女神の魔術士 Chapter3 #3

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 独力での挑戦は無謀な難攻不落の遺跡かと思いきや、攻略のポイントは思わぬ安直な所に存在していた。
 床面より上方二十センチほどの虚空に浮かび上がったウィルは、足を動かす代わりに脳裏に複雑な魔術の術式を描き出して前進を続けていた。
 この洞窟に仕掛けられている罠のほぼ全ては、その発動の機構を床面や壁面の何気ない部分に天然の岩盤に偽装して設置されており、接触する事によって起動する仕組みになっていた。つまりそれは逆を返せば、接触しない限りはほぼ安全に前進する事が可能だという事であり、魔術を用いて宙に浮遊し、周囲の物体に全く接触せずに移動するすべを持つウィルにとって、実はこれ以上なく攻略の容易な遺跡であったのだった。
 この単純な攻略方法にすぐに辿り着く事が出来なかったのは、本来、この方法でクリア出来る遺跡というものはあまりないからであった。前に述べた通り、現存する古代遺跡は大抵、現在より高度な魔法文化の時代の遺物であるので、今となっては一握りの魔術士しか使う事の出来ない空中浮遊の術に対しても何らかの対応策が取られているのが常であった。
 ウィルは慎重に魔術を繰りながら、通常の歩行と同程度の速度で進行を続けていた。空中浮遊――正確に言うと重力制御は、教会魔術士たる彼にとってすら高難度の術である為、些細なミスにより大事故を起こす危険性も皆無ではないのだが、それを考慮しても自分の足で罠に引っ掛かりつつ先へ進むのよりは間違いなく安全だった。
 頭の中の術式を組み上げるその隣辺りの領域で、先程から気がかりであった事を思う。
(ソフィアは大丈夫かな……まあ、心配するだけ無駄なんだろうけど。でも、もしもって事はいつだってあるんだし)
 あまり他に割り振る事の出来ない意識を全て先行した少女に関する事に費やしつつ、ウィルは瞼を半ば下ろして手のひらで顎を撫でた。端から見ると集中力に欠くような仕草ではあるのだが、これは逆に考え事に没頭している時の彼の癖である。
 魔術の明かりは自分の周辺を照らし出すのみで、彼女の消えた先はいくら目を凝らしても見通す事は出来ない。浮遊の魔術を開始してからは順調に先に進む事が出来ているのだが、未だ彼女の後背を捕捉する事は出来ないでいた。余程順調に進んでいるのだろうか。洞内は比較的起伏が少なく、罠さえ無視出来れば足で進むのも魔術で進むのも労力に変わりはなさそうだった。
(こっちはさほど速度も出してないし、彼女ならお荷物がいなくなればほいほい行っちゃうだろうからな。追いつくのは無理か――)
 丁度、そう結論づけたその時。
 唐突に、真っ正面から突き飛ばされたような、そんな錯覚を覚えて、ウィルは一瞬、自分の魔術の制御を失った。
「っ!?」
 支配下から外れかけた魔術を立て直そうとはせずそのまま解除し、足を地に付ける。驚愕の表情を暗闇に閉ざされた進路の先に向けるが、その様子はこれまでと何ら変わる所が無く、何が起きたかを目視で確認する事は出来なかった。
 が――
「魔力……っ?」
 ウィルは、我知らず呻き声を上げていた。現象を目で確認する事は出来なかったがその代わり、肌は、襲い来たそれの正体を見極めていた。
 前方から突然噴出してきたのは、強烈な魔力の圧力だった。あくまでも純粋な物理現象を引き起こさない気配としての魔力で、突き飛ばされた、と感じたのも、実際に身体にそのような作用を受けた訳ではなかった。例えるなら頭を割らんばかりの大音声が突如叩き付けられたという感覚が近いだろうか。強力な魔力はそれに対する耐性を持たない者の身体に悪影響を及ぼす――が、どうにか彼ならば耐え切れるレベルではあった。
 それは、全く安心出来る要素ではなかったが。
 次に、ウィルの口から漏れ出んとしていた一声は、先行した少女の名前だった。けれどもウィルはその一言を紡ぐはずだった唇を、それよりももっと複雑で長い言葉を形成させるのに用いる。
 重力制御の呪文を、これまでよりも複雑に――限界まで速度が出るよう唱え直して、ウィルは闇の奥へと虚空を滑った。
(一体どういう冗談だっ!?)
 そのまま洞壁に激突すれば間違いなく重傷を負うであろう速度で飛行しつつ、ウィルは当たり散らすように、心中で自問していた。比較的空間に余裕はあったとはいえ、洞窟内で高速飛行をするなどこれ以上ない無茶で、術の制御に全力を注がねばならないという自覚はあったが、それでも頭の片隅で行われる思考を止める事は出来なかった。
 今迄全く魔術の気配を感じなかった遺跡で突如現れた魔力。何らかの魔術装置が何らかの理由で発動したのであろうが、今問題となるのは何故そんなものが存在するのかという方ではなく、それが発動したきっかけの方である。
 原因自体は、問うまでもない。ソフィアが何かしたのだ。偶然というタイミングではないだろう。だが、その原因すらも問題ではなく、
(俺でどうにかってレベルの魔力濃度に、彼女が耐え切れる訳がないじゃないか……!)
