CRUSADE〜The end of "CRUSADE" Chapter 1 #02

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 事実、世界は疲弊していた。

 アウザール帝国。このミナーヴァ大陸の五大国の一国であった、一国に過ぎなかったこの帝国が、各国に対し侵略行為を開始してから半年で、大陸の運命の趨勢は決していた。
 まず、隣国であったローレンシア。国王直属の王宮警備隊程度にしか軍備を持っていなかった静かなる王国は、抵抗らしい抵抗も出来ぬまま、アウザールの手に落ちた。
 そして、次には早くもアウザール帝国は大陸一の大国、聖王国ヴァレンディアに宣戦布告をする。いくら、一王国を制圧した後とはいえ、双方の国力にはまだ歴然とした開きがあったはずだった。アウザール帝国の暴虐に憤りを覚えていた世の人々は、これで帝国を断罪できると確信していた。
 しかし――
 無謀であったはずの挑戦は、アウザール帝国の勝利でその幕を閉じていた。
 その後、帝国軍の前線は南下を続け、大陸最南端、屈強な傭兵部隊を擁していた竜王国フレドリックをもいとも容易く撃破し、広大な国土を持ち、騎士団の実力にも定評のあったレムルス王国を滅ぼしたことにより、アウザール帝国による大陸制覇は成し遂げられたのだった。

 人知を超えた力に、人々は恐怖し、そして囁き合った。
「アウザール帝国皇帝、ルドルフ・カーリアンは人の身なれど人ならぬ者」と。

 そして月日は流れる。慢性化した恐怖と虚ろさを抱きながら。
 世界は疲弊していた。
 だが、絶望はしていなかった。

 当初より、帝国の圧政に苦しむ人々は、大陸の各所で散発的な蜂起を起こしていた。だが統率された組織を持たない彼らの力は小さく、弱すぎた。圧倒的な力を持つ帝国にはまったくと言っていいほど歯が立たず、帝国も、取るに足らない勢力と考えていたようだった。
 しかし、一人の指導者の出現で、その流れは変わろうとしていた。
 レムルス辺境トゥルースに落ち延びていた、レムルス王国王太子、ディルト・エル・レムルス。
 彼は今までお互いのつながりを持っていなかった各地のレジスタンスの指導者達に使いを送り、自らの王国騎士団員達を核とするひとつの組織「大陸解放軍」として纏め上げようとしたのだった。
 徐々にその努力の成果が表れ始め、今は帝国との決戦に向け、力を貯えている……現在の状況は、ちょうどそんな時だった。



