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「右手スカフォ裏でハイド。そこから右手大回りに潜入して来る。ソーサラー、索敵を」
「はっ」
 指示に従い索敵を開始するソーサラーを見届けてから、ナハトもまた敵の死角に当たるスカフォードの影でハイド状態に入った。スカウトは、精神エネルギーをウォリアーのように直接攻撃力に転化させるよりもソーサラーの操る魔法に似た特殊な力場と変えて変幻自在に用いる武技を多用する。この世界に満ちるクリスタルの干渉に拠るものとされる、具現化する精神エネルギーの奔流が彼の姿を闇に溶かし、不可視の状態となる。これによりスカウトの姿は視覚的には完全に隠蔽されるが、経験を積んだ兵士たちは足音や息遣いなどの諸々の気配で闇に潜む敵の接近を察知するので油断は出来ない。息を殺し慎重に気配を絶ちつつ、戦場内の掩蔽物を盾にしながら敵集団の背後に回って行く。闇に潜みつつ前進するナハトと位置を入れ替えるように、ウォリアーを中心とした《ベルゼビュート》の一団が、左右に大きく広がる陣形で迎撃の姿勢を取る《フォアロータス》に錐の如く殺到していった。
(ふん、まさにケダモノの戦法だな)
 突撃の勢いだけは定評通りと言わざるを得ないが、密やかに潜入するナハトには全く気づかない。その視野の狭さはまさに獲物を前にした獣でしかなかった。敵の横腹を取り、ナハトは一人ほくそ笑む。今回は入手した動画を研究し尽くし、《ベルゼビュート》チームの戦法は勿論、メンバー一人一人の癖までにも及ぶ最新の情報を頭に叩き込んできた。流石は海を隔てたエルソードですらその名を聞く部隊だけあり、敵軍を一気呵成に殲滅する攻撃能力は瞠目に値したが、反面防御に関してはやや甘く、訓練でも短剣スカウトにまんまと潜入を許す場面が多いように見受けられた。チーム内で最もハイド探索に長けているのはチーム唯一の氷ソーサラーである女だったが、そのソーサラーは今は別方面を警戒中でナハトの方には視線を向けていない。
 《ベルゼビュート》はウォリアー集団が押し込みプレッシャーを掛けながら背後にスカウトを潜入させ、最後方からの妨害を起点として突き崩しにかかるという戦法を多用する。それ自体はありふれていながらも強い方法ではあるが、起点さえ潰せばその威力も半減する。具体的には三人の短剣スカウト、それと――『ネツのキラーマシーン』などと渾名されるウォリアー、例の少女の恋人であるあの男だ。これらを押さえ込んでしまえば、奴らはただただ愚かしく眼前の敵に猪突猛進する飢えた獣に過ぎない。
 まずは、接近中の敵スカウトの補足に専念するように命じたメンバーたちから次々と報告が上がってくる。
『三から一へ、標的A捕捉』
『七から一へ、標的B捕捉』
『六から一へ、標的C捕……ん?』
 最後の報告の末尾が疑問系の跳ね上がり方をした事を不可解に思って、ナハトはその六番の方に視線をやり、
(なに?)
