CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 2 #05 |
第2章 王都奪還 存外、その報告――即ち、元レムルス王国トゥルース地方における反乱の発生の知らせは早くに『彼』の元に届いていた。 「ほう? ……というと、首謀者はレムルスの小せがれか? 思い切った事をするようになったものだな」 一通り、報告を聞き終えたところで『彼』が口にしたのは、感心するとも、馬鹿にするともつかない口調での呟き、ただそれだけだった。自らに反抗する勢力、それもおそらく今迄で最大の力を持つものが表立った動きを見せ始めたことに対してだというのに。 肩透かしを食らったような返答に、しばし言葉を失っていた報告者が、数秒経過してから気を取り直したように口を開く。 「そ……それで、対応の方は如何いたしましょう?」 「放っておけ」 「はっ……?」 再び、絶句する。今度はさすがに数秒では返すべき言葉を見つける事ができないようだった。詰まるような沈黙を、先に破ったのは『彼』の方だった。 「レムルスについては首都レムンに派遣したカリム将軍に一任している。遠きアウザール本国よりこの私が細かい指示を送る必要などあるまい。……たかだか反乱軍相手に、そこまで世話を焼かねばならぬような人材なのであれば、不要だ」 「し、しかし……」 「放っておけと言ったのだ。この私が」 『彼』がそう聞こえるように演出したわけでは決してない、真の冷たさを帯びた声が空虚な空間に響くや否や。 報告者はひれ伏すように頭を下げ、足早に謁見の間を退去した。 後に残るのは虚無にも似た広大な闇。実際には、この謁見の間は確かに薄暗くはあったが、闇に包まれていたという訳ではなかった。しかし、黒を基調とした内装の所為か――ただ単にその空間の主の持つ雰囲気の所為か――闇という言葉が過不足なくこの空間を説明している様に思えた。 少なくとも、『彼』には。 (……悪くはない。……しかし、思い出さなくもないな) 思い出されるのはここと同じ薄暗い謁見の間だった。しかし、ここではない。六年ほど前の記憶。『彼』の、二十七年というさほど長くもない今までの歴史の中における単純な時間の比として考えるなら、随分昔の事といえるだろう。 だが、目を閉じれば一瞬前の出来事のように、微妙な色彩まで鮮明に瞼の裏に映し出す事が出来る。柔らかな橙色の光。赤黒い色に塗れ、事切れた敵兵達。後一歩でその仲間入りをしそうな程傷ついていながら、意志の灯を絶やさずに自分を睨め付けるダークブラウンの瞳…… 悪い記憶ではないはずだ。かの強国、ヴァレンディアを打ち滅ぼした記念すべき瞬間だったのだから。ただ、目的全てを達成したわけでもなかったが。 ダークブラウンの瞳。檻に閉じ込められてもこちらの喉笛を噛み切る事を諦めようとしていない獣のような瞳。……小犬のような姿をしておきながら…… と、図らずしも遠い記憶の世界に埋没している自分に気づく。 (らしくない。アウザール皇帝ルドルフ・カーリアンともあろう者が) 『彼』――ルドルフ・カーリアンは、小さく苦笑した。 レムルス王国王都レムン市街より、徒歩で優に一日以上の距離がある、郊外の森林地帯。帝国軍はおろか、人の姿さえ普段はあまりない。そう言った場所に、彼ら大陸解放軍は仮設キャンプを張っていた。 ここに至るまで、概ね、大陸解放軍の行軍は順調だった。トゥルース以降、大規模な戦闘を行っていないのだから、まあ当然といえば当然なのだが。 大規模な戦闘を行わずに済んだ理由は、解放軍軍師の機転……というわけでもなかった。 敵が、いないのだ。 まず最初の目的としてレムルス王国の開放を掲げる大陸解放軍は、王都への進軍経路から多少外れてでも各都市の解放を優先事項と定めていた。もちろんそういった都市には、帝国軍の軍隊が駐留しているはずなのだが、どうやら、その大半が既に撤退しているらしい。 いくら解放軍が本来のレムルス王国騎士団よりも弱体化しているとはいえ、ぎりぎりもぬけの殻ではない、といった程度の駐留軍相手に敵わないというほどには力無くもなかった。また、そういった、傍目には無駄に見えるであろう戦闘も、経験の少ない兵士たちにはプラスの効果がないわけでもない。 当然、軍内の士気は高まり、今まさに王都奪還を現実のものとしようとしている――そう言った状況だったのだが…… はぁ…… 兵営の一室――と言っても、少々丈夫な作りのテントにすぎないが――で、テーブルの上に広げられた地図を囲む三人のうち二人が、ほぼ同時に重い溜息を吐いた。 「なるほどな。まさか本国に撤退していると思っていたわけじゃなかったが。……いや、考えてみれば妥当な手段だな。言い訳は止めよう」 うんざりと呟いて、ウィルは開き直ったように椅子の背に自分の体重を預けた。盛大な溜息を吐いたもう一人――ディルトは、開き直る気にもなれず、テーブルの上に両手を組んで俯いたままだった。 「……何……? 二人して……」 そして三人め。テーブルに向かい合って座るウィルとディルトを交互に眺めつつ、ソフィアは呟いた。 「暇だから来てみたら、軍師と王子が難しい顔で呻いてるなんて……他の人が見たら大変な事が起きてるのかもって誤解するわよ?」 「起きてんだよっ!」 たまらず声を上げて、ウィルはソフィアを見上げるが、彼女は何も分かっていない、きょとんとした眼差しを作っていた。よく考えてみれば当然の事である。 