女神の魔術士 Chapter4 #2

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「腑抜け。決断力ゼロ。甲斐性無し。優柔不断。へたれ」
 正午を過ぎ、活気に満ちる雑踏の中。周囲のざわめきにかき消されるか消されないかというぎりぎりの細い声で、何やら先程から背中に投げつけられてくる悪意ある言葉の羅列に、さすがに居たたまれなくなってウィルは背後の少女を振り返る。
「そ、ソフィア……」
「何で御座いましょうかァ、サードニクスさん」
「……うわぁ」
 返ってきた声に色々根の深いものを感じてウィルは嘆息とも悲鳴ともつかない声を上げた。
 あれから二時間。ノンストップでリエリアのショッピングの供をさせられ続け、心身共に疲弊しきって精も根も尽き果てた頃になってようやくウィルは彼女の腕から解放される運びとなった。
「とっても残念なんですけれど、私、午後は得意先回りをしなければなりませんの」
 昼食の為に入った瀟洒なカフェで三人同じテーブルに並びつつ、リエリアは例の媚態じみた見上げる視線で真っ正面の席からウィルを仰ぎ見てそう告げてきた。それが十分ほど前の話である。
「ですから、午後は適当に時間を潰していて下さる? 夕方に、宿で落ち合いましょう」
 護衛は、というウィルの言葉には、
「いいえ、ここ、来慣れた街ですから。勝手も分かりますから大丈夫ですよ」
 との返答。
「それじゃあ、また後程」
 食事がまだ済んでいなかった二人を残し、彼女はいかにも大人の女性らしい余裕の微笑みで伝票を持ち、店をあとにした。
 そして無責任に残された、微妙な空気。
 もしかしたらそれを払拭しようという意図があるのか――どっちつかずな微妙さを、より険悪な方向にシフトするという事にしろ――ソフィアはリエリアがいなくなるや否や待ち構えていたように、先程までは一言たりとも口にすることはなかった罵詈雑言を吐き出し始めていた。
「……大体何。知ってる街だっていうんなら最初から護衛なんて要らないじゃない。何なのよ朝からここまでの無駄な時間は」
 店を出て、通りの人の流れに乗るようにして歩きながら、ウィルは後ろからの声を聞いていた。いつの間にか標的が、ウィルからリエリア本人に移行している。……というか、最初からそっちのみを攻撃していて欲しいんですが、と、ウィルは申し訳ないながらもそう考えた。ソフィアにしてみれば元凶はあっちになるはずなのだから。
 このまましばらく気が済むまで放っておいてやるか、それとも真摯に反省するそぶりを見せて受け止めてやるか。そのどちらがよりよい手段なのか悩み所であったのだが、結局ウィルはその中間の、適度に相槌を打ちながら聞き流すという策を採択した。
「無駄ってことはないだろ。彼女は彼女なりに用事があったんだから、それに付き合うのは仕事のうちであって」
「雑貨屋とかお菓子屋とか回るのが用事だっての?」
 唸るように返してくるソフィアの声に、不用意に薮を突ついて蛇を出したかと背筋に汗が伝う。が、とりあえず平然を装いつつ肩などを竦めて見せる。
「何であれ、依頼主の望みの場所に付いてくのは護衛だったら当たり前じゃないか。そういう契約なんだから」
「抱き合って行くのが?」
「抱き『合って』はいないだろ」
「それは……そうだけど」
 少々むくれた風ながらも正論に押し負けるような形で声をトーンダウンさせて、ソフィアが息をつく。……よし。ウィルはソフィアに見えない位置で手をぐっと握り締めた。このまま鎮火してくれ頼む。
 が、願いはいまいち届かない。
「……っていうかそれ自体は……いいのよ、あー、よくもないけど、いいの。……何なのよ、ウィル。デレデレしちゃってみっともない」
 薮を突ついて熊が出てきた。
 思い出したように再度こちらを向いてきた矛先に、ウィルは「あー」と呻き声を上げつつ、対応策を練りだした。
「デレデレって……別にしてないだろ」
 対処その一。否定。
「してたわよ。口元、こーんな風ににやけさせて。だらしない。最低」
 一言の元に切り捨てられて、言葉に詰まる。決してにやけていた訳ではないと自分では思うのだが、決して不快な柔らかさではなかった以上言い訳は出来ない。
