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 ヴィネル島――
 メルファリア六大陸を飲み込む戦火とは隔絶された、絶海の孤島である。
 この小さな島には有効な攻略拠点がないからか、或いは他に何かしらの理由があるのか、メルファリアの覇を競う各王国の王達はこの島に戦いの火の手を持ち込む事をせず、それ故に島のどこの国にも属さぬ各都市は、戦乱の時代において不可解な程の平穏を醸していた。
 そのうちの一つ、自由都市ガルム。
 この街には、この島の平穏と安寧の集大成とも言えるべき、他の国々にはない珍しくも華々しい娯楽施設が存在する。
 それこそが、例の男が待ち合わせ場所に指定したカジノだった。

「はぁー……」
 目の前に聳え立つ巨大な建造物を見上げて、ミナは初めて都会に出てきた田舎者の如く深く感嘆の吐息を漏らしていた。
 今まさに彼女の目の前で堂々たる威容を誇っているこの施設――カジノは、ガルムに於いて最大の目玉である。これ目当てに世界中から多くの人々が集うという場所で、それに見合ってその迫力も半端ではなかった。単純に質量を言えば、彼女の国エルソードの首都リベルバーグの中央に屹立する国王の居城の方がずっと大きいのだが、何と言うか、ただ事ではない雰囲気を感じるのだ。まるで得体の知れぬ混沌とした感情が渦巻いて、不可視のエネルギーとなってそこに在るかのような。
 ヴィネル島の自由都市は、いかなる国の、いかなる者をも受け入れる事を旨としていた。各国に属する兵士であろうとまた然りで、一旦入島すれば、恐らくは敵国の兵士達だろうと推測できるような集団とすれ違うことも稀ではない。普段は戦場で剣を振り翳し骨肉の争いを繰り広げている兵士達が同じ屋根の下、事によれば同じテーブルに集いゲームに興じているのだから、言葉ではとても言い表せない複雑な気配が漂っていても不思議はないのだろうと、かつて一度だけここを訪れた時、ミナは恐れ戦きつつも納得したものだ。
 ――その時一緒に来ていた友達は、ミナに聞こえない小声でぽつりと「いやそれ、純粋な欲望だよ多分……」とか呟いていたのだが、それは彼女の知り得ぬ余談である。
 謎のエネルギーの真実についてはさておき、ミナは一度の来訪でその気配に圧倒されてしまい、以来長らく訪れていなかったのだが、彼女は今一人でこの地に足を運んでいた。いかに自由都市でとはいえ、仇敵たるネツァワル国の兵と会うなどというのは外聞のいい行為ではない。
 入り口の大きなドアを恐る恐る開けて中に入り、指示された通りにホールを左手に歩いていく。道化師や露出度の高い女達が闊歩する賑やかしい音楽に満たされた華やかな空間を場違いな気分で抜けると、一段と濃い熱気に包まれた一角に辿り着いた。カジノ最大の花形、ルーレットのコーナーだ。
 ルーレット台が置かれている一角は短い階段を下りた少し低い場所にあったが、背の低いミナは階段を下りる前に視線を巡らせて、目的の姿を探した。
 ――いた。
 こちらに背を向ける形になっているが、確かにルーレット台に一番近いテーブルに、昨日見たばかりの黒髪が見えた。顔は見えないが、体格と、傍らに立てかけてある両手斧を目にして確信する。間違いない。あの男だ。
 ミナは階段を下りて、真っ直ぐにそのテーブルへと向かった。
 喧騒の絶えない場所ではあったが、ミナがテーブルのすぐ傍まで近づくと、男は気配を感じたのか何気ない様子で振り向いた。が、その泰然とした仕草に反してミナを見る目の方は明らかな驚きに見開かれていた。
「……本当に来たんだ」
 信じられない、とでもいうような調子で呟かれた声に、ミナはかあっと赤面して声を上げた。
「あ、あなたが来いって言ったんじゃない! 来ちゃいけなかったの!?」
「いいや。来てくれて嬉しいよ」
