今の今迄戦場の真っ只中であった場所であり、今もいつ男たちが我を取り戻して矢を放ってくるか分からない路地の間を何の躊躇もなく歩いてくるウィルを、ソフィアは彼の歩調に合せるかのようにゆっくりと顔を上げて見上げた。
「やば……」
ソフィアは、先程避けきれぬ攻撃を受けかけた時と同じ引きつった笑みのような表情で、同じせりふを呟いた。
彼が無言で放つ、鋭利な怒りのエネルギーは、他の誰にでもなく、明らかに彼女一人に向けられているものだった。
武装集団の丁度足元を、無防備に抜けて行く形となったウィルは、しかし一切の攻撃を受けぬままソフィアの前まで辿り着いていた。表情自体には怒りの形相は見られない。仮面のような無表情である。しかしそれがかえって、彼をとり巻いている雰囲気の鋭さを増しているようであった。
いかにも魔術士らしい怜悧な眼差しをしている訳でも、戦士然とした威圧的な眼光を持っているわけでもない、凡庸な造作の青年が放つ視線は、しかしながら歴戦の武装集団と互角以上に渡り合った少女をして、小さく、うひゃあ、と悲鳴を上げさせる程の威力を持っていた。
無言のまま、互いの視線が交錯する。
しばらく待っても一向に言葉を告げてこようとしない相棒に、ソフィアはゆるゆると立ち上がりながら片手を上げ、出来る限りの笑顔を向けた。
「……やほー。元気?」
「おかげさまで」
明らかなボケにも反応しないつっけんどんとした第一声に、ソフィアは早くも、搦め手は無効である事を悟った。両のこぶしを握って顎の辺りに揃えて当てて、冷たく見下ろしてくる瞳をそっと見上げる。
「怒っちゃイヤん」
ソフィアの体当たり的発言に、無表情を保っていたウィルの口許が大きく引きつる。
落雷を察知し、ソフィアはぱふんと両耳を押さえた。
「怒られるって自覚出来るくらいなら自重しろッ! 何なんだよこの戦い方は!? 何を考えてこれだけ大人数に真っ正面からぶつかってんだよ君はっ!? 他にやりようってのがあるだろ、一旦撒いて背後を突くとか俺に任せるとか! 出来なかったとは言わせないぞ!?」
「考えたわよぅ、そりゃあ……でも、あいつらの所為でドレス破けちゃったんだよ? 許せないじゃない」
耳を塞いでいても十分聞こえたウィルの怒鳴り声に、ソフィアは唇を尖らせて反論する。が、その反論自体が更に油を注ぐ結果になったようだった。
「ドレス!? 阿呆か!? 本物の阿呆なのか君は!? そんな布切れと自分の命を同列に並べる程判断能力に欠陥があるんだったんならそうだと予め言っておいてくれないか!? ただでさえ君の行動は予想つかないんだからこれ以上不確定事項増やさないでくれよ!!」
ウィルの遠慮会釈のない言いように、今回はお小言を甘んじて受けるつもりでいたソフィアもさすがにいささかむっとして眉間に皺を刻み込んだ。
「そこまで滅茶苦茶に言うことないじゃない。第一あのくらいわざわざウィルに助けてもらわなくたって避けられたわよ! 一、二本、軽く貰う程度の覚悟してれば」
「そういう所をさっきから阿呆だ阿呆だと言ってるんだよ! 君は自分が女の子だっていう自覚あるの!? 自分が傷を受けることを前提とした動きをするってのは馬鹿の手段だっ!」
「はぁ!? 何よそれ男女差別!? ていうかそれ抜きにしても、ウィルにだけは絶対言われたくない事言われた気がするなあ!?」
噛み付かんばかりに言い返すソフィアに一瞬、ウィルが言葉に詰まる。それを勝機と見て、更に言い募ろうとしたソフィアを一瞬速く遮って、ウィルがややトーンを下げた声で呟いてきた。
「君に万が一の事があったら、別に義理立てしたくもないがあの雇い主に申し訳が立たないだろ」
「……な」
全く意図していなかった角度からの反撃に、今度はソフィアが絶句する。ウィルは彼女の呆気に取られた表情を見て、馬鹿にしたようにふんと鼻から息を吐いた。口を、「な」の形に開いたままそれ以上の声も出せずにいたソフィアだったが、その態度に思わず、目線の斜め上にある男の襟首を引っつかむ。
