CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 1 #04

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 対峙する二つの勢力――即ち、大陸解放軍と帝国領トゥルース駐屯軍のうち、一方がにわかにざわめき出した。城を守護するように陣を敷く重装歩兵隊。その傍から、二つに別れた騎兵と歩兵の混成部隊が森の中に入って行く。これは敵方からも察知できたであろう。但し、こちら側の騎兵部隊は、森の中に入った直後、地の利を生かして裏道に出、戦線から一時離脱する。相手の背後をとるためのこの布石は、敵方に知られないように留意して打たねばならない。
 敵方に伝えていい情報は、三軍に別れた敵と同じように、こちらも三つに分かれ迎え撃つということだ。あちらの思惑では、両翼の二軍はぎりぎりまで伏せておきたいはずだが、こうなった以上、勝負に出てくるだろう。
 出撃の直前、とん、と肩を叩かれて、ウィルは肩越しに後ろを振り返った。――と、頬に指が刺さる。
「これはまたベーシックな御挨拶を」
 頬を引き攣らせたが、ソフィアの指が邪魔をしてうまく表情にならなかったようだった。もっとも、険悪な表情を向けた所で反省するような彼女ではなかったのだが。上機嫌な顔のソフィアが、ウィルの頬に指を突き立てたまま、弾んだ声を出す。
「頑張ってね。言いだしっぺなんだから」
「あー。うん。それなりに」
 どうやら、彼女にはウィルの作戦が分かっているようだった。やはり、彼女は侮れない。
「怖いくらい察しがいいな。君は」
 心からの賞賛を込めてウィルが言うと、彼女はにっこりとして、自分の持ち場の方へと足を向けた。
「ウィルとあたしの仲じゃない♪」
「はいはい」
 ひらひらと手を振って見送ってやったが、ソフィアにはそのぞんざいな仕草が少し不服なようだった。

 ウィルの率いる部隊は、左翼から攻める事になっていた。左翼は先程、王子や騎士たちに説明した通り、三つに分けた部隊の中で最弱の戦闘力しか持たない部隊であった。解放軍の、騎兵隊、重装歩兵隊を除いた中の更に四分の一。予想される敵方の戦力を考えれば、とても突破できる数ではない。だがその分、力を集中させた右翼では楽が出来るだろう。例え、敵の伏兵が彼の予想する通りであっても、元々このような地形も視野も良くない戦場に慣れている傭兵達であれば、さほどの被害は出すまい。そちらの事はあまり考えず、ウィルは自分の部隊とその目の前の敵だけの事を考えていた。
(今迄六年も放置していた相手に、いきなり攻撃を仕掛けてくる。その理由は一つ)
 草木をかき分けながら、心中で呟く。ぷぅんと小さな羽音を立てて飛んできたやぶ蚊が頬に止まったのに気がついて、ウィルは即座に手でぴしゃりと叩いたが、これは間に合っただろうか。戦闘中に痒くなったら嫌だ。
(理由は一つ。最近になって、強力な力を手に入れた)
 相手の将に直接会った事はないが、調査はしてあった。これまでを見れば分かるようなものだが、慎重というより臆病な士官であるらしい。それが交代したという情報も入っていないから、この理由に間違いはないだろう。そして、大量の援軍が流れ込んだという話も聞かない。加入した戦力は少数。で、臆病な敵が動き出すだけの戦力となれば。
(『あれ』だよな)
 苦笑。多数の敵を小人数で効果的に殲滅するという方法が、ある。
 そう考えれば全てつじつまが合った。手軽に同じ事を出来るその力がありながら、投石機などを使用したのはその存在を隠蔽するため。本来、戦う為の力ではなかったはずのそれは、本格的な研究が開始されてより数百年の間に、他には比肩しうるものがないほどに有効な戦術となっていた……
「隊長」
 索敵していた兵士の一人が、近づいてきてウィルに報告した。
「敵部隊の姿、確認しました」
「頃合いだな。じゃ、手はず通り……」
 一呼吸置いて、あまりにも馬鹿馬鹿しくて思わず口許に浮かんできた笑みを、手で覆い隠しながら命じる。
「騒げ」

