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 ガルム訓練場の前の石段に座り、立てた膝の上で組んだ手に顔を伏せ、クォークは身じろぎ一つせずに思考に耽っていた。
 今日は午前中から部隊の幹部会議が開かれ、面倒臭く思いながらもそれに参加したのだったが、今回の議題は面倒だなどという怠けた気持ちを一瞬で吹き飛ばす、思い起こすのも不快な内容だった。それでも何度となく、その様子が頭の中で再生される――

「前回の戦術目標に於けるエルソードの陰湿なる妨害への報復措置として、我々は総力を挙げて、エルソード本土焦土作戦を決行する」
 テーブルに着席する十余名の部下達――部隊《ベルゼビュート》の幹部たる猛者達を悠然と眺め渡して、朗々と部隊長の声が響いた。身体つきは小さいながらもウェーブのかかった豪奢な金髪をポニーテールにした眼帯の美女というのは妙な威圧感のある姿で、彼女より一回り二回り大きい体躯を持つ荒くれどもが大人しくその姿を仰ぎ見ているのもそれ程違和感のある光景には映らない。居並ぶ幹部達の誰もが黙したまま上官の言葉を押し頂いていたが、唯一クォークはその圧倒的な威厳を真っ向から跳ね除けて反論を企てた。
「反対。本土なんか攻めた所で戦略的な価値はないに等しいじゃないか。こっちが本土を燃やしてるその隙に、エルの大部隊は中央大陸の要衝を攻めるだろう。主要な戦場に出られない新兵や小規模部隊への嫌がらせにしかならない」
 メルファリアに於ける戦争の目的は、他国本土への侵攻ではなく、中央大陸――エスセティア大陸の統一であると言っても過言ではない。古代王国の首都が存在したその地を制する事こそが何よりもメルファリアの制覇を宣言するに相応しいと考えられている上、敵国の本土を押さえ首都からの供給路を絶っても、中央大陸に既に支配地域を持っていればそこからの補給は可能で戦闘を続行するに支障は生じない。首都に攻め入り国家機能そのものを封じてしまうという案も古くより幾度も提案されてはいるのだが、国単位では非常に拮抗した力を持つ各国である。例え全軍を挙げても堅固な首都を陥落させるのは困難であろうと容易に推測出来る為、それはいまだかつて実行された事が無かった。
「ふむ。エルソードの大部隊がそのような策を取るのならば、確かに中央大陸での戦術目標の制圧は常時よりも容易となろうな。しかしその場合、残る部隊は苛烈な防衛戦をひっきりなしに行わざるを得なくなる。それらの部隊の目には、大部隊の対応はどのように映るかな? 助力を得たい時に得られない苦しみは計り知れない。エルソード部隊間の激しい軋轢を生むこととなろう。それもまた一興だとは思わんかね?」
「趣味が悪い」
「趣味が悪いのは元はと言えばあちらの方だ。先般の執拗な攻め方は、どう考えた所で我が方の目標地点が露見していたという以外には有り得ん。これこそは国際法で禁止されている諜報行為が行われた確かな証拠に他ならない。それだけでもエルソードの卑劣さは厳しく糾弾されるに値する」
「詭弁もいい所だ。どこの国だって、他国にスパイくらい山ほど送り込んでるし、そんな事なんか公然の秘密だろ。うちの国だってそれは変わらない。今更目くじら立てる程の事じゃない」
 クォークが逐一反論すると、それまで四角四面な言葉遣いで演説していた部隊長が、その語調をいきなり変えた。
「うちが他所とドンパチしてる隙をコソ泥みてえに小汚くついて上等かまして来やがったエルのクソウジ虫どもに何を遠慮する事がある。きっちり落とし前つけてもらおうじゃねえか」
「どこのスジモノだあんたは……」
 クォークは呆れて呻いたが、周囲の幹部達は部隊長の意見に賛同し、腕を振り翳して怒号の如き歓声を上げた。どう見てもその筋の者ですとしか言えない血気盛んな反応に、クォークはテーブルに肘をついて、またか、と頭を抱えた。一応やり過ぎと思える提案にはストップを掛ける事にはしているがクォークに賛同する者は大抵の場合少なく、彼の制止は最早一種の建前と化していた。そもそもクォーク本人も長年の付き合いでこの上官と同僚達を御する困難さは身に染みていたので、最終的にはやれやれと首を横に振って決定を了承するのが常だった。
 ――普段であったなら。