「何よそれっ!? そういうこと言うわけ!?」
「そういうこともどういうこともあるかよ今更!」
「何が今更よ!? 今迄の自分の態度も省みないでそんな事言うなんておかしいんじゃない!?」
「省みたから言ってるんじゃないか! 君と違って自分の分くらい弁えてるんだよ俺は!」
「だからどういう意味よそれは、ほんっと信じらんない! 何卑屈になってんのよ格好悪いわねッ!?」
「言われなくてもそんな事は分かってるんだよ!!」
言い合いの熱は泥沼化の様相を呈しつつも際限なくヒートアップしていく。お互いがお互い、相手の事以外は全く眼中になくなってきた頃、二人を取り巻く男たちはようやく我を取り戻したように動き始めていた。それでもどこかこそこそとした様子で新しい矢を装填し、地表の二人に向けて構える。動こうとする気配も見せず、周囲にはかけらも意識を払っていない様子の少女と青年は武装集団の男たちにとって格好の的だったはずだが、誰もが引き金を引くことを躊躇していた。敵手の戦闘能力に対する警戒もあったが、もしかしたら口論の剣幕に気圧されていたという部分もあったかもしれない。二人の言い争いは確かにそれ程の勢いではあった。
しかし、このまま眺めていては機を逃してしまうと判断したのだろう。男の一人が、気力を振り絞るように声を上げる。
「う、撃てっ!!」
引き金にかけられた男たちの指に、力が込められる――が。
「うるさいッ!!」
指示の声に男たちが応えるのと同時に、二人もまた反応を示していた。
揃って全く同じ怒鳴り声を上げるのと共に、やはり申し合わせたように二人は同時に右手を、自分の横合いを薙ぎ払う形で一閃させていた。ソフィアの手からはばらばらと法石の粒が、ウィルの手からは純エネルギーの光線が、それぞれ放たれる。
ずがががんっ!
それぞれの屋根の縁に分け隔てなく着弾した法石は赤い炎を上げて炸裂し、足場の悪い屋根に立っていた男たちを何の苦もなく吹き飛ばし。
ばしゅうっ!
反対側では巨人が振るう剣の如き光線に残りの半数が片っ端から薙ぎ倒されて散っていく。
「あわわわわ……」
発射の号令をかけた男は、本当にたまたま、奇跡のような確率で、そのどちらの攻撃も受けずにいた。丁度、二人の攻撃範囲の境にあたる場所に陣取っていたのが幸いしたらしい。それは丁度、ウィルの真正面、ソフィアの真後ろに位置する場所だったのだが……
ゆらり、と振り向いたソフィアと男が、目を合わせる――
戦場の女神の視線から男が逃れようと思考するよりも早く、ソフィアが投げ放った石――これはただの路傍の石だった――に鼻っ面を強打され、彼は屋根から転げ落ちて行った。
「何なのよ」
腰に手を当て、最後の男が落ち行く様を見ながらソフィアが小さく呟いた。実につまらない差し水だったが、どの道このまま口論を続けていたとしても面白いことはなかったに違いない。ウィルを見上げると彼は少々気まずそうな顔をして、ソフィアに掴まれて崩れた襟元を直していた。小さく溜息をつく。
「で……これはいいけど、あっちはどうなってるわけ?」
「あっち?」
「ファルナスさんたちの方よ」
ウィルの顔から目を逸らし、無駄に騒いだことで熱気を帯びてしまった頭を冷やすように前髪をかき上げて尋ねると、やはり視線を合わせようとはしないまま、彼はぽつぽつと答える。
「法石をいくつか渡してその場で待っててもらってる……」
「…………」
返答に一瞬納得しかけてから――
ソフィアはばっとウィルの方を振り向いた。
「はぁっ!? 駄目じゃないそれ、今あたしたちが攻撃受けてる最中なんだよ!?」
こちら側が攻め手にあるのならまだいい。一方的に追い回して連携も何もあったものではない状態に相手を落としているのなら、守りを多少甘くしてもかまわないだろう。
だが今は攻守が逆転しているのだ。攻撃対象として最適な、誰が見ても明らかなウィークポイントを――いくらソフィアのような例外中の例外を目にした直後とはいえ――突いてこない筈はない。
