CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 2 #06

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「ねー、ウィル知らない?」
 唐突にかけられた声に、出撃の準備をしていたクリスとエルンストの肩が同時に震えた。あからさまに、ぎくっ、といった感じで。
「さ、さあ……見てないな、ねえ、エルンスト?」
「ああ、そういや、いない……な」
 ギクシャクした返答。二人とも、尋ねてきた少女――ソフィアからわざとらしく目をそらして、ブーツの紐を縛り直したりしている。
「ねぇ……」
「あ、俺、鞍付けてこなくちゃ」
「僕も……」
 さっき行ってきたばかりの仮設の厩に向かおうと立ち上がった二人の首根っこを、ソフィアはがしっと捕まえていた。
「……ねえ、ウィルどこ?」
 穏やかな声での問い。後ろを向いているので二人には見えないが、きっと、声と同じく穏やかな笑顔をしているのだろう。だがどういうわけか、一種危うさのようなものを感じて、クリスはいきなり走り出した。突然の事に、ソフィアの手がクリスの襟首から外れる。
 ――いや、もしかしたらソフィアは判断していたのかもしれない。捕虜は一人でいい、と。
「ちょい待ててめぇ、タレ眉! 裏切んのか!?」
 危機感は、エルンストの心の中にも浮かんでいたらしい。だが、クリスは迷うことなく走り去っていった。
 あとには、空を掴むかのように手を前に伸ばしたエルンストと、誰が見ても、天使のようなという感想を漏らすであろう微笑みを浮かべた少女。
 だが、彼に言わせれば――というより、それまでに彼女に『同じ』目に遭わされた人間に言わせれば――それは、終末論に説かれる、断罪の天使の、罪人への微笑みだった。
「エルンストと、あたしの仲じゃない。秘密にしなくったっていいよね?」
 何か形容詞をつけるならまず妥当なのは、可愛い、という言葉であろう少女が、その姿に似つかわしい鈴のような声で囁く。エルンストの胸倉を掴んで。
「ウィル、どこ行ったの? みんなして、何をあたしに秘密にしているの?」
 表情は微塵も変えぬまま、ソフィアの手に力が篭る。もしエルンストの身長が彼女より低かったのなら、彼の体は間違いなく宙に浮いているのだろう。
(もう……限界だっ!!)
 腹を括ったエルンストが、口を開く――
「た、隊長は……おぐぅ!?」
 ――が、一言も喋りきらないうちに、彼は喉のどこから出てきたのか疑問に思うような悲鳴を上げ……気絶した。
 白目を剥いたまま気を失っているエルンストを掴み上げたまま、ソフィアはゆっくりと、足元を見た。小さいみかん程度の大きさの石が、転がっている。先程高速で飛来しエルンストの頭に直撃したものの正体らしい。
 無造作に手を放すと、エルンストの体はその場に力なく崩れ落ちた。それにはもう構わず、今度は足元の石を拾い上げる。
「やっぱり、まだいるわね……ウィル」
 手の中の石を弄びつつ、ソフィアは先程と寸分変わらぬ声で呟いた。

「何だ……誰にでも言うんだ」
 ぽつり、と口の中で呟く。誰かが聞いていたら、落胆しているように聞こえるかもしれない。が、別にそういうつもりはない、とウィルは思い込んでいた。
 ――ウィルとあたしの仲じゃない――
 別に、彼女と特別な『仲』になろうなどとは思ってはいない。それこそ、身が持たないだろう。
「……っと、今はそれどころじゃなかった」
 その彼女の目から逃れるために、尊い犠牲を払ってまで自軍のキャンプ地でかくれんぼなどしているのだ。ここで見つかっては、元も子もない。
 ほんの数分前、彼女はこのウィルのテントをチェックしていったばかりなのだから、すぐに戻ってくるということはないだろうが、それでも彼は出来るだけ物音が立たないように、かつ迅速に出発の準備をしていた。