 そんな事言われるくらいなら帰るわよ!――と、続けようとしていたのだが、ミナはついそれを飲み込んでしまっていた。
 彼女の言葉を遮って浮かべられたその男の屈託のない笑顔が、言葉通りに本当に嬉しそうだったので。
 大柄な体格の男だが、笑うと少年のようにも見えて、何故だかまたどきりとする。
 酷薄無情な筈の敵兵の、意外な笑顔などを見せ付けられた所為なのだろうか。胸の奥に湧き上がってきた自分でも理由の分からないこそばゆいような不安定な気持ちを紛らわす為、ミナはむっと眉を吊り上げて男を強く睨んだ。
 しかし男はミナのきつい眼差しに怯んだ様子もなく席を立ち、彼女に簡単に手招きだけすると出口に向かってすたすたと歩いていってしまった。歩幅の違う男にミナは慌てて小走りになってついていく。
「こっちだよ、えーと」
「ミナよ」
「ミナか。俺はクォーク。宜しく」
「……宜しく」
 敵国同士の者だというのに何がどう宜しくなのだかよく分からないが一応挨拶を返して、ミナは男――クォークの広い背を追いかけた。
 クォークは、カジノの建物を出ると、慣れた道を行く気楽さで少し歩き、別の広い建物の前で足を止めた。建物の前には軽装鎧の男が門番のように立っている。クォークは何事かをその男と話してから、建物の中にミナを招じ入れた。
「わぁ……」
 促されて入ったその中の長い通路を暫く歩いて抜けると、思ったよりもずっと広い空間に到着した。建物の中だと思ったがそこは、天井のない高い壁に囲まれた屋外だった。地面は赤土に覆われてその周囲に水路が巡らされた、一見した所運動場か闘技場のようにも見える場所である。戦場と呼ぶには狭いが、何人もが武器や魔法を振るって戦うだけのスペースは十分にある。
「よう、待たせたな」
 クォークが奥に向かって掛けた気楽な声で、ミナは初めてこの場に先に何者かがいた事に気がついた。びくりとして顔を向けると目に映ったのは武装した男が二人。どちらもネツァワル国の兵士のようだ。合わせて三人もの敵兵を前にしてミナは自然と身体を固くする。
(な、なに……? これは一体どういうこと……!?)
 激しい混乱に見舞われたミナは、頭をフル稼働させて状況を考察し、一つの最も合理的と思える結論を導き出した。即座に男たちからぱっと飛び退って距離を取り、魔法も届かないくらいに遠くからクォークに指を突きつけた。
「女の子を騙して複数の男が待ち受ける密室に誘い込むだなんて……さ、さては三人で私を手篭めにするつもりね!? いやああ、けだものー!」
 甲高く発せられたミナの非難にぎょっとした顔で振り向いたクォークは、彼女に勝るとも劣らない音量で反論の声を上げた。
「て、手篭……あのなあ!? そんな気があったらわざわざ日を改めて呼び出すなんてしち面倒臭いことせずに、最初のあの時に襲ってるよ!」
「いやああー!? 何という戦場の悲劇! 襲うとかさいてー! 鬼! 悪魔! 流石ネツァワル汚いわ!」
「君が言わせたんだろ!? そういうこと言うか!?」
 そんな二人の叫び合いの隙間に、横から声が挟み込まれる。
「じゃ、クォーク。俺らは部隊の方に戻るから」
「お、おう、悪い。助かった」
 その声にはたと我に返ったらしいクォークが、男達に軽く手を上げて礼を言うと、二人は面白い見世物でも見たかのように笑いながら部屋を去っていった。
 クォークに指を突きつけたままの格好のミナは首だけを動かして退出する男達を見送り、やがて出入り口のドアが閉まって静寂が取り戻されると、改めて目の前のウォリアーに向き直って視線のみで解説を要求した。
「……訓練場の利用許可を取るのに顔だけ貸してもらったんだよ、頭数がないと許可下りないから。他国の人とやるんじゃここしか場所ないし……」
「くんれん?」
 きょとんと首を傾げたミナに、声の調子を平静な物に戻したクォークは、担ぎ上げた巨大な両手斧で軽く肩を叩きながら淡々と告げる。