「まさか今こっちが守勢に回ってるなんて思わなかったんだよ!」
「言い訳は後で殴る!」
「殴るの!?」
相手の言い分を聞くよりも早く踵を返して走り出したソフィアを、ウィルも慌てて追い始める。
「どアホー度、より上なのはどっち!?」
夜の廃村を駆け抜けながら問うソフィアの言葉に――
「……俺ですスミマセン」
ウィルは一分ほど前を態度からすれば考えられないほど素直に謝罪した。
そして……
「馬鹿ウィル阿呆ウィルなすびウィル、人が任せたことも一人前に出来ないウィルの分際であたしに文句つけてるんじゃないわよウィル」
「だー……もう俺が悪かったって言ってるだろうが……」
目の前の様子よりも、横からネチネチと続けられる一方的な嫌味の方に苦い顔をしながら、ウィルはその状況を見守っていた。
人質の女性たちが囚われていた小屋は周囲四方に加え屋根の上にまで人員を配置した厳戒態勢の下に置かれていた。
これで決着がつく、か――
目を眇めて状況を観察しながら、ウィルはそう判断した。ソフィアがここまでに打ち倒した分を考えればそろそろいい加減人員が尽きても良い頃であるし、何より男たちの表情に切羽詰ったものが感じられた。最終戦に向けての気迫、あるいは背水の陣の悲壮さか。部屋の出入り口のすぐ外には大柄な男が、ファルナスの首を締め上げるようにして押さえつけながら立っている。持っているはずの法石は全て消費したか、没収されたのか定かではないが、どちらにしろ彼女の手の内にはないようだった。
「くそったれが、よくもなめた真似してくれやがったな! 野郎と小娘! どこかで聞いてやがるんだろう!? このアマををバラされたくなければ大人しく出てきやがれ!」
「……なーんて個性も何もないベタなせりふを言ってるよ、ゴキウィル」
「ちょっ……ゴキって何ゴキって」
がなりたててくる没個性な男の代わりのつもりだろうか、非常に個性的な呼称で人を呼んでくるソフィアに、ウィルは小声ながらも思わず突っ込みを入れた。それに応え、少女はその端正な顔に欠片ほどの冗談の気配も交えず真顔で言ってくる。
「台所にいる黒光りする」
「うわやっぱそのゴキなんだ……分かった、もう分かったから言うな」
彼女の言葉の途中で手を上げて、ウィルはその先を制した。一見さばさばした性格と見せかけて、人に恨みを抱くと結構しつこい。
男たちの視界にぎりぎり入らない範囲で最も接近した位置にある小屋の影に二人で身を潜めながら、ウィルは目の前の少女の髪を眺めていた。確か、舞踏会場にいた時は高く纏め上げていたはずだったのだが、動いているうちに崩れたのか、いつの間にか普段の下ろした髪型に戻っていた。いつもと違うのは本来ストレートの髪に今は結い上げた時についたくせが残っていることで、肩の辺りでふわりと波打ち、細い背中を包むように流れる髪はいつもより柔らかそうに見える。
それに触れたいという欲望は少々の努力では抑えがたいものだったが、ウィルは指先に自分の顎を撫でるという無意味な仕事を与えることで、その感情を抑制した。そんな青年の心中の葛藤などは露知らず、何気ない口調でソフィアが確認してくる。
「それはいいとして、この状況は……ちょっとまずいかもね。見えてる範囲にいる分はいいけど、小屋の中にも敵、いるだろうし。そこまでは狙い撃てないよね?」
少女の問いに、彼は手の動きを止めて首肯した。視線を、男とその後ろの小屋に向ける。いくらある意味物理的制約を超越した術である魔術といえども、的に当てるという作業自体はダーツや投げナイフなどと同じく、目で見て狙いをつけるものである。視界の外にある映像を視る術というのもないことはないのだが、それには特別な術式の刻まれた水晶玉といったような受信媒体が必要になる。さすがにそんな特殊な装備までは用意していない。