「ふむ……」
 分厚い石の城壁に穿たれた無骨な窓から外の様子を探りながら――いや、眺めながら、大陸解放軍本部隊隊長にして軍師たる青年は、ひとつ息を吐いた。目をすがめると、遥か遠くに隊列を組んでいる兵士の集団が見えた。目に見える先にいるのは一小隊ほど。まさかそんなもので、あちらから見れば数多の反帝国軍の一つにすぎないとは言え一軍の本城に仕掛けてくるわけはないだろう。明らかに囮である。いきなり敵の本城を叩いてくるくらいだから、愚直な騎士道精神に駆られた馬鹿か愚直な出世欲に駆られた馬鹿か根本的に何も考えてない馬鹿であろうと思い、それはもう気持ちよさそうに数で劣るこちらを全軍で取り囲むくらいはするかと思ったのだが、さすがにそこまで真性の馬鹿ではないようだった。人間の二、三倍の高さの、塔のような投石機も律義に下げたようで、それが二機ほどある。
「どうした、ウィル。浮かない顔だな。心配事でもあるのか?」
 そう問うのは、レムルス王国王太子、解放軍盟主のディルト。濃紺のマントを肩から後ろに流し、銀の剣を携えて、歴戦の騎士を思わせる威風堂々としたいでたちであったが、彼は戦闘を経験した事はなかった。無論、解放軍がこの地に居を構えてから六年の間に、この近辺に駐留する帝国の小部隊と小競り合いをした事はあるが、この王子の眼前でそれが繰り広げられる機会など未だかつてなかった。が、戦闘を目前にした恐怖に足を竦ませているかと思いきや、そうでもない。蒼玉の瞳は、何かに対する期待とウィルには理解しがたいある種の確信に満ち、輝いてさえいる。
 それを見て、ウィルは更に吐息した。今度はあからさまな溜息を、はぁー、と遠慮なく。
 このあてつけにも、王子は動じない。いずれ王の座につくに相応しい度量の現れであるというよりは、ただ単にそれがあてつけであるという事すら分かってない愚かさであろう。
「一旦は攻めてきた敵だが、恐れをなしたかかような位置まで下がっている。ここは反撃に移るべきだろう」
 自信に満ちた声音。それは確かに、王者の威厳に満ちていた。それだけを聞いたなら。
 分かっていないならそれでいい。憂さ晴らしに活用させてもらおう。ウィルは密かに決心して呟いた。
「シミュレートしてみましょうか? あの敵に向かって全軍で出撃。横合いの森の中から伏兵に攻撃されておしまい。以上」
「…………」
 若き王子は沈黙する。若きとは言っても、ウィルより一つばかり年上ではあったが。
「……あれは囮であると?」
「どこからどう見ても百二十パーセント完膚なきまでにそれそのもので、こっちが囮だと分かってて手が出せない事を想定しているとしか思えないくらいの囮です」
「…………」
 ようやく少ししゅんとしたその姿に哀れを感じたわけではないが、嫌がらせモードを終了する。
「敵があの部隊だけなら、いくらなんでもこっちの手勢で楽に倒せます。でも、あんなのちょっとそこいらに見回りに出る程度の規模でしかない。いくらなんでも敵本城に手を出してくるわけはありません」
 大陸解放軍の軍勢は、アウザール帝国軍と比べると貧弱どころの騒ぎでは済まないほどだった。大人と赤子、獅子と猫、雷と冬場の静電気ほどの格差がある。具体的に言い表すとなると、兵の数だけならこの辺境の一地方トゥルースに駐屯する一中隊だけでも、どうにかという勝負をする事しか出来ない、という程度である。もっとも、それは裏返せば、トゥルース駐屯軍は援軍なしでは苦しい戦いを強いられるという事にもなる。
 だからであろう。帝国の紋章を掲げる敵軍が、自分たちを放置しておいた理由は。――最初は、相手をする必要性がないとの判断だったかもしれない。だがウィルは、自分が攻め手であったなら、多少の犠牲を払っても、微小な勢力であったうちに何かしらの策を確実に講じていると思った。それを、今ごろになって行動行動を起こす理由が見当たらない。
(いや)
 自分の思考に、指摘を入れる。急に強気になり出す理由は、単純に考えればひとつしかない。
(投石機なんてものを使ってきたのが気になる。あれこそが囮じゃないか?)
 投石機は攻城戦に使用する兵器である。城攻めにそれを持ち出してくるのは分かるが、そのまま下がっては意味がない。野外で人間に対して使った所でそうそう当るものではないのだ。使用コストも馬鹿にならないのに、そんな使い方をするとは思えない。なら問題は何故、あんなものを持ってきたのか、だ。
 頭の中で、バラバラの線が徐々に繋がっていく。
「ウィルー」
 唐突に、ディルトとはまた違った能天気さも垣間見える声に思考を遮られ、ウィルは睨むように眺めていた窓から、室内へと視線を動かした。
