女神の魔術士 Chapter4 #7

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 ウィルが宿に辿りついたその直後に、店員か他の誰かが呼んだ警備隊の駐在騎士が到着し、その後の事件の後始末は全て彼らの手に委ねられた。男たち――食堂で倒れていた六人と二階の廊下で倒れていた三人はいずれも命に別状はないものの多くが重傷を負っており、回復を待ち事情を聞くと言うお決まりな説明をウィルたちは受けた。どうやらソフィアの見立て通り薬物を使用していた可能性もあるらしく、直接の殺人未遂という罪状以外にも何らかの余罪や背後関係があると見て厳しく追及していく――らしいがウィルにとってはどうでもいいことだった。それは騎士たちの仕事であるし、
(もし本当にこっちと関係がある相手なんだったら……どれだけ追及したところでぼろなんて出さないだろうしな)
 暗澹とした思いでそう認識していたからだった。

「やー。それは気の毒なことをしちゃったわね。大神官様に」
 ウィルとリュートが交わした会話の概要をウィルの口から全て聞き終えて、ソフィアが発した第一声はそれだった。
 事件当日は夜だったこともあり、翌日の午前中に回された事情聴取がいかにもお役所仕事らしく長引きに長引いた挙句実況見分にまで付き合わされた結果、結局事件後初めて落ち着いた時間を得たのは丸一日近く経とうとしている夕刻になってからだった。本来リエリアの護衛はウィルとソフィアだけだが、ブランに少しの間だけ任せることにして、夕食を終えた後、二人だけで宿の一室でベッドと椅子に座って向き合っていた。ブランの方はリュートから事情を聞いているかもしれないが、さすがに部外者であるリエリアには聞かせられる話ではない。
「いや、大神官、ていうか」
 どこかピントの外れたソフィアの言葉に、ウィルはまごまごと突っ込みを入れる。しかしそんなウィルの困惑が絶対に分かっていないソフィアは何やらよく分かったような調子で腕組みをしてうんうんと頷いている。
「いわゆる義理と人情の板ばさみって奴でしょ。つらい所よね。だからってあの時に殺されてろとか言われてもあたしも困るんだけどさ。でも人情を取って折角の地位を放り出すなんてなかなか出来ないわよね。大神官様かっこいー」
 支離滅裂というほどでもないがどうにもあちらこちらに焦点の飛ぶ彼女の発言にウィルは少し疲れて、右手でぽりぽりと後頭部を掻いた。
「じゃなくてさ。あのさ、分かってる? 自分の命が狙われてるんだよ? 他人を気の毒がってる場合じゃないと思うけど?」
「分かってるわよ、それは。あたしだって少しびっくりしたのよ」
 座ったままベッドのスプリングでぽよぽよと跳ねながら、ソフィアは少し難しい顔をした。考え込むように一旦飛び跳ねるのをやめて、俯く。その様子にウィルは、ソフィアは唐突に告げられたこの事態に混乱に陥らないようあえて普段通りのペースを維持していたのだと感じ、そっと細い肩に手を伸ばした。
「ソフィア」
「……ウィル」
 顔を上げ、深刻そうな視線で見上げてくるソフィアに、ウィルは出来る限り彼女の心を安らかならしめようと優しい微笑みを向ける。じっとウィルの瞳を訴えかけるように真剣に凝視したまま、ソフィアは呟いてきた。
「ウィル、このベッドのスプリングあんまりよくないわ。やっぱり安宿ってだめね」
「ソーフィーアー!?」
「な、何怒ってるのよ?」
 心底訳が分からないらしくぎょっとして身を引いたソフィアに、激昂しかけたウィルはしかし割とすぐに気力を使い果たしてがくっと肩を落とした。
「その上何がっかりしてるのよ」
「いやもー少しは恐怖とか緊張感とか持った方が、っていうかソフィアだもんなしょうがないよな俺が悪かった」
「挙句の果てに何勝手に納得してるのよ」
 むう、と少し機嫌を損ねたように唇を突き出すソフィアをウィルはうつむいて垂れ下がった前髪の隙間から睨むように見て溜息をつく。そんなウィルに向かってソフィアは頬を膨らませて見せた。
