CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 3 #11 |
第3章 暗黒魔導士 静寂を引き裂く雷鳴が、いやに耳についていた。 視覚も聴覚も……痛覚も。何もかもが鮮明だった。いっそのこと、もう永遠に眠らせて欲しいと思うくらいに。 静かに燃ゆる灯火の橙色の光の中、動くものはもう、彼しか――その幼い少年しかいなかった。この傷では、そう動けたものでもなかったが。けれど、死する一歩手前とはいえ、彼は生きていた。敵も味方も、死という穏やかな救いの手に迎えられ去って行った中で、彼のみが生きていた。 (穏やかな……救いの手……?) 馬鹿な事を考えた、と自分を戒める。死が、救いであってたまるものか。そんなものが救いだというのなら、今自分が血に塗れてまで生きていることは意味がないという事になる。冗談ではない。自分が生きている事の価値を否定してしまうほど愚かな行為が他にあるものか。 (約束……したんだ。全部終わったら、彼女を迎えに行くって……) その約束だけが、僕の生きる価値―― 遠くから、固い足音が響いてきた。二つの足音にその主の予測をつけて、少年は、千切れるように痛む身体を起こした。 「ほう……? 生きているのか」 冷たい床に這いつくばる少年の間近で音を止めた足音の主は、感心したような声を上げた。 「さすがは幼くして希代の魔術士と詠われた、ヴァレンディ家の当主……」 「お前は……」 何とか声を絞るようにして、呻く。 「アウザール皇帝……ルドルフ・カーリアン……! 条約を無視して友好国に踏み込んでくるとはどういう事だ! 全世界を敵にまわす事になるぞ!」 「それがどうした。敵となるなら全て潰せばいい。それだけの事だ」 まだ若きアウザール帝国皇帝――ルドルフ・カーリアンの冷徹な呟きに、少年は言葉を失った。迷いのない声。揺るがない眼差し。正真正銘、心の底から言ったその言葉に震えが来るような心地に陥りつつも、少年は声を上げた。 「何だと……? 一体何を企んでいる!?」 しかしルドルフ・カーリアンは答えるつもりもないらしかった。その問を無視するかのように、薄く、唇を開く。 「ローレンシア王国のエルフィーナ姫はどこへ逃げた? 貴様がかくまっていたのだろう?」 問いには答えず少年は、奥歯を噛み締めて、精一杯の気力で相手を睨みあげる。本来なら気を失うどころか死んでいてもおかしくない程に彼は傷ついていた。もう眠ってしまえと、何かに手招きされているような錯覚に陥る。だが、彼はその暗闇からの誘いの声に必死に抗っていた。 (一分でも、一秒でも長く引き付けておかなくちゃ……) 「もう一度聞く。エルフィーナ姫の居場所を言え」 「この僕が、そんな事を喋るとでも思うか?」 笑みすら浮かべて、少年が言う。ルドルフ・カーリアンも、面倒そうな表情はしたが、そういった答えが返って来ること自体は予想の範疇だったのだろう。驚きもせず、後ろにいる、漆黒のローブの男に告げた。 「暗黒魔導士ラーよ。まだそう遠くへは行っていないはずだ。追え」 「仰せのままに……」 声からすると老人らしきその男の姿が、しゅん、と掻き消えた。それを見届けてから、ルドルフ・カーリアンはゆっくりと少年の方に向き直った。 「……貴様は運がいい……まだ死なずに済むぞ。もっとも、そのうち自分から死にたいと思うようになるだろうが……な」 ――これでいい。エルフィーナを逃がしているのは、このヴァレンディア最高の魔術士、リュート・サードニクス。誰が追ったところで掴まるようなへまはしないだろうが―― せいぜい、何も知らない僕をいたぶって、ありもしない情報を聞きだそうと努力していればいい。 安堵とともに、少年は、暗い闇の淵へ落ちていった。 ――そして。 彼は、目を覚ました。 ダークブラウンの長髪の、青年である。