CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 2 #07 |
「はぁい♪」 昼でも薄暗い山中。本隊とはもうかなり離れた場所で、その聞き慣れた声を聞いて、ウィルは呆然とした表情を隠す事ができなかった…… 「どうしてここにいるんだよっ! ソフィアは!?」 「やだ、分かってるく・せ・に」 両手を頬に当てつつ――これ以上ないくらい白々しいが、可愛らしい女の子という演出なのだろう――そう言うソフィアに、ウィルは文句無しに脱力していた。膝から力が抜け、その場にうなだれる。 「何で分かってくれないのかなぁこのおぢょーちゃんは……俺を困らせるの、ひょっとしたら生きがいなのか? ああ、そうなんだなきっと。そうに決まってるわざとだ絶対間違いなく」 「やーね、買いかぶりすぎよ」 「違うだろっ! せめて『勘繰りすぎ』とか言っとけよっ!」 どこに敵がいるかとも知れない状況の中で、ウィルは我を忘れて絶叫した。 「ウィル、そんな大声出したら……」 「分かってるわっ! でもこの仕打ちに大声出さんと我慢しとけというんか君がっ!?」 「分かったわよ、あたしが悪かったわ。……はいこれで落ち着いた?」 「落ち着くかぁぁぁ……」 しかし、涙声になってきたお陰で大声を出さないで済みそうにはなってきた。力の入っていないウィルの肩に、ソフィアが優しく手を置く。彼女の、穏やかな微笑みを見返しているうちに―― 何だかもう、どうでもよくなってきたような気がした。 「もういいよ。こうなった以上、きっちり手伝ってもらうからな」 深い深い溜息と共に紡ぎだされたウィルの言葉に、ソフィアが嬉しげに頷く。 「うんうん。任せてよ。何だかんだ言って、いつだってあたし役に立ってるでしょ?」 「……それが分かってるから、本隊の方を君に任せようとしてたのに……正当な理由なく上官の命令に背くのは完璧に軍規違反だぞ」 「教会からの命令で来たあなたや、元から騎士団員だったみんなにならともかく、自由意志で参加している義勇兵に対して堅苦しい規律を強制するのは理不尽だと思うのよ」 「そういう問題じゃないと思うけど」 「それに、正当な理由なくって言われるのは心外だわ。理由ならあるもの」 「……一応聞いといてあげるよ」 「敬愛する我らが隊長を過酷な戦地に一人送り付けるなんて真似、あたしにはできないわ」 「とりあえず明らかに嘘だから百点満点中三点な。ちなみに素直に楽しそうだからって言っていれば正直さに免じて四点あげたぞ」 そんな事をお互い言いながら、険しい山道を苦もなく歩いていた。長いこと、人の手の入っていない事は間違いない木々の間を、下草を踏み分けながら歩く。他愛もない事を口に出してはいるが、無論辺りへの警戒は怠ってはいない。もっとも、近くに他に人のいる気配はないということくらい、気づいてはいたが。 しばらくそうやって歩みを進めてゆくと、唐突に視界が開けた。ちょっとした崖の上に出たのだ。先に進むには、三メートル強はあるこの崖を下って進まなくてはならないようだ。着地地点が柔らかい土ならよかったのだが、悪い事に、転んだら確実に擦り傷を作りそうな石ころが転がっているような場所だった。 降りられない事もないが――とソフィアは一瞬躊躇したが、その間にウィルは迷わず足を踏み出していた。 そして、九十度近い崖の斜面を、足を使って器用に滑り降りる。 「へぇ……」 ソフィアの感嘆の呟きには何の感慨も持たなかったように、ウィルは多少擦れたらしいスラックスの裾をぱたぱたとはたいてから、彼女の方を振り仰いだ。 「手、貸そうか?」 「平気だよ」 微笑して、ソフィアも、自分の足で斜面を滑り降りた。 「さっきから思ってたんだけど、ウィルって魔術士なのに、結構運動神経いいんだね。