「恐怖はともかく緊張感は持ってるわよ。恐怖は持たない方がいいでしょ。変に怯えてちゃ満足に迎え撃つことも出来なくなるもの」
「そりゃそうだけどさ」
 別に事態を軽視していたわけではないらしい。軽視どころかしっかり殺る気モードにまでなっている部分には一抹の不安を覚えたがとりあえず口には出さずウィルは曖昧に頷いた。恐らく彼女に言わせれば、戦場にいた頃と同じじゃない、という感覚なのだろう。確かに戦時中は常に己の命を殺意の刃の前に晒し続けている状況にあり、ウィルにしてもそれは同じであった為、生命の危機というものに対し何とも有難くない事にある種の慣れはある。あることにはあるが、狙われているという事実を突きつけられたばかりで、しかもそれを裏付ける可能性もある出来事につい二十時間程前に遭遇したばかりで、そのことよりも本日の宿のベッドの良し悪しを心配出来る程には慣れていないでいたいし慣れていないで貰いたい。
 と、ウィルが前日の襲撃の件に思考を移したことに気がついたというわけではないのだろうが、ソフィアもふと思い出したように視線を天井に向けて呟いた。
「ねえ、やっぱり昨日のあれもそれ絡みだったのかしらね」
 たった今、関連性について考慮してはいたのだが――しかしウィルはしばしの間黙考し、己の考察を否定する形で首を横に振った。
「正直、分からない。あれは明らかに教会の人間じゃなさそうだし、教会は基本的にあんまり外部の人間を使うのを好まないから……」
 違う――と思うのだが、何分ウィルは教会に所属しているとはいえ裏側までくまなく知っているというわけではない。その表側から見た教会の体質がそのまま適用されるのかどうかという所までは判断つかなかった。
(リュートの奴はもっと詳しく知っているんだろうか……)
 ふと、兄の顔を思い出す。ウィルが偶然にしか知りえなかった教会の側面を既に熟知している様子だったリュート。その知識はどこで得たものだったのだろうか――。彼と大神官は古くからの友人で、親友と言うべき間柄であったが、しかし当人の口からこの暗部について直接聞いたというわけでもあるまい。国家機密として教会側に知られないようにしている秘密など、こちら側にだっていくらでもある。
「……じゃあ何なのかしらね。あれ」
「警備隊の話通り幻覚症状を呈した薬物中毒者の迷惑行為……って訳でもないだろうしね」
 彼女らのみを執拗に狙い続けた理由については、あの猥雑な食堂において美女美少女三人組がどれだけ目立っていたかを考えれば説明が付かないこともないが、二階にまで伏兵を配置していたとなれば話は通らなくなる。警備隊側では幻覚症状を呈した薬物中毒者の迷惑行為、という説明の裏で犯人一味を彼女らとは基本的には無関係な窃盗団と当たりをつけて捜査を始めているらしいのだが――
 うーん、と二人で唸り声を上げて、けれどもそれ以上の結論を出すことはどちらも出来ずに、殆ど同時に思考を放棄した。あーあ、と息を吐きながら、ソフィアは後ろに手を付いて、くたりと仰け反る。
「刺客ってのもあのくらいならどうってことはないと思ったんだけど、よく考えたら大神官様の後釜なのよね。下手な人間を寄越してくることもないか」
 ソフィアが何気なく呟いた言葉に、彼は苦い顔をした。リュートから教会の目論見を聞いてウィルが受けたショックの内訳は、自分の身内である組織に名指しで狙われるという精神的負荷もないではなかったのだが、ソフィアが言ったそれが実はウェイトの過半を占めていた。
 前任者――カイルタークの純粋な戦闘能力は、大陸解放軍において最強とすら言われる兵士であったソフィアと比較しても全く引けを取らなかった。むしろ彼には魔術がある分、戦術の幅ならばソフィアよりも広い。歴史上屈指の魔力量を誇る彼が教会の暗殺者として平均値であるとは思いたくはないが、教会とて有能な人材を大陸中から選りすぐって大神官候補を選出するのであろうから、それに限りなく近しい力量の人間が採用されるに決まっている。そう考えれば、今後それらとまともにやりあっていくとなると相当な苦戦も覚悟しなくてはならない。ブランが――あの、見た目はか弱い少女ながらも実はかなりの力量を誇る騎士である彼女がこちらに送られてきたのも、恐らくリュートがその点を危惧したからに他ならない。