「始まったわね」
 静寂な森の中で、数十人単位の人間が一斉に上げる声というのは、意外でも何でもないがよく響く。
 これは軍師のウィルが率いる左翼の部隊が上げた、突撃の合図だった。ただ単に、彼らは持ってきたバケツやら缶やらを剣で打ち鳴らし、叫んでいるだけだ。作戦の開始を知らしめるこの鐘は、しかし、重装歩兵隊の進撃の合図ではない。一番目の合図で両翼の伏兵を森からたたき出して、第二の合図で、重装歩兵隊は突撃する。
 左翼は攻撃をまだ開始していないがこちらは違う。戦い慣れた戦士達が、目の前の敵に対し、速やかに刃を繰り出す。
 ソフィア自身は、厳密に言えば戦う事を生業としていたわけではないのだが、戦場に降り立つという感覚は慣れ親しんだものだった。負ける気がしない。根拠はないが、そう、確信する。そして、自分がそう思った時に敗走の辛酸を舐めた経験は皆無だった。
「後はウィルが頑張るだけね」
 多分あっちも大丈夫だ。彼女は不安も疑念も持たず、自分の愛用の武器である槍を振り上げた。

「大丈夫なのかなぁ……」
 自分の馬の手綱を捌く、華麗な手つきとは裏腹な情けない声で呟く青年を、その隣を同じように馬を操り駆けるもう一人の青年が睨み付けた。
「情けない声出すんじゃねーよ、クリス。だからいつまでたってもタレ眉が治んないんだよ」
「ほっといてくれよエルンスト! 結構気にしてるんだからさ!」
 普段ならこの辺りで、幼なじみにして士官学校でも同期だった少女――ユーリンが仲裁に入ってくれるところだが、彼女らの重装歩兵隊は、まだ初期配置から動いてはいないはずだ。
 第一の合図――これは騎兵隊の気配を消すためのものでもあったのだが――は既に上がっていたのだが、怒涛の如く駆ける騎兵隊にはさすがにその音は聞き取れなかった。
「そんな事言ってエルンストは何とも思わなかったのかよ。隊長の作戦に。自分が入る部隊をあんなに手薄にしちゃうなんて、正気じゃ考えられない。その分、ユーリンの所や右側は余裕になるだろうけど」
「……確かに、よく分からん作戦ではあったけどな」
 へそ曲がりのエルンストが珍しく意見を同調させてくる。
「あの人はファビュラスの、歴戦の軍師様なんだろ。大丈夫なんじゃねぇ? 何たって俺ら新卒とは別格のお人だしなー」
「いや、そーいう刺っぽい言い方する事はないけど……」
 タレ眉と言われた眉を、クリスは寄せた。
「隊長ってさぁ」
 ウィルの事である。現在の作戦において騎兵隊の隊長に当たるのは彼ら自身だが、何となくいつもの呼び名が出てしまうのだ。
「ファビュラス出身って事は、本職、軍師じゃないよね?」
「そうだろうな。ファビュラスって言ったら、神官か、でなけりゃ『あれ』だろ。神官じゃないわな。食事前の祈りもしねえもん」
「エルンストだってしないだろ」
 ちなみにクリスはする派だった。信仰心というよりは、行儀作法であるように、彼は教えられていた。
「……大丈夫なんじゃねぇ?」
 ぼそりとしたエルンストの呟きを聞きながら、クリスは手綱を引き絞った。森を抜けて、折り返し地点に入る。