 ウィルの危惧はただ一点、それのみに集約されていた。
 魔力に対する耐性は体内に生来保持している魔力量とそれを操る能力に比例するもので、強力な魔術を操れる者ほど一般的にその性質が高い。ソフィアは――ある場合においては実は魔術を行使する事も出来るのだが、元々訓練を重ねてその能力を手に入れた訳ではなく、魔力そのものを操る能力は恐らくこれに耐え切るには十分ではない。
 程無くして視界の先の粗い壁に反射された曖昧な青い光を確認し、ウィルは魔術を維持する気力を振り絞った。それから数秒で、直射光を目視するに至る。
 即座に術を解除し、そのままの勢いで、ウィルはその空間に駆け込んだ。
 そこは、天然のものか人工のものか判別出来ないが、通路よりも縦横共に数倍広く開けた空間だった。狭所の圧迫感から瞬時感覚が開放される。入室した直後、周辺を見回すまでもなく、ウィルはその視界の中央に探すべき姿を認めていた。
 青白い光の中で、目に入ったのは。
 光源である宝玉の置かれた台座のすぐ前で、亜麻色の長い髪を床に振り撒いてうつ伏せに倒れ伏す少女の姿――
「……っ!!」
 その名を呼ぶことすら出来ないまま、ウィルは即座に彼女の傍に駆け寄った。冷静に考えれば、この罠だらけの遺跡の中における危険は魔力のみではなかったかもしれなかったが、この瞬間のウィルにはそれを考慮する余裕すらもなかった。どの道、彼女の傍らにひざまずくまでウィルの身に何かしらの罠が降り注がれることはなく、彼はそのままソフィアの細い肩を掴んだ。
「ソフィア、ソフィア! しっかりしろ!」
 触れた肩を力いっぱい揺さ振りたい衝動に血を吐く思いで自制をかけ、無用の振動を与えないように軽く叩く。が、何ら反応を示さないソフィアに焦燥を募らせて、向こう側を向く形になっていた彼女の顔を覗き込む。
 瞬間、全身が総毛立つのを感じた。
 深刻な負傷が見受けられたわけではなかった。ソフィアは、いつも通りの綺麗な顔のまま、ただ眠っているかのように力なく、瞼を閉じていた。
 いつもと全く変わらないはずの顔。けれどもその顔色は透き通るように青白くて。
 ――脳裏に刹那、ほんの刹那、子供の頃に病で夭折した父親の肌の色が浮かんできて――
 ガッ!
 恐慌に陥りかけた自分の頬を拳で殴りつけ、ウィルは意識を目の前の少女に戻した。
 魔力によるショック症状で倒れたのなら外傷がないのは当たり前で、部屋を満たす光それ自体が青白いのだから顔色が青白いのも当たり前だった。横向きに横臥するソフィアの肩をそっと引き寄せて、仰向けにさせる。
 ひとつ息を吸い込んでから見れば、よくよく確認せずとも分かるほどに彼女の胸は強く上下していた。表情の安らかさに比して呼吸は荒い。ウィルは自然、出そうになった舌打ちを奥歯を噛み締める事で押し止めて、右腕でソフィアの身体を担ぎ上げた。今度は重力制御の魔術を呪文詠唱を極端に短縮した形で唱え、自分の利かない方の腕の機能を補助する程度の強さで発動し、彼女を部屋の外に連れ出す。
 部屋の外に出て何歩か離れた所で、ウィルはソフィアの身体をそっと横たえさせた。魔力の効果範囲外にすぐに彼女を運ばなければならないが、あれだけ離れた場所でも影響を受ける程の強さである。脱出までにかかる時間を考えれば、危険な場所であっても先に処置をこの場で行ってから撤退した方が恐らくは良い。
 室内にある、台座の宝玉らしき物から漏れ来る不気味な青い光の中、その明かりを頼りにウィルは、ソフィアが背負っていたバッグをあさり始めた。勝手に私物に触れたら怒るかもしれないが、そうも言ってはいられない。今彼が目的としている物は、彼の私物の中にはない品物だった。
 いくつか小袋を出しては中を確認して放り捨てまた別の似た袋を捜し、を何度か繰り返して、ウィルはようやく目的のものを見つけ出してほっと息を吐いた。
 彼が取り上げた袋の中にいくつか入っていたのは、飴玉程度の大きさをした丸薬だった。大きさもさる事ながら色も薄い水色で、おまけにざらめのような粗い粒子がまぶしてあるので、何の説明もなければ本当に正真正銘のただの飴玉に見える。が、これは魔力を中和する働きを持つ、正真正銘の魔法薬だった。本来はここのような魔力の影響を受けるような場所に進入する際、口中で少しずつ舐め溶かしながら服用して身体への害を予防する為に使うが、一応の応急処置にも使える。
 ウィルはそれを自分の口に放り込み、奥歯で噛んでいくつかの小さな欠片に砕き、一粒ずつソフィアの唇の隙間に押し込んだ。最後の欠片を差し入れてから、水筒の水を口に含んで、口移しに流し込む。
(熱は、ないな)
 触れた唇はほのかに暖かく、少し乾いていた。彼女の喉が条件反射で口腔内に注ぎ込まれた薬と液体を飲み落とすのを確認し、ウィルはそっといたわるように頬を撫でた。
