女神の魔術士 Chapter4 #6

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「よぅお、姉ちゃんたちよぉ、楽しそうじゃねえかぁ」
 一種独特の癖のある――どこかの方言というよりは、特定の職業の人々にのみ使用される、他者を威圧する為だけに開発されたようなそんな発音で不意にかけられた声に、三人の女たちは振り返った。リエリアは少女じみた仕草できょとんと目をしばたき、ブランは相手の男たちの風体に瞬時、眉根を寄せる。
 店内の客をずかずかと蹴散らして彼女らのテーブルに近づいてきつつ声をかけてきたのは、あまりまっとうな職についているようには見えない粗野な身なりをした大男たちの集団だった。一口に大男と言ってもその体格はがっちりからでっぷりまで多様だったが、いずれも彼女らの質量の三倍は軽くありそうだという点は共通している。そんな男たちが騒音とだみ声を撒き散らしながら繰り広げる野蛮な行動に、ソフィアもブランに倣うようにして眉をしかめていた。
「何? 何の用?」
 音もなく席を立ってそちらへと顔を向けたソフィアが低い声で問う。その華奢な容姿と可憐な顔立ち、そしてどれだけ低めたとしても少女らしさを拭い去ることは出来ない声は、初対面の男たちに対する牽制にはなり得ないようであったが、それは彼女自身も重々承知していることなのだろう。ある程度彼女と付き合いを持つ者であればその危険性を察することが出来るソフィアの視線の険悪さに危機を覚えなかったらしい男たちは、喉にこびりつくような下品な笑い声を上げながら彼女らのテーブルの包囲を完了した。
 ソフィアは手近な相手を見据えながら、リエリアの腕を掴んで自分の方へ引き寄せ、背後に庇う。直前まで自分自身がリエリアに害を成そうとするくらいの勢いだったが、護衛としての立場は別に忘れてはいなかったらしい。ブランも一歩男たちから離れるように下がり、その包囲網を見渡して、正確には相手の人数は五人であるということを確認した。
「へへへへ……なあに、あんまりにも楽しそうだからよぉ、俺たちも仲間に入れて欲しいと思っただけだよ、なあ?」
 粘つくような声で先のソフィアの問いかけに答える男に、周囲の男たちもにやにやとしながら首肯する。皆総じてかなりの巨漢揃いだったが中でも最も太っていた男の顎肉が、頭を動かすのに併せてたぷんと揺れたのをブランは直視してしまい、少しげんなりした。他人の容姿をとやかく言うというのはいけないことだという自覚はあるのだが、それでも食べすぎで胃もたれに苦しんでいる今はその様な脂分の多めな光景は目に毒だった。
 普段は比較的誰に対しても愛想のいいソフィアだが、ここまでに着実に積み重ねられてきた機嫌の悪さは最早隠そうという気も起こらないらしく、じろりと冷たく相手を睥睨する。
「こっちは忙しいの。あなた達が割り込んでくる余地なんてこれっぽっちもないから。分かったらさっさとどっか行って」
 冷徹な警告も男たちにはやはり虚勢を張って吠える子犬のようにしか見えなかったのだろう。くっちゃくっちゃと音を立てて噛み煙草を噛んでいた男がそれをぺっと床に吐き出し、やにの色が染みた歯を剥き出しにしてにいと笑った。
「いいねいいねぇ、ひひひ、俺気の強いコだぁいすき」
 相手に嫌悪感を催させることを期待しているとしか思えないこびりつくような声にブランは顔をしかめ、その顔を更に歪めさせる同質の声で別の男が唱和する。
「俺もォー、好きだぜぇ――?」
 ――不自然なまでに高く長く伸びた声に、不意に妙な違和感を感じる。
 と、その時、唐突にソフィアの右足が高々と跳ね上がった。
 その動作に呼応して飛び出した何かがくるくると回転して放物線を描き、煤と脂の色に沈んだ天井を舞うのが目に入る。薄暗さに目を凝らして一度まばたきをしたのちにようやく気づいた。それは――刃を出された折りたたみ式のナイフ。
「!?」
 状況から奇跡的にも直感的に察することが出来た事象――すなわち男の手の内にあったそれがソフィアの爪先に蹴り上げられたという事実以上の状況が認識できず、けれどもその鈍色の輝きに危機感だけは確実に覚えて、ブランは目を見開いた。
「ブランこっち!」