小屋の外にいる男は八人ほど。その程度の人数なら纏めて狙撃できるが攻撃の気配を知られたら最後、小屋の中で人質に向けられているであろう銃口からは一斉に矢が吹き出すはずである。中の敵に悟られず魔術を放つことも不可能。逐一外の様子は観察されているに決まっている。奇襲も不可能。あの警戒では接近すら難しいし……
「ソフィア、法石は?」
「さっきので全部使っちゃった」
――陽動も出来ない。
考えられうる戦術行動を一通り頭に浮かべてから、ウィルは小さく舌打ちして呟いた。
「障壁、解除するか」
ソフィアが肩越しに振り返って来る。
「奴らの狙いはそれだろ。俺をどうにかして、逃げ道を塞ぐ障壁を解除させること。今は奴らの望み通り要求と人質の命とで取引する。それしかない」
「分が悪いわね」
すぐさまソフィアはそう断じた。
「とてもじゃないけど対等な取引にはならないわ。会場の二の舞よ」
「分かってる……けど、今はそれが最善だろう」
熟慮した末の結論を告げられて、しかしながらソフィアも中々諦めず、難しい顔をして思考を続けた。しばしの間考えて、不意に、ぱっと何か閃いたように顔を上げる。
「あれがあるじゃない! 空間転移! あれなら一瞬で小屋の中に入れる! 最初に入ってきた時みたいにさ!」
ソフィアの明るい声に、けれどもウィルは首を横に振った。
「却下。中に入るまでならいいけど、その直後に状況を把握して攻撃魔術を撃たなきゃならないんだよ。いくらなんでも敵が引き金を引く方が早い……し、何よりももう、あそこまでの難度の術は使えない」
「……どうして?」
問い返してきたソフィアの顔色がさっと変わった事を察して、ウィルは慌てて手を振った。別件の――魔術行使に際する制約の件と誤解させてしまったらしい。高度な魔術を使い続けると疲労が蓄積し、最悪意識を失う危険性もある事を、彼女は知っている。
「いや、俺の体調の問題じゃなくて。ただちょっと……ファルナスさんがまずい。あの人、魔術を知ってる人だ。今更と言えば今更なんだが……」
「それの何がまずいの?」
きょとんとして聞き返してきたソフィアに、ウィルは、あー、と唸る。
「そういえば言うのを忘れてたな。君にも教えておくべきことだったんだけど……」
「ふーん? まあいいや、後で教えて」
「あ、後でって」
「だって、今はこの問題でしょ?」
不思議そうに、小屋を指差してソフィアが首を傾げる。男たちはぎらぎらとした目つきで周囲を見回していた。二人がこの場所で小屋の観察を始めてからまだ数分しか経っていないのだが、早くも時間切れは迫ってきているようだ。
「それはそうだけど……そうじゃなくて」
ウィルはぼそぼそと呟いたが、ソフィアはそんな彼の言葉は既に聞いていなかった。男たちの様子をまばたきをする間すら惜しむように見つめて、何事かを呟いている。
「成る程ね。始末をつけたら即逃げ出せるように全部纏めてるわけ……なんでわざわざあんなものまで持って来てるのかと思った。空間転移は無理で……なら……ふぅん……」
ウィルの判断から、何か新しい認識を得たのか。ソフィアの呟く言葉は独り言以外の何物でもなく、ウィルには意味の取れない断片化された文章の羅列でしかなかったが、彼は期待の視線を彼女に向けていた。現在取れる最良の手段とウィルが考えた手自体さほどの良策ではないこともあって、ソフィアの回転の速い頭脳に賭けてみようと思ったのだ。
と、そんな時。
「くそったれが、なめやがって! さっさとでてきやがれ! 人質がどうなるか分かってんだろうな!?」
ファルナスを抱え込んだ男が痺れを切らしたように、相変わらずの貧弱な語彙を奮い叫んでいるのが聞こえてきた。ウィルがそれを鬱陶しく思って視線を投げ返すのと同時に、ソフィアが、すう、と背筋を伸ばす。
「動くか?」
男に視線を向けたままのウィルの問いかけに、答えは返ってこなかった。
――否。これが答えだったのかもしれない。
がごッ!!
「うあッ!?」
唐突に後背部から強烈な打撃を食らって、ウィルは思わず悲鳴を上げた。
(――奇襲!?)