 彼もまた思わず目を疑ってぽかんとその方向を凝視した。チームメンバーの更に向こう、短剣スキルでの妨害を入れるには遠過ぎる位置で、標的C……三人目の敵スカウトが何故かその姿を露出しているのが目に映ったのだ。その手には短剣ではなく、隠密行動には向かない大きな弓が構えられている。
「あ?」
 その敵の意外かつ唐突な出現に、自軍の兵から声が上がる。それと同時に敵スカウトの、こちらに鏃を向けて真っ直ぐに引き絞られる弓から閃光を纏った矢が放たれた。
「んゆ――――――――っ☆」
 どう考えても攻撃を敵に知らせる合図としか思えない無駄な気合の声を引き連れて、一条の光芒が自軍のど真ん中を貫いていく。
 その弓の射線上にいた《フォアロータス》兵は三名だったが、うち二名はその大音声に反応して回避に成功した。が、味方の誰かが死角でも作ったか、一人の反応が遅れ、魔力の颶風を纏う矢に子供に蹴られた小石の如く跳ね飛ばされる。
「やっだぁー! あんな糞ピアに当たってる間抜けがいるぅー!」
「ピアで吹っ飛ばされるのが許されるのは小学生までよねー」「きゃははキモーイ」
 その途端、《ベルゼビュート》側から甲高い声が上がった。一団の先陣を切るウォリアーの内、女の方――《ベルゼビュート》の部隊長だ――が、聞こえよがしな大声で嘲笑し、その両翼を固める部下たちが男女関係なく女学生じみた嬌声で追従する。さも愉快そうに挑発の声を上げる数名に、部隊長と並び先頭を走る黒髪のウォリアーが冷淡な声を投げかける。
「お前らが気持ち悪い。……で、何でそこでピアなんだ、せめてブレイズじゃないのか?」
「景気付けに一発って部隊長がぁー」
 二言目以降は今しがたピアッシングシュートを撃ったスカウトへの文句だったようで、遥か遠方から射手が律儀に大声で言い訳する。
 相対する敵集団を挟んでのそんなふざけ合いは、挟まれた側にとっては単純な嘲弄よりも尚侮蔑的な愚弄と言えた。ナハトは今にも精神集中が切れてハイドの技が解除されてしまいそうな程の憤怒を辛うじて堪え、城壁を模す闘技場の掩蔽物に身を寄せた。苛立ちに任せて爪を噛みながら、聞くとはなしに《ベルゼビュート》側の雑談を聞く。
「くくくっ、全く貴様はとんだアオリストだな、クォーク」
「何だアオリストって……いや言いたい事は分かるが。煽ったのは俺じゃなくてあんただろ」
「煽っている自覚のない煽りは一番たちが悪いぞ。……さて、遊びはここまでだ」女の声色がにわかに変わる。
「総員、構えい! 総力を以って彼奴らを蹂躙せよ!!」
 小柄な女の口から発せられたとは思えない重厚に響く吼声に、おうっ!と、部隊員が揃って応じる。猛獣の咆哮を思わせる鬨の声を至近で当てられたナハトは肌に振動を与える程の気魄に、我知らず腹の底から身震いした。――が、本能からなる恐怖を頭を振って払拭し、彼もまた配下の軍勢に指示を出した。
『攻撃……開始っ』

 リーダーからの攻撃開始の指示を受け、《フォアロータス》側ハイドの一人、ナハトとは反対側からの接近を試みていたスカウトは敵軍の密集部分への潜入を敢行した。
 接近に際して最も厄介だったのは一人いるソーサラーで、先日リーダーが入手してきた情報の通りハイド探索に掛けてはかなりの手練らしく、その視線をどうにか切ろうと必死になっていたのだが、そんな最中、開幕ピアという闘技場ではいまだかつて見た事の無い突飛なパフォーマンスにその女ソーサラーは歓喜して意気揚々と煽り文句を叫び始めた。
 スカウトはそれを隙と見て迅速に接近する。先程の攻撃は敵味方双方の度肝を抜く行動であったが、さしたる意味の無いものだった。一人、味方が撥ねられはしたがキルを取られる程の打撃でもない。損害は軽微なものである。
(情報が漏れた事を察して奇策を打って出たか……っ! 小賢しいっ!)
