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 この男の雑談は、大抵何の脈絡もなく始まる。
「なあロゼ、今銃っていう新しい武器が開発されてるんだってよ」
 いつものように執務室で仕事をしていた部隊長は、いつものように書類仕事に飽きてきたらしく、ペンを動かす手を止めてそんな事を言い出してくる。私は男をきつく睨み据えながら返した。
「銃?」
 無駄話の一つもせずに働けなどという無茶振りを、集中力皆無なお前にする気はないから最低限手は動かせ手は。その無言の圧力を感じ取ったか半ば上の空っぽい感じで手の動きを再開し、しかし意識は明らかにこちらに向けたまま話を続ける。
「なんか複雑な機構で弾を射ち出す武器らしい」
 漠然とした説明だが新手の飛び道具であるようだ。となれば、後方からの援護射撃も担当する我らスカウトの装備となるのだろうか。興味が湧く。
「それは弩とは違うのか?」
「さあな。詳しい事は聞いてねえ。けど、従来の弓技とはまた違う、特殊な弾丸を用いた変わった戦術が研究されてるって話だ。例えば、オイルを詰めた弾を撃って、敵にそいつを浴びせかけるとか」
「オイルか……国軍もまたえぐい事を考えるものだ」
 その残虐さに私は顔を顰めた。
 可燃性のオイルを浴びせかけ炎系魔法を放てば、恐ろしい程のダメージを敵兵に与える事が出来るだろう。本来無である所から生み出された魔法の炎がエネルギーを持つのはごく短時間だが、何かに燃え移ればその限りではない。ねっとりとまとわりつく油に引火した炎は、標的を悪魔の舌で執拗に舐め焦がし、凄絶な苦痛を齎す筈だ。よくもまあ、次から次へと斬新な戦闘手段を編み出すものだと感心する。全く、人という生き物は他者を傷つけることに掛けてはどうしてこうも天才的になれるものなのだろう。
 敵兵が受ける苦痛について忖度するのは、偽善、或いは欺瞞と言うものであるのかも知れないが、いくら我々兵士が血に塗れた人殺しであると言っても、他者が苦痛にのたうつさまを鑑賞して喜ぶ性癖がある訳ではない。私は何となく、自分の薄汚れた手のひらをじっと見下ろし、そんな兵士らしからぬ感傷を散らすように嘆息してから男に目を戻し――、思わずぎょっとして頭を仰け反らせた。
 私の視線の先にあった男の瞳は、私の暗澹たる心持ちとは対照的になにやら妙な希望に満ち溢れて燦然と輝いていた。こらちょっと待て。私たちはそういう嬉しそうな顔をする話をしていたか?
「国軍も中々オツな事を考えるもんだな、オイルだなんて。女の子にオイルぶっ掛けてぬるぬる祭とか、男心のツボをよく心得てるぜ」
「…………をい?」
 明らかに違う。断じて違う。その銃なるものは絶対に、敵兵に性的嫌がらせをして精神的ダメージを与えることを想定した武器ではないと思う。
 相変わらずこの男の発想は斜め上過ぎてついていけない。一遍その脳みそに湧いているであろう黴を綺麗さっぱり除菌してやったら真人間にしてやる事も可能だろうかと想像するも、残念な事に手元に手ごろな消毒薬は見当たらなかった。代わりに白い目で漂白せんばかりに男を睨んでいると、私の非難の視線などどこ吹く風と言った態度できらきらと輝く瞳を向けてきた。
「まあそいつは副次的効果として期待大な冗談だが。お前、その銃ってのが実戦投入されたらやってみろよ。バッシュ銃ブレイズ銃ブレイズ銃ブレイズとか想像するだけでわくわくして来るんだけど。事に拠っちゃあ片手のセルフ追撃最強伝説が始まるぜこれ」
 片手剣技ブレイズスラッシュは、斬撃の摩擦熱で刀身を発火させ、敵兵に炎熱のダメージを与える技だ。確かに件の銃技とは相性がよさそうである。が。
「追撃がしたければ盾を捨てて両手武器でも持っていろ」
 敵にダメージを与える事だけを考えるのならば、その方がより効率がいいであろう事は想像に難くない。盾と片手剣という兵装は、防御と支援に特化したものである。単純にタコ殴りをしたいなら攻撃に特化した、両手斧や大剣を使う方が確実だ。
「その辺はもうとっくに飽きたんだよ。今のトレンドは片手だぜ?」
「自己追撃に走る片手などどこの戦場でもお呼びでないと思うがな」
 全く、本当に自分が楽しければ満足な男だな、こいつは。

