女神の魔術士 Chapter1 #11

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 矢を装填されたボウガンを前からも後ろからも向けられながら、ウィルには猿ぐつわが噛ませられた。後頭部で、かちゃり、と金属音をさせて留められたということは、有り合わせの布やロープで作ったようなものではないのだろう。初めから、使うことを想定して準備してきた道具だ。
(やっぱり……)
 先程思いついた予想ににわかに信憑性が出てくる。前を向いたまま視線を横に向けると男の一人と目が合った。先程のリーダー格かと思ったが、違うようにも見える。皆同じような布で顔を隠し、服装も似たり寄ったりなので見分けがつきにくい。男はウィルの惨めな姿を嘲るかのように目元をにやりと歪めた。
「ざまあねえな、魔術士。ご自慢の呪文も唱えられねえで、悔しいだろ」
 ウィルはそのまま何も言わず、ふいと目を逸らした。横から浴びせかけられる男の嘲笑は耳障りだったが、今は無視するより他はない。それよりも立てた予想の裏付けが取れたことをとりあえず喜んでおくことにする。
(内通者、か)
 見た目だけでは分からないはずの魔術士という彼の身分を知っていたのがその動かぬ証拠である。正確に言えば、魔術士同士なら魔力というものを感じることが出来るので分かるのだが、その方法を用いられたのだとしても結論には変わりないし、仮に今その手段で知られたのだとしたら、前もって対魔術士には最も手軽で有効な拘束用具を準備していた理由が説明つかない。
 魔術を取り上げられた魔術士など、剣を失った剣士とは比較にならないほど無力な存在である。魔術は確かに強力な戦闘術ではあるが、その本質は武術というよりは学問であり、その道に傾倒するものの常であるように魔術士には身体能力を高めようとしない者が多い。しかもその上身体そのものに障害がある魔術士など、魔術さえ封じてしまえばこれ以上与し易い相手はいないと考えるのも、あながち楽観的過ぎる判断とは言えない。
 ボウガンの銃口で背中を小突かれて、前へと促される。手枷や足枷ははめられず、自分の足で歩かせられたのも、そういった理由で侮られているからに他ならなかった。
 男たちに包囲されたまま外に出ると、会館の前のロータリーには馬車が十台以上も用意されているのが見えた。わざわざ逃走用に準備したものではなく、来場者がここに来るまでに用いたものであるようだった。丁寧に磨き上げられた黒塗りの馬車と毛並みの良い馬は盗賊たちの持ち物とは考えられない。館の出口からかなり離れた場所に、やはり武器を突きつけられて動けずにいる、ウィルと同じ制服を着た男たちがいるのが見えた。隙を突かれ早々に進入を許し、中の客を人質に取られる形で動きを封じられたのか、生存している人数は思いのほか多いようだった。
 ……等と、悠長に周囲を観察している場合ではなかったらしい。右肩をがつんと強く打ち付けられウィルは痛みに顔をしかめた。
「貴様」
 後ろからかけられた声に、眉を寄せたまま振り返る。
「馬車は動かせるな。そっちの御者台に上がれ」
 思いもよらない命令に、ウィルは思わず反論の声を上げた。
「このふへへ? ふひゃうーあ」
 もちろん口をふさがれているのでまともな言葉になどなりはしないのだが。ちなみに「この腕で? 無茶言うな」と言ったつもりだったのだが、返ってきたせりふはそれが通じたのか通じていないのかよく分からないものだった。
「さっさと行け。自分の立場は分かってんだろう?」
 にべもなく言い付けられ乱暴に突き飛ばされる。たたらを踏んで、何とか転ぶ前に手を馬車の側面へとつけた。
(全く……知らないぞ、俺は)
 今度は胸のうちだけでぶつくさと呟きながら、けれども言われた通りに御者台によじ登る。馬車を動かしたことはあることにはあるがその経験もせいぜい数回といった所であるし、何よりもそれは随分と前――腕を動かすことが出来た頃の話である。逃走劇なのだからスピードも相当出させられるだろう。このまま敵に逆らって渋っているのも危険だが、言われたとおりに馬車に乗っても十分危ない。
