Crusade Other Story -In Wonderland-(3)

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 目が覚めるとそこは――
 どうやら、牢獄、のようだった……

「……ナンデスカ、この状況は」
 訳が分からずウィルはとりあえず、虚空に問いを投げかけた。
 投げかけた所で、応える声を持つ誰かがいるわけでもないその場所では、ただあえかな反響を残して無為に消え行くだけであったのだが――
 ひんやりとした、と言えば多少すがすがしくも聞こえようが結局の所は単純に薄ら寒いだけの石壁の個室。辺りに満ちる空気は濃い湿り気を抱いて、暗い室内に澱みたゆたっている。彼の背後と左右の三面は苔むした壁で、前方のみは廊下とを区切る鉄格子のち石壁。さすがに廊下にはいくつか照明が設置されているらしく、蝋燭の赤い光が凹凸の多い壁に蠢く陰影を浮かび上がらせている。
 牢獄だ。まごうことなく牢獄だ。まさに絵に描いたような牢獄。
 例え彼が過去に何ヶ月間かの牢獄住まいを経験していなかったとしても、直感的に「ハイ牢獄!」と理解できる程に立派な牢獄であった。いや、薄汚れたその作りは別に立派でもなんでもないのだが。
 壁に背をつけ足を投げ出す格好で自分が座っていたことに気付いたウィルは、急に背中の石壁の冷たさが気になってきて身じろぎしようとした。が、体勢の移動は、じゃらり、という金属音に冷たく阻まれた。その音を立てた方向――頭の斜め上辺りにある自分の手首を見やると、そこには金属製のリストバンドのようなものがはめられていて、壁から生えた太い鉄鎖がそこに繋がっているのが見えた。それも、ご丁寧に両腕。左腕に限ってはわざわざ拘束せずともどうせ動かすことなど叶わないと言うのに。
(……ってことはー、ソフィアじゃないよな、こういうことをしたのは……)
 そのことを知っている彼女ならば、こんな無駄な真似はしないはずだった。……それ以前に彼女がこんなことをする理由というものが存在するのであれば今後の為に是非聞いておかねばならない所である。まさかあの彼女が、こんなアブノーマルなプレイに目覚めたというわけではあるまい。それならそれでやぶさかではないのだが、残念ながら多分違うと思われる。
「ええと……」
 こんがらがりつつある思考をどうにか形あるものに纏めようと、ウィルは口に出して呻いた。けれども、呻いたはいいが、その後に続く言葉がようとして浮かび上がらない。どの道最初に口にした「ナンデスカこの状況」に収斂しない問いなどあるようには思えなかった――
 という辺りまで考えて、ふと気付いて少しだけ思考を過去に遡らせる。
 アブノーマル……じゃなくて、無駄な真似……もう少し、ええと……ソフィア。
「ってソフィア! ソフィアは!?」
 唐突に、この状況に対する危機感に気付いてウィルは声を上げた。安穏としていた自分に対する苛立ちが急速に膨れ上がった。つい先程――かどうかは分からないが、少なくとも数時間程度前までは彼女と共にいたはずである。あの民家で、結局部屋の隅のソファに追い立てられたとはいえ同じ部屋で睡眠を取ったはずなのである。だというのに、今、自分の傍に彼女がいないというのは……?
