女神の魔術士 Chapter1 #10

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 貴婦人たちの色とりどりのドレスの裾を縫って、薄い煙が漂い来る。鼻腔に届いた刺激臭に、ウィルは僅かに顔をしかめた。
「火薬……か」
 ウィルが内心で呟いたせりふを、彼の後ろからその光景を覗き込んだジフが小さく音にする。その独特の臭気は、先だっての炸裂音が照明等に使用されている魔術装置の故障などによって起きたのではなく、何者かの人為的な仕業によるものであるということを証明していた。
 宴もたけなわと言った頃合で、広間には開会を迎えた二時間ほど前よりも多くの人々が集っているようだった。もしかしたら、主催者側の誰ぞの挨拶が行われようとだったのかも知れない。けれども集合した賓客たちは、会場奥の演壇に注目しようとはせず、思い思いの方向に顔を向けていた。彼らの表情は、驚愕と困惑で混濁していた。
 ウィルもジフも、その様子にはさすがに面食らった。が、客たちとは違い、戸惑いは感じなかった。目の前の人々のそのような素振りの理由は、会場全体を軽く見回せば嫌でも理解できた。戸惑うわけには行かない――まさか本当に起こり得るとは思ってもみなかったが、このような事態の為に彼らは雇われていたのだから。
 破られたいくつかのガラス窓から冷たい夜気が室内に滑り込んで来る。
 そこから雪崩れ込んできたのであろう、巻き付けた布で顔を覆い隠し、剣や弓で武装した一団が、会場をぐるりと取り囲み、人々に向けてそれらの武器を突きつけていた。

「そこの貴様。今、その扉から出てきた……そうだ、貴様らだ。そこの壁に両手をついて止まれ」
 武装集団の男のうちの一人が、マスクの下からくぐもった声でウィルたち二人に命じた。ウィルは軽く吐息してから、素直にその指示に従う。まさか気付かれていないとは思っていなかったが、多少口惜しい気がするのは仕方がないだろう。隣ではジフもウィルと同じように男たちに背を向け壁に手をついていたが、やはり口元を苦々しげに歪めている。
 ウィルに命令した男は顎をしゃくって仲間の一人に闖入者のボディチェックを指示した。ボウガンらしき武器を油断なく構えて近づいてきた男は、それの鉄で補強された先端でウィルの左肩をぐいと押した。
「貴様、両手をつけと言ったろう」
「生憎と、そっちの腕は効かないもんでね」
「嘘をつけ!」
 さすがに相手が、警備の為に雇われたその道の人間であるとあって緊張しているのか、がなり立てる男にウィルは静かに言い放つ。
「別に嘘じゃない。何ならそれで撃ってみる? 痛みも感じないからね。構わないけど」
「……」
 男の手に力が入り、更に強く武器の先が押し付けられる。――が。
「いい、止めろ。余計なことをしているな」
 最初に声を発した男が短くそれを遮り、ボウガンの男は小さく舌を打ってから、言われたとおりボディチェックを開始した。
「これから諸君らの時間をしばらく頂戴する。何、それ程長い時間ではない。妙な真似をしなければその時間は更に短くなり、明日の陽を眺めることも出来るだろう」
 身体を無遠慮に触られる手に――しかも女性ならまだしも男などの手に――不快感を感じつつもウィルは背を向けている会場の様子に意識を向け続けた。例の男がリーダーということなのだろうか、ウィルから目を離すなり、賓客たちを見回してまずそう告げるのが聞こえた。たかだか押し入り強盗にしては案外にも知性的な言い回しだが、言っている内容自体は月並みなものである。
 おとなしくしていろ、さもなければ殺す。つまるところそんな脅しの言葉を投げかけられた客たちは、自分たちを見つめる男の冷酷な目に、怯えた視線を返していた。
 ボディチェックが終わり、警棒と剣を取り上げられたウィルは、手をついていた壁に今度は背中を預けてその様子を眺めていた。別にこちらは男たちの指示ではなく、ただ楽な姿勢を取っただけである。ボディチェックをした男はそれが終わってからもボウガンを向けたまま厳しい視線を彼に寄越してきていたのだが、さすがにウィルの無作法を咎めようとまではしてこなかった。無作法などと言ったら、ウィルよりも彼らの方が圧倒的に上回っている。
 何気ないふりを演じながらも、ウィルは今度は視線で会場の様子を探った。いかんせん人が多すぎて正確な所は全く分からないが、見える範囲だけでも犯人グループの人数は十人を下らない。ということは、その倍の二、三十人はこの室内にいると思ってよいだろう。外周の警備に当たっていた人数を考えればいくら不意打ちでもその程度で突破できるとは考えにくいので、まだ外にも敵が配備されている可能性もある。
(全く、何やってるんだよ)
 顔も知らない警備員たちに毒つく。毒つく相手がまだ存命しているかも定かではないが。
 しかし、とウィルは、薄情にも外の仲間のことは意識から外して、自分の顎に手を触れた。考え事をするときの、彼の癖である。