「さてと……」
 深呼吸をするように肺の中から空気を絞り出しながらウィルは独りごちた。
 敵方も、元々こちらの接近に気づいてなかったというわけではなかろうが、いきなり間近で大騒ぎをしてやった結果、警戒をしながらもあちらから接近してきた。
 この不利な状況で敵の懐に斬り込むような真似をするのは自殺行為である。あちらから来てくれるのならば文句はない。相対的な位置関係は気をつければ変わらないだろうが、自分から出向いてやるよりは相手にご足労願った方が楽なものである。
 周囲を見回すと、同行した兵士たちは皆、ウィルよりも後方に下がっていた。こちらも手はず通りである。今、大陸解放軍の最前線にいるのは、本来ならば最も奥まった場所で指示を出しているのが仕事の軍師の青年だった。
 ちらちらと、木々の隙間を縫って人影と、そのうちの幾人かが手のひらに点す光が漏れ見える。――やはり予想通り、敵は『あれ』であるようだった。
「ご同業なら容赦はいらないね。……折角の策が無駄にならない程度には頑張って見せろよ」
 相手に届かない宣告をウィルは終えると、一瞬後からは、周囲の誰一人として意味を解する事ができない言語を紡ぎ始めた。向かい来る敵に呼応するように、身体の前に突き出された彼の腕の先には白い光が点っていた。
 唇から編み出される韻律、呪文と呼ばれる調べが、周囲の魔力を彼の元に呼び、力に変換される――
 魔術士。
 白い巨大な焔――純粋な熱と光が、森の木々ごと辺りを包んだ。

 純白の鮮烈な光が少し離れた森から吹き上がる。
 合図。
「全軍、突撃っ!!」
 自身の体重よりもずっと重い、重装歩兵の甲冑に身を包んだ少女騎士――もっとも、外観では性別を判断できない格好ではあったが――の声が、彼女の指揮下の騎士たちにようやく進撃の瞬間を告げた。

「どうしたの、貴方たちの敵はこっちよ!?」
 意識を、いきなり天を突くように上がった光の柱に向ける男を、叫びながら走り寄ったソフィアは一撃の下に叩き伏せた。
 槍を振るうと、穂先から血の飛沫が散った、森の緑に血の紅。派手な配色だ。そこから目を逸らすようにソフィアも、男が見詰めた空を見上げた。もう光の柱は消滅している。あれが、ウィルの起こした合図だった。
「すごいものだわねー、魔術士って」
 数十人に一人程度しか持てない素質を持った上で、高度な学問と訓練を修めなくては扱えないという、魔術という力を操る人間――魔術士。この希少な能力者は、こんな辺境では見ることさえ珍しい。
 だが、それが、大陸解放軍軍師、ウィル・サードニクスの本来の姿だった。
 多くの魔術士を擁するファビュラス教会から派遣された魔術士であったのだが、片手間に学んだという用兵法の知識を買われて、軍師という立場に落ち着いているだけだった。
 恐らく――
 普段は使わないこの魔術の力を彼が振るおうと決意したのは、相手も魔術士であるからだった。言葉ひとつで炎や吹雪、嵐を呼ぶ魔術士一人に、ただの兵士一人では勝負にならない。だからこそ、片方の軍に十分な戦力を集め、もう片方は自分一人で片付けようと考えたのだ。魔術ほど、多対一の戦闘に向いた戦術は他にない。魔術士同士の対決ならば、何人集まっても魔術の力が強い方に軍配が上がる。
 あの、見た目はどこにでもいるようなぱっとしない青年が、単なる自信屋であるのか、大見得を切れるだけの力量を持った魔術士であるのかは、この戦いが終わればすぐに分かる。実は、ソフィアにはそれが結構楽しみだったりするのだった。

 炎が消えて。
 帝国兵たちはたたらを踏んだ。自分たちに向かってきていたのは一人の男。中肉中背の、特に印象に残るような容姿でもない男であったが、その男が振るった力は、戦場における大いなる脅威、魔術だった。それは希有な力ではあったが、仲間内に魔術士がいるので理解できた。だが――
 彼らの軍の最強戦力である魔術士たちは、己の魔術を放つ前に、そのたった一人の男の術でもって全て打ち倒されていた。爆圧のような圧力に根こそぎ倒れ、或いは熱波に焼かれた周囲の木々と、同じ運命を辿り地に伏せっている……
「う……」
 叫び声未満の悲鳴を、喉元で上げる。
 その彼らの横合いから、がさりと音がした、草むらから、彼らにとっては敵兵である大陸解放軍の兵士たちが姿を表す。
「うわあぁぁぁぁ!!」
 声を爆発させ、数を減じた帝国兵は、彼らの包囲を潜り抜けて逃走していった。――ウィルの狙い通り、森を抜けた先の地点に向けて。