 今回は目を覚ますより以前の記憶を失っていない――。いくばくかそのことに安堵しながら、しかし全く楽観できない状況に、ウィルは奥歯を強く噛み締めた。
 こんな場所で拘束されているとなればまずどう考えても、これを成した相手は、こちらに対し好意的な感情は抱いていない。となると、この場にいないソフィアはどこでどのような状況に立たされているか――。考えを及ばせて、ウィルはぞっと背筋が冷えるのを感じた。あの彼女のことだから、大概の危険ならば自分で乗り越えられるだろう。けれども先程までの彼自身と同じように意識がない状態だったとしたら、いくら彼女とてどうにもならない。
 落ち着け、と口中で呟く。落ち着け、落ち着いたって仕方ないかもしれないが、落ち着け俺。幾度もそう呟き続けて何とか、この状況を打開しなければ、という前向きな思考を望める程度には自制を回復する。
(まずは鎖を切らないと。これだけ頑丈そうな鎖となると爆砕させるしかないが……)
 ちらりと、鉄格子の向こう側に視線を向ける。その先では蝋燭の光が不規則な動きを刻んでいて少々紛らわしいが、人の気配はないように思えた。ソフィアや兄やその親友なら視界の外にある気配をも正確に察知する事が出来るようだが、ウィルにはそんな人間外な能力はない。
(関係ないか。どの道爆音を聞きつけられれば誰かしら様子を見に来るに決まってる)
 音を出さずに鎖を断ち切るという方法は一つだけ思いついていたが、それは即時却下すべき提案であった。数千度の熱で焼き溶かしてしまえばいいわけだが……その前に手首が焼き溶ける。
 作戦が決定するとすぐ、ウィルはそれを実行する為の計算を始めた。腕の鎖を外すのに各十秒弱――弱く精度の要る魔術は強い大雑把な術よりも余程難しいのできちんと呪文を唱える必要がある。逆に目の前の鉄格子を破るのは呪文無しで一瞬で完了できる仕事だろう。従って、一つ目の魔術を発動してから目の前の廊下に出るまでに必要な時間は十秒程。正直、危険な賭けである気もしないでもないが、ここでずっと鎖に繋がれたままでいるわけにもいかない。
 一呼吸置いてから呪文を唱え始め――
 ぱんッ!!
 爆音と言うより破裂音と言うべき音は、静かな石畳の廊下に思っていた以上によく響いた。
 ウィルの行動に対する外からの反応は即座だった。
「何だッ!? あの男か!?」
 異変に気付いたらしい声が、いくつもの足音を引き連れて近づいてくる。
(近いな)
 焦りに近い感情を抱きながらもウィルは可能な限り素早く、けれども確実に唱えきれる速さで呪文を唱える。ここで噛んだら悲劇の舞台で役者がせりふを噛むのよりも笑えない。
 ぱあんッ!!
 二発目の破砕音が響くのと同時に――
「きっ、貴様!? 何を……っ」
 複数の、ローブ姿の人影が鉄格子の向こうに現れる。
 そこへ、
「死にたくない奴は伏せろっ!」
 問答をする暇を与えず、ウィルが恫喝に似た声を上げる。
 直後、本当に相手が伏せたかも確認せずに、彼は前方に向けて魔術を解き放った。
 ――赤黒い闇が、瞬間的に白に塗り変わる――
 今度こそ。
 爆音、と呼ぶに相応しい轟音が、分厚い石の壁を震えさせた。
 湿気の高い空間で炸裂した熱量は、空気中の水分を一瞬にして白濁した水蒸気に変える。爆炎の代わりに立ち上ったその目くらましの中をウィルは突っ切って、破った格子を飛び越えた。その瞬間見下ろした足元に、先程のローブ姿たちが伏せてというか倒れて、何やら苦痛の声を上げているのが見えた。出会い頭に魔術を直撃させるというのも中々寝覚めが悪いので、なるべく彼らには当てず、鉄格子のみを破壊するように方向を調整したが、あの一瞬でそうそううまく行くわけもない。ある程度の怪我はきっぱりと諦めて欲しいものである。少なくともウィルの方はきっぱりとそう切り捨てて、その場を走り抜けた。
 牢の中の空気と同じ陰気さが漂う廊下を、ローブの男たちがやってきた方へ駆ける。十メートルも進むと登りの階段に突き当たる、さほど広大という訳でもないが、狭くはない地下牢。勾配のきつい階段を一息に駆け上がると、守衛室のような一室があった。古びた木のテーブルに椅子が五つほど。部屋を照らす明かりはむき出しの蝋燭ではなくシェードのついたランプになってはいたが、概ね地下牢と変わらない貧相さであった。ここにいた人員は皆下に降りてきてしまっていたのか、今は全くの無人だった。だからといってゴールがここではない以上、油断出来る訳ではないが。