 ここに至るまでこれといった騒ぎの気配が感じられなかったというのは不思議ではある。まさか奥に引っ込んでいたから騒ぎを聞きつけることが出来なかった、というわけではないだろう。有事となればあの裏通路は駆けつける警備員で表にも負けない騒々しさになっていたはずである。余程敵が手際の良い仕事をしたか、それでなければ――
(内通者がいた可能性もあるな)
 もっとも、この会場の警備についているのはタリス・ブラウンの屋敷にいた顔見知りだけではないし、今更それについて思案した所で何にもなりはしないが。
 敵の動向を探るのと同時に、ウィルは雇い主であるタリス・ブラウンと、ソフィアの姿も捜していたのだが、そちらの方は全く収穫がなく終わった。とは言えこちらについてはある意味、ついでという意味合いが強かった。護衛者がすぐ傍にいるタリス・ブラウンは、あの中において最も安全な位置にいるくらいだろう。身を護るすべを持つソフィア自身も当然である。
 ――そんなことを考えていた時に、捕らえた人質たちを見回す男の目が、ふとウィルの方を向いた。思考を中断して、その瞳を眺めやる。
 冷たい目だ。
 そう、感じる。こんなことをやらかす反抗グループのリーダーが人情味溢れる暖かな眼差しをしている方が余程奇妙であっただろうが。ほんの一瞬の視線の交錯で、すぐに瞳は逸らされる。男は特にウィルに狙いを定めていたというわけではなかったらしい。
 その男が、すっと手を自分の懐に差し入れる。瞬間、ウィルは警戒したが彼が取り出したのはナイフなどの武器ではなく、一通の薄い封筒だった。
「これから、名前を読み上げる。名を呼ばれた者はそのまま前に出ろ。それ以外の者はここで解放しよう。……シエナ・エスタータ、ジュリエット・マグワイヤ、ジョセフィーヌ・リル・ホワイト……」
(成る程、そういう手か)
 次々と呼ばれていく人名に、ウィルは舌を打った。全く聞き覚えのない名ばかりだったが、それらは全て女性名であるようだった。
(人質は女……当たり前か。ここまでの手並みといい、悪くないな)
 騒ぎが起こってからまだ、三分と経っていない。この調子ならあと二、三分もあれば脱出の手筈を整えるだろう。人質は人数がいればいるほど効果的だが、だからと言って数百人もいても仕方がない。金目になる相手だけを厳選し、その家の女子と彼女らの身につける宝飾品だけを攫って消える。手口もさることながら、恐らく情報源は招待者名簿であろう、管理が甘いとは思えない情報を正確に入手する所などからも、がっついた裏街のチンピラ程度の仕業ではないように思える。
 これが初仕事だというのに、何というヤマを引き当ててしまったのだろう。ウィルは自分の不運さを嘆かずにはいられなかった。このまま犯人を取り逃がしてしまえば、タリス・ブラウンに雇われた自分たちは任務不履行として違約金も取られかねない……が、それ以前にその支払い先であるタリス・ブラウンの身自体が危ういかもしれない。今、犯人に命をとられるという意味ではなく、この責任を取らされ地位を失う可能性があるということだ。警備の責任を全て担っているわけではないだろうが、人員の負担数から考えて、主要な責任者の一人ではあるだろう。そうなれば、違約金を取られるだけ取られ、この一週間の賃金を貰い受けることすら出来ないかもしれない。
 しかしその件も懸念のひとつではあったが、それよりもウィルは普通の感性の持ち主として、人質となる女たちに降りかかる危険を案じていた。最悪の結果は当然殺されてしまうことだが、そうでなくても幾種類も悲惨な結末は用意されている。
 もっとも……
 解決策、になり得るかどうかは未知数だが、突破口のひとつにはなりそうな事項は、なくはないことに、彼は気付いてはいた。
 ただ、その地雷を犯人たちがうまく踏んでくれるかどうかは五分五分であろうが……
 祈るような気持ちで、未だリーダーの男が読み上げる名前に耳を傾ける。考え事をしていたので数えてはいなかったが、少なくとももう既に三十人は挙げている。
「セリーヌ・オルディ、レナ・リルケイト、ディアナ・ファルナス、ソフィア・アリエス。……以上だ」
 まさに最後の最後。その名前が呼ばれた瞬間。
「サ、サードニクスさんっ」
 小声で、横からジフが声を上げてきた。ウィルは前を向いたまま彼の様子は直視しなかったが、視界の端に映る影を確認する限りでも、彼がかなり慌てているのが分かる。敵の目を気にしてだろう、さすがにそれ以上のリアクションをしようとはしなかったが、何か言いたげに口をぱくぱくとしている。
 ソフィア・アリエス――
 ジフは、常時は特に気の荒い所のないウィル・サードニクスという男が、その少女の名に関してはどれほど激しい反応を見せるかということを一週間という短い期間ながらも十分に理解していたようだった。それを理解する者であれば、その名を聞いた瞬間のジフの反応は至極当然のものに見えたことだろう。これは、今迄の比ではない。噂や挑発にすら理性を逸した男は、この一大事にどれほどの熾烈な反応を見せることになるのだろうか。
