 何を企んでいるんだ!?」
 ディルトが声を発するよりも先に、激昂したかのように叫ぶウィルの方を、ラーは振り返った。先程からの動作、いちいち全てに警戒心がなく、かといって隙がないわけでもないその暗黒魔導士に少なからず困惑しながら――あるいは、ウィル自身もよくは分からないが何か、それ以外の感情を持ちながら――、ウィルは声を上げていた。
 そんな彼を見てなのか、ラーは再び、笑ったようだった。
「企みなどありませんよ。ただ、皇帝陛下は楽しんでおいでですからね。私はただその遊びをもう少し長引かせて差し上げたいだけ……」
 言ってからラーはディルトに向かって恭しく礼をする。
「それでは、この辺りで私は失礼させていただきます。私の言葉を信じるか信じないかは、貴方がたの自由……しかし出来る事なら信じていただきたいですね」
 音もなく、目の前の暗黒魔導士の姿が掻き消える。虚空の中に輪郭を滲ませながら、ぽつりと、呟きのような声を漏らす。
「私の敬愛するアウザール皇帝、ルドルフ・カーリアン様のために……」
 その声の消滅とともに、暗黒魔導士ラーはその場から完全に消えていた。

「ウィル」
 ディルトの呼びかけに、ウィルは顔を上げた。そのまま一歩も動かずにいた彼を心配して、ディルトの方から近づいてきたのだった。
「大丈夫です」
 何が大丈夫なのか、言ったウィル自身もよく分からなかったが、ディルトは、ああ、と頷いた。
「ディルト様。進路を変えましょう。海路を使い、ファビュラス島を経由して大陸の西部から上陸する……それでいいですね?」
「信用するのか? あのような敵の言う事を……」
 確かに、敵の言葉を鵜呑みにするなど愚かな事である。しかしウィルはその方針を変えるつもりはなかった。
「どちらにしろこの場に奴がいた以上、俺達がこのルートを使うということは見透かされているということ。ならばこのまま進むのは奴の言う通り得策ではない。ならば、裏をかく意味でも、まるっきり反対側から攻め込んでもいいんじゃないですか」
「……お前の判断を信頼しよう」
 それに頷いてウィルはディルトの前から離れた。
 先程からどうも、耳鳴りがするような気がする。大きな魔術を使った反動だろうか。
 額に手をやりながら内心で呟く。
 ディルトの号令の元、全軍は下山するため隊列を反転させているところだった。ざわめきの中、一人取り残されたように、ウィルは再び立ち尽くしていた。
「ウィル、どうしたの?」
 ソフィアの声。彼はそれに、なんでもない、とでも答えたつもりだった――が、何故か声は出なかったらしい。ソフィアの真剣な眼差しだけが、視界に入る。
「ねえ、顔色悪いわよ? 大丈夫?」
 もはや頭痛と化した耳鳴りが頭の中を駆け巡る。周囲のざわめきも、足音も、ソフィアの声すらも、それ以上は聞こえなかった。
 誰のものかは分からないが、澄んだ、若い男の声だけが響く――
(やめてくれっ……)
 胸のあたりに爪を立てながら叫ぶ。声は出なかっただろうが。だが、その懇願が聞き入れられたかのように、ぷつっと音が止む。
「ウィル!?」
 一瞬だけ正常に戻った聴覚が、ソフィアの声を捕らえたのを最後に――
 彼の意識は、深い闇の底に落ちていった。


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