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 その日から、ミナの新しい習慣が始まった。
 何日かおきに、敵国兵士と二人でヴィネル島で会って訓練をする――どちらかというと割と一方的に文句を言われて殴られるという変てこな習慣が。
「ほら、また間合いが詰まってるのに魔法使う! ストスマの範囲内はウォリアーの距離だって覚えとけ!」
「立ち上がりに即ウェイブとか、射程入った瞬間にウェイブとか、そういうのはウォリアーは誰だって警戒してるから! そう安直に釣られて撃たない!」
 最初のうちは訓練であっても戦闘中はあまり声を荒げる事もなく、淡々とした指摘に終始していた彼だったが、最近は少し熱の篭った声を聞く事が多くなった気がする。当初思っていたよりも、感情の起伏がちゃんとある人なのかも知れない。冷たい無機質な無表情で、まるで機械のように武器を振るっていた戦場でのイメージとは少し違うようにも思えるのは、冷酷無比で残虐非道である筈のネツァワルのウォリアーも、武器さえ下ろせば割と普通の人なのだという事を知ってしまったからかもしれない。
 いや、単にミナが、本来冷徹な人間が怒鳴り声を上げざるを得なくなる程の残念な生徒だという可能性もあるが……
(っていうかやだ、やっぱ単にそれだけな気もする)
 その可能性に気づくや否や、非常に心配になってしまい、
「私はちょっとは成長してるのかなあ……」
 体力を回復する為の一時休憩中についぼやくと、クォークはそれを聞き咎めて「ん?」片眉を上げた。
「してるよ。後は、ウェイブを安直に撃つ癖をどうにかするのと、ストスマの射程をちゃんと把握するのと、魔法の命中精度をもう少し上げるのと、」
「全然成長してる風に聞こえないんだけど」
 眉を顰めてクォークを見上げると、彼は難しそうに空を見上げて何かを考えてから、ミナに向き直って言った。
「……まあウェイブあたりを誘うつもりでいた所に当たらないヘルぶっ放して来られた時に比べれば?」
「む、むむむ〜〜〜〜」
 頬を膨らませて抗議をすると彼は、あはは、と声を上げて笑った。
 笑われるのは悔しくはあったけれど、不思議な事に決して嫌ではなかった。
 ネツァワル国の兵士であるという事実と名前以外には何も知らない彼が、本当はどんな人間なのか――どんな事で笑い、どんな事で喜ぶのか、それを少しずつでも知る事が出来るのは、厳しいけど為になる訓練と同じくらい、楽しい事だとミナには思えていた。
 何でこんなことが楽しく思うのかは自分でも分からなかったけれど。

 この日も訓練が終わると、連れ立って訓練場を出て、門の前で別れた。初日こそカジノで待ち合わせたが、次からはこの訓練場前で集合し、訓練が終わるとそのまま訓練場の前で解散するという流れになっていた。
 訓練用の両手斧を肩に担いだクォークはミナに軽く手を上げて別れの挨拶を寄越すと、今日も、これまでと同じように特別振り返る事もなく、ゆったりとした足取りで立ち去っていった。
 沈みかけの夕日に赤く染まる街並みに、大柄な背中が少しずつ小さくなって消えていく。
 ぼんやりと、ミナはそれを眺めていた。
 と、そんな時。
「ミナ」
 思いがけず、背後から知った声に名前を呼ばれて、彼女はびっくりして振り向いた。
「あ、ラムダさん」
 そこにいたのは、エルソードでミナと同じく兵士をしている、友人のスカウトの女性だった。
「こんにちは。ラムダさんは、カジノに遊びに来たの?」
「うん、まあね……」
 ミナの世間話に彼女の乗りが余りよくない。そんな他愛のない話よりも重要な事があると言った様子だ。ミナが首を傾げると、ラムダはミナが眺めていた路地の向こうを気にするように目をやってから、真剣な視線を戻してくる。
「ミナ、今の人は……?」
 ほんの少し警戒感の混じった声で問われて、ミナは慌てた。――見られていた! 全く後ろ暗い事などないとはいえ、こんな場所で敵国兵と会っていたなんてバレたら凄くまずいんじゃないだろうか。
 冷や汗が背を伝ったが、しかしミナは自分が物凄く嘘が下手だという事を自分自身でもよく知っていたので、ごまかすのは早々に諦めて正直に言った。
「ち、違うの。クォークはネツァワルの人だけど、悪い人じゃないのよ」
「やっぱりクォークか……」
 しかしラムダはミナが心配したのとは少し違う反応をした。ネツァワルという敵国の名ではなく、クォーク本人の名前を呟く。
「え? 知り合い?」
「まさか」
 ミナが目をしばたいて問うと、汚らわしいものを吐き捨てるような声で彼女は言った。
「部隊《ベルゼビュート》のクォークって言ったら超がつくくらいの有名人じゃない。一戦場で二十人近くもの敵兵を屠る、ネツァワルでも最悪クラスの危険人物よ。一対一で相対して生き残った人は誰一人いないっていう、人呼んで、ネツのキラーマシーン」

