CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 3 #12 |
レムルス王国と、アウザール帝国を陸上で区切る国境線は、一つだった。 大陸最高峰シュワヴィテ山に連なる山脈がそれである。一軍を引き連れ、『魔の山』とも呼ばれるこの高峰を越える事が不可能ではないということが、皮肉にも六年前のアウザール帝国によるレムルス侵攻により判明していた。 故に、彼らは――大陸解放軍はレムルス王国解放より二週間が過ぎた今、このシュワヴィテ山の踏破を決行している。 「思ったより、厳しくはないな」 隊の中程で馬を歩かせつつ、独り言のように、ウィルが呟いた。 実際、仰々しい二つ名で呼ばれるから、どれほどのものかとあれこれ思案していたここ数日が、馬鹿らしくなる程度のものだった。進路さえ選べば、馬に乗ったままでも進めそうである。 「だから、大した事ないって言ったじゃないの。ただ、これ以外の道は険しいから、ここを知らなければまず、登山隊にでもなったつもりで進まなきゃ超えられないわ」 その『進路』は、ソフィアが教えてくれたものだった。馬が足りないわけでもないだろうが何故か徒歩の彼女は、ウィルを見上げて言ってくる。 「アウザールもこのルートを通って進軍して来たってわけか。それにしても、君はよく知ってるな、レムルスの国の人でさえ知らないこんな道を」 「同業者のうちじゃ割と有名なのよ」 トレジャーハンター。世界中を股にかける宝捜し屋。確かに、そんな彼女なら様々な情報を知っていてもおかしくはない。もっとも、元トレジャーハンターとはいえ現在十六歳という彼女がどのようにしてそれだけの知識や実力を手に入れられたのかは謎ではあるが。 「まぁ、便利だからいいけど。……それはそうと、君も馬に乗ればいいのに。疲れない?」 ウィルは何となく聞いてみたのだが、ソフィアは困ったような顔をして、 「あたし、馬に乗った事ないのよ」 「へ?」 意外な答えにウィルは正直驚いていた。彼女のように長旅を経験しているであろう人間が、主たる交通手段である馬を利用したことがない、という事に驚いたというよりむしろ、彼女に出来ない事があるという方が信じられなかった。この場合、やった事がないだけで出来ないとは限らないが。 ――と正直に言う必要はないにしろ、何か相槌を入れようと口を開きかけた瞬間、 「ならば、乗るか?」 掛けられた声に、ソフィアは素直にそちらの方を振り向いた。 「ディルト様?」 「疲れてないという訳でもないのだろう。私の馬に乗るといい、ほら」 言って、ディルトは自分の白馬の背を軽く叩く。ここに乗れ、ということだろう。 「あ、あれですか? 昔話の王子様とお姫様みたいな」 「なるほど、そう見えるかもしれんな」 笑いながら言うソフィアに、ディルトも微笑みで返す。 「それじゃ、お言葉に甘えて」 もちろん、一国の王子の馬に、一兵卒でしかない人間が共に乗るなど常識では考えられない行為だが、ディルトもソフィアも全くそういうことは気にしていないようだった。普通、慣れていない人間は馬上に乗るだけで一苦労するものだが、ソフィアは上からディルトに引き上げてもらってはいたが、楽に乗っている。 ディルトの前に、ちょこん、と横向きに座って、ソフィアは彼の顔を見上げた。 「ありがとうございます、王子様」 「なんの、ソフィア姫」 微笑みあう二人を、ウィルは、何を感じるともなしに見ていた。 と、ちらりとディルトがウィルの方を一瞥する―― 視線の意味を理解しかねてウィルが見返すが、ディルトはすぐに視線を逸らしていた。そして再び、笑い合いながら会話を始める二人を、ウィルは見詰めているだけだった。 理由は分からないが、胸の奥深くが何かざわざわするような奇妙な感覚以外、何を感じるともなしに。 「隊長」 隊列の前の方から逆走してきた騎兵に、ウィルは視線を投げかけた。 「どうした、クリス」 「あの、見間違いかもしれないんですが……」 と、断ってから、クリスがウィルに耳打ちするように告げてくると、彼は表情を険しくした。 「分かった、事実を確認するまで一旦前進を止めよう」 「どうしたのだ、ウィル?」 問うディルトに、前列に向かって走り出しかけていたウィルは振り向いて、答える。 「未確認ですが、前方に複数の人影が見えたそうです。確認のため、ちょっと前に行ってきます」 「ならば、私も行こう」 「いえ、大丈夫です。もし気の所為でなくても、敵と決まったわけでもありませんし、もし敵だとしたら危険ですから」 この場から離れる口実を得られた。 ふと、そんなことを考えている自分に気付いて、ウィルは苦笑した。そう考えた理由が、自分でも分からなかったからだ。とにかく、気付いたときには彼は、もう馬を走らせていた。 さすがに余り知られていない道だけあり、道幅は狭く、隊列は思った以上に縦に長く伸びていた。隊列の長さが増せばそれだけ、守りも攻めも散漫になる。 (アウザールへ向かうルートはここしかないとはいえ……今攻撃されたら不利だ。ありえる事じゃないが、万が一この森の中に帝国軍が潜んでいて横合いから攻撃されたらどうなる……?) それはあまりぞっとしない考えだった。