 部屋のドアから、ひょこんと、戦場に不似合いな容姿をした少女が顔を覗かせていた。
「ソフィア」
「準備は終わったよ。中庭とホールに皆待機してて、号令があればいつでも行ける」
「ああ、分かった」
 返答したウィルは、傍らのディルト王子を視界に入れないように留意しながら、目を窓の外に戻した。目を合わせたら最後、全軍突撃という勇猛果敢にして荒唐無稽な指令をこの正義かぶれの王子は出しかねない。今からかってやった矢先なので、さすがにそうまではしないだろうが、ウィルは完全に否定できない可能性はなるべく無視しない性格だった。なるべく、という所が細かいのか大雑把なのか、他者に判断を苦しませる点ではあったのだが。
 ソフィアは、軽い足取りで部屋の中に入ってきた。部屋には、軍の(名目上の)最高指揮官であり、本来ならば平民などがこんな近さで目通りする事など許されない身分の王太子殿下がいた、いや、いらっしゃったのだが、彼女はその程度の事に躊躇するような少女ではなかった。それでも上官であるウィルには敬礼の一つもしてこなかったが王子には頭をぺこりんと下げて、その前を通り過ぎる。
「どんな感じ?」
「んー。あんな感じ」
 言って、鼻先で外の様子を指し示す。こんなまがりなりにも作戦に関することは、レムルスの騎士ですらない義勇兵の一人の彼女が口を挟む領分ではないのだが、彼女にそんな事を言ったところで無駄なのは、ウィルもディルトでさえも分かっていた。どれどれ、と、お気楽そうに手を目の上に当てて遠くを見る彼女の目は、ディルトと同じようにきらきらとしていた。
「ああ。これは下手に突っ込んでは行けないねー」
 が、言う事はディルトとはさすがに一味違う。一目見ただけで、ウィルと同じ判断を彼女は下した。
 ――この大陸解放軍に参加する兵士は、大まかに三パターンに分類される。
 ひとつは、この軍の中核である、元レムルス王国の騎士団員。戦前から仕えてきた実力ある騎士の他に、戦後、まさに解放軍のためだけに機能してきたと言っても過言ではない士官学校で高度な教育を受けたレムルスの名家の子弟たちがここに分類される。かつては「騎士の国」とも呼ばれた王国の、名のある騎士団員である彼らは、紛れもない戦争のエキスパートであった――が、実は、その中の多くは今現在、ある程度拮抗した力関係を保つこのトゥルースを極秘に離れ、激戦の続くレムルス中央部へと加勢に行っている。今いるのは、去年だか今年だか、学校を卒業したばかりの新米指揮官たちが多かった。
 二つ目。これが数的には最も多いのであるが、一般からの義勇兵である。故郷に土足で入り込んできた帝国に憤慨し、レムルスの王子という旗印の下に結集した彼らの本職は、レムルス全体の就業業種の分布通り、圧倒的に農民が多かった。そこいらの騎士よりは余程身体も鍛えられていようが、鍬を扱うのと剣や槍を扱うのとは多少勝手も違うらしい。
 そして、最後に位置するのは――これも、同じく名目上は義勇兵となってはいるが、前者とは大きく異なる職を持った者たちである。傭兵――文句なく、名実ともに完全なプロフェッショナルの兵士たち。
 無論、あまり裕福とは言えない財政状況の中、十分な報酬を払えるはずはないので、王国奪還後の成功報酬という約束になっている。が、それはお互い納得ずくの方便であると言ってもよかった。強大な帝国に対し、一国の王子が率いるとは言え辺境の反乱軍に過ぎない彼らが戦いを挑む事を考えれば分かるだろう。
 それでも祖国の解放を望んでか、万が一の莫大な報奨金を夢見てか、協力を惜しまずにいてくれる彼らの、こと白兵戦において騎士をも凌ぐ戦力は、実に貴重であった。
 言うまでもないが、ついでに見た目では分からないが、ソフィアはこの三番目に当たる兵士だった。何でも、元はトレジャーハンターという事らしい。何にでも興味を持つ彼女にはまさに天職といえるかもしれない。
「で、どうするの?」
 ソフィア本人としては完全に邪気のない、くりくりとよく動く猫のような瞳が、ウィルには小悪魔のそれのように見えたというのは、とりあえず彼女には内緒にしておくことにして、ウィルは自分の顎に手を当てた。齢十八になっても髭の生えない細い顎を撫でながら、考えているそぶりを見せる。実際のところは、進軍にあたっての計画は、彼の中ではもう出来上がっていたのだった。
 彼はソフィアに、数名の騎士の名を上げ、この場に集めるように指示した。


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