「それはその、……綺麗なお姉さんだしねえ」
 対処その二。肯定してみたりして。
「悪かったわね綺麗なお姉さんでなくて」
「そういう意味では言ってないだろ」
 案の定更にへそを曲げたソフィアの横顔に、けれどもその言い方が少し可愛らしくて、苦笑を零す。それを横目で捕えたか、ソフィアがじとりと彼を睨んでくる。
「何がおかしいのよ」
「おかしいというか。……ソフィアだって綺麗だって俺いつも言ってるのに、何でその辺はことごとく耳を通過させちゃうのかなあって」
「……はっ?」
 それはそこまで予期せぬことだったのだろうか。ソフィアは絶句してウィルの顔を見上げた。
「なな何言ってるのよ、そんな見え見えのお世辞言われたってお駄賃あげないわよ!?」
「別にお駄賃ねだる気はないけど」
 にわかにどぎまぎとし始めたソフィアに、あ、そうかと思ってウィルは、今度は内心のにやりを隠す。勘違いをしていた。わざわざ絡め手を考えなくとも、彼女には率直に思った通りの言葉を告げるだけで事足りたのだ。
「やきもちを焼いてくれるなんて彼氏冥利に尽きるね。……ま、いつものことながら少々焼き過ぎのきらいはあるけど。そこまで言わなくたって俺は君しか眼中にないよ?」
「……ッ!! ウィルの馬鹿っ!」
 一瞬息を止めてかなり力を入れてからソフィアは叫んで。結構色々物が詰まっている手荷物のデイバッグを唐突にぶん回して、それでウィルの尻を殴り付けた。
「痛ッ」
「もう知らないっ! ウィルなんてっ!」
 顔を真っ赤にして彼女はそんな事を叫び、ウィルを置いてけぼりにする勢いでずんずんと通りの向こうの方に歩いていく。
 ……何かまずい事言いましたか、俺?
 誰にともなく、ウィルはそう呟いた。

「……それで、これからどうするつもりなのよ」
 本気でウィルを放置してどこかに行ってしまおうとしていた訳ではなかったらしく、ソフィアは何百メートルか走るような速度で歩くとようやく歩調を緩め始めた。
「え、あー、うん、ちょっと教会に行くつもりだったんだけど」
 ほんの少し息を切らせながら、ソフィアの問いにウィルは答える。彼女と旅をしばらく続けて、少しは体力がついたかと思いきや、あまりそうでもないらしい。
「教会? お祈りでもするの?」
「まさか。少し用事があるんだよ」
 本来教会があるべき理由を、何でそんなこと、とばかりに一蹴する教会魔術士に、軽く一秒ほどソフィアは返答に窮する様子を見せてから、首を傾げるようにして彼の顔を見上げた。
「それは、あたしも一緒に行ってもいい用事?」
 ウィルの職務上の理由を勘案してだろう。彼が教会魔術士としての義務をこなす上では、部外者であるソフィアが耳目に入れてはまずい秘密も確かにないことはない。理解ある気遣いに、けれども今回はそのような事情はないウィルは気楽に頷いた。
「構わないよ。うちの馬鹿兄貴と話があるだけだから」
「リュートさん?」
 思いもよらなかったらしい名前に、ソフィアはきょとんとした。
「え、何で? リュートさんこっちに来てるの?」
「いや、城……あー、家にいるよ」
「別にあたししか聞いてないんだから言い直さなくたっていいけど。でも何? 話すってどうやって?」
「ん? あれって、普通の人は知らないのかな」
「あれって?」
 興味も手伝ってか、先程の憤りなどころっと忘れたように素直な様子でウィルの目を覗き込むソフィアに苦笑しかけて、(やばいやばい思い出させたら元も子もない)と緩んだ口元を手で覆い隠しながらウィルは視線で建物の間から見え始めた通り沿いの教会の屋根を指した。
「話すより見せた方が多分早いよ。……ソフィア、結構好きそうだし。見ても損はないかもね」



 ソフィアにとって教会というのはあまり馴染みのないものだった。
 昔、育っていた村にいた時は毎週祖父と祖母に手を引かれて礼拝に行ったものだが、そこも教会というよりは単なる村の集会所で、通常その言葉から想起される荘厳な神聖さとはややかけ離れた場所だった。村の皆と顔を合わせておしゃべりし、顔なじみの神官のおじさんのちょっと退屈な話を聞いて、友達と会ってお菓子を食べて遊んで帰る。大体からして教会に行く目的というのがソフィアにとってはその一番最後のくだりがメインだったので、正直他はあまり覚えていないというのが正しかった。