 いつだって、そう、いつだって、こいつの考えは下らなかった。真面目くさった顔をして部隊員の前で話をしている時だって、その頭をかち割って中を覗いてみれば、どんな色とりどりのお花畑が詰まっているか知れたものではないのだ。
「確かに今のメルファリアは下らねえな。まあそのお陰で日々スリルのある戦いが楽しめて、旨い飯が食えるんだ。結構な事じゃねえか」
 ……私はお前の話をしているんだ。誰も彼も飽きずに懲りずに争い続け、血を流し続ける世の中も大概下らないものだが、今はその話はしていない。

 ――でも、それでも。何をも恐れない、……否、内なる弱さすら凌駕するその強さが。

「どんなクソみてえに見える日常にも面白いことはどっかにある。それを見つけられないのは他でもない、そいつのサーチ能力が低いんだ。世の中にグチグチ不平をぶちまけて恨んだり憎んだりすんのは、てめえの不手際でブレイク貰ってガタガタ抜かすソーサラーみてえなもんだ」

 ――正義などありもしない、混沌に満ちたこの下らない世界を拒絶せず、ありのままに受け入れて、迷うことなく己の信じる道を進むこの男の強さが。

「だから、笑え、ロゼ。お前になら、それが出来る」

 ――いつしか、私は、……



 不意に、部隊長の机の上に置かれていたいくつかの通信石のうちの一つが小刻みに振動し始め、天板を鳴らした。通信石の着信の合図だ。部隊長は手を伸ばしそれを取ると、座っていた椅子をくるりと回して私に背を向ける恰好を取った。その、微妙に疾しげな仕草にぴんと来る。正規の業務に関係ある通信であれば、副隊長である私に聞かれて困るような事などある訳がない。
 頭の天辺までを隠す立派な皮張りの背凭れの向こうで、男はぼそぼそと私には聞こえない声で何事かを返答し、暫くして椅子と石の位置を元に戻した。
「また女か。お盛んなことだ」
 通信石を持っているという事は今日の女は兵士か。素人に玄人に兵士までもとよりどりみどりだな。
 私の冷やかな揶揄に男は少し怯んだような顔をして、ばつが悪そうに唇を尖らせた。
「俺のビョーキはもう知ってんだろ。しょうがねえんだよ」
「私の目にはその病気にかこつけて、旺盛な肉欲を満たそうとしているようにしか思えないのだが?」
「大体合ってる」
 この色気狂い。
「そのうち、どこぞの女が赤ん坊を抱えて『あなたの子よ責任取って』だのと押し掛けて来るんじゃないか? そんなのが来ても私は応対せんからな」
 そんな憎まれ口を叩きながら、私は、胸に小さな棘が刺さるような違和感を感じた。……この男が家庭などを手に入れるというのはにわかには想像し難い事ではあるが、決してあり得ない事ではない。
 ちくり。その棘は、まるで氷で出来ているかのように私の胸に冷たい染みを残す。
 ……一体何だというのだ、この感覚は。子供が出来、所帯を持って身を固める事で、もしこの男が少しでも落ち着くのならば良い事ではないか。この男にとっても、部隊にとっても、ひいては私にとっても……、……?
「ばーか、俺がそんなヘマするかよ。避妊はいつだって完璧だぜ」
「たわけが。避妊に完璧などありはしないのだぞ」
 ……何故、私は疑問符をつける? こいつが落ち着けば、私にとってもメリットがあるに決まっているではないか。この男もきっと、今のように節操のない暮らしを続けるよりはその方がまだ、人並みの幸せを掴めると思う。私は、他人の幸福を祝えない程腐った人間ではない筈だ。
 その、筈なのに。
 何故だろう。その想像は、いまだかつてない程に私の心中を掻き乱す。
 この男に、特定の女が出来るなんて。

