CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 2 #08 |
「はあぁっ!」 裂帛の気合とともに駆け寄ってくる女戦士の姿に、紋章魔術士達は十メートル程の間合いになってからようやく気付いた。辺りは強力な魔術を多人数で使ったため、大気に満ちる魔力が撹乱された所為で暗雲が立ち込め暗くなっている上、まさかこの場所を襲撃されるとは思っていなかったのだろう。明らかに動揺の気配が走る。 が、反応は遅くはなかった。女戦士――ソフィアの攻撃の間合いに入るよりも先に、一番距離が近かった魔術士より、雷の一撃が来る。 しかし―― 「当たるわけないでしょ、そんなの!」 叫んで、高速で飛来する白光を、横に跳んで悠々とかわす。術を放った直後の魔術士には、ほんの一瞬ではあるが、致命的な隙が生じている。だが、彼女にはその一瞬で十分だった。 斬撃も出来るように穂先を作り替えてあるソフィアの愛用の槍が、魔術士の体を薙ぎ払っていた。 「無茶苦茶な……」 その、人間業を超えていると言わざるを得ない様を見て呻いたのは、他でもない、ウィルだった。 彼女は、一人めが片付いた直後には、手近にいた二人の魔術士を同時に相手にしているが、これも、すぐに決着がつきそうだった。彼の言う通り、無茶苦茶である。少々過大な評価だが、一騎当千と詠われる魔術士を、こうもこともなげにあしらうとは。 彼女が戦っている様をじっくりと見るのは、実はこれが初めてだったので――もちろん訓練中、騎士たちを相手にしているのはよく見かけたが――、ウィルは思わずその姿に見入っていた。 見た目より力はありそうである。しかしそれ以上に、動きが恐ろしく機敏なのが、ソフィアの強さの理由のように見えた。それと、死角から魔術を放とうとしている敵の気配まで察することの出来る鋭い勘。相当に戦い慣れている事が、傍目にもよく分かる。 程なく、当然の事のように魔術士らをひれ伏させて、ソフィアはくるりと後ろを振り返った。 「こらー、ウィル、何もやってないでしょ」 「いやもう……何か、手の出しようがなくて……」 「ま、いいわ。次行こうよ、次」 息すらも切らしていないソフィアは、別の魔術士の一団のいる方へ向かって走り出していた。 しかし、ウィルからは見えない位置で、ソフィアは表情を曇らせていた。 (敵の数が多い上に展開している範囲が広すぎる。これじゃあ……) ほとんど崖の淵を走るソフィアが下を見下ろす。暗い上に木々に隠れてよくは見えないが、下では幾人もの人々が逃げ惑っている様子が窺える。 その中で、一様に同じ方向――村の唯一の出口――に向かっている一団があるのに気付く。 (コルネリアス隊!) 苦渋の決断だったのだろう。狙いは自分達と見て、村にこれ以上の被害をもたらさないよう、村からの脱出を決行しようというのだ。その先には帝国の騎兵隊がいるというのに。これが、帝国側の作戦だったのだ。留まれば村ごと紋章魔術士隊が、逃げればその先の騎兵隊が殲滅する…… ソフィアもウィルも全力で走ってはいるが、まだ、次の紋章魔術士のいる地点には届かない。よしんば届いたとしても、まだ数組残っている。広範囲に展開する魔術士達をたった二人で倒すのと、遠隔攻撃も出来る魔術士達が人々を焼き殺すのと、果たしてどちらが速いか? 近づいてくるこちらの気配に気がついていないわけではないだろうが、魔術士達は下に向けて雷撃を放とうとするようだった。崖の下を睨む彼らの手に、灯が点る。 (これしかないかっ!) 唐突に決意して、ソフィアは、数十メートルの高さの崖を、飛び降りた。 「なっ!?」 後方から、ウィルの驚愕の声が聞こえる。彼には彼女が自殺したようにでも見えたというのだろうか。冗談じみたことを考えつつ、ソフィアは一メートルほど下の、崖から突き出た岩の上に降り立った。 ほとんど垂直に近い斜面。滑り降りる事など出来ない。だが、岩壁という訳ではなかったが所々、岩や途中から器用に生えた木が突起となって現れている。それを足がかりにして下まで降りる気だった。 「無茶だ!」 さっきよりも遠い位置で、ウィルの声が響く。しかしウィルは降りてはこないらしい。というより、さすがにこれないのか。度胸がないなどと言ったりするつもりはない。