 ブランが突然の展開に硬直している間に、ソフィアは行動を起こしていた。リエリアは直接その手を引き、ブランには声をかけて、やはり同じく硬直していた男たちの僅かな隙間を掻い潜って包囲を抜ける。
「な、何……っ?」
「知るわけないでしょ、いきなりこんな場所で刃物抜く馬鹿!」
 走りながらブランが上げた引きつった声に鋭く返すソフィア。そのまま彼女は直前に男たちがやったような野蛮さで周囲の客を蹴散らして――さすがにこの頃には客たちも、状況が飲み込めない様子ながらも慌てて身を低くして突如店内に発生した騒乱の嵐をやり過ごそうと試みてはいたが――店の入り口のドアへと直進する。
 が、その進路上に立ち塞がる六人目の姿があった。接近してきた男たちと同じような体格と身なりをした男で、手にはやはり同じく、抜き身のナイフがどんよりと光っている。
「……っどうなってんのよ!?」
 さすがの彼女も、こんな何の変哲もない食堂で、何の前触れも心当たりもなく見知らぬ集団から襲われるという体験はいまだかつてしたことがなかったのか、苛立ちを混ぜた悲鳴を上げる。が、彼女は口先だけで不平を漏らして終わりにするような真似はしなかった。言葉には、十分過ぎるほどに苛烈な行動も伴わせる。
 進路を塞ぐ位置にあった無人の椅子を、彼女は走り込む勢いそのままに細い足で蹴り上げていた。半回転しながらそれは男に向かって一直線に飛んで行き、棍棒のような椅子の足が激しい音を立てて鼻っ面にクリーンヒットした。
「うわぁ」
 男の身を案じたわけではないが思わずブランは呻いた。正面衝突の勢いはそれ程豪快であったのだ。椅子ががこんと落ち、男は仰け反るようにしてよろよろと何歩か後退する――が。
「!?」
 声には出さなかったが息遣いで、ソフィアの驚愕が知れた。
 一撃必殺と思われた強烈な打撃を顔面に受けた男は、しかし倒れることはなかった。ふらついた上体を立て直して、顔の鼻から下半分をおびただしい出血にまみれさせたままにやりと厚い唇を歪め――あろうことか舌でねろりと上唇の血液を舐め取った。ひひひ、といやに上機嫌な笑い声を漏らす。痛みなど微塵も感じた風もなく。
「ジャンキーか……っ」
 異様な光景にソフィアは唾棄するように呻き、直進する予定だった進路を直角に曲げた。無論彼女にしても口にした言葉は単なる予測で正確な所が把握できるというわけではないだろうが、単なる酒精による酩酊にしては確かに彼らの様子は異常極まりない。声を上げることすら出来ないリエリアを引きずりながら、入り口よりも近い位置にあった上り階段へと転がり込む。
 そのまま目の前の男を倒し店外に出なかったのは、男を恐れたからではなく、その外に更に新手がいることを危惧したのだろうとブランは思った。相手が総勢何人いるかも分からないのに、不用意に戦場を広げるというのは得策ではない――冷静にそう考えたことで現況を認識する。これは間違いなく意図的な襲撃だった。たちの悪い薬物中毒者が薬の勢いで使いもせずに忍ばせてあったナイフを抜いたとかいう陳腐な事件であるにしては、出入り口近くに人員を置くなど配置に無駄がない。むしろその様に見せかけた計画ずくの犯行であるかのように彼女の目には見えたのだ。
(ということは、この状況はむしろ追い込まれて)
 いるのでは、と声に出さず思考した所でブランも階段の上り口に入り、すぐそこで待っていたソフィアに、上方向に背中を押された。
「リエリアさん連れて上に。ここはあたしが押さえる。上に敵いたらごめん」
 最低限の短文で言うソフィアにブランはリエリアの腕を受け取ることで受諾の意を示した。ごめんの一言ではあまり済まなそうなことを言われたような気がしなくもないが、男六人を引き受けるという交換条件に文句を言うのは気が引けた。
 三人一緒に狭くて暗い階段の中ほどまで登り、ソフィアだけが背後を振り返りそこに留まった。彼女の戦闘に関する能力はブランも知る所だったのだが、僅かながらに不安を感じて肩越しにソフィアを見やる。古びた宿の階段の通路幅は細身のソフィアとブランがすれ違う事くらいは出来ても大柄な男たちが一斉に飛び掛るようなことは出来なさそうだったが(恐らくそれが階段を戦場に選んだ理由なのだろう)、刃物を持つ相手に徒手では少し心もとないのではないだろうかと考えたのだった。この直前まで、平穏と言っていいものか定かではないがごく日常的な生活の一環として食卓についていただけであったので、当たり前だがブランもソフィアも武装などはしていなかった。