 ――いつしか、私は、この男を――……

「なあ、ガキでも作るか、ロゼ」
「は……はあっ!?」
 唐突に、突拍子もなく、男の口から発せられた想像を絶する発言に、私は瞼も口も全開にかっ開いて男に顔を振り向けた。余りの勢いに首の筋がぐきんと鳴ったがそんな事に構ってはいられない。ななななな? なんだって? 今一体何と言ったこいつ?
 目を白黒とする私を他所に、男は例によって自分勝手に妄想を語り始める。
「ガキなんざ作る気はなかったけどよ、お前とならいいかも知れねえな。お前の面倒見の良さは俺の相手で折り紙つきだし。お前、絶対いい母ちゃんになるぜ」
 どどどどどういう理屈だ! というか、面倒を掛けている自覚があるならもっとしゃんとせんか阿呆! お前だけでも大変なのに、お前のような子供まで産まれてしまったら大変どころの騒ぎでは済まんだろうが……って、違う違う違う! 何で産んだ後の事を心配しているのだ私は! 問題はそこ以前にあるだろうが私がもっとしゃんとしろ!
「ば、馬鹿を言うな! そんな事が出来る訳がないだろう! 腹が大きくなったらブレイク入れるのが大変そうじゃないか、特にレグみたいな下段蹴り! そこから始まるブレイク連打は身重では間違いなく困難極まるぞ!」
 顔と頭を盛大な熱で沸かせた私が混乱しているなりに考えながらも叫ぶと、男は一瞬ならずぽかんとした阿呆面を晒してから、爆発を起こしたように盛大に馬鹿笑いを上げた。そこで私も漸く気付く。そうじゃない! 何で今度は妊娠中の事を心配しているのだ! 問題はそこよりも更に以前だろうがだからもう私がもっとしゃんとしろ!
「ぶはははは! その発想は無かったわ! に、妊婦にフルブレイク入れられるとかシュール過ぎんだろ、いい、すげーいいわそれ、是非見せてくれ」
 部隊長は、眦に涙が滲む程に大笑いしながら、大きな椅子の背に体重を預けた。途端、丈夫な筈の部隊長席の椅子から、ごきん!と何かの部品が外れたような音が一つ鳴り、男は慌てて背凭れから背中を浮かせる。
 男が泡を食っているその隙に、私は執務室の扉を蹴破るように押し開けて、脱兎の如くその場から逃げ出した。