見目が特に秀麗なわけでもなく、むしろ外見には取りたてて目を引く点のない、中肉中背の男。だがその立場は、アウザール帝国に反旗を翻し、レムルス王国を取り戻した大陸解放軍の指揮官にして軍師。名前は―― (ウィル。ウィル・サードニクス……) ベッドから上半身を起こしつつ、彼は自答した。 「よっ……と」 自分用にあてがわれたレムルス王城内の個室。何となく伸びをしながら、ウィルは、その部屋中をぐるりと見回した。部屋にきちんと置かれた調度品も、贅沢という訳ではないがいいものを使っている。今迄使っていたベッドも、最高の眠りを与えてくれた。 つまらない夢の所為で、爽やかな目覚めという訳にはいかなかったが。 「今日はいないな」 部屋中を見回してから呟いて、着替えをしようと着ているシャツに手をかけた瞬間―― 「女の子の前で着替えなんてしちゃいやーん」 後ろから聞こえた声に、ウィルはその体勢のまま、前へつんのめった。 「ちょっと待て!? 何でいる、ソフィア!?」 「やだ、何でって……いつもの事じゃない」 ソフィアの言葉通り、確かにそれはよくある事だった。つまり、ウィルの寝ている隙に彼女が彼の部屋に入り込んでくるなどということは。その都度ウィルも彼女に止めてくれと言ってはいるのだが、根本的にウィルの願いがソフィアに聞き入れられたことなど皆無に等しい。 だが、今彼が言いたいのはそんなことではなかった。 「そうじゃなくて、俺、今、部屋中ちゃんと見回したんだぞ!? またいるんじゃないかと思って!」 「死角にいたのよ」 「死角もくそもあるか、こんな部屋に!」 手をわななかせて、ウィルが言う。小奇麗に整頓された、何の変哲も無い長方形をしたこの部屋で、中心から見回した視線から逃れ得る死角などあろうはずはないのだが。 「ま、いいじゃない」 「全然よくないけど……」 半ば諦めも混じった声でウィルは呟いた。 「で、何? 今日は」 「別に、用事なんてないわよ。遊びに来ただけ。暇だし」 多少刺のあるウィルの声に、しかしソフィアは全く意に介した様子もなく答えてきた。 今は、これからの進軍の為に英気を養おうということで、解放軍全メンバーに二週間の休暇が与えられている。王都やその近隣に実家を持つ者は、そちらに帰っていたりもする。 「暇なら、トゥルースにいたときみたいに、誰かと稽古でもしていればいいじゃないか」 「やってたのよ。コルネリアス隊の人とかにも付き合ってもらって。でも、飽きちゃった……あ」 呟いてから、ソフィアは何かを思い付いたようにきらりと瞳を輝かせ、ウィルのベッドに乗り出してくる。 「ねえ、ウィルが相手してよ。ウィルも剣使えるんでしょ」 「いやだ。折角の休暇に何でそんなこと」 「そんなことだから、筋肉痛になんてなるのよ」 「……まぁ、否定はしないが」 「いい若い者が、それでいいと思ってるのー?」 言ってソフィアは、ベッドの上に乗ってきて、ウィルの真っ正面に座り込む。 「たまには使ってあげないと、腕、すぐになまっちゃうよ」 「今更って気もするけど……それに俺、魔術士だし、別に剣の腕なんて……」 「言い訳しない! ねーねー暇だよー遊んでよー」 「分かった分かった付き合うから……ああもう! 人のベッドの上でぴょこぴょこ跳ねるな!」 「わーい。ウィル大好きー♪」 言って、がばっと抱き着いてくるソフィアの勢いに耐え切れず、ウィルは後ろに押し倒される格好になる。 「お、おい、ソフィ……」 慌てた声を上げようとした瞬間。 「隊長、失礼します」 ベッドの上でソフィアに組み伏せられたような状態のまま、ウィルは、声とともに入ってきたユーリンと視線を合わせた。 一拍――時間が凍ったかのように全ての動きが止まる。が、次の瞬間には、ユーリンは、ぽっと頬を染めて顔を背けた。 「ごめんなさい、まさかこんな昼間っから……」 「ま、待て! 何を誤解してる!?」 「しかもソフィアが上なんて。