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子猫とウォリアー




 今日もぽかぽかいい天気。
 青々とした草原に足を伸ばして座り、若草を優しくそよがせる風を目を細めて楽しんでいたミナは、ふと思い立ってその場にごろんと転がった。白地に山吹色のラインが入った春めいた色合いのローブのフードを肩に落とし、顎先までの長さの栗色の髪を緑の絨毯にふわりと散らして、眼前いっぱいに広がる青空を見上げる。
 何にも遮られることもなくどこまでも広がる蒼穹は高く遠く澄んでいて、ミナは自分の身体がそこに吸い込まれてしまうかのような錯覚を覚えた。薄い筋雲がゆっくりと流れていく広大な空の真ん中で、きらきらと誇らしげにその存在を主張する太陽が眩しい。寝転がるミナの横では大クリスタルが、こちらもまた太陽に負けないくらいきらきらと、光の粒子を纏って幻想的に煌いている。
 ああ、きれいだなあ……
 穏やかな気持ちでうっとりとそれらを眺めてから、草木の清々しい香りを胸いっぱいに吸い込んで、睡魔に誘われるままにすうっと目を閉じ――
「……あれ、生きてる?」
 ――ようとしたそんな時。
 思いがけず真上から声が降って来て、彼女は下ろしかけていた瞼をぱかっと開いた。
 起き上がらないまま視線だけを声のした方に向けると、上から覗き込むようにしてこちらを見下ろしている別の視線とぶつかった。
「こんな所で倒れてるから、死体かと思った」
 物騒な事を至極平然とした口調で言う視線の主は、全身、鎧で身を固めた若い男だった。
 その無骨な姿は一見、この穏やかな草原の風景にはそぐわないように見えるが、実を言えば状況にそぐっていないのは男の方ではなく、寧ろ風景と彼女の振る舞いの方なのだった。
 行き交う兵士の姿も殆どない最後方の僻地とはいえ、この地は紛れも無く戦場なのだから。
 しばしの間、眠たさにかまけてぼんやりとその男と視線を交錯させているのみだったミナだが、はたと気付いてわたわたと身を起こし、クリスタルの脇にちょこんと座り直した。
「こっ、こんにちは、あのね、これはねっ、別にサボっていたわけではなくて、クリスタルをもういっぱい掘りきっちゃってねっ……」
「……輸送も来ないような状況なら、徒歩ででも拠点に持っていかないと」
 慌ててまくし立てた言い訳に冷静な声であっさりと反撃されて、うぐぅと言葉に詰まる。それは実にごもっともな指摘であった。
 ミナは男兵士にクリスタルを採掘する為の場所を空けてやりながら、ごまかすように話を変えた。
「あ、あなたもクリスタルを堀りに来たの? さっきから輸送ナイトも全然来ないけど、ちゃんと足りてるのかしら」
 そういえばさっきまで来てたナイトはどうしたんだろう、と改めて不思議に思って顎に指を当てたミナに、男兵士はちょっとだけ困ったような顔をしてから首を横に振った。
「いや、俺はそこのオベを折りに来たんだよ」
「え、オベを? ……え?」
 予想もしなかった答えに、ぱちぱちと目をしばたいてから、ミナは改めてすぐ間近に立つ男兵士の姿を見上げた。
 目に掛かる程の長さの黒髪はどこか大人しそうにも見えたし、黒い落ち着いた瞳も顔つきもいっそ温厚そうと思えるくらいだが、体格は小柄なミナよりも二回りは大きい、立派な体躯のウォリアーだった。相当に使い込まれている事が窺える大振りな両手斧や、いかめしい金属鎧にいくつも刻まれた傷の数々は歴戦の猛者の証だろう。
 そしてその鎧の胸に燦然と輝く紋章は、赤い斧の形を象った、ネツァワル国のもの。
 隣国の――今現在戦争真っ只中の、敵国のもの。
 つまり……、
「……て、てきっ!?」
「気付くの遅……」
 呆れ声で言う男から、ミナはずざざざっと草の上をお尻で器用に滑って距離を取る。男を指差して暫く無意味に口をぱくぱくとしていたが、やがてばね仕掛けのおもちゃのようにぴょこんと立ち上がった。彼女の武器である杖を身体の前に構え、震える声で内容だけは勇ましい台詞を言い放つ。
「え、エルソードの兵士として、ネツァワルなんかにオベは渡さないんだから!」
「詠唱もしてないソーサラーが?」
 しかしまたもや男の口から冷静な指摘が発せられて、ミナは思わずきょときょとと自分の足元を見回した。ソーサラーは、詠唱状態にないと強力な魔法は使えないが……さっきまで呑気に寝転がっていた彼女が詠唱を済ませている訳が無い。
 男がミナの答えを待つように、じっと彼女を見つめている。
 どうしよう。
 どうしよう。
 ……そうだ!