 ウィルが想定する危険因子の内訳は自分が馬車を運転するその危なっかしさが八割ほどを占めるのだが、他にも理由になりうるものはあった。
 恐らく、犯人たちがウィルを御者役にしたのは、街から出るまでの間に狙撃されることを警戒してのことだろう。夜会の主催者側も、街の外までは無理としても街の中にならある程度は警備の人員を割くことも出来るし、実際何チームかは随所に配備されているはずである。その部隊に現状でどこまで連絡が通っているかは定かではないが、ウィルたちにとって最も最良の場合――すなわち、完全に情報が届いていた場合であっても、相手がこれほどの人数では足止めすることすら難しいし、一網打尽にすることは諦め一部を捕縛しようとしても、街中とは言え夜の闇に紛れてはどれが敵でどれが味方かを判別して撃つことなど不可能に近い。最終手段として、仲間を一人捨てる覚悟で撃つという手もある――というのが残りの二割の理由であるが、そんな重大な要素がたかだか二割の危険率だという判断は、人質も数多くいるので実際そこまでの無茶をして来る確率は低いであろうという予測に基づいている。
 これだけの大事をやらかす犯行グループである。その程度は敵も考慮しているであろう。彼らにとってウィルの存在は言うなればいくつも準備した保険の一つという所に過ぎない。
 何はともあれ驚くべき慎重さだ。余程周到に準備をしていたのだろう。だが――
(その作戦が、裏目に出なければいいけど……ね)
 人質の女たちを全て乗せ終わり、走り出した何台かの馬車に続いて、ウィルもまた馬の尻に鞭を入れた。



(走り出した)
 車輪が地面を蹴る振動が、膝の下から伝わってくる。床に座り込んだままソフィアは声に出さずそう呟いた。
 馬車そのものは、会場入りの際乗ってきたのと同じような高級な作りの車であったが、ただでさえ少ない本来の積載人員の倍にもなる人数で詰め込まれているため乗り心地はすこぶる悪い。同じすし詰めでもソファーのクッションの上に乗っていられればまだ良かったのだろうが、ソフィアが押し込まれた時に確保したスペースは、床に足を折って座っていなければならない場所だった。
 目を閉じて、全身の感覚を研ぎ澄ます。側面の窓は木の板で打ち付けられており外の様子が分からないので、自分の現在地を探るには音や振動から速度と走行距離を割り出す必要があった。――が、一分ほどしてソフィアはそれを断念した。元よりこの街の地理には明るくないのでさほど効果は期待しにくいし、何より周囲の少女たちの啜り泣きの声が気になって集中できなかった。
「大丈夫よ」
 近くで嗚咽していた同じくらいの歳の少女をそう宥めてみるも、効果はないようだった。それはそうだろう。自分と同じように捕らえられている人間に慰められた所で安心はできまい。
 小さく吐息して、ソフィアは壁に肩を預けた。今の所、この場で出来そうなことは何もない。強いて言えば居心地の悪い場所で過ごす退屈な時間をどう耐え抜くか思案しなければならないくらいだろうか。天井に一つある天窓もはめ殺しのものでそこから脱出することは無理そうだった。小さな天窓から入り来る僅かな明かりに目を凝らしながら馬車の内部を見回していると、ふと、見知った顔があったことにソフィアは気付いた。
「ファルナス……さん?」
 壁に背をもたれて俯いていた一人の女性に呼びかけると、はっとしたように彼女は顔を上げた。
「アリエスさん?」
 確かめるようにソフィアの姓を呼び返してくる。間違いないようだった。タリス・ブラウンの秘書をしている女性である。職務上、いつもこのようなパーティには出席しているらしい彼女はこの日も同じようにブラウンの近くに控えていた。会場で見たワインレッドのドレスが大人っぽく綺麗だったのが強く記憶に残っている。
「ああ、あなたまで……」
 ソフィアの事情を知っている彼女は何とも申し訳なさそうな顔をした。
「けど、心強いことだわ。専門家のあなたがいてくれるなら」
 社交辞令のようなものではあろうが本当に心細いからこそ言ってきたのであろうファルナスに、まさか誘拐事件の対処なんて専門外です無茶言わないでなどとはっきりと告げることも出来ず、ソフィアは曖昧に笑った。