 強力な魔力の影響は、重症の場合は心停止を起こすこともあり非常に危険だが、発熱を引き起こすほど深刻なショックが出ていないのならば、生命に直接的に支障を来たす可能性は低い。罠にかかってから比較的早く発見できたのが不幸中の幸いであったと言えるだろう。薬を飲ませたのでこれ以上魔力の影響を受ける事は押さえられるだろうが、早めにこの場から離れた方が良い事には変わりない。
 ウィルはソフィアの身体を再度抱え上げ、また同じ重力制御の呪文を唱えはじめる。――と、刹那、立ち眩みのような意識の混濁を覚えたが、ウィルは構わずに呪文を続けた。
 やがて完成した魔術を受けて、足が地面から遊離する……ような錯覚を一瞬感じたが、実際には、ウィルの足は数ミリたりとも浮かび上がる事はなく、その場で静止したままであった。
(駄目か……)
 目眩を感じた時点で多分失敗するだろうとは考えていたが、その予測が確定して、ウィルは溜息を吐いた。魔術を失敗するなど、その道の権威たる教会魔術士としてはあるまじき失態ではあるが、これだけの術ならばさすがに仕方のない事ではあった。魔術は一時に使用すればするほど、一般的にその成功率は低下する。酷く精密な情報処理を脳内で行う為、魔術の制御を司る精神力が極度に摩耗するからだと言われている。
 魔術については再試行することなく諦めて、ウィルは意識のないソフィアを岩壁に背中をもたれさせる形で座らせた。次いで、荷物の中からロープを取り出し彼女の両手首を合わせて縛る。別のロープを今度は自分の左手首のみに括り付けてから、ソフィアの腕の中に頭を通すようにして彼女の身体を背負い上げた。彼女の右足は右手で普通に抱え上げ、左足はロープで手繰り寄せた左腕に引っかける形で支え、そのロープとソフィアの両手首のロープとをまとめて握り締めて立ち上がる。
 少々無茶な体勢であるが仕方がない。僅かに肩を動かして体勢を整えてから、ウィルは来た道を戻り始めた。気がかりなのは道中の罠であったが、それは今の彼でも使える範囲の魔術でどうにかいなすしかない。何回か試せば成功するかもしれない重力制御を早々に諦めたのも、少しは余力を残しておかないとまずいと判断したからだった。
 と、その時。
「う……」
 かすかな呻き声が、耳元で聞こえた。
 顔をそちらに向けると、すぐ傍にあったソフィアの整った顔がやや苦しげに歪められ、頬と瞼が軽く痙攣をしている様子が見えた。彼女は重たそうに、少しだけ目を開いた。
「悪い、ソフィア。起こしたな」
 進行方向に向き直り、歩みを進めながら、ウィルは背中の彼女にそっと声をかけた。
「ウィ……ル……?」
「うん」
 危険な状態には至っていないとしても酷い倦怠感があるはずで、一言紡ぐのすら辛いのだろう。掠れた声でどうにか聞き取れる程度の囁きを発したソフィアに、ウィルは応えて、頷いた。
「まだしばらくかかるから、そのまま寝てて。寝心地は悪いとは思うけど」
「あたし……」
「魔力に当たったらしい。罠の一種なのかな、分からないけれど、あの青い宝玉。あれが妙に強い力を放ってた。君の荷物の中にあった抗瘴気剤を借りたから。今は全然動けないと思うけど、休んでればじきによくなるよ」
 情報は聞かれるよりも先に全て話しておく。意識が覚醒しきっていない彼女が後になって覚えていられるかどうかは定かではないが、今、むやみに喋らせることを止める為にしていることなのでそれでも別に構わない。
 ぼんやりとした様子ながらもソフィアはウィルの言葉を飲み込んで、消え入るような声で呟いた。
「……ごめん。しくじった……」
「気にしないでいい。って俺が言える立場じゃないってことくらい、分かってるだろ」
 あえて気楽に笑って見せる。ソフィアは頷くように、瞼を重そうに一回まばたきさせた。
「ほら、まだ眠いだろ。余計な事喋ってないで、早く寝ろよ」
「……降りるよ、重い……でしょ」
 呟きながら、ほんの僅かに彼女は身じろぎした。それで精一杯であるらしいのによく言うものだと、ウィルは呆れ半分感嘆半分の笑声を洩らす。
「寝てろってば。こんな時くらい頼れよ。いい加減自信なくすだろ、俺」
「そん……な、……ない」
「ん?」
 ソフィアの呟きが聞き取れなかったので、ウィルは反射的に問い返してから、しまった、と思った。このまま眠らせるつもりでいるのに会話を継続させようとしてどうするのだ。
 けれどもそんなウィルの心配を他所に、ソフィアはウィルの問いに明確に返答するよりも先に、意識を闇の中に深く沈み込ませたようだった。


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