 上ってきた階段の真っ正面に、また登りの階段があった。歩みを緩め、慎重に登る……
 やがて辿り着いたドアを開けたウィルは、周囲の眩しさに一瞬顔をしかめた。
 二つ目の階段を上りきったその先は、緑色の芝生が一面に植えられた庭園だった。
(いや……)
 即座に、それが見間違いであったことにウィルは気付く。芝生と見えたのは毛足の長い黄緑色の絨毯だった。ここは屋内の、広い廊下であった。見上げれば高くに天井が見え、見回せば石造りの壁が左右の方向に長く伸びているのに気がつく。眩しいと感じたのもそれまでにいた場所が比較的暗かった所為であった。
 地下室で目を覚ました時から、まさかあの小さな民家の地下にあれだけの設備がしつらえられてあるとは思ってはいなかったが、それにしても打って変わってやけに立派な城館に招待されたものである。少なくとも今視界内に入っている範囲だけで判断するならヴァレンディアの王城にすら匹敵する規模であるように見える。萌える芝生と見紛うばかりの絨毯を挟み、地下室とは違って苔も黴も生えていない、滑らかに整えられた白い石壁が連なる様は壮観ですらあった。この件に関し、あの一家が一枚や二枚噛んでいるのは明白だろうが、どのように関連しているかが分からない。もし仮に、やはり不審者であろうと判断されて警備兵か保安官かに通報されたのだとしても、まず連れて行かれるのはせせこましい詰所であったことだろうし、かといって他に漁村の平凡な一家とこの城を直接繋げる接点というのも思いつかなかった。
 が、今は悠長に考え事をしている場合ではなかった。
「男だ! 男が逃げたぞ!」
 廊下の遥か遠くから声が聞こえて来た声に、ウィルは小さく舌を打った。
 全く、一体何だと言うんだ。そんな愚痴の一つも吐き捨てたくもなる。訳が分からないことばかりだったが、とりあえず一旦逃げ出してしまった以上、ここで再度捕まっても事態は好転しないだろう。声のした方を視線で確認してからその逆方向に向けて走――
「んな!?」
 確認する為に振り返った際に目に入ったそれに驚いて、進行方向に向けかけていた顔を思わず追跡者の方に戻してしまう。
 今回の追跡者も、階下で見たのと同じような野暮ったいデザインのローブを纏った男たちであったのだが……
 そのローブまでもが、絨毯と同じ鮮やかな黄緑色をしていたのだ。
 いや、蝋燭の赤い光に中和されていて分からなかっただけで、恐らく最初の集団も、同じ黄緑ローブに身を包んでいたのだろう。そう思うと余計くらりと来た。なんていうセンスだ。教会では魔術士の正装として黒ローブが定められているが、ここではこの新緑のような鮮やかなローブが正装だと言うのか。嫌だろどう考えたって、黄緑ローブの集団が講堂とかに大集合しちゃったら。落ち着かないことこの上ない。むしろ黒ローブ集団の中で育った自分が言えることではないが、何の宗教だという感じだ。
(そういえば、黄緑地方……とか何とか言ってたな)
 気を取り直し、追ってくる男たちに背を向けて走りながら、ふとそんな事を思い出す。虹色王国の黄緑地方――なるほど、そんな名を冠する地方であれば、伝統衣装か制服かは分からないが、集団黄緑であっても納得できそうな気はしてくる。
 が……
(ということは、恐らく存在するだろう青地方とか紫地方では青や紫の……?)
 代わりに、少々空恐ろしい想像が頭の中に去来する。
(うーん、何ていうか……凄いや虹色王国)
 虹色王国全国民が結集しレインボーカラーを形成する壮大な光景をなけなしの想像力で想起して、それに感嘆の唸りを上げながらもウィルは走る速度を緩めることなく廊下の角を曲がった。その先は死角になっていて、安易に入っていくのは危険かも知れないと思われたが、まだ脱出を試みてより殆ど時間は経っていない為待ち構えられていることだけはないだろうと踏み、そのまま突っ切る道を選んだのだった。
 けれども、その予想に反して黄緑のローブは既にそこにいた。
(しまった!?)
 咄嗟に、迎撃の魔術の術式を脳裏に浮かべる――が。
「きゃっ!?」
 唐突にその場に現れたウィルに相手もまた驚いたのか、三人いる黄緑ローブの内、最も小柄な一人が小さな悲鳴を上げた。
(ってこの声……?)