身体的能力はさほど高くない魔術士には不可能だろう。 (ああ、ウィルは魔術士って言っても、運動神経よかったんだっけ) ふと、そんなことを思い出してみる。出会った当初――六ヶ月ほど前――から、彼は魔術士であるとしか聞いていなかったので、その先入観が抜けきっていない。ソフィアがよくやっていたような、他の騎士たちとの練習試合も彼がやっているところは見たことがなかった。その時は彼は魔術士なんだから当たり前かと思っていたのだが―― (そう言えばウィル、帯剣してたな……ってことは剣も扱えるんだ。一度、対戦してみたいな) 魔術士として、それは珍しいのだろうとは思うが、例外がないというものでもないのだろう。 と―― がらん、という鈍い音と共に、不意に彼女は奇妙な感覚に襲われて、自分の感覚器官を疑った。奇妙な感覚。いきなり宙に体が投げ出されたかのような。 瞬時に、彼女は自分の感想と状況がほぼ一致しているという事を悟る。自分の飛び乗った岩が、その瞬間に崩れたのだ。 (うわ、やっちゃった!) 相当急いで降りていたので、もしかしたらやってしまうかもという覚悟はあったのだが―― 一旦起こってしまえば悪夢には違いない現実に、ソフィアは舌打ちする。咄嗟に上を見上げて、崩れ落ちる岩を踏み台にして、跳躍する。 ソフィアの手は、絶壁から生えていた木の根っこをしっかりと掴んだ。――が。 ぷちっ。 安直な音を立て、その命綱はあっさりと切れてくれた。 …………。 「うそぉ!?」 嘘じゃない。現実。それははっきりと認識している。が、叫ばずにはいられなかった。 まだ地上までにはかなりの高さがある。このまま落下し、地面に激突すれば間違いなく即死だろう。転落死は見た目に奇麗ではない。いや、奇麗でも死ぬのはいやだ。 ソフィアは、絶壁に向かって手を伸ばした。無理矢理にでもどこかにしがみついて、落下を止めるつもりだった。当然、自由落下のスピードで岩盤などに手を出せば、当然腕の方は、転落死したようなとまでは言わないにしろ最悪それに近いダメージは受けてしまうだろう――が、選択の余地はない。 覚悟を決めて彼女が伸ばした腕を―― 期せずして、何か、暖かい感触が包んだ。 (え……?) 意識を失っていたわけではないが、それ以上の状況の認識は出来なかった。が、相手は構わないようだった。空中で彼女の体を引き寄せ、抱え込む。真逆さまに落ちて行く彼女の――相手も同じ事だが――頭部を護るように抱かれたその時になって、弾けたように思考が戻った。 「ウィルっ!?」 引きつったように叫ぶ。彼が自分を追って飛び降りてきた事に気づき、彼女は初めて背筋に冷たいものの走る感触を覚えた。しかし、それだけでは先に落ちた彼女に追いつくはずはない。 彼は、自由落下よりも速いスピードで下方向に向けて飛んで来たのだ。 「伏せてろ、ソフィア……間に合わない」 ウィルのその声は、歯を軋る音と共に聞こえていた。 何が間に合わないのか聞き返そうとした瞬間、何かが強烈に擦れ合う音と同時に、全てが真っ白になるような激しい衝撃が走った。 衝撃の瞬間、ほとんど反射的に、外部の感覚を断絶するように固く目を閉じていたソフィアが目を開いたときには、その音はもう止んでいた。頼りない落下感も一緒になくなっている。 「ウィルっ!」 叫びながら勢いよく起き上がり――地面に倒れた体勢になっていたのだ――横を見ると、それまでずっと彼女の事を抱え込んでいたのか、ソフィアの肩に手をかけてウィルが横たわっていた。意識がないのだろうか。その代わりだとでも言うように、頭から血が流れている―― ウィルを見詰めていた視界の隅に入ったものを、ソフィアはぞっとしながら見た。地面に、何かを引きずったように抉られた跡が自分達のところにまで十メートル近くに渡って続いていた。 「ウィル……」 呆然と呟いて、彼に視線を戻す。彼は動かない。 「ねえ……ちょっと、止めてよ……起きてよっ!」 パニックを起こしそうになる自分を必死に自制しながら、ソフィアはウィルに呼びかけた。彼の身体を掴んで、揺さ振る。 「ごめん、ウィルっ……ごめんなさいっ!」 「いっ……痛いっ! 揺さ振るなっ!」 しかし前触れなく返ってきた意外と元気な声に、ソフィアは目を瞬いた。 「ったく乱暴だな……」 倒れたその体勢のまま視線だけこちらに向けて、ウィルは呆れたように呟いている。 