「圧倒的多数の賛成を得られた所で次に進むぞ。次の議題は、エルソード国兵士、通称『裏方千人長』に関する件についてだ」
 徒労感を流し込む為に口にした茶を、クォークはそのまま吹く羽目になった。正面に座する者がきったねえなあという目で見ているがそれどころではない。その間の抜けた称号には聞き覚えがあった。
 唖然として部隊長を見上げると、部隊長は至って涼しい顔をして報告書を読み上げ始めていた。
「エルソード国兵士、名はミナ。家名なし。部隊無所属、階級は上等兵、四十。職は火ソーサラー。しかしぶっちゃけ実力は雑魚なのであんまり関係なし――」
 誰が作成したのか、手元に配布されたあんまり過ぎる内容の報告書には画像が添えられていた。顎先までの長さの栗色の髪を持ち、白地に山吹色のラインが入った少し大きめのローブを着込んだ少女を、異なる距離と角度から写した物が三枚ほど。撮影者には全く気づいていない様子で、実に無警戒にぽやっとした顔を晒しているそれから目を離し、部隊長の朗読を待たずに文面を読み進める。関係なし、という割にその後ろには、習得スキル構成まで仔細に書かれている。しかも、アイスジャベリンレベル一、とかいう通常の戦場では知り得ない内容までもが記述されているという事は、情報源は訓練場の予約に付き合って貰った辺りだろうか。気にも留めていなかったが、何回かは訓練の様子も一部見られていたと思うし、習得済の魔法の話も聞かれていたかもしれない。レポートにはその後もつらつらと歩兵能力についての記述があるが、当初よりは多少ましになったとはいえこの部隊の幹部クラスはおろか、一般隊員すらどうこうできるレベルでない事などはこんなものを読まずともクォークが一番よく知っている。
「以上のように白兵戦に於ける能力は無視して差し支えない程度だが、先般の戦に於ける敵の戦術の看破、及び敵キマイラ撃滅までの迅速な対応は目を見張るものがあると判断する」
 散々こき下ろした後に続いたミナを賞賛する言葉を、クォークは気持ちの悪い違和感を感じながら聞いていた。一体、何を言おうとしているんだ? そもそも何故、こんな場所で彼女の話題が上がっている――?
 その答えは、すぐさま部隊長の口から明らかにされた。
「これは、我らがネツァワル王国にとって甚大な脅威となり得るものである。よってこのエルソード兵士ミナ、以降コードネーム『子猫』と称するこの者を、要注意人物ランクAに設定し、次回戦闘行為より発見し次第優先的に殺害を試みるものとする」
 途端、ばんっ、と割り砕かんばかりに机を叩いてクォークが立ち上がった。全員の耳目を引くが、構わず部隊長だけに鋭く視線を注ぐ。
「承服出来ない。部隊の重鎮とかならともかく、彼女はただの野良だぞ」
「そうだな。報告書にもそのようにあった」
 しゃあしゃあと言う部隊長に、クォークは奥歯を噛み締めた。自制しようとしたのだが――無理だった。感情に任せて叫ぶ。
「部隊でそんな決定を出す程の相手じゃない! 大体、援軍に来た他国兵をそこで戦力評価する事自体がおかしいだろう! こんな事を繰り返してたらどこからも援軍を得られなくなるぞ!」
「あー。それは俺もちょっと同感。敵国兵に対しても最低限の礼儀?っていうか敬意?は必要じゃないですかね」
 斜向かいに座っていた男も軽く手を上げて同意を示す。しかし部隊長はちらりとそちらに視線を向けて、反論を予期していたように傍らに準備してあった新たな報告書を手に取った。
「『子猫』の参戦が確認された戦場で、我が方のファイナルバースト作戦の実行が許可されていた、という二点の条件で過去三十戦程の戦闘報告書を調査してみた結果、当該兵士によって警戒ナイトとして拠点前に張られ、作戦実行自体を阻止されること十一回、遊撃及び周回中にキマイラを中途発見されること十七回という恐るべき数字が判明した。『子猫』一人いるだけでこちらのファイナルバーストチャンスが九十三パーセントも潰されているんだぞ。明らかに異常だ。十分に何らかの対策を取るに値する」
 部隊長の追加報告に反対の意を表明していた幹部も「うわぁ」などと言いつつ黙る。が、クォークは更に反駁した。
「ただのナイト好きだろそれは!」
 ……口を衝いて出たのは自分でもかなりどうかと思う返し方だったが。内心で舌を打つ。会った時は僻地で昼寝してた癖に何異常な程生真面目に戦争してるんだ!