 ソフィアたち――右翼の部隊も、的確に敵を追いつめていった。こちらにも魔術士の部隊は混じっていたが、彼我の人数が違う。その上、傭兵達の中には魔術士との戦いを経験しているものも少なくはなかった。
 押し出すように敵を追い立てて、やがて平地へと彼らは出た。騎兵隊がソフィアの目に映る。あれは……帝国兵だ。囮として用意されたあの部隊だろう。
 突然目の前に現れた味方と敵に、帝国の騎兵たちは動揺したが、的確な判断を下した。まずは目の前の敵を殲滅し、事情の理解はその後、というわけだ。彼らは解放軍に突撃をかけてきた。
 が、援軍がやってきたのは解放軍も同様だった。遅れて進撃を始めた重装歩兵隊が、まるであつらえたようなタイミングで戦列に加わる。
 場は、大混戦になった。お互いが一歩も譲らない乱戦を繰り広げる。
 その均衡を破ったのは、またしても解放軍の方だった。背後からの騎兵隊が到着したのだ。
 形成が急激に傾く中、帝国軍の紋章のついた鎧の男のうち、一人が声を荒げた。
「お、臆するなっ! 単なる奇策だっ!」
「確かにねっ!」
 仲間――ソフィアたちから見れば無論、敵だが――を奮い立たせるかのように叫んだ一人を、ソフィアは槍で突き刺した。苦悶の声を上げ、馬上から落ちる。
(奇策だってよ、ウィル。それで終わらせるの?)
 本来ならば五分五分であったはずの敵の軍勢を前にして、大陸解放軍の勢いは油を注いだ炎のようだった。ここに、ウィルたちが相手をしている左翼の敵と仲間が加われば、後は一気に畳み掛けるのみである。今の勢いであれば、勝てるだろう。
 ソフィアが確信を持って胸中で呟いた瞬間。
 再び、世界が白く輝いた。

 爆風が、鎧を着けた男たちを森から押し出す。
 よろよろと森から出てきた敵兵は、十人強にその数を減じていた。逆に、彼らを追ってきた大陸解放軍の軍勢は、その数を減じてはいなかった。
「おっ」
 ひょいと、顔のあたりに垂れ下がっていた枝を手で避けて戦場を覗き見たウィルは、その視界の中に見慣れた少女の姿を発見した。少女――ソフィアと目を合わせて、微笑を浮かべる。
「もう一発、行くよー」
 それで本当に意識を集中できるのだろうかというような、弛緩しきった声音でそう言いながら、彼は腕を振り上げた。彼の頭上に上がった手のひらに、天上の太陽に負けないような燦然たる輝きが点る。
「みんな、伏せてぇっ!!」
 ソフィアの声を聞き慣れた大陸解放軍の面々は、その甲高い声に、条件反射のように応じる。その上を――
 白い炎が渦を巻いて行き過ぎた。

「……あっけないね」
 つい先程まで帝国軍が我が物顔で占領していた城の上に、頼りなく白旗がなびいているのを眺めながらソフィアは何か物足りなそうに呟いた。
「しょうがないだろ。頼りにしていた魔術士も、持ちうる兵士もぺろっと下されちゃったんだ。ここまで来て元々根性のない奴等が、どうやって抵抗するよ」
「……結局、ウィルの独り勝ちじゃない。ずるいずるーい」
「こんな手はそうそうやんないよ。さすがに今後は警戒されると思うし……何より疲れるし」
「ずるいずるいずるーい」
 ふるふると拳を振って抗議しているソフィアの肩に、本城から到着したディルトがぽんと手を置く。
「いいじゃないか、ソフィア。何はともあれこのトゥルースは帝国の手より開放されたのだ。いつの日かこの大陸全てが今日のすがすがしい日差しを浴びる日を夢見て……」
「そうそう。さて、ディルト様。このまま、レムルス王国奪還のため、王都レムンに向け進軍ですね」
「うむ。いざ進もうではないか。我らが輝ける未来のために」
 ディルトがごまかす気で言っているのか本気で言っているのかはよく分からなかったがともかく、ウィルはそれに同調して喚き続けるソフィアの声を耳から締め出していた。


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