「……ウィルは心当たりないの? 来そうな人に」
「うーん」
 顎を撫でながら息を漏らす。そのあたりは昨日の時点から考えてはいたのだが。
「全然目星が付けられないんだよな……。次の大神官候補は、水面下ではどうなってるかは知らないけどまだ噂すら聞いたことがなかったし」
「能力で考えたらどうかな。暗殺技能は分かんないにしても、魔術戦の能力が特別高い人とかなら分かるでしょ?」
「そういう絞り方もあるにはあるけど、カイルみたいに平時には戦闘能力を隠してたりしたらお手上げだよ」
「そっかぁ……」
 瞼を少しだけ伏せて言うソフィアを気遣い、ウィルは微苦笑を漏らす。椅子を立ち、ソフィアが座るベッドに彼女に並んで腰を落として髪を梳くようにして撫でると、彼女はこつんと頭をウィルの肩に寄せてきた。目を閉じて、すぐ傍にある息遣いを感じていると、呼気に交えて彼女はその真情を吐露した。
「なんだぁ。じゃあ実際来るまでのお楽しみって事ね。ちぇ」
「だからもぉどうしてそんな」
 ……まあどうせそんな所だろうと思ったが。そんなものは全然楽しくない旨を説明した所で納得して貰う自信はどうしても湧いてこなかったが、
「全然楽しくないからそういうのは」
 そのまんま且つ比較的いつも言っているような台詞を発するとソフィアは別段恋人との価値観の相違に失望した風でもなく飄々と返してくる。
「怖いことに怯えてたり辛い事にへこたれてたりするのって人生の無駄遣いだと思うのよね。どんなことでも楽しんじゃおうっていう考え方が大切だと思うの」
「そういう建設的な思考回路は大いに評価してあげたいけどね……」
 最早というか最初から説得するつもりがあったわけではなかったが、ウィルは諦めて目を閉じたまま指から滑り落ちる絹糸の髪の滑らかさを堪能し続けた。ソフィアの髪に触れることは、身体に触れるのと同じくらい好きな行為だった。微かな香水のような柔らかい香りが鼻腔をくすぐる。否、香水は彼女は使っていないはずだから(戦場や、敵対者が存在するようなトレジャーハンティングで匂いは邪魔になるので)、もしかしたら洗髪石鹸の残り香かもしれない。
「ねーウィル」
 ふと、何気ないことを思い出したような気配の軽さで、ソフィアが囁いてくる。
「何」
「ありがとね」
「何が」
「ちゃんと言ってくれて」
「ああ」
 短いやり取りを経て納得して、くすりと小さな笑みを混ぜて彼女の後頭部をぽんぽんと軽く、子供をあやすように叩く。
「そりゃ言うさ。もう君に隠し事はしないことに決めたんだ」
 リュートが彼女に話を聞かせないように配慮したのは、聞かせるべきことではないと判断したからではなく、その判断自体をウィルに委ねるつもりだったということなのだろう。確かに、少し前のウィルであれば、もしかしたらこの話は彼女には言っていなかったかもしれない。大陸では大抵どこの国でも全能神ミナーヴァの教えを倫理観の基本に据えている。戒律と言うほど大仰なものでなくしつけや常識といった形で、それこそ子供のうちから馴染んできた概念から、絶対悪であるかのように自分そのものを否定されて――彼女が表面に現している態度通り、本当に何も気にしていないなどとは思っていない。
 それと同種のことを危惧して、かつてウィルは、これとは別件の、彼女に告げるべきであった真実をずっとひた隠しにし続けてきたこともあったのだが……
 秘密を告げる決意をした夜を、そして実際に秘密を告げることとなったその時を――自分がどれだけ彼女を見くびっていたか自覚した瞬間を回想して、苦笑する。
 今はもう、迷いはない。
「ちゃんと言わずに殴られたりするのはもうごめんだからね」
「……馬鹿」