魔術士って、運動はてんで駄目な本の虫ばっかりだと思ってた」 「ま、確かにそういう奴も多いわな」 興味ありげな声を上げるソフィアに、ウィルは何という事はないといった調子で答える。 「魔術を行使する力は……基本的には、天賦の才能だ。その才能を魔術士と呼ばれるまで伸ばすには、訓練と、何より魔術の理論を端から端まで学ぶ事が必要なんだ。……何も知らないで扱うにはあまりにも危険な力だからね」 その言葉には自嘲が混じっているのだろうか。判断しかねる声で、ウィルは呟いた。 「だからなのかね。魔術士はみんながみんな、ねちねちと研究にいそしむような体質なのは。最大の魔術士の学び舎たるファビュラス教会なんかすごいぞ。生白い顔した魔術士が、早朝から夜中まで黙々と本読んだり書き物したりしてるんだ。もーそこにいるだけで嫌だね、俺は」 「ああ、それで教会を抜け出してレムルスに来たのね」 「人聞きが悪いな。大神官サマに命令されたんだよ」 多分、ソフィアの言った事は図星なのだろう。目元を苦笑の形に変えて、ウィルが言った。 「さて……そろそろ村だな」 呟いて、ウィルは方角を測るため、空を振り仰いで太陽の位置を確認した。 「ここ、どの辺りなの? 歩いた感じ、村の傍の崖なんじゃないかと思ったんだけど」 「大当たり。丁度そこの崖を降りれば、村の裏手に出る」 言って、視線で先を指す。ソフィアが顔を出してみると、はるか下――数十メートルは下ったところに、いくつか小さな家が建っているのが見えた。 「で、どうするの? 普通に通ってこれる道は帝国軍に押さえられてるから他に侵入経路がないのはわかるけど……いくらなんでもこの崖は降りられないわよ」 「標的にかかる重力を操る術がある」 ソフィアの表情に疑問符が浮かぶのを見て、ウィルはすぐに言い直した。 「つまり、体にかかる重力を弱めて、ゆっくり落下する事が可能だって事だよ」 「へぇ……じゃあ、重力をなくして、空を飛んだりするってことも出来るの?」 旅芸人の一座を前にした子供のような目をして、ソフィアが尋ねてくる。 「そりゃ出来なくもないけど、やらないぞ。結構難しい術だからな。万が一制御に失敗して痛い目見るのもいやだし、リスクの割に意味ないだろ」 「ええー? 面白そうなのに」 「あのねー……」 呆れきった口調で呟く。だがなんにせよ、あまりゆっくりしているわけにもいかない。魔術のための精神集中をしようと息を大きく吸った、その時。 「ウィル!」 唐突に、ソフィアが彼の上着を引っ張った。 「何だよ、邪魔するなよ」 「あ、ごめん。でも、あれ……あそこに誰かいる」 言ってソフィアが指差したのは、村を挟んで丁度向かい側の崖だった。彼女らと同じように崖の上から村を見下ろすような仕草をしている黒い人影が、複数。――いや、よく見回してみれば、そこ以外にも何箇所かで人影が見える。今迄気が付かなかったのは死角にいたからだろう。 「敵か!? くそ、何だってこんなところに……」 「ねえ、ウィル、あれ魔術士じゃない?」 再び言われて、ウィルは目を凝らした。しかし、ソフィアは彼よりかなり視力がいいらしく――と言ってもウィルとて悪くはないはずだが――、彼にはよく分からない。 「魔術士? どういうことだ、いくら魔術士だってここからじゃ、術なんか届くわけが……」 呟きながら、気付いて、はっとする。 「しまった、『紋章魔術士』だ!」 「魔術の……力か!」 今の今迄快晴だった空に、にわかに暗雲が立ち込め始めたのを睨みながら、レムルス王国騎士団の甲冑に身を包んだ老人――と言っても、まだ十分に戦場に出て戦える体であると、本人は自負しているのだが――は呻いた。 「コルネリアス将軍!」 呼ばれて、老人は後ろを振り返った。彼の部下である若い騎士が、跪いている。 「申し上げます。ディルト王太子殿下率いる、大陸解放軍本隊が、進撃を開始した模様です。