女神の魔術士 Chapter 5 #1 |
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第5章 甘い薬の飲ませ方 かつて――今は懐かしさを感じることしか出来ない遠く遥かな思い出が日常であった頃。あの頃はことあるごとに幼い彼女に様々な贈り物をしたものだった。聖誕祭に誕生日、新年の祝いに成長祈願の儀式。誕生祝あたりならばともかくとして伝統的な儀式の折には大概何を贈るべきであるかは慣習的に決まっているものだったのだが――例えば七歳の春の祝いには、淑女の仲間入りをするという意味で髪を結い上げる為の髪留めを贈る慣わしがあった――そういった決まりものの贈り物とは別に、彼は彼女が喜びそうな何かを添えて贈ることにしていた。件の七歳の春の祝いの時には確か、大きなくまのぬいぐるみを添えて贈ったように記憶している。……いや、それは七歳の誕生日の方であっただろうか。 ――まあ実際にいつ何を贈ったかの記憶はさておくとして、そんなわけで、彼は彼女と知り合って以降、彼女への贈り物の贈呈を習慣としていた。そういった品物は遠き彼女の国に直接届けさせていた為、彼はそれが開封される様を実際に見たことはなかったのだが、まず届いた当日に即返信せねば届かない日数で到着していた礼状にしたためられた彼女直筆の、あまり上手くはない文字で一生懸命に書かれた感謝の言葉の数々を見れば、その贈り物たちがいかような歓喜を伴って彼女の目に披露されたかは容易に想像がつくことだった。夜会の貴婦人の衣装のように華やかな包装で飾り付けられた贈り物を見た彼女は、その内容物が何であるかは知らずとも自分を感激させるものであるということは間違いないと知っていて、期待に目を輝かせ、心をはちきれんばかりに躍らせながらリボンを解く手ももどかしく待望の中身を検分したことだろう。 そう、今実際に目の前にいる彼女がそうしているように。 ソフィアが今目の前にしている、人の身丈よりも大きな包みは、華美でもなんでもない至って地味な生成りの布に包まれたものであったが、その中に入っているものはどうやら彼女にとっては何十もの宝石にも匹敵する輝きに満ち満ちた何かであるらしかった。そのきらめきは目の前のそれを鏡のように映す彼女の瞳に燦然と輝いている。 その包みは、先日彼らの元へやってきたブランがヴァレンディアから運んできてソフィアに渡したものだった。兄との遠隔通信装置での会話によれば、あらかじめソフィアがリュートに頼んでおいたものであるらしかったが、ウィルはそれ以上の事情は知らなかった。知りたくもなかった。予想はつくが知らないことにしておく。絶対にその方がいいものである気がする。 しかしウィルの心情がどうであれソフィアにとってはそれは心から到着を待ち望んでいたものであったようで、背後でげっそりとした顔をするウィルなど一顧だにせず、感慨深げにテーブルの上に横たえたそれをじっくり眺めてから徐にその布を取り払い始めた。 「うふふー♪ 今まで放っておいてごめんね。でももう大丈夫だからね、これからはちゃあんと毎日使ってあげるからね……♪」 あまつさえそれに対してなにやら非常にうっとりとした声音で話しかけていたりする。包装を解くソフィアの手の動きは非常に緩慢なものであったが、それは逆に内容物に対する逸る期待を抑える為に彼女が強靭な精神力にて自制をかけているように見えた。 少しずつ少しずつ布は取り払われていき、中身があらわになってゆく。まず可視光の元に晒されたその物品の中央部は、金属であるのか木材であるのかも一見した所では判然としない不思議な素材でできた一本の棒のようなものだった。続いてその棒の先端を覆い隠していた布地を、母親がわが子の外套のフードを取ってやるかの如き優しさでソフィアが払うと、そこからは丸みを帯びた幼児の顔などではなく、冷厳とした光沢を持つ鋭利な金属の刃が現れた。同様にして最後の下部の布地を払うと棒の反対側の先端にこれまた鋭利な石突が見えた。全貌を白日の下に現したそれを見て、ソフィアの瞳がしっとりとした熱を帯び、頬は薔薇色に染まる。 そこにあるのは、見まごうことなく槍だった。金属部には複雑な魔術文字が文様のように刻まれていて、その部分だけを見れば美術品としての価値も認められそうではあったがそれは、人の心を安らかならしめる文化の寵児では決してなく、人に危害を加える為だけに作られた厳然たる凶器であった。 