ソフィアもこの道を外れれば険しいと言っていた事だし、これだけ鬱蒼とした森の中では、兵を潜ませる事など出来るはずはないとは思うが、万が一という事もある。 いや―― (アウザールの奴等も、このルートの存在は知っている。攻撃に出ない訳がない) 失策かもしれないという事はあえて考えずに、ウィルは思考を巡らした。 (間違いなく前方に敵はいる。力押しでも撃破してやる) 前方を睨み据えてウィルが決意した時―― 悲鳴は、後ろから聞こえてきた。 「なっ……?」 思わず喉から声を漏らして、ウィルは後ろを振り向くが、戻る事は許されなかった。前方から接近してきた気配に、気付いていたからだった。 前方から近づいてきていたのは、騎兵の一団だった。帝国正規軍の鎧を着用している。先陣を切って走ってきた男――おそらく隊長なのだろう――が、自分の部下に停止命令をかける。 「こういった策は好かなかったのだがな」 その男が言う声は、ウィルの耳にも届いていた。振り返っていた身体を前方に戻しながら、ウィルは男に尋ねていた。 「何をした……?」 「この近隣を根城にする野盗どもを使い、横合いから襲わせた」 あっさりと言ってくる。おそらく彼の立てた作戦ではなく、よほど不服だったのだろう――無論ウィルはそんなことを気遣うつもりはなかったが。男は、更に言ってくる。 「救援に戻るには、我々を倒してからだ……というのは分かっているな」 「そっちこそ分かっているだろうな。悪いが、時間をかけるつもりはないし、逃がしもしない」 「無論だ。我が名は国境警備隊長モバリッズ……臆病者のカリム将軍とは違う、真のアウザール帝国軍の力を思い知るがいい!」 言って、男――モバリッズの騎兵隊は、一気に前進を始めた。 矢に掠められでもしたのか、数頭の馬が立ち上がり、大陸解放軍は隊列の真ん中から突然パニックに陥った。 「落ち着いて、馬は乗り捨てなさい!」 よく通るソフィアの声に、味方の大半は即座に従ったようだった。その事にとりあえず安堵して、ソフィアは今、矢が飛来した方向――森の中に視線をやる。 「出て来なさいよっ! そこら辺にいるのはわかってるのよ! 十三人くらい!」 飛来した矢の数と、何となく感じた気配で推量した人数を叫んでみると、相手は動揺したようだった。声までは出さないが、明らかにがさり、と木の葉を揺らし、身を引くような音がする。と言っても辺りはまだ騒然としていたので、彼女以外にはおそらく分からなかっただろうが。 しかし、そう言ってはみたものの、相手が出てくることはないだろう、とソフィアは踏んでいた。たかだか十三人程度では、いくら横合いからの奇襲といえども解放軍を全滅させるのは不可能だし、姿を見せたら最後、返り討ちに遭うのは明らかである。 ならば何故、そんな無謀な挑戦を、彼らは仕掛けてきたのか―― (狙いは……解放軍じゃない!) 咄嗟に判断し、ディルトを馬上から引っ張り降ろす。弓矢による第二撃が来たのは、その瞬間だった。今の今迄二人の乗っていた白馬の腹に矢が刺さり、馬が大きく嘶く。 (ディルト様の暗殺だ!) 帝国軍騎兵隊の前進と同時に―― 相対する解放軍は、たった一人を残し、後退を始めた。 「何っ!?」 意表を突かれ、モバリッズは驚愕の声を上げる。 「敵に背中を見せるとは、臆したか!」 「違うね。後方の救援に向かったんだ」 その場に残るのは、ダークブラウンの長い髪以外見た目に何か特筆すべき点があるわけでもない青年たった一人―― 「何のつもりだ!?」 何を企んでいるかは分からないが、たった一人で数十もの騎兵を相手にどうしようというのか。進撃の速度を緩めず、騎兵の一団は彼を弾き飛ばさんという勢いで突っ込んでゆく。 男は、その場から動きすらせずに、小さく呟いてくる。 「覚えておくといいよ。魔術士は、その気になれば騎兵の一個中隊くらいあしらえる」 「はったりを!」 男の言葉をモバリッズは一蹴した。はったりに決まっている。確かにその能力より、一騎当千と詠われる魔術士ではあるが、それはかなりの誇張を含んだ表現であると、彼は知っていた。攻撃にタイムラグが生じ接近戦に弱いという弱点もある。反撃も出来ないような位置から魔術を放ってくるというのであれば逃げる以外に術はないが、攻撃も防御の姿勢もとらず目の前にいるだけの男に恐怖する必要などない。 モバリッズは、疾走する馬を操りながら、手に持っていた槍を男に突き刺すべく振りかぶった。 男の腕が、すっと上げられる。魔術を放つつもりか。だが、まだこの男は魔術に必要であるはずの呪文すら唱えていない。 「遅いっ!」 叫んで振り下ろされた槍が、男に当たる寸前で―― 強烈な爆砕が、辺りの木々など付近にあるもの全てと共に、騎兵団の身に降りかかった。 「ついでにもうひとつ……」 ぽつりと付け加える。独白のような口調で。 「慣れれば呪文を使用しなくても、魔術を発動する事ができるんだ。リュートが……俺の先生が、得意だったんだけど」 独白のような――ではない。完全に独白だったのだろう。彼は――ウィルは、ありとあらゆる天災が同時に襲い来たかのように破壊され尽くした目の前の風景を冷たく見やって、呟いていた。 もう自分の言葉を聞く者など目の前には存在しないという事を知りながら。 |