 それを聞いて、ウィルはふとある事実に気付く。それを確認すべく声を上げようと彼は口を開きかけたが、まずはすぐ背後にまで迫っている追跡者に対処すべきと思い直し、口から出す言葉を魔術用語である古代神聖言語に切り替えた。

 どぉん!
 先程から何回か鳴り響いている爆音は当然ながらウィルを追う男たちの耳にも届いたらしく、彼らはにわかに走る速度を上げた。ウィルが視界から消えた曲がり角にすかさず飛び込む。
 ――が。
「し、しまった、逃げられた!?」
 壁に開けられた、人ひとりが腕を広げて通れる程の大きさの穴を目にし、彼らは愕然として叫んだ。その先は今度こそ本物の芝生の植えられた庭園だった。広さもあり、何より木や他の建物などの障害物も多い庭園で相手を追跡するのは、基本的には一本道の廊下で相手を追い立てるのとは訳が違う。焦った男たちは我先にとその穴から外に降り、庭中に散り散りになっていった。

「……こういう事には慣れてないみたいだな」
 その様子を、伝わってくる声と足音のみで感じ取って、ウィルは呆れた溜息をついた。
 一人の相手を探す為散開する、というのは別に悪くはないが、打ち合わせも何もせず適当に散っていてはその意味が半減する。それに何より、すぐ傍を――爆破現場のすぐ真向かいにあった部屋すらをも確認せずに立ち去ってしまうとは何ともお粗末である。もっとも調べようとした所で内側から鍵を掛け直してはいたのだが。
「さて……」
 あさっての方に旅立った追跡者たちはさておいて、ウィルは暗い室内を振り返った。
 運の良いことにそこは物置か何かに使われている一室であったらしく、窓はない。ウィルは意識だけで魔術の光玉を作り出し、天井近くに浮かび上がらせた。
 色味のない光に、黄緑色のローブの人物が二人、照らし出される。ウィルに敵対する立場にあるはずの二人は、しかしながら、標的を目の前にしても身体をこわばらせたまま動きを見せない。その理由は、ウィルの視界内にはない三人目の状況にあった。
 ウィルが視線を目の前の二人から外し、少しだけその高さを下げると、三人目の黄緑色のフードをかぶった後頭部のみが、彼の視界に入った。
 ウィルは、背後からその『少女』の首を腕で締め上げるようにして、残りの二人と対峙していたのだった。
「さて……」
 静かな声でウィルが呟くと、三人共が同時にびくりと身体を震わせた。
「説明してもらいましょうか、ご主人。娘さんの事が大切ならね」
 言いながら、手の内にある少女を示すようにほんの少しだけ腕を動かす。
 先程彼が気付いたのが、この少女の声だった。さほど特徴のある声でもなかったが、昨晩聞いたばかりの声をそうそう聞き間違えるものでもない。間違いなくこの小柄な黄緑ローブは、昨日宿を借りた一家の娘だった。
 となれば、残りの二人が誰であるかなど疑うべくもない。そう思って見てみれば、ゆとりのあるローブに包まれていて分かりにくいが背格好からも間違いなさそうだった。
 しばしの間、少女の両親が発する緊張した呼吸音のみが密室を支配し――
 そのうちの父親の方が唐突に、がばりと伏し、頭を床にこすりつけた。
「もっ、申し訳御座いません! どうかお許しを!」
 男が声を上げるのを見て、放心していたらしいその妻の方も、慌てて男に倣って平身低頭した。
 慌てふためく夫婦の姿をウィルは目を細めて見下ろして、わざと冷たく聞こえるように苦心して出した声で囁く。
「もう少し声を落として頂けますか? あなたたちにもっと静かになってもらって他の人に事情を聞くのでも、俺は構わない」
「はっ……ははぁ!」
 ウィルの脅しに従って、男はすぐさま声の音量を落とし、対処に困るほど慇懃に返答した。無論、困っているという様子などウィルは欠片も見せなかったが。
「し、仕方がなかったので御座いました、わたくし共には、これしかなかったので御座いました!」
「余計なことはいい。ここがどこなのか、それと俺がここにいる理由と、ソフィアがどこにいるかだけを言えば」
 冷ややかに遮ると、男は怯えきった早口でまくし立てるように告げてきた。