 逆に敵から意識を逸らすという失態に繋がったその作戦を嘲笑いながらスカウトが、ぎらつく短剣を手に女ソーサラーに狙いを定める。ソーサラーは愚かしくも野次を飛ばすのに夢中で、傍らに忍び寄りつつある敵の気配に気付かない――

「うわっ!?」
 しかし、先に悲鳴を上げる羽目となったのは《フォアロータス》側陣営であった。
 突如周囲の空間を埋め尽くさんばかりにもうもうと湧き上がった黒い煙に視界を奪われて、《フォアロータス》のソーサラーとウォリアーが揃って悲鳴を上げた。スカウトの妨害技、ヴォイドダークネスである。戦場ではありふれた武技ではあるが、突然の攻撃に反射的に怯んでしまったソーサラーに対して、それを成した《ベルゼビュート》側スカウトがすかさず短剣を振るった。短剣は敵に深い傷を負わせる事なく、代わりにソーサラーの周囲に旋回する光の魔方陣を割り砕く。パワーブレイク。魔法の要たる詠唱状態を解除されたソーサラーは、ほぼ無力化されたと言ってもいい状態に陥る。
「おおおおおっ!」
 その瞬間、ソーサラーに更なる攻撃を加えようとしていたスカウトは、雄叫びと共に頭上から襲い来る殺気を感じ、即座に上を振り仰いだ。暗闇に目を覆われながらも巨漢の敵ウォリアーが的確にスカウトの位置を察知し、大振りの両手剣を振りかぶっている。
 それを目にしたスカウトはにやりと笑った。つい先程、彼の味方である《ベルゼビュート》の面々が大盤振る舞いしていた嘲笑とは違う、相手を煽る意図などない、それは純粋な歓喜の表情だった。たった今封じたソーサラーよりも手応えのある好敵手の出現に、スカウトはただ率直に心を躍らせたのだった。
 筋骨隆々としたウォリアーの剛剣が、十分な速度を乗せて遥かに細身のスカウトに振り下ろされる。直撃を受ければ審判による『キル』の宣言を待つことなく再起不能に陥ってもおかしくない程の強烈な一撃であったが、スカウトは怯む事なく敵の大剣に対して己の双短剣を振り上げた。
 がきぃ!――互いの武器が真正面から噛み合い、金属が硬質な悲鳴を上げる。が、鍔競り合いは一瞬だった。その体格差、そして双方の体勢を鑑みれば力比べになりよう筈もない。果たしてウォリアーの攻撃はその速度を殆ど減じる事なく振り下ろされ、スカウトの半身を捕らえた――かに見えた。
 しかしスカウトの短剣は大剣の軌道を僅かに逸らし、切っ先はスカウトの装備の表面を引っ掻くのみに留まった。スカウトの身体を逸れた大威力が割り砕かんばかりに地面を叩いた瞬間、伸びやかに振るわれた短剣がウォリアーの腕当ての継ぎ目に正確無比に滑り込み、敵手の武器を取り落とさせた。
 だが、華麗な反撃を決めたスカウトの方もウォリアーの気合の余波とも言える圧力にしたたかに打ち付けられ無傷とは行かなかった。高度な魔法強化を施された、そこらの板金鎧など軽く上回る防御力を誇る戦闘服にざっくりと傷を穿たれて下がるスカウトは、しかしやはり満足げな笑みを湛えていた。


 顔見知りの《ベルゼビュート》のスカウトが軽快な足取りで離脱していくのを目で追って、ミナは手を握り締めたままほうっと大きく息をついた。
 今の所、戦況は《ベルゼビュート》優勢という模様のように思えた。弓技による意表をついた攻撃にはミナも驚いたが、先制攻撃を決めた事には違いないし、敵陣内に潜入し、負傷を負うものの敵にも痛烈な打撃を入れて生還したスカウトの技の冴えは見事と言う他にない。
 だが――、
「ミナさん、飲み物買ってきたんすけど、お茶とジュースどっちがいいっすか?」
 ミナの思考を遮って斜め上の位置から呑気な声を掛けてきたサイトに、ミナはほんの少し眉を寄せて振り返った。
「……ジュース下さい」
 何となく微妙な顔をしたままミナは礼を言って紙のコップを受け取り、中身を口に含んだ。魔法回復薬に似た色のオレンジジュースだが、当然薬と違って薬草臭くはなく、ほんのりと甘酸っぱくておいしい。
 その爽やかな味わいに少し緊張が和らいで、ミナは戦いの舞台を意識しながらも、隣の席に漸く戻ってきたサイトの方に顔を向けた。
「サイトさんはどの試合にも出ないの?」