 それから何年かすると彼女は自立して村を出、様々な街を渡り歩く生活を始めたが、一人旅を始めてからは集会にすら行った事もない。信仰との接点と言えば毎食の前に一言二言の極めて簡単な祈りを捧げるのがせいぜいであるという、去年――大陸解放軍に所属していた際に、縁あって知り合いになったファビュラス教の最高責任者である大神官がその様子を目の当たりにしたら卒倒してしまうかもしれないずぼらな信徒であった。
「……いや……あいつは別に卒倒はしないと思うけど……ていうか……まあいいけど」
 そんな話を道すがらウィルにしてみると、彼はどこか歯に物が挟まったような言い方で呟いた。
「まあ卒倒ってのは言葉のあやよ。簡単なことで心乱したりしなさそうだもんね、大神官様」
「それはそうなんだが微妙に噛み合ってないよーな」
 ウィルは何やらまだもにょもにょと言っていたが、そうこうしているうちに教会の前まで二人は辿り着いた。その建物を目の当たりにして、ソフィアは「わー」と中途半端に声を上げた。
 直前に自分の村の貧相な木造平屋の教会を思い出していたからというのもあるが、通りに面した上階の壁に見事なステンドグラスが嵌め込まれている石造りの三階建ての建物は実に立派で、高いホテルかちょっとした貴族の館のようにも見えた。もっとも、教会の総本山たる聖地ファビュラスの大神殿に比べればおもちゃのようなサイズだが、あれは比較対象が悪すぎる。
 「高そう」とか「教会のくせにお金かかってるわね」とか「あれ欲しい」とか色々と感想は浮かんできていたが、彼女がそれらを口にするよりも先に、ウィルが控えめに告げてきた。
「ここはヴァレンディア南部教区の統轄教会だからね。他所よりは少し立派なんだよ」
 開け放たれたままの玄関をくぐって、二人は建物の中に入った。
「わ」
 ここでもソフィアは、小さいながらも声を上げた。音量が小さかったのは感動の量が外で受けたのよりも小さかったからという訳ではなく、少しひんやりとして静かだった室内の気配に飲まれてのことだった。
 玄関を入ってすぐのロビーに当たる場所は、明るく、広く、清潔だった。入り口の真正面には全能なる女神ミナーヴァの像が配され、その前の絨毯敷きのスペースで、今も数人の熱心な信徒が膝を折って首を垂れている。広い窓から差す真昼の光は女神の慈悲のように暖かに、人々の祈りを励ましていた。
 一心に女神に祈りを捧げている、彼女の祖父母と同じ年代の老夫婦の姿を見て、ソフィアはもしかしたら、と思った。彼女にとって子供の頃に通った教会はちょっと退屈なおまけがついた遊び場でしかなかったが、祖父母にとってはもしかしたら、ここと変わらない神聖な願いの場所だったんじゃないだろうか。
 少し懐かしい気持ちになっていると、ふと、ウィルの後ろ姿が随分と離れてしまっていたことに気がついた。早歩きで近づいてみると、彼はカウンターのような場所で何か書き物をしていた。
 横から覗き込むと、予め多少の文面が書き込まれている一枚の紙に自分の名前とソフィアの名前を記しているのが見えた。自分の名前の方には魔術士という欄にチェックをつけ、所属欄にはファビュラス教会本部と記し、ソフィアの方には一般人に印を打って係員に提出した。
「証明章の御提出をお願いします」
 その言葉にウィルは無言で星型の紋章の刻まれたペンダントを差し出して、係はその裏面を見て手元の帳面に何かを転記してから返した。
「結構です。二号対話室をご利用ください。利用時間は一時間となっております。操作手は必要ですか?」
「いや、いい。……どうも」
 差し出された鍵をあまり愛想がいいとは言えない返答で受け取って、ウィルはソフィアを振り返った。
「そっち、見てればよかったのに。事務手続きなんて見たって面白くないだろ」
「面白いよ?」
「……面白いか?」
 彼は心底理解出来ないというような顔をしたが、ソフィアにしてみれば、初めて見るものは全て面白いのだ。ウィルの後に子供のようにきょろきょろとしながらついていくソフィアを見て、彼はふっと笑った。
「迷子になるなよ」
「ならないわよぅ」
 すぼめた唇からぶうと息を吐いて抗議する。
「ウィルは、この教会に来たことがあるの?」