「ここはわたくし共の領主……黄緑地方領主のテリムス・デルレル様のお城で御座います。わたくし共は、領主様に税を納める為、昨日の夜の内に登城致しました」
「だからあなたたちの事情でなくって……って、税?」
 ふと思い直して、発言の内容を変える。
「つまり俺たちが、税ってことか?」
「い、いえ……あの、正確に申しますれば税は……その、ソフィアさん……だけで御座いますが……」
 言い澱む主人に代わり、妻の方が一段と頭を低くしその言を継いだ。
「ひ、酷い領主様なので御座います。村で獲れた野菜や魚の七割までも、納めよと仰られているのです。もちろん土地をお与えになって下さる領主様に税を納めますのは民として当然の事と存じておりますが、けれども、それだけの量を手放さなければならないとなると、手前のような貧しい村では食べていくこともままならないので御座います」
「……そりゃ確かに酷いな」
 さすがに七割はないだろうと思う。復興期のヴァレンディアとてその税率は、最も裕福な階級から徴収する四割五分が最大だったはずだ。
 ウィルが肯定的な相槌を入れると、彼女は疲れた表情に、一縷の光に縋りつくような必死な表情を浮かべた。
「そうで御座いましょう、そうで御座いましょう! わたくし共もそれはどうしても無理だと領主様にお伝えしました。直に謁見し、村には乳飲み子もおりますゆえどうぞご勘弁ををとお頼み申し上げました。すると、領主様はこう答えられたのです。宜しい、税の割合は五割にしよう。その代わり……」
 真に篭った迫力のある喋り方をしていた女が、そこでついに我慢しきれなくなったか泣き崩れる。床に伏せたまま背中を震わす妻を気遣うように撫でながら、俯いた主人が重々しく再度、言葉を口にした。
「その代わり、村で一番美しい娘を差し出せ、と……。どれだけ貧しくともわたくしも人の親。娘を身売りさせるような真似だけは……」
 なるほど。
 一応事情を飲み込み、ウィルは溜息をついた。運悪くその年貢の品に選ばれてしまったのがここにいる、彼らの娘なのだろう。昨日の印象では朴訥な村娘という印象であったがそれも言い換えれば純粋で清楚と表現できるかもしれない。顔立ちにもその印象の通り派手さはないが確かに可愛らしい部類に入る少女ではある。夫婦としてはこんな惨めな経緯で愛娘を手放したくはなかったわけで――困り果てている時に偶然現れた得体の知れない美少女に、これ幸いと白羽の矢を立てた、というわけなのだろう。
 愛娘を差し出せない人の親の事情は分かったが、だからと言って他所様の娘を差し出していい理由にはならないとは思うのだがその辺りは突っ込んでもどうしようもないだろう。
 ――と、そんな事を考えていて、ウィルはふと小さな引っ掛かりを覚えた。
「けど、身売りみたいな真似って言っても、これだけ立派な城を持ってる領主の妾になるわけだろ? 別にわざわざソフィアを突き出さんでも、村で他に誰か名乗り出なかったのか?」
 何気なく口にしたその言葉に――
「…………!!」
 何故か三人が三人とも、飛び跳ねんばかりに驚愕した。
「…………」
「…………」
「……何で目を逸らすんだ?」
 あまりにもあからさまに視線を背ける目の前の夫婦を、ウィルは半眼でねめつける。先程の脅しには従順に従ってきた彼らは、しかし今は脂汗らしきものを垂らしながらも頑なに沈黙を守っていた。
「まだ何か裏があるな……?」
 ウィルのぼそりとした呟きに、動揺の気配を押し殺していた夫婦だったが――やがて、変化が生じ始める。変化を来たしたのは夫婦でなく、今まで黙りこくっていた娘の方だった。ウィルの腕の中の娘が、熱病に冒されたかのようにぶるぶると小刻みに震え始めている。
 何事が起きたかと思わずウィルが見下ろしたのと同時に、少女は、がばっと頭を抱えて叫んだ。
「イヤー! 両生類はイヤー!?」
「ええッ!?」
 大声を出される危機感よりもその内容に対する驚愕が勝って、ウィルまでもが声を上げる。
 上げてしまってからその危うさにはたと気付いて、ウィルは娘から腕を解いた。夫婦に顔を向け、最も大切な事を問う。