「俺弱いっすもん。あんな相打ちアム入れて血ぃ流しながらニヤニヤしてるような変態どもと肩並べらんないっす」
 席を外しながらも試合の様子は見ていたようで、紙コップを口元で傾けながら彼はあっさりと言った。彼もまた、ミナから見ればかなりの実力を持つ弓兵であるように思えるのだが、《ベルゼビュート》の層の厚さはミナの想像している以上であるようだ。
 その事実に安堵を覚えながらも、戦場に目を戻せば頭の隅の方から暗雲が立ち込めてくる。
 試合が始まる前に、あの男に囁かれた言葉が思い出される。
 ――イメージトレーニングは十二分に行いましたのでご心配なく。あなたがご提供下さったクリスタルのお陰で、ね――
 顔を合わせたら最後、酷い中傷を投げつけられるものだとばかり思っていたが、ミナの予想に反してあの青年は酷く上機嫌な様子だった。謂れなき暴言を浴びせかけられるよりはましではあるが、掛けられた言葉は全く心当たりがない物で、ミナは困惑を隠すので精一杯だった。
 何故ならミナは、クリスタルを青年に渡してなどいないのだから。
 あの夜、クォークに預けられたクリスタルは、ミナは長い逡巡の末、元あった引き出しの中にしまい直して寝室に戻ったのだ。
 クォークを裏切って――彼らの信じる、彼らの愛する、彼らにとって神聖な戦いの場を穢すなどという真似は、自分の受けた陵辱に匹敵する程の行為に思えた。絶対に侵させてはいけない。もしあの画像がクォークの目に晒されたら、彼はミナを許してはくれないかもしれないけれど、それはとても恐ろしい未来であったけれど、その恐怖に蓋をして、青年の脅迫を撥ね付ける事を選んだのだ。
 しかし、青年の言によればクリスタルは《ロータス》の元に届いたという。一体それはどういう事なのか。全く訳が分からない。……分からないが、青年がミナにあんな嘘をつく必要もない。どうしてそんな事になったのか想像もつかないが、彼らの手に《ベルゼビュート》の情報が渡ってしまったのだという事自体は間違いないのだろう。そうであるのなら、結果としては同じ事だ。
 指に篭る力がまだ中身の入った紙コップを歪ませる。と、横からコップに蓋をするように手が伸びてきて、「零れますよ」とそれをやんわり取り上げた。
 ミナは隣に座る友人の横顔を見る。彼は、紙コップを持った手の人差し指を立ててコロセウムを示しながら、余裕のある声音で微笑んだ。
「大丈夫っすよ。今あそこにいるのは、ウチで最強の七人っすから」
 彼女が単純に試合の趨勢を心配していると思ったのだろう。勿論そうには違いないのだが、事情は彼が思っている以上に複雑だからミナは焦燥を感じているのだ。憂慮の表情を晴らさないミナの横で、サイトは自信に満ちた――仲間への信頼に満ちた笑顔で舞台を眺めていた。
「あの人たちは文句なしに強い。それが答えっす」


 《ベルゼビュート》の氷ソーサラーはいまだ、先制攻撃の興奮冷めやらぬ風情で口辺に笑みを浮かべている。しかし、余裕ぶっているのもここまでだ。《フォアロータス》のスカウトはしたりと口の端を歪めた。彼は既にそのソーサラーを攻撃圏内に収めているが、女は僅かばかりも視線を向けて来ない。息遣いすら聞こえる程の距離に肉薄し、まろみを帯びた女らしい肉体に斬りかかる――寸前。
「……余裕ぶってるのはどっちだろうねぇ?」
 直前まで他所を向いていた筈の女が突如、左手から向かい来るハイドスカウトに横目を向けた。
 肘の下をくぐるようにして振り払われたソーサラーの杖の先から生まれ出でる電撃の槍が、短剣の間合いにまで迫っていたスカウトに狙い違わず突き刺さる。
「あぐぅっ!?」
 悲鳴を上げてスカウトは即座に横にステップし、近くにあったスカフォード群の陰に隠れた。集中が途切れ解けてしまったハイドの武技を掛け直し、じりじりとスカフォードの影を移動しつつ荒い息を整えながらどうにか思考する。今の今まで他所に気を散らし、こちらを見てもいなかった筈なのに、どうやって接近に気づいた? そして何より、先程の女の台詞はまるでこちらの心を読んだかのようではないか?