「あ、あのねぇ……気がついてるんなら、即返事しなさいっ! 心臓止まるかと思ったわよ!」 「止めろ、本当に痛いんだってば」 「他もどこか怪我してるの?」 よくよく見てみると、頭の傷はほんの掠り傷らしかった。ウィルが何とかというように起き上がって、こめかみの傷の辺りを拭ったが、もう既に血も止まっているようだった。 「いや、怪我はない」 「……だったらどうして……」 「筋肉痛」 聞いた事のないような単語が返ってきたかのような違和感を覚え、ソフィアは訝しげに視線だけで問い返した。ウィルは頭を掻きながら、 「俺、運動不足だから。でかい魔術使ったら一気に来た」 「……魔術で筋肉痛になるものなの?」 その答えに、思わずソフィアは半眼で呟く。が、ウィルはそれ以上は特に言わずふらりと立ち上がった。腕をはたいて土汚れを落とすと、着衣すらさほど損傷は見られなかった。更に訝しんだ視線で、ウィルを見上げる。 「何であの衝撃でほとんど無傷なわけ?」 「落ちる瞬間重力制御の魔術と同時に対衝撃の防御障壁の術を使ったんだ。自分で言うのもなんだけど、これだけの術を同時に使える術者なんてそういないよ。少なくとも次に崖から落っこちそうになった時にも偶然居合わせる可能性は望めないと思ってて欲しいな」 「ううっ……だからごめんってば……」 ソフィアがそう呻くのを見て満足したように、ウィルは微笑してから、彼女に背を向けた。 「行くぞ。別に考えなしに飛び降りてきたわけじゃないんだろ」 「う、うん」 答えて、ソフィアはもう既に歩き出していたウィルの後を小走りで追いかけた。 (本隊との合流も、退却ももはや不可能だ――) コルネリアスは、絶望的にそう確信した。 崖のはるか上から雷の雨を投げかけてくる魔術士達から逃れ、村を脱出した。無論その前に待ち受ける、敵の騎兵隊と事を構える覚悟で。 いや、刺し違える覚悟、と言った方がいいか。 単純な戦力比は二倍ほどである。これだけで十分に勝ち目のない戦いだということは認識できたが、それに加え、未だ魔術士達の攻撃の射程内に彼らは入っていた。 (一矢報いることすら、できんのか……?) いつのまにか皺も増えた額に汗がにじむ。このまま自分達が無残に敗北を喫すれば、そのまま敵の隊はディルト王子率いる解放軍本隊に対し攻撃を開始するだろう。六十年の人生のほぼ全てを捧げたレムルス王国の、ただ一人の後継者に対して。 「そんなことが許されるか!」 吠えて、彼は隊の先陣を切った。 「かくなる上は……この命、散らせようともこの場で敵を食いとめる! 我らがレムルス騎士団を……大陸解放軍を見くびるなっ!」 他の騎士たちも、もう既に腹は括っていたのだろう、臆することなくそれに続いた。 戦場はさほど広くはなかった。が、それでもあらゆる所で、激しく剣の交錯する音が響いていた。 ある者は斬り、ある者は斬られ――無限とも思える応酬が続く。 だが、どう贔屓目に見ても、優劣は明らかだった。兵の数を減じていくにしたがい、元々数で負けていたコルネリアス隊は後手に回らざるをえなくなってきていた。そして、もはや敵の攻撃を捌くが精一杯と言ったような状況にまでなっている。 その上―― 「うわああっ!」 頭上より降ってきた雷の直撃を受け―― 一人の若い騎士が絶叫を上げた。 「イウシス! くっ……」 その若い騎士はまだ息があるようだった。しかし、コルネリアスは彼のもとに行く事が出来なかった。今ここで敵に背を向ける訳にはいかない。奥歯を噛み締めて、目の前の敵と対峙する。 天空が再び、雷撃を予告し、瞬いた。若い騎士の命を、今度こそ奪い去ってやろうと。 そして。 一直線に騎士に向かって飛来した閃光が、途中でその軌道を変える瞬間を、コルネリアスは信じられない思いで見詰めていた。 「大丈夫!?」 叫びながらコルネリアス隊の中心に闖入した少女を見て、コルネリアスは思わずぎょっとした表情を作る。それで気が付いたかのように少女――ソフィアは一言、告げた。 「あたしは味方です、将軍。大陸解放軍兵士、ソフィア・アリエスです」 そして、傷ついた若い騎士の方に視線を向ける。傷の状態を見ながら、顔を一瞬しかめ、森の方へ向けて声を上げる。 「ねえ、ウィル、回復の魔術とかって使えないの!?」 「使えない。