 ジフのその声は、つまりそういった危惧であったのだろう。
 ウィルを見ていたジフの眼球が、ぴくりと動いた。ウィルはその間も、目の前の光景から目を離さずにいたが。
 犯人に呼ばれた少女が、人垣の中から進み出る。
 ぴんと背を伸ばし、静かに自分を呼んだ男の方へ歩いてゆく桃色のドレスの後姿は非常に凛々しく見えたが、やはり男の前に立つとその小ささは否定できるものではない。
 けれども――
 そんな姿を見てさえも全く無反応のまま様子を静観しているウィルに、ジフは愕然とした表情を向けた。
「サードニクスさん……?」
「何?」
「何って、アリエスの姐さんが連れて行かれちまいますよっ!?」
 声は小さかったが明らかな叫び声で、見たままを告げてくるジフを、横目で見やる。
「そうだな」
「い、いいんですか、黙って見てて……!?」
「もし良くなかったとしても、だからって何が出来るって言うんだ? 魔術でも撃ってみる? 数人の敵を道連れに、弓矢の雨でも降らされて皆で血の海で海水浴ツアーがオチだけど」
「…………」
 そこまで考慮に及んでいなかったというわけではないだろうが、ウィルの生々しい言葉を聞いて絶句してしまったジフに、ウィルは意地の悪い言い回しを続けるのはやめて、口の端だけで小さく笑って見せる。
「これでいいんだ」
「はっ?」
 意味がよく分からなかったらしい。間抜けな顔で聞き返してくるジフに視線は向けないままで告げておいてやる。
「いいんだよ。相手を潰すだけならともかく、あの人たちを助けるなら内部に入り込む必要があるだろ。あのダイヤがあるから呼ばれるだろうとは思ってたが、彼女じゃ身代金は取れないからな。どう判断してくるかと冷や冷やしたけど、よかった。うまくいった」
「なんっ!?」
 計画、と言えるほど綿密なものでは確かにないが、考えていた内容を教えられても、ジフは驚愕を引っ込めようとはしなかった。女たちを引き連れていくのに従い、近くにいた監視役もボウガンの口をこちらに向けながら後退を始めている。そのせいもあってかジフの声はやや大きくなっていた。
「ででででも! 入り込むも何も、アリエスさんだって捕まっちまうんですよ!? しかもいくらこんな稼業やってるっても、こういっちゃ何ですが、女の子じゃねえですか! 危険すぎますぜ!?」
「……危険……」
 顎に手を伸ばし、ウィルはぽつりとジフの言った単語を繰り返した。危険。まあ、危険は、言われてみれば皆無ではないかもしれない。
「成る程。いくらなんでも彼女一人じゃ全員を助けて暗い夜道を連れ帰ってくるのは危険だな」
「いやそっちでなくてアリエスさん自身が! 彼女はサードニクスさんみてえに魔術士だってわけじゃないんでしょう!?」
「…………」
 今度はウィルが沈黙する番だった。首を僅かに傾げて言われた言葉の真意を考えて、ようやく理解し、触れていた顎を軽く叩く。
「大丈夫だよ。彼女だってプロだし」
「いくらプロでもっ!?」
 何やらジフは反論をしてきたが、しかしウィルはそれよりも、自分が発した言葉の方に違和感を覚えて再度、黙考する。
「ああ、違うな。プロだしっていうか……『だって彼女だし』?……これのが近いかな」
「……??」
 ジフは本気でウィルの言っていることがわかっていないようだった。そういえばこの一週間、彼女がその本領を発揮する機会はなかったかもしれない。そう考えれば彼女の外見からして至極当然の判断である気もするが、ウィルにしてみれば新鮮な反応ですらある。
 とはいえ――
「まあ本音八割の冗談はさておいて、正直やっぱり、敵はともかく人質の人数が多すぎる気はするしな。魔術を使って気付かれないように尾行して、アジトにでもついたら機を見てまとめて灰にするってのがいいだろうな」
 中からソフィアが引っ掻き回し、隙を作らせ外から叩く。現実的にはこれしか人質全員を無傷で解放させうる手段はないだろう。とりあえず、この室内にいる全ての敵が消えてから、目を盗んで外に出る。見張り役は当然いるだろうが、それくらいは何とかせねばなるまい。
 散発的に威嚇の火薬玉――恐らく最初の破裂音の正体はこれだろう――を会場内に投げ入れながら去ろうとする武装集団に、早く行けと心の中で手を振りながらウィルが機を待っていると、出口に一歩踏み入れたあたりで、しんがりを務めていたリーダー格が振り向いて叫んだ。
「おい!」
 視線はしっかりとウィルの方を向いていたが、しかしまさか自分に向けられた言葉だとは思わず、彼は目をしばたいた。そのぼんやりとした様子に苛立ったように、男は更に声を張り上げた。
「そこの片腕、貴様もだ! 来て貰おう!」
 …………。
「……あれ?」
「こ、これも予想の内……なんです……よね?」
 さすがに呆然とした表情で固まるウィルに、ジフがつうとこめかみに一筋の汗を垂らしながらぽつりと呟きかけた。


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