 混乱に陥るスカウトに向けて、女はあっけらかんとした声を投げかけてきた。
「ん? 今あんたそんな事思ってなかった? 思ったんでしょ? ねえっ!」
「ぐあッ!!」
 女の声に力が篭ったと思ったのと同時に、再度スカウトは悲鳴を上げた。
 死角であった筈のスカフォード越しに飛来する、ライトニングの術が彼の身体に命中したのだった。――ライトニング自体は上方から落ちる雷という軌道を取るので死角であっても狙撃する事は物理的には可能ではあるが――
「そんな……っ、馬鹿な!」
 彼とて一つ所に留まっていた訳ではない。物陰にある上にハイド状態ですらあった標的に寸分違わず魔法を命中させるにはどれ程の技術を要するか。戦慄して叫ぶスカウトに、女ソーサラーは陽気な声を投げかける。
「そんなにびっくりしたぁ? ふふん、実はおねーさんねぇ、ハイドも見えちゃうし、なーんと敵の心まで読めちゃうんだぁ。だから、ほらっ」
「!!」
 女の魔法杖が三度鋭く振られるのを目にし、反射的に横へと避けたスカウトを、しかし天から降り来る雷撃は不動の物体を撃つかのように楽々と突き刺した。頭頂から爪先までを一息に突き抜ける電流に、スカウトは今度こそ、喉の奥から声にならない悲鳴を上げて膝をついた。敵が悶絶する様子を恍惚として眺めたソーサラーの女は、ゆるりと杖を降ろし、妙に色気のある笑みを浮かべてくすくすと笑う。
「ね。どこに逃げても簡っ単に当たるでしょう?」
 嬲るような声音に彼は、力の入らない腕をぶるぶると震わせて、怨嗟の呻きを上げた。
「なんっ……だと……! そんなのありかよ!? そんな不法技術は国際法違反……っ!」
 非難の言葉はその末尾まで発せられる事はなく、再度、痛烈な雷撃に打擲され、スカウトの身体が跳ね上がった。弧を描いて宙を舞い、どさぁ、という砂袋を落とすような音を立てて地面に倒れたスカウトに向けてソーサラーの女はにっこりと微笑んで言った。
「バァカ。信じるなよ、んな訳ねーだろうが」

 二振りの短剣を構えるスカウトと、腰の後ろに盾を装備し今は大剣を担いでいるウォリアー、二人の敵に進路を遮られ、クォークはやむを得ず仲間の一団から離れる方向に足を進めていた。ちらりと視線を動かす。スカフォードの乱立する闘場中央で激突した二部隊は、今はそれぞれの兵が交じり合い、乱戦の様相を呈し始めている。――丁度、自軍ソーサラーが敵スカウトをキルした所のようだ。
『ふふ、中々マークが厳しそうではないか。モテモテだな色男』
 一人、単独行動を余儀なくされた彼に、通信用のクリスタルを媒介した部隊長の声が、すぐ傍で囁かれているような音質で直接頭に響いてくる。
「まあな」
 無視しても差し支えはない内容だったが、特に無視する理由もなかったのでクォークは短く返した。
『ま、その分こちらは楽をさせてもらっているが』
「そいつは重畳」
 一人に二人の兵をマークさせているという事は向こうは一人分、戦力の余剰が生じるという事だ。確実に一人キルする為に戦力を一点に集中するのは有効な戦術ではあるが、それもまた良し悪しがある。
『まあ、せいぜい尻にしゃぶりつかれんよう気をつけるんだな』
 上司のどうでもいい言葉を聞き流しつつ、クォークはたん、と地を蹴り大きく跳躍した。二人の追跡者の視界から瞬時、クォークの姿が掻き消える。二人は素早く視線を振り動かし、すぐに城壁状の構造物の上に立つウォリアーの姿を見つける。
 見失う、とまでは行かない程の刹那の間に、クォークは城壁の上で構えを完成させていた。敵の視線が向くのとほぼ同時に、腰を低く落とした体勢から大剣を、霞んで見える程の凄まじい速度で横薙ぎにする。下方を目掛けた抜き打ちのような太刀筋に空間が裂断され、大気が逆巻く。それは物理的な威力を持つ旋風となり、向かい来る二人の兵士を軽々と蹴散らした。
「くそがっ!」
 品のない罵声を上げてあえなく吹き飛ぶ敵の末路には特に興味を示さず、城壁から反対側へと飛び降りながらクォークは嘆息した。