 にやりとした声の調子で告げたウィルに、ソフィアはウィルがそうしているように相手の背中側から腕を回してその後頭部を叩いた。こちらはかなり遠慮なく、ぺしんと音がする程度に強く、だったが。
 そんな子供じみた反応に思わず微笑を漏らしてから、ウィルは名残惜しく思いながらも彼女の髪から手を離した。
「……さてと、そろそろ二人の所に戻るか。いつまでもブランに任せてるのも悪いし」
 もしかしたら階下の食堂でまたおろおろしているかもしれないブランの姿を想像して、ウィルは申し訳なさを半分交えた苦笑を浮かべた。引っ込み思案な性格のブランにとってはリエリアはさぞ扱いにくいタイプの人間に当たるに違いない。ベッドから立ち上がりそのままドアに向かって歩き出すと、後ろから気配が付いてこないのでウィルは不思議に思って肩越しに振り返った。ソフィアは、まだベッドに座ったままだった。俯き加減に斜め下の床をじいと見る視線が明らかに不機嫌である。
「な、何だよ。何か悪いこと言った、俺」
 問うてみるが彼女は首を縦にも横にも振らない。数瞬考えてから、思いついた冗談を口にしてみる。
「あ、もしかしてもっと二人っきりでいちゃいちゃしていたかったとか?」
「馬鹿!」
 今度は即座の反応で、きっ、と顔を彼の方に向けて鋭く怒鳴ってくる。どうやらそういうことでもないらしい。怒鳴り声と同じような勢いで立ち上がり、すたすたと歩み寄ってくるソフィアの剣幕に思わず一歩後退りながら情けない声で、
「わっ、ジョークジョークごめんすみませんちょっとたんまごめんなさいっ」
 などと慌てて謝罪を並べるが、彼女はそのウィルを押しのけるようにして素通りし、ドアをばたんと開いてずかずか廊下に出て行く。
「ちょ、ね、ねえソフィア、何怒ってるのさ」
「別に怒ってないわよ!」
「そんな信憑性皆無なことを言われても……」
 小さな背中を怒らせ気味にして歩く少女にウィルの方が置いていかれる形になり、慌てて横に並んで機嫌を取ろうと顔を覗き込むが、つんと鼻先を逸らされた。これのどこが怒っていない反応なのか解説してもらいたい所である。このまま、二人の待つ階下に下りてしまったらそのまま第二ラウンドのゴングが盛大に鳴り響くようなそんな不穏な予感が心を掠めたので、急ぎ、状況を解析して原因と対処方法を模索する。
 と、その時、階下に下りてしまったら、と直前に自分が自然と思った言葉が脳裏で再生された。――すんなりと合点がいった。彼女は、ブランの名前をウィルが口に出したことで、昨日の午前中から事件発生まで抱いていた、うやむやのうちに忘れ去っていた怒りを思い出したらしい。
「ソフィア。悪かったって」
「……何がよ」
 振り向かず足をすたすたと進めながらソフィアは答えてくる。そう広い宿ではなく廊下は少し歩けばすぐ終端に達するので、ウィルは手早く進めることにした。
「分かった。君が妬く必要がないようにする」
「え」
 という声はウィルの言葉に対しての疑念だったのか、それともその言葉と同時になされた行為への驚愕だったのか。
 ソフィアが丁度、廊下の突き当たりの右手に位置する階段に足を踏み出そうとしていたその時、ウィルは唐突に彼女の腕を掴んで自分の側に引き寄せた。降りようと思っていた所を急に引っ張り上げられ、たたらを踏む彼女の身体をそのまま、突き当たりの壁に押し付けて、彼女の移動を阻むように腕をつく。
「ウィル?」
 抱いていた怒りよりも怪訝さと、不安の方が勝ったらしく、ソフィアはウィルの顔をどこか心細そうに見上げた。ウィルが何も言わずじっと彼女の双眸を見詰めていると、ソフィアは居心地悪そうに身じろぎをした。
「……ウィル?」
「ソフィア」
 再度呼ぶ声を、ウィルは彼女の名を呼び返すことで打ち消した。全く状況を把握していない表情のソフィアに、傾けた顔をすっと近づけて、軽く口付ける。顔を離して見下ろした少女の表情が、ようやく不安げなものから不満げなものに移行して――彼の行為の意味を把握したのだ――ウィルは薄く笑みを浮かべた。
「あのね、ウィル……」