「さ、三秒待ちなさい! 待つのよ!?」
「いいけど……」
 呆れが最早諦めに進化したというか、ともあれそんな空気を漂わせながら頷いた敵ウォリアーの目の前で、ミナが全くの無防備に魔法の呪文を詠唱すると、彼女の周りに赤い魔方陣が浮かび上がった。これでよし。
「さあ、どこからでもかかっていらっしゃい!」
 ミナがのんびりと詠唱している間、担ぎ上げた斧でとんとんと肩を叩きながら律儀に待っていた男は、ゆっくりとした動作でその武器を眼前に下ろした。

「きゃあぁ!」
 男の放ったソニックブームをもろに身体に受けて、ミナは高い悲鳴を上げながら転倒した。
 朦朧とする意識の中で、敵ウォリアーの姿をどうにか確認する。男は、大きな隙を見せている敵に特に歓喜した風もなく、ただ淡々とした温度のない眼差しでミナを見下ろしていた。
 よろよろとしながらどうにか立ち上がったものの、ウォリアーの男の間断のない攻撃によってミナは既に満身創痍となっていた。対して、男はいまだ全くの無傷である。驚くべき事にこの敵ウォリアーは、遠距離攻撃が専門のソーサラーである彼女よりもずっと優れた精度で的確に衝撃波を命中させてくる上、勘がいいのか目がいいのか、逆にミナが攻撃を放とうとする気配を敏感に察知して、機敏にそれを躱してみせる。
(つ、強いわこの人……私が人一倍弱いのを置いといても、多分人一倍強い! ということは人二倍くらいの実力差があるわけで! 無理!)
 もし第三者が聞いていたとしたらよく分からないとしか言えないであろう戦力考察ではあったが、目の前の男が彼女一人でどうにかできる相手ではないという結論自体には間違いはなさそうであった。
 しかし、全く勝算がないわけではない。ミナは相手に内心の思惑を悟られぬよう緊張しながら、小さく喉を鳴らした。
 彼女一人でこの敵を追い返すのは不可能だが、ここは自軍領域の奥深く。つまり、この男にとっては四面楚歌の戦域だ。時間さえ稼いで味方の増援さえやって来れば、いかなこの強いウォリアーと言えども一人ではどうにもならない筈である。
 が、ミナの思い空しく、それすらも男の考慮の範疇であったようだ。
「所で、マップは見てる?」
 天気を尋ねるかのような、実に何気ない声での唐突な問い掛けに、素直な少女は言われるままに自分のマップに目を向けた。どこの国でも兵士一人一人に配布されている、高度な魔法技術によって開発されたその地図は、自他の建築物や戦力の配置状況を条件付ながらもリアルタイムに表示するもので、戦局を把握するのに何よりも役立つ。
 そのマップを一目見て――
「……う」
 彼女は小さく呻いた。
 マップには、敵兵を示す赤い光点が自軍拠点を示す青い印に東西南北あらゆる方面から群がっているのが映し出されていた。拠点に敵戦力が迫っている、というか、既にはっきりと包囲されている。
 このクリスタルの位置は自軍領域内でもかなり後方の筈だったが、敵前線の位置はとっくにこの場所をも通過していたようだった。
 この状況では味方は蹂躙される一方で、とてもではないがここまで増援を送る余力はないだろう。彼女にとって幸いと言うべきは、敵までもが進軍経路から遠く離れた僻地には目もくれずひたすらに拠点を攻め上げている為、男の増援が来る事もなさそうであるということだが――そもそもこの状況で男に増援など不要なのだから関係ない。