「尻好きの多い戦場だな」

「くっくっく、エースを抑えれば事が済むと思われているとは我々も舐められたものだ」
 乱戦の中、精緻な文様が施された盾を構える《ベルゼビュート》部隊長が赤い唇からちろりと舌を覗かせて、口端を舐めた。
 《ベルゼビュート》のスカウトが短剣を振るう。その技は敵兵の一人を見事に捉えるが、すかさずそこに盾を構えた重武装の《フォアロータス》兵が味方を庇うように突撃し、分厚い盾を鈍器としてスカウトを強打する。頭蓋を揺らされたスカウトがごく僅かの間意識を飛ばすその隙に、更に《フォアロータス》のハイド中であったスカウトが、その姿を隠蔽したまま直前の光景を鏡映しにするように短剣での追撃を敢行する。が、
「遅い!」
 気合の声を兼ねた宣告と共に、大盾を身体の前に勇ましく掲げ、奥に片手剣を突きの形に構えた部隊長が、その重量を物ともせずに一飛びし、不可視の状態であった敵スカウトを狙い違わず跳ね飛ばす。
「くっ……」
 その後方から接近中であった《フォアロータス》のウォリアーは追撃の時機を逸したと見て、一旦退却する道を選択した。その判断は適正ではあったが――反転し、後方へと下がろうとした彼を待ち受けていたのは、残念ながら彼の仲間ではなく、《ベルゼビュート》の別のスカウトだった。ハイド状態にあるスカウトの気配に気付かず後退してきたウォリアーに、スカウトは餌がやってきたとばかりにすれ違いざまに足払いを掛ける。向こう脛を痛打されてよろめくウォリアーに対し、スカウトは一瞬の間すら置かず更に短剣を振るった。それを合図に、息つく間もない華麗な剣舞が開始される。
「あっ、ああっ……」
 流星群の如く方々から降り注がれる素早い剣にウォリアーは手も足も出ない。レッグブレイクに始まった多種多様な武技に滅多打ちにされる一方的な残虐行為が、凄惨な結末を迎える――と思われた所で、ルールに則り審判の声が入る。
「『ベルゼ一軍(笑)』チーム、キル!」
 わああっ、と観客席の熱気が更に高まった。

 おかしい。
 ほんの僅か。ごく僅かずつ、けれども確実に計算に齟齬が生じ始めている現実に直面して、ナハトは獣のように喉の奥で唸った。
 データによれば。
 ソーサラー一人を除き、《ベルゼビュート》の面子はハイドサーチが不得手である筈だった。訓練動画でも度々ハイドスカウトの妨害を受け、そこから切り崩されているシーンを見ることが出来た。
 だが、こちらが潜入させるスカウトはその度に早々に何れかの兵士に察知されて、ライトニングやソニックブームを浴びせかけられ、姿を暴かれ続けていた。動画から類推された力量よりもずっと高い索敵技能を全ての兵が持っている。
 データによれば。
 攻勢の切欠を見た瞬間、あの男――『ネツのキラーマシーン』だの『《ベルゼビュート》の千人長』だのと渾名されるあの男が己の身を省みぬ勢いで敵陣深くまで切り込んで来て、そこから一路、敵軍は崩壊の道を辿らされることが多かった。
 それに基づきあの男を抑える事で、《ベルゼビュート》は有効な攻め手を失うことになる筈なのだが――
「うらあああぁ!」
 件の男、クォークに兵を二人付かせて牽制を行うと、さしものエースも攻めあぐねて足を止めざるを得なくなり、こちらの思惑通りに徐々に位置が離れてゆく。容易に追撃に入れない位置に留め置く事には成功しているが、それと入れ替わりに突出して来たのは、力感溢れる筋肉質な身体に軽装鎧を身に着けた別のウォリアーだった。通常、クォークが行っている突進と全く同じ事を、全く同じ絶妙なタイミングで仕掛けてくる。
 やや意外な事ではあったが、入手した情報から弾き出したデータによれば、大陸でも有数の戦果を上げている彼らの能力を数値的に換算した値は、戦績では一歩劣る筈の自部隊のそれを大きく凌駕する部分は一切なかった。件のクォークでさえ、身体能力は、極限まで鍛え上げられた戦士のそれではあるが、人外の魔物を思わせるような常軌を逸した力を持っている訳ではない。渾身の力で殴ってもかすり傷すら負わぬ鋼鉄の皮膚を持っている訳でも、炎の魔法を撃ち放っても燃えぬ魔性の毛皮を纏っている訳でもない。