 ――はずだったのだが丁度視線を向けたその時、階段に足を踏み入れてきた一人目の男が、「ひはあっ」と妙な悲鳴を上げて真後ろに転倒した。激しい音を立てて転がり落ちる男を観察すると、その肩口にナイフが突き刺さっているのが見える。どこから、と思わずソフィアに視線を転じれば、小柄な少女が足元に群がり来る敵を高みから見下ろしつつ自分の上着の内側から指全てに小さなナイフを挟みこんだ手を引き抜くという大変凶悪な情景を見ることが出来た。街を何気なく歩くような格好でしかなかったのだと思ったのだが、実は武装に抜かり無しだったようである。……そんな少女と対峙していたのかと思うとかなりぞっとしたが今更だったので、ブランは背筋に走った軽い寒気を無視してリエリアを連れ階段を駆け上った。
 身を低くして、二階の廊下に躍り出る――
「っ!」
「きゃ……」
 途端、ブランは息を呑み、リエリアは口元を押さえて悲鳴を上げた。
 ソフィアの予見の通り、二階の客室を左右に挟む廊下には既に待ちわびたように長剣を抜き放っている三人ほどの男の姿があった。
(……剣……)
 認識した相手の武器を再度胸中で繰り返し、ブランは奥歯を噛み締めた。階下の敵の武装はナイフのみであったようだが、こちらの相手は長剣までをも持ち出して来ている。剣などどこの家庭でも子供の手の届かないたんすの上辺りに備えてあるものだし、街から街へと旅をしている者ならば誰でも、例え手習い程度にしか武器を扱ったことがない商人などでも最低限、護身用の細剣くらいは必ず身につけている。剣とはそれほどありふれた武器ではあるのだが、しかしその様な旅人が多く集まる宿屋であるからといってその廊下で抜き身の剣をぶら下げてにやにやしている男たちに待ち受けられるというのは通常あり得ない事だった。階下の男たちの襲撃時点で普通あり得ないという条件は十分満たされてはいるのだが、明確な殺意を孕んだ戦闘用の武器を目の前に晒されて、眩暈に似た錯覚を覚え気分が悪くなる。剣などというものは実際に抜いてその殺傷力を誇示するためにあるものではなく、その殺傷力を護符として抜かずに取っておくべきものだというのに……
 我知らず、ブランは手のひらに爪が食い込むほどに硬く手を握り込んでいた。その事に彼女自身が気づいたのは、思いがけず後ろから、その手に暖かいものが触れたからだった。
「ブランさん……」
 名を呼ばれ、はっとしながらも振り返らずに後ろの女性の存在を確認する。リエリアはこの状況に恐怖してか、それともブランを心配してなのか、そっとブランの手の甲に指先を伸ばしてきたのだった。
「だ、大丈夫です。あの、ソフィアさんが、後ろ止めててくれますから」
 不安そうに翳らされた、けれどもどこまでも艶めいていて真っ直ぐな視線に見詰められていると思うと恥ずかしさを覚えて思わず顔が赤くなる。その恥ずかしさをどうにかやり過ごしてブランはリエリアを背後に庇ったまま二歩ほど――階段ぎりぎりまで後ろに下がった。と、丁度階段の上り口の所に廊下掃除用と思しきモップが立てかけられているのが視界の端に入り、彼女は前に視線を向けつつそれを手に取った。柄の中程を掴んでモップの先端を男たちに向けて構えると、彼らは腹や頭に手を当てて、目の前の少女の威嚇を笑い飛ばした。
「おいおい嬢ちゃん、そいつは床をお掃除するもんだぜぇ? ひひひっ、いけねえなあ」
 むやみに高揚した様子は下の男たちと共通する点だった。彼らと同じく薬物を服用しているのだろうか。濡れたモップは思っていたよりも重量があり幾度か持ち手を握り直していると、そのうちに男たちは徐々に二人の女たちを追い詰めようとにじり寄ってきた。ブランの手の内のモップは武器とは認識されていないらしい。
 後退しようにも、こちらにはもう後がない。
「あっ、あなたたちっ……!」
 何の武器も持たぬリエリアが、ブランに代わって男たちを牽制しようと声を上げる。ふと、男たちの注意がブランからその背後の美女へと移り――
 それを機として、ブランは彼らの方へと走り出した。