 部隊長はクォークの微妙な反論には取り合わず、テーブルを囲む幹部達の顔をぐるりと見回して、静かな口調で宣言した。
「敵兵にも敬意を払うべき相手ならば払うという考えは、私も賛同する所だ。故にこそ戦場内外問わない暗殺などではなく、戦場で敵対した場合に、正々堂々とした手段での優先的殺害としている。この者は、発見次第全力を以って討ち取る事を全部隊員に命じる。クォーク、お前も例外ではなく、な」

 報告書には一切書かれていなかったが、クォークが彼女とある意味特殊な関係にあることは、部隊長は勿論のこと、あそこにいた者の多くが知っていた筈である。そもそも彼女と訓練していた事は隠してすらいなかったし――奇矯な行動だと思われこそすれ、個人行動をいちいち非難するような部隊ではないからだ――、前の戦争でパーティを組んだ時にも念の為、元のパーティの者達には彼女の事を知らせておいた。だからこそミナの名前での援軍要請で《ベルゼビュート》が動いたのだ。
 不愉快極まりない部隊長の言葉を脳裏で反芻したクォークは、怒りに似たふつふつとした感情を覚えて強く奥歯を噛んだ。が、やがてどうしようもない遣る瀬無さだけを感じ始めてその力を解く。
 紛れもなく彼女はエルソードの兵士。敵だ。どこの部隊にも属していないような一介の義勇兵に対して出されるには異例中の異例ではあったが、特定の兵士の優先的殺害自体は特に珍しくもない命令だった。現在同様の命令が発せられているエルソード兵など、大部隊の重要人物を始め両の手に余るほどいる……
 少しずつ近づいてくる、規則正しい靴音を聞いて、クォークは組んだ手から片目だけを上げた。
 細い路地の真ん中を歩いてきた小柄なローブ姿の少女を認めて、頬に笑みを浮かべる。
「……もう来ないかと思った」
 少女――ミナは、まばたきもせずにじっとクォークを見下ろして、小さな唇を動かした。
「来るわよ。約束したんだもの」
 どこか呆れたようでもある声に、クォークは気づいてくっと喉を鳴らして笑った。彼女の言っているのは、単に前回の訓練日に約束をした事ではなくて、最初にこのヴィネル島に呼んだ時に対する皮肉だろう。あの時クォークは、彼女を一方的に呼びつけておきながら、約束を忘れるな、と言い放った。それでいて本当に来るとは思っていなくて、実際に現れた姿に心底驚いたら怒られたのだ。あなたが来いって言ったんじゃない、と。
 その分かりにくい皮肉が無性におかしくて、膝に顔を伏せたまま小刻みに肩を揺らすと、ミナは隣にしゃがんで少し心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「ねえ、クォーク大丈夫? もしかして体調でも悪い? 何だかいつもと違う気がするけど」
「いや、別に」
 そう返答しつつも顔を上げないクォークに、ミナがそっと手を伸ばしてくる。頬にほの暖かい指先で触れられて、クォークは震えた。
「あ、ご、ごめん、熱でもあるのかと思って……」
 僅かではあったが彼の示した反応に、驚いたように離れようとする指を、離れる前に咄嗟に掴む。
「え……」
 ぽかんとした声を漏らして、ミナの視線が握られる指先に落ちた。ぱちぱちと、目に映る光景を確かめるように目をしばたかせていた彼女だったが、唐突にぼっと顔を赤くして慌て出した。
「あ、あの? ええと、そ、その、ご、ごめんなさい?」
「……悪い。心配してくれて有難う」
 何をそう動揺しているのか、何故か謝るという挙動に出た彼女を見て思わず吹き出し、少しだけ動く気力を取り戻す。ミナの手を離して、クォークは立ち上がった。
「さ、そろそろ訓練を始めるか」
「う、うん」
 訓練場に向かう通路に足を向けると、さっき掴んでしまった手を隠すように後ろで組んで俯きながらミナがついてくる。歩幅の関係で、自分のそれよりも速いテンポになる彼女の足音を聞きながら、クォークは出来るだけ普段通りの声に聞こえるよう留意しつつ何気ない事を言った。
「今日こそは、もうちょっと硬直を取れるようにしような」
 攻撃直後の敵の隙を突き、そこに魔法を当てるのはソーサラーとして基本中の基本なのだが、どうも彼女は人一倍どんくさいようで一対一の状況ですら反応が遅れる事が少なくない。ステップやドラゴンテイルの着地地点を見誤って明後日の方角に魔法を撃ってしまうのも問題だ。五回に四回程度のミスが五回に二回くらいになる程度には成長してはいるのだが、もう少し頻度を落としてもいいと思う。
「だ、だってえ、練習する機会がないんだもの。今回だってクォーク、部隊行動だって言って、二週間も訓練の間開いたし」