「いや、ここはないけど。でも大体どこも同じような構造だからね」
「あんなお役所の窓口みたいなのがある教会なんて見たことなかったわよ」
 指差して告げるとウィルは、あー、と手で顎を撫でた。
「まあ数で言ったら小さな街や村にある礼拝堂だけの施設の方が多いから、普通は教会って言ったらそっちを思い浮かべるのかもね。俺とかは何かの手続きしに教会に来るような感じだったから、逆にこういう所の方が普通に感じるんだけど」
「お祈りには来ないの? 教会魔術士なのに」
「わざわざ特定の場所で祈らなくとも真摯な祈りは必ず女神の御許に届くものなんだよ」
「……それ、誰に入れ知恵してもらった言い訳?」
 真顔でとぼける食前の祈りすら滅多にしない男の顔を半眼で見つめるソフィアに彼はくすくすと笑みだけを返して、廊下に整然の並んでいる部屋のプレートを見上げながら歩いていたその彼は、とある一室の前で足を止めた。
「二号って言ってたな。ここだ」
 確認してから受付で受け取った鍵をドアノブの鍵穴に差し込み、ドアを引き開ける。中は真っ暗で、ウィルはまず最初にドアのすぐ傍の照明のスイッチを手探りで探した。
 す……と、音もなく部屋に白い光が灯る。高級品の法石照明だが、ここは魔術士の寄り合いである。魔術を応用した設備を揃えているのが当たり前なのだろう。
 明るく照らし出された部屋を見て、ソフィアはまたもや感嘆の声を上げる。
 その内部はほんの五、六歩で向こう側の壁に届いてしまいそうなさほど広くない部屋だった。壁にも床にも石の壁の上に木の板が張り巡らされているという内装と合わせて、一見した所はどこかのアパートメントの一室のようにも見える。ただ、四方の壁にはどこにも窓がなく、一番奥には部屋の横幅いっぱいのサイズの机が置いてあって、その上に複雑な目盛りやらスイッチやらのついた箱が大小合わせて三つほど乗っている。普通のアパートメントではあまり見ない設備だ。
「ソフィア。土足禁止だから靴脱いで上がってね」
「はぁい」
 ウィルの言葉に従って靴を脱ぎ、入り口に揃えておく。彼女の後から入室したウィルがドアを閉め、かちゃりと鍵をかけた。
「ねえねえウィル、これ、何の機械?」
 兄と話をすると言ったきり、結局ここに至るまでそれ以上をウィルは告げようとしなかったが、そう言ってここまで来た以上この装置を使って会話を取り交わすということに間違いないだろう。けれどもソフィアにとって目の前のそれは全く未知の物体であったので、彼女は興味津々な瞳で解説を求めた。
「通話装置。音声を魔力波に変換して別の場所にある同じ機械と送受信するんだ。ヴァレンディア国内では各統括教会と王城に同じものが設置してあって、どこにいてもタイムラグ無しで会話が出来るようになってる」
「ってことは、やっぱりこれでヴァレンディのリュートさんとお話出来るって訳ね? 面白い!」
 身を乗り出すようにして、けれども手を触れることなく、その箱をしげしげと眺める。この箱の中には何が入っているんだろう。見てもきっと訳が分からないとは思うが、ソフィアは気になった。だめで元々の気分で聞いてみる。
「……この箱開けていい?」
「だめ」
 彼女がそんな事を聞いてくるということは予想していたのだろうか、ウィルは動じることなく即答した。ソフィアは、ちぇ、と残念そうに舌を打つ。
「舌打ちされても。……壊したらそんなの弁償出来ないからね。凄く高いんだから」
「どのくらい?」
「もしうちのを壊したらリュートに笑顔で最上階から蹴り落とされるくらい」
「分かるような分からないような」
 ソフィアはスイッチや穴が開けられていて中の金属が見えているような部分には触らないよう筐体をつつっと指先でなぞった。高いと聞くと何となくいとおしさが湧いてくる。
 と、そんな彼女の肩の上から手が伸びて来て、上下に動く小さなレバーが付いたスイッチをいくつかぱちぱちと無造作に上げる。
 ぶぅん……と羽虫の羽ばたきが低くなったような音が箱の中から聞こえた。
「起動するまで少し時間がかかるから」
「ふうん」
 ぎこぎこがりがりと、中の機構が働いている様子が音だけで伝わってくる。見た目には何の変化もないそれを、けれどもソフィアは飽きることなくじっと凝視し続けた。ウィルはソフィアの肩の上から伸ばしていた腕を、彼女を抱きしめるような形で折り曲げたがこの時ばかりは彼女は特に反応を示さなかった。