それは神官の管轄だ」 声とともに、さっきの彼女と同じように木々の間から男が現れる。彼も、コルネリアスの方へ顔を向ける。 「お久しぶりです。コルネリアス将軍。再会を喜んでいる場合じゃないですが」 「ウィル・サードニクスか……」 苦笑――というより、苦い口調にほんの少しだけ安堵が混じったような、と言った方が近いだろう――そんな口調で、コルネリアスが答えた。 「ソフィア、彼は後だ。魔術の雷はそう強くない。一撃程度なら大丈夫だ。先に敵を始末する」 「わかったわ」 頷いて、彼女は数メートル先の地面に突き刺さっていた自分の槍を引き抜いた。先程、雷撃に向かって投げつけ、その軌道を逸らしたのだった。若い騎士の身代わりとなって雷の直撃を受けたにしては、その槍には焦げ目すらついていない。それを見て、ソフィアは紋章魔術士の放つ術の大体の威力を把握した。 「将軍、指示を」 ウィルの言葉に、コルネリアスは、ふん、と鼻を鳴らした。 「この状況でわざわざ私の顔を立てる必要もあるまい。全権を貴様に委ねる」 「了解」 答えて、ウィルはざっと全体を見回した。そして、声を上げる。 「全軍、一旦後方へ退け。森の方に戦場を移行しろ! 上方の魔術士の視界に入らないように、木の影に隠れるんだ!」 自然界の雷と違い、人の手で作りだす魔術の雷には、よほど上級の魔術士が使うのでない限り、森ごと標的を燃やし尽くすような力はない。それを利用した作戦だが、さすが、元々レムルス騎士団の精鋭として名を馳せていた隊だけあり、そんなことを説明するまでもなくその指示に即座に反応し、ウィルの思う通りに前線を後退させる。 「そのまま左右に展開、追撃は無視しろ!」 言葉通りに、隊は中央部より分かれ、左右に後退する。展開した両翼への敵軍の追撃は少ないようだった。ウィルの予想した通りに。 敵は、全力で以って、防御の薄くなった穴――即ち中央に殺到する。 「げ、これって……」 ソフィアが女の子らしからぬ声を上げるのを聞いて、ウィルはにやりと笑った――ように彼女には見えた。 敵軍が突っ込んでくるのを待ち構えていたように、ウィルが、真っ正面に向かって腕を振り上げる。その先に光が宿るのを見て、敵前線の兵士の顔色がさあっと青ざめる。 「ま……」 「魔術士だあっ!!」 慌てて退こうとするが、先頭だけ退避の姿勢を見せても、動きようがある筈もない。左右も、いつのまにか解放軍の騎士たちに囲まれている―― そして、強烈な熱波が帝国軍騎兵隊の一団を、貫くように発射された。 「ちぇ……なっさけない威力」 露骨に舌打ちして、ウィルは足元を見下ろした。敵兵達が、ほんわかと茹で上がったように白い湯気を立てながら、みな一様に倒れている。本調子のときであれば人間くらい一瞬で蒸発させる事すら出来る威力を持つ術である。無論、本調子であったとしてもそんな趣味の悪い事はしないが。 「……もちろん、本調子でないのは君が無駄な魔術を使わせたからだからな」 「わかってるわよー」 ウィルの視界の隅で、舌を出しているソフィアは無視して、彼はコルネリアスの方へ歩み寄っていった。 「敵兵は命には別状ないでしょう。このまま捕虜にしてよろしいですね」 「うむ」 「それと、自軍の損害を把握したいのですが」 「……十七名中死者三名、重軽傷合わせて負傷者六名だ。当初の予想よりは軽微な損害といえる。貴殿らの助けがなかったら、全滅していただろう。礼を言う」 確かに戦力差から考えれば、軽い被害だっただろう――それでもウィルは満足する事は出来なかった。 ふと見ると、ソフィアが、さっき雷に打たれて傷ついた騎士の元へ寄っていた。背中に背負っていたナップザックの中から包帯と薬のようなものを取り出し、手当てを始めている。とりあえず、本隊と合流すれば回復の魔術の心得のあるシスターがいるので、あくまでも応急処置である。 「ウィル、あたしのバッグの中に薬とか入ってるから、それ使って手当てして。あ、それと誰か川まで行って水汲んできてくれない?」 「あ、ああ」 ウィルや他のたいして傷を負っていない騎士たちが応えて動き出す。紋章魔術士達も、騎兵隊の敗北を知り撤退したのか、攻撃を行ってくる事はなかった。 とりあえず与えられた任務は完遂した事ということで、ウィルはひとつ息をついた。残念ながら、あまりすっきりとした気分にはなれなかったが。 |