 妬く必要がないようにするってのはこういう意味なの?――というような問いが続くのであろう事は分かりきっていたので、ウィルは皆まで言わせることなく今一度、唇を押し付けた。唇の表面のみに親愛のキスのような軽い口付けを繰り返す彼に、ソフィアは一度だけどこか物足りなさそうに「ん……」と喉を鳴らした。物足りなさそうというのはウィルの勝手な主観でしかないのだが、避けようと思えば顔を背けることだって、ウィルの手を簡単に振り払って階下に下りることだって出来るはずの彼女がそうしないということは、自分の行為がひとまずは容認されているのだと思うことにする。
 キスの動作だけでソフィアの顔を少し仰向かせ、ウィルの目を真っ直ぐ見上げるその角度にすると条件反射のように僅かに開く癖がある唇の隙間に侵入する。ソフィアの下唇を軽い挨拶代わりに甘噛みしてから、ゆっくりと自分を彼女の中に浸透させる。
 ソフィアが、閉じていた瞳をふと開けて、ウィルと視線を合わせた事に気づいてすぐに瞼を閉じた。キスの最中に目を合わせることは彼女に非常な恥じらいを感じさせるらしいのだが、それでも彼女はほぼ必ず一度の儀式で一度はウィルの目を瞳に映す。まるで、自分が今唇に味わっているこの感触が本当に現実のものであるか確かめるように。
 彼女が瞳を閉じて、ウィルの与える感触に再度深く没頭し始めたことを確認して、ウィルは視線だけを右手方向――階段の方へと向けた。一階の食堂からの喧騒に乗って、気にしていれば分かる程度に目立つ女性の高い話し声が聞こえてきていた。どたどたとした酔客の足音とは違う洗練された軽やかな足音が二つ、バックグラウンドミュージックに添えられている。視界外から接近してくる気配に珍しくもソフィアは気づかない。
 階段の上り口に辿り着いた二人組は、何気なく上を見上げてこちらに気づいたようだった。ウィルにとっては視界の端での出来事なので分かりにくいが、リエリアが口を「あ」という形に開けてこちらを凝視している。その口から感嘆詞が実際に漏れていなくて助かった。その声に驚いたソフィアに舌を噛まれていたかもしれない。
 ソフィアに口付ける角度を変えるついでに、ウィルは二人に気づいていることを示す為にちらりとだけ視線を向け、すぐに目の前の少女に意識を戻した。ちゅ、と音を立てて口付けて、思わずなのか身体を堅くしたソフィアの頬に手を触れて、耳へ向かって優しく撫でる――

「やーんもう、やっぱり付き合ってるんじゃないー。ちぇー」
 人目を憚らず盛大に別世界を展開する二人の邪魔はしたくないのか、リエリアはかなり小さな声でそうぼやいた。口にした台詞と、自分の頬に両手を当てて唇を尖らせる様は拗ねた子供のようであるが、声にはどこか嬉しそうな響きがある。
 どちらかと言うとお互いに睦み合うという風ではなく、ウィルが一方的にソフィアに思いをぶつけているように見えるのだが、ソフィアの方も普段のそっけなさが嘘のように、素直にその行為を受け入れている。多分これが、彼らの中では最も自然な――これまできっと幾度となく繰り返してきた愛情の交感なのだろう。
 不意に、ブランは息苦しさを感じた。……吸い込んだ息を吐くのを、忘れていたことに気づく。
「最初からおかしいとは思ってたのよねー。だってお互い、相手を見る目が違うんだもの。あーあ。でもやっぱりショックー。折角……」
 独り言なのか愚痴を聞いてもらいたいのか定かではない口調のリエリアの呟きを、膜がかかったような曖昧さで耳にしながら、ブランは眩暈を感じる頭を左右に振った。多分不慣れな雑然とした食堂の空気に当てられたのだ。外の空気でも吸ってこよう。
「……ちょっと、……ごめんなさい」
 掠れた声でリエリアに断りを入れ、ブランは踵を返す。
 食堂を横切って小走りに駆けていくブランの後姿を、リエリアはしばらくその場に留まったまま無言で見詰めていた。


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