 丈夫な生地でできた上下に、丈の長い、これまた丈夫な皮の上着を着込む。魔術士の装束といえば、まず誰でも真っ黒なローブを連想するのだろうが、ウィルは持っていなかった。持っていたとしても、着ようとは思わなかっただろう。鬱陶しくて嫌いなのだ。教会にいた頃は、それが魔術士の正装だったので、儀式などの際にはしぶしぶ着ていたが、他の魔術士達は普段からも着用している者が多かった。誰かがそう言ったわけではないが、己が魔術士である事を誇示したいのだろう、とウィルは昔から思っていた。
 戦闘要員として戦場に出る時さえも、魔術士はローブを着用するのが常であった。もとより、戦うと言っても戦士のように激しい動きを必要としない魔術士達だったから、着衣に動き易さを求める必要はなかった。しかし何より、ローブに特殊な方法で織り込まれる術が、敵の魔術を少々ではあるが緩和する効果を持つ事と、迷いを打ち消す、緩やかな黒の波に身を包む事により、精神が研ぎ澄まされ、魔術の精度が上がると信じられている事が、その理由だった。本当かどうかは定かではないが。
(少なくとも俺は、ローブを着て戦った事なんてないけど……)
 不便を感じた事なんてない、などと内心で呟こうとして――苦笑して、止める。止めても止めなくても、傍には誰もいないし、そもそも口に出してすらいないのだから同じといえば同じだったが。
(どっちにしろメリットよりは動きに制限が出るデメリットの方がでかいしな。特に今回は)
 意識を現実に直面している問題へと引き戻し、気を引き締める。
 剣帯に、鞘に入った剣を取り付けながらウィルは確認するように呟いた。
「俺一人先発して……南の村へ向かう。敵の目を誤魔化しながら村へ潜入して、コルネリアス隊と合流。彼らをサポートしながら、村を押さえる隊だけどうにかして、退却。その間にディルト様たち本隊がレムルス城を奪還……」
「そういう作戦だったら、あたしの方が慣れてるのに」
 背後から響いた呑気な声に、しかしウィルは全身、総毛立った。振り向くまでもないが――というより振り向きたくもないが――、ゆっくりと後ろを振り返る。
「はぁい♪」
「うわあぁあぁあぁあっ!」
 明るく、こちらにぴょこんと手を上げてくるソフィアの姿に、ウィルは全力で悲鳴を上げながら跳び退った。ソフィアにしてみればとてつもなく失礼な反応だが、さすがに、そう思うよりも先に驚いてしまったらしい。上げた手を所在無さげにひらひらと振りつつ、呟く。
「何もそんなにとんでもない奇声上げないでも……」
「なっ……何でっ……」
「その『何で』は、何であたしがここにいるのかの何で? それとも何で俺を捜していたのかの何で?」
「……概ね両方……」
 呻いて、ウィルはソフィアの出方を待った。ソフィアは、表情の変化が少ないという訳ではない。むしろ、目に見えて多い。しかし何故かじっくり観察した所で彼女の感情を読み取る事は容易ではなかった。上機嫌そうに喋っている今でさえ――本心は知れたものではない。
「あたしがここにいるのは、石がこのテントのまるっきり反対方向からから飛んできたからよ」
 言いながらソフィアは先程のみかん大の石を取り出す。ウィルはそれをいきなり投げつけられる怖れさえ抱いたが、ソフィアはそうする事もなく、ただ手のひらの上でころころと転がしていた。
「なんで、それで俺がこっちにいるって思うんだよ!?」
「この石……魔術で飛ばしたんでしょ? でも標的に当てるんなら、見える範囲にいなくちゃいけないよね。で、ウィルの性格から、正直に自分のいる方向をばらすような真似はしないだろうな、と。だったら素直に考えて、ここでしょ」
「そ、そうかなぁ……?」
「それで、ウィルを捜していた理由はね」
 と、言葉を切って、こちらを見つめる。何か、ものすごく輝いた瞳で。
「ウィルが面白い事するみたいだって、ディルト様に聞いたから」
「……はい?」
「コルネリアス将軍を助けに行くって話してたじゃない。でも、本隊の方はこのまま予定通り、レムルス城に進むって伝令が流れてるのよね。じゃあ、誰が行くんだろうって思ってたら、どうもウィルが見当たらない事に気がついたのよね。それで、ああ、ウィルが行くんだなって思って……」
「……はあ」
「で、ディルト様に詳しく聞いてもなかなか教えてくれなかったんだけど、一生懸命聞いたら、ウィルが一人で村へ行くって話を聞いて、面白そうだなって」
(ディルト様も哀れな……)