「君のソーサラーとしての腕前はちょーっと問題なレベルだったからな。国に教えてくれる人がいるんならよかったんだけど、部隊にも入って無いって言うし、そもそもその階級になってもそれってことは、今まで誰も教えてくれなかったんだろ?」
「と、友達いない子みたいに言わないでよ!」
「いや別にそうとまでは言ってないけど」
 クォークは肩の斧をひょいと下ろし、そのままその切っ先を、びっ、とミナに突きつけた。
「俺はソーサラーについては専門外だけど、やっていい事と悪い事の区別くらいはつく。最低限のことは教えてやるから、ちょっとはマシな腕前になって帰れよ?」
「え、えええええええ!?」
 想像もしていなかった展開に、ミナは全力で驚愕の声を上げる以外の事は何も思いつかなかった。

 がっ、と強烈な一撃がミナの細い身体を撃った。
「ストスマが当たる位置で不用意に魔法振っちゃ駄目」
 痛みに顔を顰め、息を吐き出すことも出来ないミナに向かって容赦なく、再び斧が襲い掛かる。――酷く冷静な声での解説付きで。
「ただでさえ君の魔法はわざとやってるのかってくらい精度が悪いんだし、何より相手はまさにそういう隙を狙ってるんだから」
「……うぅっ」
 追撃の痛みよりもどちらかと言うとあんまりな指摘の方に呻きながら、咄嗟にフリージングウェイブ――術者の身体から同心円状に強烈な冷気を噴出し敵を吹き飛ばす魔法を放とうとしたが、念じても冷気はぷすりとも出てこなくて、ミナの顔からさあっと血の気が引いた。
「魔法をむやみに連打してるからだよ。ウェイブ分の魔法力がないのは予測済み」
 こうなることは完全に読みきられていたらしく、ミナの反撃への回避行動を起こさなかった男が、悠然と武器を振る。
「……で、ここでヘビでも入れれば、そろそろ死ぬだろ」
 ひゅおん、
 と下段から振り上げられた斧の刃先を首筋でぴたりと止められて、ミナはじっとりとした汗がその辺に流れるのを感じた。
 いや、その辺、というのは適切ではないかもしれない。ここに至るまでにも幾度も幾度もはたかれて飛ばされて転がされて、とっくの昔に首筋どころか全身丸ごと汗と埃まみれになっている彼女だった。
 ――クォークの訓練は、スパルタ、その一言に尽きた。 
 訓練と称しながら、敵として相対したあの戦闘の時と比べても全く遜色のない勢いで、何の遠慮もなしに殴ってくる。彼が用意してきた武器は一応訓練用の刃を潰したものだったが、それでもウォリアーの力で殴られれば十分に痛いし怪我もする。とはいえ本当に殺すつもりはないらしく、適度にボコボコにした所で手を止めて、ぐったりするミナに魔法の体力回復薬を使う時間をくれるのだ。殺されないのは有難いが、殴られて癒されて殴られて癒されてのエンドレスというのは逆にある種の拷問ですらある。
(ネツァワル流の新手のいやがらせなのかしら……)
 オレンジ色の液体の入った瓶を口に咥えて行儀悪く飲みつつ、ミナはげっそりと独りごちた。魔法の回復薬の効果は絶大で、すっかりと満身創痍になったミナの傷を瞬時とは言わないまでも徐々に癒し、打ち身や切り傷の痛みを確実に消し去っていく。死にさえしなければ、大抵の怪我は治癒出来るという優れものだ。
 傷と共に思考能力も回復してくるような気がして、ミナは改めて何故こんな事になったのか考え始めたのだが、いざ考えてみてもさっぱり訳が分からなかった。つい昨日まで全く見ず知らずであった敵国の兵士に目をつけられていびられるような事をした覚えは全くない。ここしばらくはずっと後方支援の担当として戦場の裏方役に回っていたので、敵に直接的な恨みを買う機会自体がなかった筈である。