 男たちの注意がすぐさま彼女の元へと戻ってくる。モップを武器としての突進は、男たちの目から見れば他に成すすべのない無力な少女の捨て鉢な突撃のように見えたのだろう。瞬時、意表を突かれたように揃って目を丸くし、それから心底おかしげに歓声を上げた。
「ひゃはぁ、お嬢ちゃぁん、俺の胸に飛び込んでおぉいでぇー!」
 前衛の、というよりもたまたま一番前にいただけであろう男が涎を垂らし、両の腕を広げてみせる。その抱擁を受けんとする形で、ブランはその男に直進した。
 ブランの身体が男の腕の届く距離に入る。すぐさま男は両腕を抱え込むように振り下ろした、が、しかし彼は少女の身体を抱きとめることは出来なかった。男の太い腕に包み込まれる直前に、少女は足と、男の左肩を突いたモップの反動を利用して前進から一転、一歩飛び退るような形に体勢を切り替えている。
 それが槍か何かであれば肉をこそぎ落とされていたであろう刺突に男は左半身を後方に泳がせた。それ自体は何らかのダメージを与えることすら出来なかった攻撃だったが――自然、無防備に晒されることとなった右半身から頚椎に向けてブランは既に引き戻していた柄を短く振るい、モップの角を叩き付けた。
 男はぐるんと白目を剥いて、成すすべもなく前方に転倒した。それを避けて、ブランは白いワンピースの裾を慌てて払った。敬愛するリュートにわざわざ用意してもらったものを汚されたりなどされてはたまったものではない。
「てっ、てめえ!?」
 今迄鼠を嬲る猫のような圧倒的な余裕を滲ませていた男たちが、にわかに殺気を漲らせてブランを見やる。平均的な少女と比較してもやや(他の誰かに言うとやや?と首を傾げられるのが常だったのだがブランは自分の矜持にかけてややと言い張ることに決めていた)小柄なブランに、仲間が倒されることなど全く考慮に入れていなかったのだろう。――そしてまだ多分、自分が倒されることは考慮のうちに入っていない。
 ブランはすっと目を細める。瞬間、薬物に侵されぼやけた頭でも何かを感じ取ったのか男たちの表情に動揺に似た気配が走る。
(白騎士団槍法第三技、『地平駆る彗星』――)
 けれどもブランは男たちに何らかの挙動を許すことなく、誰にも聞こえない声で小さく呟いていた。



 立て付けのあまりよくない古びた宿場の古びたドアが、叩き壊されんばかりの勢いで、ばんと開け放たれる。
 そこから転がり込むようにして入ってきたのはダークブラウンの長髪以外にはあまり特徴のない容姿の男――ウィルだった。肩と言わず全身を上下させて息をして、この真冬に汗だくになっている顔を古宿の酒場を兼ねた食堂の中に向ける。
 通常であれば適当に並べられたテーブルで団欒をしていた客たちが何事かと顔を向けてくる所であろうが、しかしこのときウィルに意識を配ろうとする客は一人としていなかった。……というか、客自体がその店にはいなかった。
 無人でありながら途中まで手をつけられた料理が乗ったテーブルは、入り口に近いあたりを中心に蹴散らかされたかのように乱れていて、椅子に至ってはひっくり返り、足がもげているものすらある。凄惨な有様に、彼は一歩よろめくように足を踏み出した。と、靴裏に感じたむぎゅという柔らかい感触に驚いて下を見やると、何やらウィルの倍ほども体重がありそうな太った男がうつ伏せで昏倒していたりする。嵐が突如舞い込んできて店内をかき回して去ったような荒れようであり、静けさだった。そんな店内で悠長にくつろいでいる者など当然誰もおらず……
 ――否。
 目に飛び込んできたあまりの状況に呆然としてただただ店内の光景をを眺めやることしか出来なかったウィルはようやくこのとき、自分に向けられていた視線がいくつか存在していたことに気がついた。
 店の奥にある階段の上り口のすぐ手前に、小山が作られているのが見えた。どうやらその小山の原材料はウィルが実は何気にいまだに踏んでいる男と同じような背格好の大男たちであることに、その一秒後に気づく。そしてそのまた一秒後に、その小山の頂上に、適当な男の顔を足蹴にしつつ尊大に座している少女の姿を認識した。
「なあに、どうしたのよそんなに急いで」
 ぜえはあといまだ荒い呼吸を続けているウィルを、ソフィアはきょとんと、つぶらな瞳を更に丸く開いて眺めやった。


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