「ソフィア、ソフィアはどこにいる!?」
「りょ、領主様の所ではないかと……」
「ありがとう!」
 答えた主人に娘を軽く突き飛ばして渡してやって、即座に踵を返し、部屋を飛び出した。

(つまる所……あれだな、どーもやることがオヤジ臭いと思ったんだが……)
 民に重税を課す傲慢なやり口。その対価に税の代わりに娘を要求するといういやらしい手段。金のある領主の元に正妻ではないであろうが嫁げるというのに貧しい村娘すらそれを嫌がる理由。
 裏がある、と思った点が素直に繋がった。そう、つまる所――
(両生類ヅラの脂ぎった四十がらみの助平オヤジついでに業突く張りで性格最悪、って所なんだろうなぁ……領主)
 全く関係のないことではあるが、自分が幼い時にいた、以上の条件にぴったり合致する臣下の事を、兄は影で両生類と呼んでいた事をウィルは思い出していた。
『ああ嫌ですね今日の会議両生類も来るんですよ会議室に卵とか産みつけられたらどうしましょう、あの両生類どうにかなりませんかね無駄口ばかりゲコゲコ鳴くくせに役に立つ発言の一つも吐きやしない、せめてまだ本物の両生類のように黄緑色とかしていれば可愛げもあろうというものなのに全く使えない――』
 どこまでも慇懃な口調でもし当人が聞いたら鉈でも振り下ろされかねない罵詈雑言を滑らかに口にするある意味懐かしい兄の声を脳裏に浮かばせながら、ウィルは黙々と、あるいは鬱々と階段を駆け上っていた。
 目に付く場所にあった階段を適当に上っているだけだが、大抵城主の部屋というものは上の方の階にあるものであるし、そのうちそれらしい区画に辿り着くだろう。両生類とまで言わしめる領主と対面したいとは思えないが、その傍にいるというソフィアは助けに行かなくてはならない。
 もしかしたらソフィアから領主を助けなければならない状況になっているかもしれないが――というより何だかそんな可能性の方が大な気がひしひしとするが……
 そんな事をやはり黙々鬱々と考えながらひた走っていたウィルであったが、決して気を抜いていたわけではない。最上階に到達し、耳を澄まして周囲を窺うと、絨毯をぽふぽふと叩くような足音が近づいてきていることに気がついた。人数は恐らく一人――息をひそめて階段の壁に身を寄せる。十分にその足音が接近したのを見計らって、ウィルは向かい来る相手の前に躍り出た。
「動くなっ!」
「わ」
 魔術の発動に備え突き出した右腕に丁度顔面衝突する寸前で、対向者は足を止めた。
 が、その聞き覚えのある声に、すぐさまウィルは腕を下ろす。
「ソフィア!?」
「もう、ウィルってば危ないなあ」
 神がかり的な偶然に歓喜の声を上げたウィルとは対照的に、憮然とした口調で呟くソフィア。
 ウィルと再開出来た事などどうという事でもないと言わんばかりに、すぐさまソフィアは彼の顔から視線を外した。いや、むしろ、それよりも余程気になる事があるのかもしれない。せわしなく周囲を見回し、後ろを振り返る。
「あああ、来るわ、来るわよあいつが! やだもう逃げなきゃ彼方まで」
 焦燥した様子で呟いて、今しがたウィルが上ってきた階段を下ろうと一歩を踏み出しかけ――彼女はそこでぴたりと足を止めた。
「どうした?」
「ウィル、もしかしてこのお城の人に見つかって追いかけられてた?」
「うん、散々」
 答えるウィルに、ソフィアが軽く頭を抱えた。
「あーもう、つくづくどんくさいわね。もうそこまで来てるわよ。潜入したら見つからない、足取りを追わせない! これはトレジャーハンターとしての常識!」
「だから俺までトレジャーハンター扱いするのはやめいっつーに」
「って、そんなこと言ってる場合じゃないのよ!」
 自分から口にしておきながらあっさりとそう切り捨てて、ソフィアはくるりと身を翻し、廊下を元の進行方向通りに走り始めた。
 その後をウィルも追いかけながら、声を上げる。
「同じ階で逃げてもっ……逃げ切れないんじゃ……ないかなっ?」
 息が切れ切れなのはそろそろ彼にはどうしようもない。