意外と大胆」 「なんのこっちゃ!?」 「たいした用事でもなかったので、後でいいです。それではごゆっくり」 「ごゆっくりっておい――!」 叫ぶが、声は届かない。ユーリンはぱたぱたと、部屋を後にした。 言葉を放ちかけ、口をぽかんと開けたまま、ウィルは呆然として硬直していたが、ソフィアの方も見た目はほぼ同じ様なものだった。ただこちらは、展開をさっぱり飲み込めていないに過ぎないのだが。ウィルに抱き着いたまま、きょとんとユーリンの去って行ったドアの方を見ていた彼女はくるりと振り向いて、彼の方を見た。 「何の事?」 「ああああ……」 身体を支える力を失って、ウィルはがっくりと仰け反った。 「ねぇ、ユーリンが何か、まずかったの?」 あの後、取り合えずソフィアを部屋の外におい出して、着替えだけ済ませてから、二人並んで裏庭に向かって歩いていた。無論、ソフィアにせがまれて剣の稽古をするためだったが―― (また無用な誤解を招いてるよーな……) 陰鬱に、一人呟く。被害妄想もいいところだが、すれ違う顔見知りの兵士たちが、こちらを見てくすりと笑みを浮かべているような気すらする。 「別にユーリンだからまずいってわけじゃないけど……案外、あれでいてあの子、お喋りだからな……」 「ていうか、何か見て驚くようなものあったっけ? あたしとウィルがいただけじゃない」 本気で分かっていないらしい。だからこそ、いきなり抱きついて来るなどという真似が出来るのだろうが。不思議そうな表情を浮かべるソフィアに、ウィルは更に力の抜ける気がした。 (ソフィアがこれじゃ、意識するだけ無駄か) 火照った頬をごまかすように指先で掻きつつ、ウィルは無理矢理そう割り切る事にしておいた。 裏庭には、誰もいなかった。家の数軒は建ちそうな面積にきちんと刈られた芝生の広がるだけの空間である。中庭の方には噴水や彫像などがあるが、こちらは人目につかない場所であるためか、飾り気もなく、閑散としていた。剣術の稽古をしようというのなら、こちらの方が都合がいいだろう。 「はい、ウィル」 どこから持ってきたのかは定かではないが、ソフィアは持っていた二振りの木剣のうち一方を、ウィルに投げた。 「一応、ヤバめな打撃は寸止めね。怪我しない程度に打つのは可」 「手加減しろよ。俺、ここ数年剣なんて握ってないんだぞ」 「じゃあ、丁度いいじゃない。行くわよ!」 手加減するともしないとも言わず、ソフィアは駆け出していた。五メートルくらいの間合いを、一気に詰める。少々遠めの間合いから振りかぶった剣を、踏み込みながら打ち下ろしてくる。 (速っ……!) 奥歯を噛み締めて、剣を受ける態勢を取りながら、ウィルは声に出さず叫んだ。もちろん彼女の素早さは知っていたが、傍で見ているのと実際受けてみるのとでは体感速度が全く違う。 がつん! と固い音とともに降ってきた衝撃を受け止めて、ウィルはそれを何とか弾き返した。 ソフィアから見れば太刀筋を無理矢理変えられた形になるが、彼女は体勢も崩さず、そのまま剣を横に薙ぐ。 下手をすれば胴を肋骨ごとへし折ってしまう勢いのその加撃を、ウィルはすんでのところで躱す。ソフィアの剣はウィルの胸の前に円弧の軌跡を残すに留まった。 「こらソフィア! 寸止めって自分で言ったんだろうが!?」 「ヤバめな打撃はって言ったでしょ?」 「めちゃめちゃヤバかったわ!」 ウィルが全力で非難しても、ソフィアは、全く容赦しないようだった。恐ろしく速い斬撃を、死にたくない一心でウィルは受ける。 「ウィルも打ってきてよ。こんなんじゃ勝負になんないよ」 攻撃の手を休めずに、ソフィアが呟いてくる。いつのまにか、『稽古』から『勝負』になっているところに恐怖しながら、ウィルは言い返した。 「反撃なんか出来るか!」 「威張っていう事じゃないぞー?」 「やかましい、こんなもんまともに受けられるだけで大威張りだ!」 