繊細な見目ながらもその実、金属同士を激突させあう酷使にも耐えられるよう頑丈に作られたそれを、しかしソフィアは壊れ物を扱うかのようにいとも大切そうにそっと両手で取り上げ―― 「ホワイトウィンドぉ、会いたかったっ!」 まるで恋人との感動的な再会のように、歓声を上げて抱擁した。 ウィルは、はぁぁ、と深い溜息をついていた。肩に重くのしかかるような疲れを感じながら、いまだに槍をかき抱いているソフィアから目を逸らす。この世の幸せを全て掴んだかのような表情でぎらぎらした刃物に頬ずりしている少女の姿というものは、それが心より愛する恋人であるにも関わらず、なんかもう色々怖すぎて何もかも見なかったことにしたくなってくる。 ソフィアの持つその槍についてはウィルも見覚えがあった。魔力槍ホワイトウィンド。古代の高度な魔術が付加された強力な魔術武器で、元々はブランの持ち物であったが戦乱の末期、とある経緯によりソフィアの手に渡ることになった物である。しかし確かこの武器はかの戦乱の最後を飾った一戦にて、その決戦の地となった敵城の地下奥深くに失われることになったと思っていたのだが…… その問いについてはブランが解答を持ち合わせていた。 「アウザールの城を調査するときに見つけたらついでに回収するように、ソフィアさんがリュート様にお願いしていたらしいわ。状況が状況だけに、本当に見つかるかどうかは分からなかったけれど」 「成程ね。まあ、最終決戦の地をほったらかしにしておくわけにはいかないもんな」 かの地での決戦に立ち会った人間は少ない。ウィルとソフィアと、それに相対した敵手のたった三人のみである。そのうち敵手は現世での出来事を語る口を無くし、事件の証言者はウィルとソフィアのみとなっている。二人の言をリュートが信用していないというわけではないだろうが、恐らく大陸史にも残るであろう大事件の客観的な事実を確認することは国として不可欠な仕事であるのだろう。 「で、あいつ……は?」 どう尋ねていいか分かりかねたので意味が通るかどうかすら怪しい非常に曖昧な言い方でウィルは尋ねた。かの戦争で、ウィルが最後に手をかけた人物――魔力槍ホワイトウィンドと共に、己が城を墓標として埋葬されたかの人物の発見こそが、その調査の主要な目的であるはずだった。ブランはウィルの言うあいつという代名詞が指す先を正しく汲み取ってくれたが、しかし答えは首をふるふると横に振ることで返された。 「見つかっていないわ。アウザール帝国皇帝、ルドルフ・カーリアンの遺体は」 「見つかっていない?」 ウィルは彼自身が思わず濁した部分を元は彼の配下であったこの少女がはっきりと口にしたことと、告げられた内容について二重に驚かざるを得なかった。が、その驚愕をウィルは少なくとも極端に分かるようには表出させなかったし、当のブランの方もごく冷静に頷いて見せるのみだった。 「ええ。でも、これはホワイトウィンドがたまたま予想外に早く見つかっただけという話で、調査自体はまだ十分の一も進んでいない状況なのよ。だから、まだ発見されていないとしても不思議ではないわ」 「……そうか。そうだよな……」 間違いなく、奴は死んだはずである。致命傷を負った所までは確認したものの、その後実際に死亡を確認したわけではないのだが、彼の命が尽きたことはウィルには分かるのだ。 それは感覚的なものではあったが、感情論ではなかった。皮肉にも相手が彼にかけたひとつの魔術が告げた、紛れもない事実だった。 首筋に、己の心中を発生源とする薄ら寒い気配を感じて、ウィルは軽く指先で掻いた。 ――そもそも、仮に調査が全て終了した所で、現場は死体が発見されなくともおかしくはない程の状況であるはずだった。横たわる躯は降り注いだ膨大な瓦礫に微塵に砕かれて濁流に流されつくしてしまったかもしれない。それほどにかの戦場は凄惨な状況と化して、全ての幕は下りた。だから、ウィルの感覚を除外しても状況的に絶対に生きているはずはない…… 「ねえっ、ウィルっ!」 唐突に頭上から降ってきた朗らかな声に、ウィルの思考は中断された。記憶の中の冷たく湿った暗闇を切り裂いた現実の光の中に、愛らしい少女の姿が浮かび上がる。その光景にウィルは一瞬、天から差し伸べられる救いの光のような尊さを覚えたが、それは単なる錯覚であったということを次の瞬間には悟っていた。甘やかな笑顔を浮かべた彼女の姿は確かに天使のように美しいが、大切そうに抱きしめる槍がどう見ても天上からの慈愛の手とは対極の凶暴さを備えていて、思わず椅子ごと身体を引いてしまう。 「何だよ……何か用?」 猛烈に嫌な予感を全身に感じながら、ウィルは白々しくもそう尋ねた。