「な、なんてことなの……」
「まあ俺も実を言えば、オベ無視して拠点攻めとかなんてことなのとか思わないでもないが。……精神衛生上、それでも勝てる戦の時には何も言わないことにはしてるけど」
 ミナが愕然として呟くと、自分のマップを見ていたらしい男もしみじみと言った。
「さて、そんな訳で増援が来る見込みも無いようだけど。まだやる?」
 最後通牒の気配を纏う男の言葉に、ミナはぐっと奥歯を噛み締めた。もしかしたら、ここで降参したら、本当に見逃して貰えるかもしれない。この男なら敵兵を一人殺害する事よりも、敵軍により大きなダメージを与えるオベリスクの破壊を優先するだろうと思えた。
 けれど――
「負けると分かっていようと、みすみす敵にオベを渡して逃げるような真似なんてしないわよ!」
「……いいね。拠点で遊んでるうちの部隊員達に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいもんだ」
 男は小さく苦笑した。片方の口角を僅かに上げる程度の笑顔だったが、戦闘を始めてからはずっと無表情だったこの男の表情が、初めて動いた事に気づく。その笑みに感じたほのかな温かみに場違いながらもミナは一瞬どきりとしてしまったが、次の瞬間には男の顔はこれまで通りの仮面のような無表情に戻っていた。
 男が、動き出す。
 ミナに向かって接近してくるのではなく、つかず離れずの位置での、狙いの定めにくいランダムな動き。熟練したソーサラーであれば、明らかにそれが敵の攻撃を誘っている動きだという事に気がついただろう。だが、ミナはそれに気づけない。今にもこちらに飛び掛ってきそうな敵に焦れて、ミナは、彼女が習得している最強の攻撃魔法、ヘルファイアを撃ち放った。
 ミナが翳した杖から炎の奔流が溢れ出る。それは、命中さえすれば強靭な体躯を持つウォリアーにも絶大なダメージを与える強力な魔法ではあったのだが――男はミナが杖を振りかぶった瞬間に彼女の意図を、その射線すらをも含めて察し、即座に横方向に身を躱す。地獄の劫火はウォリアーを捕らえることなく空間のみを焦がすに留まった。
「狙いが悪い」
 至近を行き過ぎるその火焔と交錯するように、場違いに静かな指摘の声と共に斧を掲げたウォリアーが一跳びで肉薄してくる。ストライクスマッシュ――ターゲットに対し素早く跳躍、突進し打撃を入れる技を用い、急接近してきた男の斧が身体を掠めた。
「っ……!!」
 ミナは痛みを堪えながら咄嗟にステップして後方に飛び退った。もう一振り――あともう一振りでもあの斧が振られたら、間違いなく自分の命はない。
 しかしそうして必死に距離を取った筈の男の気配が、全く傍から離れていない事に気づく。
 男はミナの行動を完全に見切っていたのだ。ミナが逃げを打つ事を見込んで、彼女がステップするのと同時に男もまた同方向へ追い縋り、張り付く程の距離で後ろに迫っている。
 そして彼女の耳元で一言、囁いた。
「素直過ぎ」
 慌てて振り返ると、白銀に光る太陽を背にして、振り上げられた大きな斧が、死神の鎌のようにぎらりと輝くのが目に映った。
 ――殺される。
 覚悟を決めたというよりも、もう他にどうしようもなくて、ミナはぎゅっと目を瞑った。
 どうかせめて、痛いって思う間もないくらいの一瞬で終わりますように!