 使用している武器も、熟練の魔法技師や刀匠が鍛えた業物ではあったが、それはどちらのチームも条件は同じだった。精神力をクリスタルを媒介とし、武技として発現する際の威力の程は武器に封じられるクリスタルの生成度合いが関係するが、この闘場にいる誰もが最高級品を手にしている。世の中にはクリスタルが崩壊する程の負荷をかけて、耐久性と引き換えに限界以上の力を搾り出す武器も存在するが、そのような呪的な武器を奴らが使っている様子もない。
 ミスは非常に少なく、動作は的確。それは分かっていた。
 根源的な部分に差はないのだから、攻め手を潰し弱点を押さえれば勝てる。その筈だった。
 その筈だったのに。
 ――無謀な突進をしてきた《ベルゼビュート》のウォリアーが、巨剣を腰溜めに構え、全身の筋肉を絞り上げるように捻転させてぶんと振り回した。自身の周囲を全周くまなく薙ぎ払う、ソードランページと呼ばれる大剣ウォリアーの真骨頂たる技だ。広範囲大威力の連撃。暴れ狂う剣の刃圏内にあったスカフォードが無残に打ち砕かれ、その裏にいたスカウトすらもが痛撃を受けて悲鳴を上げる。
 だが、凄絶な破壊力には常に危険が付き纏う。大振りの剣によるダメージを省みず接近した《フォアロータス》の重装歩兵が盾でウォリアーをしたたか殴打する。衝撃にぐらりと頭を傾がせるウォリアーに、更にすかさず駆け込んできた二人の兵の追撃が刃唸りを上げて殺到した。今度こそ間違いなく取れるタイミング。先刻同じような状況が発生したその時は、まさにその展開を知っていたかのようなタイミングで《ベルゼビュート》の女部隊長のスラムアタックによる阻害を受けて追撃を阻止されたが、今回はその部隊長もフォローの届かない位置にいる。
 しかし――此度もまた、ナハトの目は愕然と見開かれる結果に終わる。
 ウォリアーの後ろにはソーサラーがいた。女ソーサラーが、今ここでこうするのが予め立てられていた予定であるかのような顔をして、天罰を落とすが如く杖を振り下ろす。吹き荒れる極寒の吹雪が多数の兵を一飲みに飲み下し、大地に呪縛し――そして守勢と攻勢は再度入れ替わる。
「何故っ……」
 何故、あれ程まで適切なタイミングで技を繰り出す事が出来るのか。こちらの計算が狂っていたのか。奴らは連続して武技を使っても息が上がるという事を知らない底なしの体力を持ち合わせてでもいたのか。
 何故、あれ程まで都合よく常に味方のフォローが出来る位置に立っているのか。誰もが気づかぬ内に伝説にある魔女のように異空を渡って瞬間的に移動する魔法でも使っているのか。或いは、こちらの調査が及ばなかった未知の武技が存在するのか。
 何故――
 攻めたと思えば握り締めた砂の如くさらりとこちらの包囲を逃れ、気付かぬうちに砂嵐となってこちらを包囲する。その繰り返しに、《フォアロータス》の兵たちは岩山を端から削り取るように次々と斃されて行き、いつしか試合も終焉を迎えつつあった。スコアは九対――僅か、二。
 視界の端に、黒い影が映る。はっとしてナハトは顔を横向けた。
 黒髪のウォリアーが、《ベルゼビュート》のクォークが、ハイド中のナハトの位置を完璧に認識して一直線に走り込んでくる。
 ――マークしていた部下たちはどうしたんだ! そんな文句は今となっては益体もない事だと理解しつつもナハトは噴出する激しい情動を留める事が出来なかった。憤怒の奔流は巨浪となって、向かい来るウォリアーに対して差し向けられる。
「うああああっ!」
 青年はハイドの技を解き、絶叫を上げてウォリアーに向かって疾駆した。