「……ソフィアにも、説明しておいた方がいいだろう、ウィル」 視線を上げてディルトが言うと、ウィルは気力を振り絞るように大きく息を吐いた。 「分かるだろうが、これは王都レムン周辺の地図だ。俺達は今、ここにキャンプを張っている」 と、地図の東の端を示す。そして指で、そこから市街地まで続く街道をなぞっていく。まず街道は平原を通り、川を目前にする。 「おそらく、この川を越える前あたりで帝国軍の第一陣と接触する事になるだろう。だが、それは今回の問題じゃない。問題は、ここからだ」 言いながら、ウィルの指は川を越える。その辺りから先は市街に入るまで、鬱蒼とした森が続くのだということをソフィアは知っていた。 「この辺りは森林地帯だ。もっとも、このレムルスでそうでない場所を捜す方が面倒なくらいだけど。森林地帯と言っても、ある程度の部隊なら揃って待機できる空間くらいは十分にある。それらが実際に衝突出来る空間も。無論機動力は制限されるが……待ち伏せになら、うってつけだ。実につまんない手だ……だけど!」 唐突に声のトーンを上げたウィルに、一瞬ディルトが驚いたような反応を見せるのを何となく見やりながら、ソフィアは促した。 「……だけど?」 「なあ、何でここまで俺らは無事で来れたと思う? 奴等が勝手に撤退していてくれたからだよな? その一度は撤退した軍が、実はこっそりこの王都に集結していたってわけだ。ったく……まるっきり臆病者のやる事じゃないか」 投げやりなウィルの言葉に、ふぅん、と相槌を入れてから、ソフィアも考え込むように地図を見下ろした。と、ぽん、と何かいいアイディアが浮かんだように手を打つ。 「思い切って、この辺りの森全部、焼き払っちゃえば?」 「頼むから止めてくれ」 さっきの溜息同様、ほぼ同時に呟かれた二人の声に即座に却下され、ちぇ、と小さく舌打ちする。 「でも、それだけ? ……いや、楽観してるわけじゃないんだけどさ。もっととんでもない事態に陥ってるのかと思った」 普段と変わらない明るさのソフィアの声に、ウィルは嘆息した。ソフィアが表情に疑問符を浮かべているが、答えてやる気力はなかった。仕方なし、といったようにディルトが軍師の言葉を代弁する。 「川を越えたここから北へ進むと、レムン市街だな? だが先程、王都近辺に派遣されていたコルネリアス将軍から連絡が入ったのだ。帝国軍がレムンに戦力を固めたお陰で将軍の部隊も追いつめられてしまったらしい。そこで仕方なく……」 さっきウィルがやっていたように、ディルトは指を動かした。渡河地点から、レムン中心とは逆方向、南を指し示す。 「こちらの南にある村まで撤退したそうだ。だが、この地図を見ての通り、この村は周りを崖で囲まれていて、脱出口は一方向しかない。そのたった一つの道さえも、帝国軍に押さえられてしまったそうだ」 「なるほど……ね」 彼らが悩んでいる問題の全貌を把握して、ソフィアは軍師の意見を求めるべくウィルの方へ視線を送った。 「ここで南下するのはデメリットが大きすぎる。助けたいってディルト様の気持ちは分かりますが、お手上げですよ」 両手を挙げたポーズで言うウィルに、ディルトは視線を鋭くする。 「確かに回り道かもしれないが、この際少々戦闘が多くなったところで大差ないだろう?」 「戦闘の回数を言っているんじゃありません。ここで南下したら、南北から敵に挟まれる形になるでしょう? いっそのこと、将軍にはこのまま南方の敵を引き付けていてもらって……」 「コルネリアス将軍を捨て駒にしろと言うのか!?」 がたんっ、と椅子を倒してディルトは立ち上がったが、ウィルは、煩そうに目を細めただけだった。その態度に苛立ったように、ディルトは更に声を上げる。 「将軍は、このレムルスの平和と発展に、長年心血を注いでくれたのだぞ! それを……」 「……これは、戦争ですよ?」 やや躊躇うように、息を吐いてから呟かれたウィルの声に、ディルトが思わず言葉を飲み込んだ。 「戦争なんだ。大義名分で飾り立てた殺し合いにすぎない。でも、そんな大義があるなら……」 文章の切れ目にならないところで息をつく。まるで、過酷な労働を強いられているかのように。 「殺し合いをしてでも取り返したい……守りたい物があるなら、それを優先すべきです。目先の小事に気を取られて、大事を見失ってはいけない。……コルネリアス将軍は軍人です。分かってくれます」 「……っ!」 納得はしなかったようだった。だが、反論すべき言葉も見当たらないらしかった。ディルトは、ぐっ、と奥歯を噛み締めて、両の手をテーブルについた。 話はこれで終わりなのだろう。ウィルは椅子から立ち上がった。ソフィアの前を疲れたような表情のまま、通り過ぎる。 「……それでも……」 テントの出入り口の垂れ幕に手をかけたところで、ウィルは、後ろから聞こえてきた声に、足を止めた。振り向きはしなかったが。だが、黙って後に続く言葉を待っていた。 「見捨てるわけにはいかない。今、手に届くものに触れようともせずに……遠くに手を掲げても、何にも届く筈がない」 反論には、なっていなかった。ディルトも、それは分かっているのだろう。理屈も通っていない。しかし、言わずにはいられなかったようだった。俯いていた顔を上げる。 「これは命令だ、ウィル。コルネリアス将軍以下、南方の村に留まるレムルス騎士団員の退却を支援せよ」 「……了解致しました」 振り向きもせず答えたウィルの声には、不機嫌そうに聞こえる口調というオブラートに包れた安堵がある事に、ソフィアは無論、気付いていた。 |