 ――確かに、物凄く強い人だとは思っていた。
 ミナから見れば、周りの兵士は誰も彼もが皆達人に見えてしまうのだが、その中でも感じた事のない程に群を抜いたウォリアーだと思った。
 常に何手も先が見えているかのような並ならぬ洞察力を持ち、地を駆ける動きにも、斧捌きにも全く迷いがない。
 訓練中、全く反撃の余地を与えられずに幾度も殴り倒された時に、見事な芸術作品でも見るような感動的な心持ちすら覚えていた事に気がついて、ちょっと自分は被虐趣味なのではないかと心配になったりもしたくらいである。
 だから寧ろ、明かされた真実はしっくりと納得の行くものですらあった。

「《ベルゼ》は自国戦だろうと援軍だろうと、てめぇんとこの部隊だけで組んで動くからな、直接組んで動いたことはねえけど、あの男が強ええのは間違いねえな」
 酒場でエールの入ったジョッキを豪快に傾けながら、髭面の男が、自分に問いかけてきたスカウトの女に向かって面倒臭そうに言った。
 彼は古くからエルソードの兵士として首都に住んでいるが、その実、傭兵として身を立てている男だった。即ち、場合によってはエルソード国以外の国の兵士としても戦うことがあるという事である。流石に自国と敵対するのは法律で禁じられているが、傭兵家業自体は認められている。それ故に、ネツァワル国の者とも幾度か共闘した事があるらしい。
 男に問いかけた女――ラムダは、的を射ていない答えに少しむっとした様子で、男に食って掛かった。
「強いってのは知ってるわよ。うちの部隊だって《ベルゼ》には何っ度もこっ酷い目に遭わされてるんだから嫌でもね。そうじゃなくって、奴らが一体何を企んでるのか。それを知りたいから、色々知ってそうな奴を当たってるんじゃない」
「おいおい、俺ぁ別に関係者じゃねえんだぞ? いくら共闘した事があるったって、一介の傭兵に何を期待してんだ」
「別に情報そのものを期待してるわけじゃないわ。手掛かりの一個でもあれば儲け物だってくらいに思ってるわよ」
「いや、手掛かりっつったって……」
 知らねえよそんなもん。と、男は困り果てて言ったが、ラムダはそんな男を尻目に祈る形に両手を握り締めて、不安げに眉を寄せた。
「《ベルゼビュート》って言ったら戦場を制圧する事よりもただひたすら敵を轢き殺すことが目的みたいな荒くれ、いいえ荒くれなんて言葉じゃ足んないわ、理性のない野獣みたいな奴らじゃない。その中でもトップに近い幹部クラスの男なのよ!? そんなのがミナにちょっかいを出してるってのが問題だし心配なの!」
「ヴィネルにいる分には大丈夫だろ。自由都市のあそこには各国の兵士が集まるが、治安はいい。あの島で訓練以外で刃傷沙汰を起こしたら、理由如何に拠らず必ず粛清されるって噂だからな。奴もそこまで馬鹿じゃねえだろうよ」
「トラは呑気ねえ!」
 ラムダは憤慨して叫んだ。トラと呼ばれた男は彼女が憤っているのとは別件で髭面を顰める。
「その渾名やめろ、猫の名前みたいじゃねーか。俺にはタイガっつう立派な名前があるんだよ」
「そんな些細なことはどうだっていいのよ! 第一似たようなもんじゃない!」
 本人にとっては割と重要な反論は一言の元に切って捨てて、ラムダは不安げに手を組み合わせて握る。
「何を目的にミナに近づいたのかは分からないけどミナは世間知らずだからきっと簡単に騙されて薄暗がりに連れ込まれてあんなことやこんなこと、挙句の果てにはそんなことまでされちゃうわ! あああ可哀想なミナ!」
「誰が世間知らずのお馬鹿さんですって?」
 いたくむっすりとした声で叫びを遮られ、ラムダがくるりと後ろを振り向くと、そこにはソーサラーの小柄な少女――話題の主役であったミナが、腕を胸の前で組み頬をぷうっと膨らませて彼女を睨んでいた。
「あ、あらやだミナ。お馬鹿さんまでは思ってても言ってないわ」
「思ってるって言ったあああ!」
 地団太を踏んで抗議するミナをラムダはまあまあと宥める。トラ――タイガはミナとも顔馴染みで、この二人のこんな掛け合いはとうに見慣れているので、やれやれと肩を竦めるに留まった。やがてミナは不服そうな表情を残したまま興奮を収め、つんと言い放つ。
「大体、そんな大部隊の幹部だかが私に何か目的を持って近づいたりするわけないじゃない。部隊にも入ってないただの野良の私に何の用があるのよ。敵国にバレてまずいような情報なんて、私何一つ持ってないわ」
 野良というのは特定の部隊に入っていないフリーランスの義勇兵の俗称である。個人ゆえ独自の作戦行動を取る事は出来ず大部隊の呼集に応じて戦場に参じるその下っ端的な性質や、組織力、情報力を持たない事などを揶揄する蔑称に近い。勿論自らの意思で一匹狼たる事を選んでいる者もいるのだが、ミナの場合は部隊――これも国軍の正規部隊ではなく、義勇兵の互助組織のようなものだが――に入隊する機会が何となくなかったからという理由でこうなっている。
「まあそうではあるんだけど……じゃあ何で奴はミナに近づいたのかしら」
「さあ。ただの気まぐれじゃない?」
 自然と尖ってしまう自分の声にミナは気づいたが、それを直す気にはなれなかった。その質問の答えはミナ自身が教えて欲しいくらいなのだ。どう考えても理由がない。今言った通りに彼女は重要な情報は何も教えてもらえない下っ端にしか過ぎないし、自分の身柄を押さえる事で何かしらの戦略的価値があるわけでも当然ない。
 考え抜いた結果、気まぐれ、これが一番しっくりするように思えた。
 しかしミナが出したその結論を聞いて、ラムダは安心するどころか目を見開き、最悪の想像に震え上がりながら両頬を手で押さえた。
「戦略的な行動じゃないとすると、やっぱりあいつ自身がミナに不埒な事をするのが目的で……! ミナの誰にも触れられた事のない新雪のような初々しいあんな所やこんな所が残忍なネツァワル兵士の魔の手に掛かっていじくられて弄ばれていやあああああん」
 一体何を妄想したのかどことなくくねくねとしながらそんなことを叫ぶ友人に、ミナはより一層不機嫌な声になって言った。
「そういう話ならもっと大丈夫よ。あいつ、そんな気ないってはっきりと言ったもの」
 ぷいっと友人達から顔を背けて、ミナは酒場の外へと出た。