「それにしても、どこに連れて行かれるのかしら……」
 走行の衝撃を抑える機構も搭載しているはずの高級馬車の激しい揺れに不安を駆られたか、ファルナスが小さく呟く。それはさすがに分からない。けれども、駄目で元よりという程度の期待でソフィアは逆に聞き返した。
「この犯人たちに、心当たりないですか?」
 ファルナスは少しの間記憶を探っていたが、しばしして首を横に振った。
「ごめんなさい。分からないわ。街の中のことならまだ社の情報網で掴めたも知れないけれど」
 これだけの頭数を揃えた犯行が街中で計画されていたのだとしたら、それはかなり目立ったことだろう。もちろん目立つと言っても一般の人の目に触れるようなことはないだろうが、少し込み入ったルートの情報網を用いれば苦もなく分かりそうな事だった。ブラウンほどやり手の商売人ならば、裏道を抜けてやってくる情報にもある程度は通じているはずである。どんな世界においても勝利する者はまず情報を制する者なのである。
 けれどもそれもせいぜいが街の中でのこと。終戦直後の現在では、街道沿いの山中に敗残兵上がりの野盗などが住み着いていることも珍しい事ではなく、それら全てについて漏れなく把握するのは王国の治安部隊にとってすら難しい。聖王国の南端に位置するこのあたりは街から出ればまだ未開の地も多く、そういった輩が潜むには事欠かないだろう。
 犯行の手際のよさ。計画性。なかなか、手強そうな相手である――
「これはまた、随分と大変なことになってきちゃったわねぇ……」
 今更ながらに呟くソフィアの口元にはしかし、隠そうとしても隠し切れない笑みの気配が浮かんでいたということに、ファルナスは気付いていないようだった。



 十数台にも及ぶ馬車の一団が高速で往来を走り抜ける様に、街の人々は揃って何事かと振り返っていた。ウィルが通り過ぎざまに見た通行人が顔を何か恐ろしい物を見たように引きつらせていたのは無論、この一団がやらかした事件を知ってのことではないだろう。馬のひづめに踏み潰されそうになったその単純な恐怖である。ウィルは心の中で何遍も謝った。ごめんなさいごめんなさい好き好んでヘタクソのスピード狂などという手に負えないモノに成り下がってるんじゃないんです、ていうか助けて俺も怖いどうでもいいからどいてくれ。手綱を必死に握り締めながら彼は、かなり真剣に泣くのを堪えていた。
 とにかくこの間中、一心に願っていたのは無事に街を抜けることで、しばらくしてそれがなされた時には、事件はひとつも解決していないのだというのにウィルは心からの安堵の吐息をついた。とりあえず街さえ出てしまえば一般人を轢き殺す事だけはない。まさかこんな夜更けに街道を歩く者もいないだろう。ようやくある程度余裕を得て、ウィルは周囲を見回した。
 元々あまり馴染みのない地域である上ここに出るまで全くそれどころではなかったので、今自分がいるのがどの辺りであるのかなど皆目見当がつかない。そこまでが敵の計算の内であったとしたら賞賛に値する。いくつかの岐路を迷わず過ぎ行く先頭車両についていくうちに、次第に周囲の緑が濃くなって来た事にウィルは気付いた。
(山の中……にアジトがあるのか……)
 山の壁面を伝うように登っていく道は、意図して整備されたというよりは長年をかけて踏み固められただけというような劣悪な状態であったが、速度が街中よりは多少落とされていた為ウィルでも何とかついていくことが出来た。あの市街地を一人も撥ねることなく通過して来れた奇跡に加え、先程のようなスピードで片方が岩壁、もう片方が崖という細い街道を無事に走り抜けるという更なる奇跡を再度起こす自信はさすがにない。前を走る車両を睨みつけながら、先程から何度も続くカーブに差し掛かる。ごく緩いカーブだが、素人にとっては十分な難所である。
 後ろからでは御者の様子までは見えないが、前の車が通る道筋を同じ速度で通るように心がければ何とかなるだろう。食らいつくように見つめていた黒い馬車の屋根の辺りが、その時、何故か突然いびつな形になったような気がした。
「…………?」
 訳が分からず目を凝らし――気付く。
 人影だ。何者かが、屋根に張り付いているのだ。
 ――っシュ!