ですが……どうやら、敵の魔術士により、我々は完全に包囲されてしまったようです」 「うむ……ディルト様の部隊に合流しようにも、我々だけでは先に居座る帝国の騎馬隊にすら敵わぬだろう。ここはこの場で待機し、機を待つしかない。早々に援軍が来れば何とか切り抜けられるだろうが……」 言って、もう一度、空を見上げる。間違いなく幻聴であると自覚してはいるが、それでも敵の魔術士の怨嗟のような呪文の声が聞こえるような気がして、気が滅入る。空は徐々に暗さを増していった。 視線を戻して目に入った騎士の顔色の悪さは、その空の所為だけではないのだろう。彼が重苦しく口を開く。 「援軍は来るとお思いですか? ディルト様の軍の軍師はウィル・サードニクスとかいう男……騎士の心得も持たぬ魔術士といいます。我々は見捨てられるのではないでしょうか?」 「言うな」 瞼を閉じて、非難の発言を制止する。 「確かに彼奴はいけ好かぬ男だが、軍師としての才はある。我らを切り捨てるというのも、あるいは的確な判断かも知れん。何にせよ、我らに出来るのは命の限り戦う事のみ。栄光あるレムルス王家の為、そしてこの大地の為に」 言って、老雄は四方から襲い掛かってくる津波のような崖を睨み据えた。 「ウィル、紋章魔術士って!?」 走り出したウィルを追いかけながら、ソフィアは彼に向かって叫んだ。 「魔術士が術を使うのに、魔力が必要なのは知ってるな? 一番簡単に言うと、本当なら人間じゃあ魔力の総量が不足して使えない術を、魔術紋章という、神聖文字やら何やらで魔力を込めて地面に描いた図形によって術者の魔力を増幅し、行使する魔術士の事だ!」 「よ、よく分かんないけど、じゃあすごく強いってこと? その魔術士」 「いや、紋章を使って術の威力を上げる事は出来ない。……正確に言うと、理論的には出来るけど、術者の能力を超える威力の術には、肉体が耐えられないってところかな」 「どういうこと? それじゃ意味ないじゃない」 「威力は上がらないけどな」 ちらり、とソフィアの方を振り返る。ちゃんと付いてきているかどうか、確認したのだろう。もっとも、声がちゃんと付いてきているのは分かっているのだから、ただ単に間を作っただけなのかもしれないが。 「紋章によって主に上げられるのは、術の射程距離だ。例えば、普通の魔術士が攻撃の術を使うとしたら射程はせいぜい、数十メートルが限界だ。だが……紋章の力を使えば、その範囲は五倍は広がる」 「ってことは……!」 「そう……奴等は、この崖の上から村ごとコルネリアス隊を焼き殺すつもりだ!」 「どうしたらいいの!?」 ウィルに対するソフィアの即座の返答は、決して戸惑いや、混乱の感情からきたものではなかった。むしろ、冷静に指示を仰ぐ、兵士の声音だった。彼はソフィアがこの場にいてくれた事に感謝しながら――但し、彼女にそう言うつもりは絶対にないが――、一旦立ち止まって、彼女の方を向いた。 「紋章魔術士の魔術は、紋章の上にいないと効果を為さない。つまり、紋章から降ろしちゃえば、ただの魔術士にすぎないということだ。ソフィア、魔術士は何人いる?」 「三人で一グループみたいね。それがあっちと……ここと……五組。計十五人ね。見える範囲では、だけど」 「いや、それだけだろう。攻撃を仕掛けるなら、少なくとも下を覗ける位置にいるはずだ。幸い、あっちからはこっちをまだ認識していないな。片っ端から潰すぞ」 「分かったわ」 普通の戦士や騎士などには『ただの』魔術士といえども立派な脅威のはずなのだが、ソフィアにはさしたる問題ではないようだった。迷わず頷いて見せる。 ウィルも彼女に頷き返して、二人は再び駆け出した。そして―― 駆け出したのと、紋章魔術士からの第一撃である、天から降り注ぐかのような雷光が、眼下の村へ突き刺さったのは、それとほとんど同時だった。 |