「……楽しい?」
「うん」
「そうかなあ……」
 やはりいまいち解せないらしい声音でウィルは呟いて――ふと思い付いたように、彼はソフィアの耳に、ふっと息を吹きかけた。
「うあっ」
 さすがにそれにはびくりとして、しかめた顔を横に向ける。
「何するのよ」
 耳よりも首筋の方に立った鳥肌を宥めるように擦りながら文句を言うと、ウィルは不服そうに呟いてくる。
「だって俺は暇だもん」
「暇だからってあのね、……わっ?」
 いつのまにか滑り落ちていたウィルの手が、ソフィアの身体を後ろから抱きすくめるようにして腹のあたりをするりと撫でた。考えてもいなかった所を触られて、ソフィアは思わず身体を跳ねさせる。
「ぎゃー! やだやだそこやだスケベ痴漢、ちょっ、お腹は勘弁して!」
「何で。ソフィアのお腹好きだよ?」
「何そのこれ以上なく嬉しくない誉め言葉!? っていうか、だめー、お腹はすっごい無駄肉付いてんのあたし!」
「嘘つけ、どこにだよ」
「だから撫でないでってば! やー!」
 ウィルの手の動きからどうにか逃れようと、上半身を机に伏せるような格好で腹というか腰を引く。が、腰を引けばその分真後ろから悪戯を仕掛けているウィルとは逆に密着率が上がる訳で。……勿論ソフィア自身が意図してのことではないが、体勢としては格段にウィル好みな状況になっている。
 その彼女の背にぴたりと覆い被さって、ウィルは笑みを含んだ声で囁いた。
「やだな、困るよソフィア、そんな扇情的なポーズで誘われても。ここは教会なんだよ?」
「っ!?」
 ようやく自分の姿勢に気付いた彼女はすぐさま床に腰を落とそうとする。が、この日の彼は異様に素早かった。彼女の自己申告では贅肉がたっぷりついているという事になっている細い腰を直前に抱き留めてぐいと引き寄せ、耳朶に唇を微かに触れさせてわざと息が多くかかるようにして囁く。
「まあ、いいけどね? 何とも都合いいことに完全防音だし、鍵も閉めちゃったし」
「なっ……!? ちょっと、や……っ!?」
「……と、起動したかな」
 不意に、ウィルはソフィアのウェストを捕まえていた手を机に伸ばし、一番端の機械のスイッチを押し上げた。きゅううん、と何かが回転するような音を立てて、がりがりと続いていた駆動音が収まる。
「うん、大丈夫みたいだね。ええと、ヴァレンディの波数は……」
 忘れかけている物を思い出すように手順を口にしながらいくつかのダイヤルやボタンを操作するウィルを、解放されて床にへたり込んだソフィアは半ば呆然としながら見上げていた。しばらくして、机の上にあったうちの一番小さな機械から、機械の中身が立てるのとは少し毛色の違う音が聞こえてくる。
「……ら、……。……こちら、ヴァレ……ア通信部……往信を受……ました」
 割れたりかすれたりして聞こえている音声がより鮮明になるよう細かく操作しながら、ウィルはその箱に向かって声をかけた。
「復信を受信しました。現在調整中」
「了解。試験送信を続……す」
「了解」
 ソフィアは未だ座り込んだまま一言も発することが出来ずに唇をぱくぱくとしている状況だったが、ウィルの方は既に完全な平常心で複雑な機械を滞りなく操作している。全く何事もなかったかのように仕事を続けるその背中を見上げながら、ソフィアはようやく身体に力を取り戻していった。
 ぷちん、と何か、頭の血管が一本くらい、切れた気がする。
 その感触に連れられて湧き起こってきた怒りに任せ、ソフィアはぱっと床から尻を上げると、しゃがみ込んだままウィルの足首の後ろの腱に強烈な回し蹴りを入れた。
「いッ!?」
 軽やかに足を取られて彼はいっそ綺麗なほどに見事に後方にひっくり返る。
 ごかんッ!
 転倒の瞬間、何やら激しい音がした。――どうやら頭を打ったらしい。が、知ったことではない。
「もしもし、どうしましたか? 応答願います。応答願います……」
 機械からは、大分クリアになった音声が通話相手の現状を知る由もなく呼び続けていた。


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