「分かってるわよ、でも嫌なのっ! あの顔はどうしても嫌! あああもうあたしどう頑張っても駄目なのよ、あれと雷だけは!」
 普段から何かと騒がしい少女ではあるのだが、ここまで慌てふためいている姿というのは随分と珍しい。大抵の問題はけらけら笑い飛ばして対処する能力も胆力も備えている彼女をしてここまで怯えさせるとは想像以上の相手であるらしい。
 対面したいとは思えない、と先程は思ったが、その意見がにわかに変わってきた。見て面白いものではないのだろうがさすがにこれは気になってくる。いわゆる怖いもの見たさという奴だ。とはいえ彼も、たかだかそれだけの理由でわざと捕まってみようとする程は馬鹿ではなかったので、全力で突っ走るソフィアの後に素直に付き従っていく。
 そのまま十字路を曲がったり進んだりしながら進むことしばし。
「っ!!」
 それまでしゃにむに前進を続けていた彼女が突然、大仰に息を飲んだのが聞こえて、ウィルはあまり確認していなかった前方に視線をやった。
「あー、……まあそりゃ、いつかは、突き当たるわな、ふー」
 息を吐きつつ、歩を緩める。案の定、目の前は袋小路だった。外向きの窓はあるがかなりの高層建築で逃げることは出来ず(魔術を使えばどうにでもなるのだが、折角なのでウィルは黙っておくことにした)、反対側にあるドアも、彼が確認しようと思った時にはもう既に、ソフィアががちゃがちゃと壊さんばかりにノブを回して、しっかりと鍵がかかっていることをこれでもかと言う程証明している。
「イヤー! 両生類はイヤー!?」
 そこまで生理的に受付けない顔なのか、ソフィアまでもが先程の少女と同じ叫び声を上げる。だんだん、ウィルはその領主に同情に似た気持ちすら抱き始めていた。その領主とて好きで両生類似で生まれてきたわけではなかろうに。
 と――
 おもむろに、よく通る男の声が廊下に響き渡った。
「みぃーつけた、僕の可愛い子猫ちゃん!」
 その声に、びくり、とソフィアが身を竦ませる。彼女は、せわしなくドアノブを動かしていた手すら完全に氷結させていた。その様子を見つつ、ウィルの方も、さすがにその凄まじい威力を込めたせりふには意識を凍らされていた。仔猫ちゃん……こうくるとはさすがに想像だにしていなかった。
 そろりと、二人は揃って後ろを振り返る。
 大勢ぞろぞろと手下を引き連れて登場するかと思いきや、真っ直ぐな廊下をゆっくりと二人の方へと歩いてくるのはその男、ただ一人であった。
 十分に距離が狭まり、その男の容貌を確認した瞬間、既に完全凍結していたウィルはとうとう、呼吸すらをも停止した。
 目の前には、この城の豪勢な作りに負けず、絢爛豪華にして上質な衣服に身を包んだ男が立っていた。
 背丈はウィルより少し低かったが、横幅は二回り程大きい。腹もぽこりと膨れており総じて肥満体型の中年そのものと言ってよさそうな体格であったが、ウィルにはそれは肥満ではなく元々生まれた時からそうなるべくしてそうなった元来の体型ではないか、と思えてならなかった。
 話に聞いた内容から中年男だとばかり思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい――いや、その言い方は適切ではないだろう。フリルのついた襟の上に乗っかっている大きな顔をまじまじと見ても、その男の年齢は判別できなかったのだ。男、と言ったが、実際の所それすらもウィルには判別できない……
 ――ああ、兄さん、俺はたった今ひとつ学習したよ――
 激しい呼吸を繰り返す男の白い喉がぷくりぽこりと膨れるのを途方に暮れた心持ちで眺めながら、ウィルは故郷の兄に意識を飛ばす。
 ――両生類ヅラの人間は――例え本物の両生類のように黄緑色とかしていたとしても、あんまり可愛げ、ないみたいです……
 目の前にいたのは、両生類ヅラの男、どころの騒ぎではなく。
 絨毯よりも鮮やかな見事な黄緑色をした、人間の形をした両生類そのものであった……

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