今はリエリアは得意先回りとのことで席を外しているのだが、その隙にソフィアを差し置きブランと二人だけで話し込んでいたのを発見したのでそれを咎めにきた――という理由であった方がまだこの際はよかったと思われるくらい、そのソフィアの屈託のない笑顔はウィルの心の警鐘を乱暴にかき鳴らした。今のソフィアのその笑顔は特に裏表のあるものではなく見た目通りに上機嫌の発露であるのだが……彼女の不機嫌は非常に怖いものだが上機嫌も負けず劣らず怖いということをウィルは知っている。 ウィルの返答を待つとソフィアは心底嬉しそうに用件を述べてきた。 「ねえ、ウィル! 訓練しようよ!」 「阿呆かっ!?」 九割九分の予想がついていたその発言にまばたき一回分の隙も置かずに返答すると、流石の彼女もやや面食らった顔をした。いきなりそんな罵声を浴びせかけられるなどとは微塵も思っていなかったようである。 「な、なによう、いきなり阿呆だなんて酷いじゃない」 「その槍で! 本物の刃物を使って実戦形式の訓練をしようと言ってるんだろ君は!? そんな馬鹿げた真似をさも嬉しげに提案してくる人物を阿呆以外の何と称すればいいんだ!?」 激昂するウィルを見て、ソフィアはたじろぎながらも口をすぼめてみせる。 「な、なんでよー。別に何も槍対素手で戦おうって言ってるんじゃないわよ? ウィルは剣も魔術も使ってオッケー。ほら、これって互角の条件でしょ?」 「更に阿呆かっ!? 阿呆ここに極まれりか!? 互角とかそういうのを問題にしたいんじゃない、どれだけ気をつけるという前提だろうと、遊びで刃物を持って向かい合う時点で人類として失格だと言ってるんだ!」 「遊びじゃないよー、訓れ」 「君にとっては遊び以外の何事でもないだろうがそれは! いくらその槍が俺やカイルの術を通さないほど優れた魔術武器だからって、危険なことには変わりないもんなんだよ……ってかその条件だと互角ですらないって今言いながら気づいたぞ!?」 ウィルは叫びながら判明した絶望的な事実により一層声を荒げたが、しかしソフィアはウィルが全身全霊を込めて訴えたい所とは全く違う部分に瞳を輝かせた。 「えっ、ウィルこの槍と戦ったことあったの!?」 「はっ?……ああ、まあ、ブランが持ってた頃に」 うっかり答えるウィルに、ずいとソフィアが詰め寄ってくる。 「ずるいー! うらやましいっ! ウィルそれひどいよおかしいよ! ブランがよくて何であたしは駄目なのっ!?」 「はぁ!? そういう問題じゃないだろうが!? そのときブランとは敵同士で止む無く本気で戦わざるを得な……」 「あたしもあたしもっ、本気のウィルと戦いたいっ! 戦いたい戦いたい戦いたいーっ!」 「ってソフィアやっぱり訓練じゃなくて本格的に斬り合いたいんじゃないかー!」 尚も、とても恋人同士の会話には見えない物騒なことを喚き合う二人を、ブランは複雑な苦笑を浮かべて見つめていた。 ――結局数分後、二人は宿の裏庭で向かい合っていた。 「いいか、繰り返すけど、訓練じゃなくて実験だからな。何を撃つからこう返す。それをお互いに宣言してから撃ち合う。分かった?」 「分かってるわよーう」 くどくどと念を押すウィルにソフィアはさも不服そうに唇を尖らせて応じた。ウィルの提示した妥協案を不承不承受け入れはしたものの、やはり全く納得はいっていないらしい。それでもウィルから十メートルほど離れた位置に対峙するソフィアは、見るからにやる気なさげに立つ彼とは対照的に十分に気合を込めて槍を構えているのだが。 不承不承なのはこっちだ、とウィルとしては言いたい気分でいっぱいだったが、折り合わない意見を折り合わせるにはある程度の妥協も必要というのが世の常というものなのだろう。ソフィアが主張するには、 「魔術武器は性能を頭で理解してるだけじゃ使いこなせないのよ。効果範囲が体感でどれくらいなのかとか、機能にどのくらいの発動遅延があるかとか、ちゃんと身体で覚えておかないと」 とのことであった。ウィルは魔術武器を使ったことはあまりないが、その代わりに魔術自体は飽きるほど使っているのでその理屈は分からなくはない。魔術は実際に発動してみないことには射程も効果も見えないのである程度の慣れがないと間合いを掴みにくいというのは確かなことである。「それを実戦で使いながら覚えろって言うの?」と言われては、流石にそうしろとも言えない。――と言っても、あの戦いではこれを彼女は練習などなしで使ってはいたが。 