 どう『一生懸命聞かれた』のかは想像もつかないが、ウィルは仕えるべき王子に憐憫の情を感じていた。それはそれとして置いておくことにして、彼は一つ咳払いして告げる。
「……まぁ、君の事情は分かった。ていうか、大方最初から予想はついていたんだ。君がそう言いだす事は」
「だからみんなに口止めまでして、あたしから逃げ回っていた、って事?」
 鋭くはないが、睨み付ける目つきで、ソフィアが言う。それを素直に肯定してしまうのは少々危険な気もしたが、上手く彼女を丸め込める言い訳など思い付きもしなかったので、そのまま頷く。
「面白半分で首を突っ込めるレベルの事じゃないんだよ。それに君は、自分の方が慣れていると言ったが……」
 言いかけてから、別にここまで言う必要はないのだと気づき、内心舌打ちする。が、一旦口から外へ出しかけた言葉をなかったことにするのも無責任なような気がして、そのまま続けた。
「俺だって、慣れていないわけじゃない。実際、教会にいた頃は、そういう雑用はしょっちゅうやらされていたんだ」
「本隊の指揮はどうするのよ。まさかディルト様にやらせようってんじゃないでしょ」
「ソフィア、君にやってもらう。本当は俺が発ってから、ディルト様に伝えてもらおうと思っていたんだけど。……時間的に余裕はないが、君ならやれるだろう?」
「あたし……? 無理よ。そういう柄じゃないもの」
 呆れたような吐息を漏らして、ソフィアが呟く。
「優秀な兵士が、優秀な指揮官になれるわけじゃないわよ」
「そんな事は分かってるよ。別に戦闘能力だけで決めたわけじゃない。それに君は一応、俺の副官だろ」
「……副官……?」
 初耳だとでも言いたいかのように――実際そうなのだろうが――聞き返してくる。
「書類上はな」
「だったら実質たいした効力ないでしょうが。それに、一時的にでも全軍の指揮を任すなら、まだユーリン達の方が適任よ。一応士官学校出てるんだから。専門分野じゃない」
「無茶だよ。経験が違う。教科書で学んだ兵法より、それまでの実体験で会得した勘の方がはるかに重要なのは、分かるだろう?」
「だったら」
 ソフィアは、声は荒げなかった。ただ、穏やかなようで鋭い、そんな口調で言う。
「あなたのやる事は無茶じゃないって言うの? 一人で潜入して退却をサポートする? どうやって? 力押しでどうにかなると思ってるわけ? 言っとくけど、トゥルースのときだって、敵はあなたの魔術と軍の連携に脅威したんであって、あなた一人じゃどうにもならなかったはずよ」
「騎兵の一小隊くらい一人でも何とかなる」
「周りとか後の事とかを気にせずに、本気で敵を全滅させる気なら、でしょ? 聞いた事あるわよ。魔術は力を加減して放つより、全力で放った方がはるかに簡単なんだって。身も蓋もなく辺りにぶちかまして、最悪土砂崩れなんて起こさせて敵味方まとめて全滅なんてこと、あの辺りの軟弱な地盤でなら起こりうるわよ」
「俺はそこまで馬鹿じゃ……」
「それに敵の勢力がウィルの予想以上だったりしたらどうするのよ。そこにいるのが一小隊だけだなんて、結局ウィルの想像でしょ。もし仮に森の中とかに別部隊が潜んでたりしたらどうする気なのよ」
「あーもうやかましいっ!!」
 ついに我慢できなくなって、ウィルは叫んだ。畳み掛けるように喋るソフィアに、ではない。そんな日常茶飯事に、いちいち苛つきはしない。我慢できなかったのは、耳が痛くなるその内容だった。しかしその事を悟られないように気を使って、表情を繕う。
「……命令を受けたのは俺だ。そして、その命令をどのように遂行するか決定する権限も俺にある。異議はあるか?」
「……その点については、ないわ」
「だったら、君はもう戻るべきだと思うけどね。君には本隊の陣頭指揮を執るという役割があるんだから」
 それだけ言って、彼女に背を向ける。これ以上会話を続けても、無駄だろう。彼女を納得させうる要素などないということは、自分がよく知っていた。後ろから、彼女の、ふぅ、と息を吐く音が聞こえる。
 ソフィアを残したまま、ウィルは、その場をあとにした。


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