 息を強く吐き出すような音の正体はまるで分からなかったが、本能的にそれを避けようという意識が働き、手綱を引き絞る。
 ヒィン!!
 状況を掴み切れないウィルの代わりにそれに答えるかのように、高い、悲痛なとも感じられる音が山にこだました。そちらの発生源はすぐ傍だったので何とか気付くことが出来た。馬の声である。――自分の乗る馬車の。
 高くいななきながら、目の前の二頭の馬車馬のうち一頭が大きく立ち上がった。それに驚いてもう一頭も飛び跳ねる。
「んーッ!!」
 前の馬車の屋根にしがみついた敵の一味が矢か何かを射掛けて、それに掠められた痛みで興奮したのだろう――という推測がようやく立てられたが、今となってはそんなことは限りなくどうでもいいことだった。声にならない悲鳴を上げて、それ以外どうすることも出来ずに御者台にしがみつく。手綱はまだ一応握ってはいたが、それが最早ただの革紐以外に何ら用を成すものではなくなっているのは明白だった。周囲の景色が、街中で見ていた時と同じようなスピードで後ろに流れ始める。
(っのやろ、やりやがったな……っ!)
 奥歯を噛み締めながら、後ろを見やる。
「むー! むーッ!!」
「はっはァ!! あばよ!」
 彼が曲がり損ねたカーブを悠々と回る後ろの車の御者が、声にならない罵詈雑言を残して夜空に飛び立つ馬車に、別れの言葉を投げつけてきていた――



「……どうかしたの?」
 ほんの少し躊躇するような気配を混ぜて問いかけてきたファルナスの声に、ソフィアは不思議に思って視線を動かした。人を一人挟んだ位置から自分を見つめている――近づきたくても車内は立錐の余地もない状況なのだから致し方がない――女性の顔を見つめ返そうとしたとき、彼女は、自分の顔の一部が妙に引きつっていることに初めて気がついた。眉間に随分と深い皺が刻まれている。
 なんだっけ。首をかしげながら片手でその辺りを撫でて、考える。確かに、何かを考えていたのだけれど……
「……あぁ、悲鳴……」
「えっ?」
 ソフィアが不意に呟いた一言に、今度はファルナスが怪訝な顔をした。
「思い出した。さっき、って言ってももう何分も前になりますけど、悲鳴が聞こえて。何だろうなって思ってたんですよね」
「悲鳴……?」
 唇を僅かに震わせて、ファルナスが囁く。その言葉は相手を少し怯えさせてしまったようだ。けれどもすぐにファルナスは、気丈にもその発言について冷静に指摘を行った。
「でも、私には聞こえなかった気がするわ。……この騒音だし、何かの聞き違いじゃないかしら」
 舗装されていない路面を高速で走る馬車の音は、彼女の言う通りかなりひどいものだった。通常の話し声の音量で内容を聞き分けるには、今のソフィアとファルナスの距離が限界だろう。となればいくら悲鳴とはいえ、外部の音が聞こえたというのは気のせいであった可能性も高い。
「うーん」
 けれどもいまいち納得がいかず、唸り声を上げてソフィアは腕を組んだ。
「聞こえた気がしたんだけどな。馬と……何か、牛っぽい悲鳴」
「……………………牛?」
「牛。むー、って」
「……どこから牛が……?」
「うーん……」
 再度、ソフィアは唸った。馬はともかく牛の悲鳴が聞こえた理由は、どれだけ首をひねっても思い当たらなかった。
 ――がたんっ。
「……!」
 馬車はこれまでも連続的に激しく揺れていたのだが、しかしそれとは少々異質な振動を感じて、ソフィアは意識を向ける先を、目の前の女性から馬車そのものに変更した。大きな揺れは一度だけだったが、それを境にして徐々にスピードが緩められているのが、外を見ていなくてもはっきりと感じられる。
 終点が近いということなのだろう。ソフィアはこぶしを固く握り締めた。車内の女たちの間にも不安のさざなみが立ち始めている。
 ファルナスとの会話はそこで打ち切って、彼女は静かに馬車が停止するのを待った。


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