不意に思い出す。そういえば、以前、ソフィアの稽古の風景を見たときは――いつでも彼女の足元にぴくぴくと痙攣する十数人の兵士の姿があったような。 「ううっ……死にたくないっ……!」 「ふっふっふ。死にたくなければ打ってこーい」 実に楽しそうに、ソフィアはウィルの泣き言に答えていた。 ずだんっ! 殊更大きい音を立て、ウィルは芝生の上に倒れ伏した。どうして柔らかい芝生の上に倒れたのに、こんな大きな音が出るんだろうと、酸欠状態の脳で考える。が、答えは出そうになかった。疲れて考えがまとまらないのももちろんあるが、何というか―― 彼女は超越している。何もかも。不自然な事象の一つや二つ、彼女の前においては物理法則よりも自然な事のように思えた。 「わーい。あたしの勝ちー♪」 両手を挙げて、素直に喜びを表す。が、数秒でその祝福の踊りは中断された。 「でも、つまんないよー。結局ウィルが勝手に疲れてふらついてきたところを軽く打ったってだけじゃない」 軽く、という言葉にそこはかとない疑問を感じるが、ウィルは掠れるような声で別の事を口にしていた。 「あれだけ動いて息も切らせない化け物と打ち合い出来るか……」 「化け物ぉ!? ひっどーい!」 頬を膨らませて抗議してくるが、ウィルにはそれをまともに相手する余裕すらなかった。鼻をくすぐる、青い芝生の香りに、生きている事の幸せを感じながら、ウィルは目を閉じる―― 「でもさぁ、そんな事言ったらウィルだって化け物よ? 何で魔術士なのにあれだけ動けるのよ。持久力はなかったけど、まともに攻撃が入ったのって最後の一撃だけなんだもん」 ソフィアの言葉は聞こえてはいるが、答えようもないのでウィルは黙って寝返りを打って、仰向けに転がった。青い空が全くもってすがすがしい。ああ、生きているって素晴らしい。 「どういう訓練したら魔術も剣もこんなに使えるようになるわけ? 普通、そんな関係ない分野に手を出す人って、両方中途半端になるものじゃない? って、ねえ、聞いてる?」 ゆさゆさと体を揺すってくるソフィアに、ウィルは面倒臭そうに視線を向けた。 「何だよ。今俺は大気と大地の精霊と生の賛歌を歌っていたところなんだ」 「……無理矢理張り倒した事、謝るから戻ってきてお願い」 何故かソフィアは素直に詫びてきた。 「剣術も魔術も、ちゃんと師について学んだからな、俺は」 寝ぼけたような口調でのウィルの呟きを、ソフィアは相槌を打って聞いた。 「あたしは我流だけど……ねえ、ウィルに剣を教えた人ってヴァレンディアの騎士?」 「正確に言えば違うけど、似たようなもんだな。何で分かった?」 「ヴァレンディア騎士団の剣術に似てたから。知り合いにいたのよ」 ふうん、と、今度はウィルが相槌を打つ番だった。 「それでも、ちゃんと学べば身につくってものでもないと思うけど。よっぽど才能余ってるのね、見かけによらずウィルって」 「師匠が優秀だったんだよ」 「……もしかして、ウィルの剣術と魔術の師匠って……」 「同一人物」 ソフィアは驚いたようだった。魔術、剣術ともに、他人に教えられるほど極めた人間など、ざらにいるものではない。ソフィアにしてみれば、強い人間というものは興味を覚える対象なのだろう。身を乗り出して聞いてくる。 「ねえ、どういう人?」 「……教会魔術士リュート・サードニクス。俺の……兄だ」 「えええっ!? ウィル、兄弟いるの!?」 先程よりも数倍驚いた表情で、ソフィアが叫ぶ。驚愕の表情を隠そうともしない彼女に、ウィルは困惑した視線を投げかける。 「人を何だと思ってるんだ君は。俺にだって肉親くらいいたわ」 「いた……って」 「もう死んだんだよ。六年も前に」 見ようによっては寂しげな表情と取れなくもない――つまりはその程度の表情しか見せずに、ウィルは呟いた。 青い空がすがすがしい。本当に、生きててよかった――そんなことを考えながら。 |