衝撃に突き飛ばされた彼の身体は小屋の影から軽々と押し出され、地面に盛大に転がって砂埃を上げた。その勢いに抵抗もせず身を任せる形になったのは、打撃の威力を受け流そうとしたわけではなく、唐突さのあまり攻撃に対処出来なかったに過ぎなかった。目の前の男たちには不審な様子は見られなかったはずだが、いつの間に発見されていたのか。いや、それよりも背後を取られるまでどうして気付かなかったのか――
だが、めまぐるしく頭を過ぎったそんな考察も、実は、全く無意味なものであったことをウィルはすぐに悟ることになる。
むぎゅッ。
腹ばいの姿勢になってしまった所を背中から踏みつけられ、反射的に振り仰ごうとしたウィルの右腕を背後にいた人物が捕らえる。肩に走る激痛。泣きそうになりながらも見上げた彼が目に映した敵手とは――
「ごめんね? ウィル」
非常ににこやかに、むしろ非情なまでににこやかに、ウィルの腕を掴み上げて謝罪の言葉を口にするソフィアの顔を、彼はただただぽかんと見上げていた……
男の太い腕に締め上げられながら、ファルナスは目の前で繰り広げられる急転直下の展開に、目を点にしていた。
「な、何……」
唐突に、小屋の影から転がり出てきた男とそれを踏む少女を目にして、ファルナスを抱える男は困惑したように呻いた。地に伏す青年の方は社で雇用した魔術士、ウィル・サードニクス。少女の方も同じく警備人員であった、ソフィア・アリエス。仲間である男を、仲間である少女が押さえつけているのだ。ヒールを履いた足で踏みつけ腕の関節を軽々と固め、少女は悠然と青年を見下ろしていた。
その二人の姿は、この武装集団が捜していた対象そのものであったため、すぐさま彼らは集団に包囲されたが、彼女は怯む様子も見せなかった。逆に、男たちの方が怯んでいるようにも見える――その尋常ではない状況に。
さざなみのようなどよめきを上げる男たちの中で、意を決したように、ファルナスを抱えていた一人が声を上げた。
「ど、どういうつもりだ」
問われて、少女は男の方に顔を向ける。
「どういうつもりって、見ての通りよ。あなたたちにプレゼントをあげようって言ってるの」
しゃあしゃあと言いながら少女は、手で指し示す代わりに魔術士の青年の背中に置いている足に体重をかけた。青年が、うっと鈍い悲鳴を上げる。
「彼が外の防御魔術をかけた魔術士よ。解くように説得まではしてないけど、まあ、そのくらいは自分たちでやってちょうだい。得意でしょ、そういうの」
告げて、薄く笑む。幼げな容貌の少女ではあったが、そこに浮かんだ表情は、それを見る全ての者の目に――同性であるファルナスの目にも――嫣然と映った。類稀な美貌が作り出す酷薄な笑みに、気圧されたかのように男がごくりと喉を鳴らす。
「てめえ、仲間を売るってのか……」
その言葉に、ソフィアはやや意外そうに目を見開いてから、鼻先で小さな笑い声を上げた。
「もう逃げようがないもの。お仕事熱心な彼は人質を見捨てるのは嫌だって聞かないし。彼が魔術を解いてくれなきゃあたしだって逃げられなかったのよ。分かるでしょ?」
それとも、と、変わらぬ笑顔を貼り付けたまま、少女が一呼吸をつぐ。
「仲間を裏切るような真似をする奴は信用できない、とかいうようなありがたぁいせりふが聞けるのかしら?」
堂々とそんな挑発を言ってのける少女を、唖然とした表情で男は見つめていたが、やがて何か良からぬことを思いついたように分厚い唇ににやりとした笑みを浮かべた。
「……図太い女だな。気に入ったぜ」
「おいっ!?」
すぐさま横合いから声をかけてきた別の男を手を上げて制して、続ける。
「分かってるよ、こいつは危ねぇ女だ。こんななりのくせにとんでもねえ手並みをしてやがる」
「酷いわね。もう法石も持ってないもの、そうそう戦えないわよ」
くすくすと笑う少女。それに応えて、男のいやらしい笑みもより一層深まる。
「よく言うぜ。ボスを素手でのしちまったくせによ。……まぁ、念の為に調べさせてもらうがな。隅々までなあ」