 いや、別に彼女個人に恨みがあるとは限らない。このメルファリアではその覇権を賭けて、現在五つの大国が日々激しい戦争を繰り広げているが、中でもエルソードとネツァワルと言えば犬猿の仲とすら言える激甚な敵対関係にある。話によれば魔獣が国王として君臨するという得体の知れない国の兵士のすることだ、エルソードの兵なら誰でもよく、たまたま目に付いた弱そうな女兵士をこれ幸いにといたぶっているという残虐な構図であっても不思議ではない……
 が、それも、彼本人の言う通りで癪ではあるが、わざわざこんな場所にまで呼び出す手間を掛ける理由としてはやはりおかしい。国そのものに恨みがあるなら戦場に行ってエルソード兵士を存分に殴り殺してくればいいだけだ。その方がより自国に貢献出来るし、それが出来ない腕前でもないだろう。
 大体――
 こうして身を以って教わっている内容は、十分に正当なものであるように思えた。折々に挟まれる発言は微妙に酷いものの、嘲笑や揶揄というよりは単に思った事を悪気なく言っているという雰囲気で、落ち着いた口調で語られる解説は寧ろ親身であり、懇切丁寧とすら言えるものである。
 やっぱりどう考えても、むやみにいじめられている訳ではなく、言葉通りに正規の訓練を施されているようなのだ。
 実を言えば何よりも、それが一番訳が分からない。
 ――敵だっていうのに、何故?
「回復終わった?」
 斧を地面に突き立てて休んでいたクォークが掛けてきた声に、ミナの思考は現実へと引き戻された。この男の真意はどうであれ、直面している現実自体にも悩むべき点は多々ある。
「ウォリアーに勝てる訳がないんですけど……」
 そもそもミナの魔法の命中率が低い事を除いても、ちょっとやそっと魔法を当ててもびくともしない頑丈な身体のウォリアーに、攻撃の隙も大きく防御力も紙同然のソーサラーが敵うとはとてもではないが思えなかった。
 が、クォークは何を言ってるんだとばかりに目を丸くする。
「逆だよ。ちゃんと距離を取れる状況でありさえすればウォリアーはソーサラーになんて勝てない。ストスマ射程外からひたすらぺちぺち撃たれてればこっちは反撃のしようがないじゃないか。どうにか近づいた所でウェイブ持ってるなら引き剥がされるし。……ていうか、俺が言いたいのは別にタイマンで敵を倒す技術の話じゃないんだよ。カモになるような動きをしちゃ駄目だって話。タイマンでカモになるような動きをする人は戦場でもカモってことだから」
「むぅぅ〜〜〜〜」
 いや、自分がカモなのは分かってはいるが。だからこそ腕はなくとも一定の知識があればこなせる裏方作業に逃げ込んでいる訳だし。
 恨みがましい上目遣いでぷぅと頬を膨らませるミナを見て、クォークは「そんな顔をされても……」と苦笑気味に眉根を寄せ、不意に気づいたように話を変えた。
「そろそろ終了時間かな。今日の所はこれで勘弁しておいてやるか」
「なにそのいじめっ子の台詞……って、今日の所?」
「次はいつ開いてる? ってそういう俺自身があんまり開いてないな。えーと、悪いけど五日後で大丈夫?」
「え」
 さらりと進められそうになっている話に絶句してまじまじと相手の顔を見ると、同じようにして不思議そうに見つめ返された。
「え、じゃないよ。こんなんじゃまだまだ練習は足りないぞ?」
「た、足りないだろうけど、そうじゃなくって、」
「ん?」
 力の抜けた様子で首を傾げる男のその仕草に、また心臓が跳ねる。
 ミナの瞳を見つめてくる目があまりにも真っ直ぐで、裏表がなくて。憎むべき敵国の兵だとか、そういった事実が一瞬完全に頭から抜け落ちてしまう。
 気がつくと、口がまるで別の生き物にでもなったかのように、勝手に返事をしてしまっていた。
「クォークが時間取ってくれるって言うなら、私はいつでも大丈夫……」
「了解。じゃあ五日後の午後四時、今度はこの訓練場の前でいいな」
「……ん、分かった」
 ――ほんと、何でこんな事になっちゃったんだろう……?

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