 スカウトの男の無謀な突進に、クォークは無感情な瞳の中に一筋の警戒の光を走らせた。姿を晒したスカウトが正面切ってウォリアーに突撃を仕掛けるなどという事は、通常、自殺行為と言っていい愚行だ。周囲に即時追撃可能な味方がいる等、自身が余程有利な立ち位置であるならば話は別であるが――そのような咄嗟の判断に基づき、クォークは真正面から迫るスカウトから視線を外さないまま視野全体に意識を行き渡らせるが、その作業が行われたのはほんの瞬息の間だった。すぐさま意識を向かい来る敵対者のみに集める。
 剣の切っ先に等しい鋭く尖った意志が、ナハトのそれと針と針を正面から突き合わせるかのように、寸分のぶれもなく、真っ直ぐにぶつかり合う――

「む、いかん。『手を滑らす』気満々だ、アイラ! シグルド!」
「はいよっ」
 宴の幕を引く激突に気付き眼帯の部隊長が早口で命じたその声に、部下のソーサラーが即応した。女は杖を弓兵が弦を限界まで引くように背後まで大きく振りかぶると、勢いをつけて前方の空間を薙ぎ払った。
「んゆ――――――――っ☆」
 ソーサラーの女の場違いな掛け声が響き渡る。
 黒髪のウォリアーが大剣を、鬼神の如く猛然と振り上げる。
 そして、
 敵を一刀両断にせんと振り下ろされた大剣の直下から、一髪の差でスカウトの身体が雷閃に弾かれ真横にすっ飛んだ。
 敵影を逃した剛剣が地鳴りすら立てる勢いで大地を殴打し、乾いた地面にひびを入れる。その並外れた衝撃に舞い上がる砂塵の中で、クォークの無表情が崩れた。
「……んゆーじゃないだろっ!?」
 彼自身も途中で横槍に気付いてはいたようだったが如何せん止めようがないタイミングだった。体勢を立て直しざま腹立たしげに抗議してから、やや距離が置かれる事となった敵スカウトに爪先を向け直す彼の前に、部隊長の指示を受けた大柄なウォリアーがぬっと立ち塞がる。「どけよっ! 味方の邪魔すんな!」と当然の事をクォークは叫ぶが、巨漢のウォリアーはそ知らぬ顔で、対面から歩いてきた通行人が互いを避けようと右往左往するような具合で絶妙にその進路を塞ぐ。二人のウォリアーが器用なコントを繰り広げている隙に、ソーサラーが逃げを打とうとした敵スカウトの足をアイスジャベリンの魔法で縫い止める。
「ゲーム終了だ」
 氷塊に足首までを縛められたナハトの前に立ち塞がり、眼帯の女が宣告した。豪奢な巻き髪が、戦場を抜ける風に地獄の炎の如く踊る。色を失ったスカウトを見下ろしながら、死神じみた笑顔を浮かべる女ウォリアーが、細く優美な片手剣を悠然と振り上げ、上段から無駄の一切ない、無造作とも見える仕草で斬り下ろした所で――
「『ベルゼ一軍(笑)』チーム、キル!」
 審判の最後の宣言が響き、切っ先がナハトの眉間で静止する。
 コロセウムを満たす割れんばかりの歓声が、惜しみない祝福の雨となって勝者に降り注いだ。

「……ったく」
 大歓声に解け消える小さな声で悪態をついて、クォークは疲れ切った様子で大剣を肩に担いだ。その背中に飄々と近づいてきた女ソーサラーの気配に気付いて、肩越しに振り返り、その女を睨み付けた。
「お前なあ」
「『バンクェット』ってお祭で、故意の殺しはご法度よん。……あんまり馬鹿な事してんじゃねーぞぉ、愛しの彼女も見てるってのに」
 にやにやとからかう口調で言われてクォークはむっと唇を曲げた。しかしそれ以上の反応はせず、また更なる会話も待たず、彼は首を正面に戻して歩き始める。
 ふと、自軍側入場口に程近い、関係者が多く座る席に視線を向ける。口元に手を当てて眉を限界まで下げて、瞳に涙をいっぱいに浮かべて嗚咽を殺している少女の姿を遠目に認め、クォークは仄かに目元を和らげた。戦闘中には一切見せなかった柔らかい表情を浮かべる男の後ろで、ソーサラーの女が髪に空気を通すように指で梳きながら、先程よりもやや笑みが抑えられ、代わりに冷酷さが僅かに増した声で囁いた。
「……まだやる事はあるんでしょ?」
「ああ」
 答えて彼は、まばたき一つの間に無表情へと戻る。大剣を携え、闘場出口の四角く切り取られた闇へと向かってゆっくりと歩き出した。

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