 …………。
 けれども、彼女の意識を断ち切る最後の一撃は、いつまで経っても降って来なかった。
 あれ……?
 こわごわと目を開ける。と、斧を振りかぶっていた筈の男はどういうことかそれをとっくに下ろしていて、ミナから視線を外してどこか遠くを見ていた。
 つられて同じ方に目を凝らしてみる。どうもこちらの軍の拠点の方を見ているらしかった。
「決着、ついたみたいだな」
「え」
 ぽつりとした呟きに、ミナが男の顔を見上げた。男は拠点から視線を外すと、ふうと溜息を一つついてから、斧を振り上げた。ミナは思わずひゃっと頭を抱えたが、巨大な武器は彼女の脳天に振り下ろされたりはせず、男の肩に悠々と担ぎ上げられていた。その怯えきった小動物のような反応に気付いた男が、――戦が終わったからだろうか、さっきまで被っていた無表情という仮面を外してくすりと笑う。
「もう何もしやしないよ」
 いかにも余裕のある声音で告げられ、瞬時訳が分からずぽかんとしたミナだったが、やがてじわじわと頭に血が上ってくる。
「こ、殺しなさいよ! 今回の戦争が終結したって言っても、エルソードとネツァワルの戦いが終わったわけじゃないのよ! 敵に情けを掛けないで!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ少女の言葉に、男は変わったものでも見たようにきょとんとした。
「君は、死にたいの?」
「死にたいわけないでしょ! でもさっきのじゃ私絶対死んでたもの! なのに死んでないっていうのはおかしいじゃない!」
「おかしいのかなあそれは……」
 訳が分からないとでも言いたそうに首を傾げる男だったが、当のミナだって恥ずかしさ紛れに逆上しているだけなので、自分でも訳が分かってなどいない。
 しばしそんなミナを面白そうに見つめていた男だったが、突然、妙な事を聞いてきた。
「そんなことよりも、君、部隊は?」
 そこまでのやり取りとは何ら繋がりの無い事を問われて、ミナは何を唐突に、と面食らいつつもついつい真っ正直に答えてしまう。
「入ってない、けど」
「成程。じゃあ、ヴィネル島のガルム遊技場にあるカジノ。場所分かる?」
「へ? う、うん?」
 ヴィネル島の自由都市にあるカジノなら、前に一度だけ、友達に連れて行ってもらった事がある。が……?
 今の今まで殺す殺さないの話をしていた筈の相手の口から、一体何故カジノなんていう場所の話が出てくるのか。会話の脈絡がさっぱり分からず目をぱちぱちとする彼女に、男は更に混乱させる言葉を告げた。
「そこの、入り口を入って左に行った先にある、一番手前のルーレット台の傍のテーブルで待ってるから、明日の午後四時に来ること。いいね」
 言っていることがさっぱり分からない。
「……え? な、なん……ですって?」
「午後四時に一番手前のルーレット傍、オッケー?」
 覚えきれずに聞き返したとでも思ったのだろうか、男は要点だけ端折って言い直して、再度確認してくる。
 ――いや、聞きたいのは別に時間でも場所でもなく!
 混乱の渦の中で頭をぐるぐるさせて言葉も出ないミナから男はふと視線を外し、黙って何かに耳を傾けるような様子を見せた。軍内か部隊内かで交わされる、魔法による遠隔通信を聞いているようだ。
「撤収命令が来たから帰るな。約束、忘れるなよ?」
 ウォリアーの男は斧を肩に担いだまま、その肩越しにミナにそう告げてから、彼女に背を向け悠然と歩み去ってゆく。
「……ど、」
 どういうことなのこれ……?
 つい数分前まで戦場だったその場所に、一人残された彼女は呆然と立ち尽くす。
 まともに言葉にすらならなかったミナの疑問に答える者は、当然ながら誰もいなかった。

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