「実戦で鍛えるんだよ、こういうのは一対一で覚えるのには限界がある。こないだの戦場みたいに僻地の対応に当たるとか、もう少し積極的にやってみた方がいいぞ。どうせあれ以外には前線になんか出てなかったんだろ。……全く、戦場に出てもナイトばっかりやってるからだ。召喚はそりゃ大事だけど、そればっかりやってたらいつまで経っても自分の実力は伸びないぞ」
「えっ、やだあ、何でばれてるの」
 気恥ずかしげに頬を赤らめて言う彼女を見て、クォークは先日から妙に失言を重ねている自分に内心で呆れた。まさか彼女は自分の報告書が《ベルゼビュート》の幹部会議に上がっていたなどとは夢にも思っていないだろうし、今の発言だって、推測でそう言ったのだとしか思うまい。だから今回は、それが失言であるとすら気付くことはないだろうが。
 ――このまま、全て打ち明けてしまおうか。
 彼女に身の危険を知らせて……いや、知らせるだけでは駄目だ。知っただけでは彼女は自分の身を護りきれない。どうせこれ程の重大情報を本人にリークすればその時点で自分も立派な反逆者だ。部隊は裏切りを決して許さない。自分もまた追われる身となるだろうから、逆にそれに乗じて彼女を連れて逃げて――ヴィネルのどこかにでも移り住んで。平和な自由都市で、戦争などとは無関係な穏やかな暮らしを彼女と――……
「ああ、でもそうだね、クォークの言う通りだと思う」
 胸の内で自分勝手に綴り続けていた妄想を見透かされたような気がして、クォークはぎくりとした。しかしミナは別に、クォークの心中での空事に気づいたという訳ではなかったらしく、ぎゅっと握った自分の杖に真剣な眼差しを送って、それに語りかけるように呟いている。
「私、戦うのへたくそだからって、ずっと裏方のお仕事に逃げちゃってた。裏方の仕事をやってれば皆感謝してくれるし、辛い目に遭わなくて済むし。でもそれじゃ上達しないのも当たり前だよね」
 柔らかい、それでいてしなやかな意思の強さを感じる笑顔。ひたむきなミナの目が杖から離れてクォークを見上げる。
「最近、やっと分かったの。私は、クォークに憧れてたんだって。クォークみたいになりたかったんだって。クォークみたいに、仲間を助けてあげられる位の力が欲しいんだって」
 ――憧れ。
 きっと彼女は賞賛の意味を込めて言っているのであろうその言葉が、どこか突き放されたもののようにも聞こえる。憧れなのだ、と握手を求めてくる自国民は今までにもいた筈で、彼らにそのような思いは抱いた事はなかったのに、彼女にだけは何故かそういう風には思われたくなかった。
「私、頑張るよ。今はまだ全然だけど、これからも一杯練習して、強くなる。クォークとは……やっぱり敵同士なのはどうしようもないから、肩を並べることは出来ないけど……でも、いつか、クォークに認めてもらえるように。いつかまた戦場で出会った時に、何で俺こんなの育てちゃったんだろうなあってクォークが困るくらいに強くなって……」
 笑いながら言うミナの声がそこで止まった。笑顔のまま、声だけが消える。ほんの数秒、沈黙の時間が流れて、彼女は照れたように頭を掻いた。
「あはは、ちょっと大きく出過ぎだね。でも、私そのくらい頑張って練習するから。だから、出来たら私と戦うの、もうちょっとだけ待っててね」
 そんな彼女の声に何も答える事が出来ないまま、笑顔から目を逸らして、訓練場に続く扉を開ける。
 その途端、ぽつり、と雨粒が頬を打った。ミナが顔を出して「あれ」と開けた空に手のひらを向ける。
「降り出してきちゃった。少し天気崩れそうな感じだったもんね。今日の訓練は中止かな」
「……そうだな」
「私の溢れ出るやる気をお見せした矢先なのに残念だわ。……今のうちならまだ次の船に間に合うかも知れないから、私もう行くね。クォークも、体調悪いなら無理しちゃ駄目だよ?」
 言葉少なに答えるクォークに立てた指を振ってみせてから、ミナはくるりと軽やかに踵を返した。

「あー……逃げるなんて望んでないか。そりゃそうだよな……」
 ほどなくして本降りになり始めた雨の音を聞きながら、何となく力が抜けて、壁にもたれ掛かる。苦笑と一緒に出てきた自分の声が溜息に似ていて、口の端の苦味が一層強まった気がする。
 冷静に考えてみれば分かりそうなことだった。あの最初の戦場でだって彼女は、敵わない事なんか百も承知で、それでも一歩たりとも逃げようとなんてしなかった。
「敵、だよなあ……」
 彼女が繰り返し繰り返し、言い含めるように、刻み付けるように告げた冷たい事実。歪んだ口の端から漏れた声と、自嘲の微かな吐息は、雨音に流れてかき消えた。

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