その言葉に、真意を察した男の仲間たちがにわかに沸き立つ。調べる、という言葉に含まれるいかがわしい思惑に、ファルナスは生理的嫌悪を覚えた。彼女のこの行動が本気なのかやはり狂言であるのかは男たちにも判断つきにくい所であろうが、どこの美姫も舞台女優もかくやと言うほどの美貌の前に、その危険性は黙殺される事になったらしい。
ファルナスを捕らえていた男は、ぽいと彼女を手放して少女に歩み寄った。――女として少々腹が立つが、だからと言って抗議しようとも思えない。
「仕方ないわねぇ」
ふう、と溜息を吐き出して、一旦、彼女は上体をかがめた。地に伏せる魔術士に身体を近づける姿勢に、男の足が警戒して、一瞬止まる。
けれども彼女の行ったのは彼と密談を交わして反撃に転じるといったような類のことではなく、ただ、一言、皆にも聞こえるような音量で声をかけただけだった。
「悪いわね、ウィル。あ、呪文唱えたりしちゃ嫌だからね? ……ねえ、あなたたち。さっきみたいに口塞いどいた方がいいかもよ。彼、何するか分かったものじゃないから」
言葉の後半は周囲の男たちに告げて、ウィルから足を退ける。
――これで確定した。男たちはそう判断してにやりとした。彼女は、魔術士である青年の唯一の武器である魔術を封じて、武装集団にあっさり引き渡そうとしたのだ。この後、彼がどのようなむごい扱いを受けるかは分かりきっている事だというのに。魔術士は観念したのか最早抵抗らしい抵抗もしない。仲間だと思っていた少女に裏切られ、ショックを受けているのだろうと何人かの男たちがせせら笑う。この青年が先程舞踏会場で捕らえられた馬車を運転させた魔術士だという事に殆どの者は当然気付いていたが、今のあまりにも無力な姿に警戒心を感じろという方が難しい話であった。どの道魔術士など、呪文を唱えさせなければ脅威とはならない。
他の男たちがウィルを拘束している間、ソフィアに近づいた男は腰に吊るしていた大降りのナイフを地面に放り投げ、少女の細い腕を掴んだ。
ぬめぬめとした軟体動物が絡みつくようなしつこさで少女の細い身体を触ろうとする男に、焦らすような微笑を浮かべながら彼女もそれに応えた。男の脇腹をなぞるように撫でて、その腰に腕を回す。そして……
男が腰に下げていた、皮袋をベルトから引きちぎる。
「んあ?」
武器を奪われることくらいは警戒していたのだろう。だからこそ、ナイフを彼女に触れるよりも先に外したのだ。けれども今奪われたそれは、まさか取られるとは思っていなかった物らしく、男は妙な声を上げた。
口紐を少女が片手で手早く解くと、その中から零れたのはきらきらと輝く貴金属や宝石だった。男たちが会場で奪った物品である。
「何だまだお前そんなもん……」
男にとって確かに奪われては困るもので、本来の役割としてならば少女にとって奪い返さねばならないものであったが、しかし、このタイミングで奪った所でどうしようもないものでもある。そういう思考が働いたのだろう、不可思議そうな表情をする男の腕の中で、ソフィアは更に輪をかけて不可思議な行動に出た。
宝石の詰まった皮袋を、未だ人質が捕らえられている小屋の上空に投げつけたのだ。
「なっ?」
訳が分からないのは当の男だけではなく、ファルナスも含めたその場の全員だった。男たちに羽交い絞めにされているウィルすらも、その男たちと一緒になっていくつかのきらめきを撒き散らしながら飛んでいく皮袋の軌跡を大口を開けて眺めている……
まるで夜空に打ち上げられる花火――
ファルナスがそんなものを想起したのは、女の第六感、という物であったのかもしれない。
「ウィルっ!!」
振り返ったソフィアが鋭い声を上げた瞬間、訳も分からず、ただ反射的にウィルの口を塞いだ男は中々に良い判断を行ったと本来なら賞賛されたはずだろう。魔術士は、呪文を唱えなければ魔術という、絶大なる戦力を発揮できない。声さえ封じてしまえば簡単に無効化される脆い存在――それが一般常識だ。
けれども――
ファルナスははっとして、ウィルを振り返る。
この男は先程、呪文を唱えずに魔術を行使しなかっただろうか?
しかし、ファルナスの胸中の問いに気付くはずはなく、彼は口も腕も封じられたまま小屋をひと睨みする。
直後――小屋の屋根が大爆発を来たした。