 エルソード首都リベルバーグの市街地を宵の涼風に吹かれながら歩く。酒場が盛況になる夕刻は、この市街地も賑わいを見せる時間なのだが、このリベルバーグではだらしなく酔った酔客が街を闊歩するという光景はあまり見られない。学問の国エルソードのお国柄だろうか。寛いではいても理性のたがを外さない国民が多いようで、陰気なわけではないが、ガルムのような不思議な活気もない。――ミナにとってはずっとそれが普通だったし、勿論それが悪いと思う訳でもないのだが。
(ネツァワルの首都は、どうなのかしら)
 様子を窺い知る事など叶わない隣国に思いを馳せる。エルソード国軍は、知を尊ぶエルソードこそがメルファリアで最も民が豊かで幸せに暮らす国家であると喧伝しており、他国の事を知る機会のない一般市民は勿論、ミナも長い事それを疑うことすら考えずに過ごしてきた。この世界で最も優れた国家であるエルソードには、古き時代に遡れば同じ祖を持つ同胞たる他国の民たちを、悲しき戦に駆り立てる貧困と悪政から救う義務があるのだと。だからこそ、止むを得ず長きに渡り他の四カ国との戦争を続けているのだと。そのようにずっと教えられてきた。
 けれども、国軍に推奨された通りに義勇兵に志願して戦場に出るようになって他国の兵士達の姿を見るうちに、自分の認識には少し誤りがあったのではないかと思うようにもなってきた。戦場で見る敵国の兵士達は自国と比べても取り立てて文化レベルが低いようにも思えなかったし、身に着けている鎧や武器などを見ても想像していた程困窮しているようには見えなかった。しかしそれでも敵国の――ことネツァワルの兵士とは、悪しき政治を盲目的に信奉する極悪無道な蛮族に違いないという認識には変わりなかったので、自国の正義を信じ続けてこれまで戦ってきた。
 けれども、その信じていた筈の正義すら最近曖昧になっている気がする。
 隣国の首都の様子はどんな感じだろうだなんて、今迄一度も考えた事がなかった。戦争で敵対していない時の敵の姿など、想像した事すらなかった。
 それもこれも、クォークという一人のネツァワル兵と出会ってしまったからだ。
 憎悪すべき敵対国の兵士とは、決して戦と破壊にのみ明け暮れる悪魔などではなく、驚きもするし笑いもする、自分と変わらないただの人間であるのかもしれないという事に気づいてしまったから。

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