ソフィアの持つホワイトウィンドの能力は非常に優秀で、ウィルが全力で放った魔術はおろか、ウィルよりも更に威力のある術を使うファビュラスの大神官の技をも難なく受け止め無効化せしめることが出来るのは既に立証されている。故に真正面から撃ち、真正面から受け止めれば彼女を傷つける危険は少ないであろうとは思われたので、そういう方法でならと妥協を示したのだ。ウィルは手の感覚を確かめるように二、三度指を握ったり開いたりしてから最後に五指を開いてその手のひらをソフィアに真っ直ぐに向けた。 「それじゃ行くぞ。光線の魔術」 「んじゃこっちはもやみたいので魔術を打ち消すね。力、変に抑えないでよね、実験にならないから」 ソフィアの返答に頷いてからウィルは呪文を唱え始めた。今使おうとしているのは普段なら呪文を唱えるまでも無い、彼にとってはごく簡単な部類に入る攻撃魔術に過ぎないが、魔術士と相対する戦士からすれば呪文は相手の攻撃のタイミングを知る重要な要素になるので、ソフィアに知らせる為に敢えてそれを正確に口ずさむ。 言葉が紡がれるに従って徐々に、少女に向けて伸びる手のひらの先に攻撃的な力が宿りはじめる。近しい相手に、それも誰よりも愛しい少女に向かって殺傷力を向けることに微かな恐怖の混じった緊張感を覚えてウィルは眉を顰めた。子供の頃、日常的に行っていた魔術戦闘訓練では、相手が自分を遥かに超える能力を持つ魔術士であったこともあって、かなり強い魔術を気兼ねなく放っていたものだが――それとこれとは別である。別に彼女の能力を信用していないという訳ではないが……恐らくは、直接的な戦闘技能に関してなら当時の兄を超える能力を今の彼女は持っているのではないかと思うが……うーん、何が別なのだろう……やっぱ愛するが故って奴? 思わずにやけそうになった所ではっと軌道修正し、現実の魔術に意識を戻す。幸いにして寝ぼけていても構成できる程度に手馴れた魔術には特に邪念の影響は発生しておらず、ウィルは攻撃に切り替えた全ての意識をその力だけに収束させた。 「撃つよ」 最後の宣言だけは呪文言語たる古代神聖言語でなく現代語で告げて、ウィルは力を解き放った。 「『白き烈風』よ!」 呼応して叫んだソフィアの前に、白く輝く颶風が巻き起こる。 ウィルが放った光の筋は白い風の壁に突き刺さるや否や、柔らかいクッションに落としたボールのように包み込まれて収縮し、さあっと縦に渦を巻いて煌きを放ちながら消滅した。 「わぁっ……やっぱり爽快ね!」 吹き散らされる魔力の燐光を目で追って満面の笑みでそう感嘆してから、ソフィアはすぐさまウィルに向き直る。 「オッケ、次。ニ、三発連続で頂戴」 「三発、半秒ずつずらしてさっきと同位置に。いい?」 「位置もずらしていいわよ?」 「ダメ」 けちーと続いたソフィアの言葉を聞き流し、ウィルは先の光線と寸分違わず同質同量の力を三つ、作り上げる。 「撃つよ」 再度の合図と共に光を解き放つ。魔力の光線は宣言通りにそれぞれ半秒ずつの間を空けて発射され、別々の円弧を描いてソフィアに迫った。軌道は別だが着地点は同じであるし彼女の運動能力ならば大丈夫だ、とは思いつつも、何か問題が発生した際にはすぐさま対処できるようにとウィルは先ほどのように白霧を周囲に撒く少女をじっと凝視する。 光は少女の前にわだかまる白い風にすっと飲み込まれ、やはり一度目と同様に収縮、霧散する――が。 「!?」 その風の残り香の中を突っ切って、槍を構えてこちらに疾駆してくる少女の姿にウィルはぎょっと目をむいた。向かい来る薄茶色の瞳が今まさに悪戯を成功させようとしている悪餓鬼のように爛々と輝いている―― 「ちょ! ソフィア、」 「撃って」 真っ直ぐに接近しながら、長大な槍を器用にくるりと回転させて構えを整えるソフィアが有無を言わせぬ口調でそう告げる。あと数歩で少女の間合いに入る――多分、間違いなく、彼女は渾身で突いてくる。 「こら! 約束が違うだろう、おい!」 と言葉では返しつつも彼女を言葉で止められるはずもなく。ウィルはやむなく迎撃の、軽い圧力を生む魔術を放った。それを、槍の一振りで余裕を持って捌くソフィア。そんな彼女の戦闘中の表情とはとても思えない満足げな微笑みに、完全に彼女の策略に嵌った――いや、嵌っていたことに気がつく。 「最初っからこれが狙いかぁぁぁっ!!」 「うん♪」 言い訳する気もさらさらないらしい彼女は、悪びれもせずにそう頷いて、遠慮のかけらもない速度で槍を繰り出した。 |
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