 今日のからかいは史上最悪の規模と言ってよい物であった。何が妊婦がフルブレイクだ! 私は妊娠をした事がないから分からんが、妊婦は少し動いただけでもとても疲れやすくなるのだと聞くぞ! 母子の健康の為に適度な運動は必要だそうだが戦場でブレイク撃ちまくるのは明らかに過重な運動だろう! 腹の子供がびっくりして乱戦の最中、急に産気づいたらどうしてくれる!……っていやいやいやそれは大変な問題だが今の問題はそこじゃない私!
 混迷を極めぐらぐらと煮えたぎる感情に身を任せ、暫くの間は恒例行事のように廊下の床板を乱暴に踏み鳴らしていたが、徐々にそんな事をするのすら馬鹿らしくなってきて、私は概ね静かに歩いていた。しかし眉間に刻まれた縦皺は中々消す事が出来ず、少し気を落ち着ける為、茶の一杯も淹れるべく談話室へと立ち寄った。
 誰の趣味かは分からんが、談話室に隣接する給湯室には様々な種類の茶葉が揃っているので、その中から特に香りがよいと聞いたハーブティーを選ぶ。私は特に茶の入れ方に拘りはないので茶葉と湯を適当にポットに突っ込みカップに注ぐだけだが、そんな私のなっていない作法でも、色の薄い茶からは清々しいアップルのような香気が立ち上った。
 カップを持って誰もいない部屋を横切り、奥のソファに腰を下ろしてちびちびと茶を啜っていると、ささくれ立った神経も徐々に凪いで来る。眉間の皺もどうにか薄れてきた頃、不意にノックもなしにドアが開かれた。ここは共用の休憩所なのでノックなどしないのが当り前だ。特に何を思う事もなくカップを口元に運んだまま視線だけをドアへと向けると、大柄なウォリアーがドアから顔を覗かせていた。
「あれ、部隊長は休憩中じゃねえのか?」
 私の他には誰もいない室内を見回して言われた台詞に、私はようやっと凪いだ筈の気分が再度波立つのを感じた。折角あの色狂いの事を頭から抹消出来たと思った矢先だったのに。
「執務室にいないのならば、女の所にでも出掛けたのだろう。さっきも何やら連絡を取り合っていたようだったしな」
 ちくり。……一旦はどこかへ消えてしまっていた棘が、また自己を主張し始める。
 あの男は、私をさんざんにからかい倒して女の元へと行ったのか。何と腹立たしい男だろう。冗談とはいえ、あれは内容的には私を口説いていたようなものではないか。その直後に、どの面を下げて他の女を抱く気なのだ。
 胸を刺す不快感を抑えるべく、男の死角になる位置で拳をきつく握りしめる私の横で、部隊員の男は、白いものが混じった頭をやれやれと掻きながら、諦め顔で吐息した。
「またか……。あいつも昔はもう少しマトモだったんだがなぁ」
 あいつが? まとも?
 私が怪訝な視線を向けると男は、拙い事を言った、という風に瞳の中に動揺を走らせた。その微かではあるが確かな反応に私は更に追及の目を向ける。てっきりと、生まれついての色気狂いかと思っていたが、そうではないという事か? 何か、口を噤ませるような理由があっての事なのか?
 男は私の視線にややたじろいだ様子だったが、周囲を窺うように首を左右させ、誰もいない事を確認すると、観念したように肩から力を抜いた。談話室内に入ってきてドアを閉めると、ポケットから煙草の箱を取り出し、とんとんと叩いて中身を一本抜き出した。
「……ま、古い部隊員なら誰でも知ってる事だからいいか。もう何年前になるかな。奴が部隊長を継ぐ前の……幹部の一人として、両手斧を担いで前線を張ってた頃の話だ」
 恋人がいたんだよ。今みたいな無茶苦茶な付き合い方じゃなくて、ちゃんとした恋人がな。
 ――紙巻き煙草が挟まれた唇から漏れ来る言葉に、私はただ、目を見開いた。
 ウチの部隊にしちゃあ珍しいくらいに大人しくて、子供みたいに可愛い感じのソーサラーでな。でも、性根はしっかりしてて、男女関係なく皆から好かれる、いい女だった。
 あいつも当たり前みたいにベタ惚れでさ。その惚れ込みようと言ったら見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらいだったけど、文句を言う気も失せる程似合いの二人だった。二人でいるのが本当に、誰の目から見ても自然で、戦場でもよくパーティ組んで公然といちゃついていやがったもんだ。
 ――話を聞きながら、私の脳裏に誰の目も憚らずに一途に互いを想い合う、睦まじい恋人同士の姿が浮かんで来た。が、その姿は私の知るあの男とは簡単には結びつかない姿だった。私の知るあの男は女にだらしなく、不特定多数をとっかえひっかえして遊ぶ最低な野郎だ。
「その人は……」
「死んだ」
 今はその影すらも見えない相手について、半ば答えを悟りながら訊ねると、果たして私が曖昧に想像した通りの言葉が端的に返って来た。男は嘆息めいた仕草で煙草をふかし、細く煙を吐き出しながら続けた。
 戦場自体は、俺達にとっては日常に等しい、ただの小競り合いだった。だが、あの時は相手が悪かった。エルソードの《フォアロータス》と《傭兵団》。ウチとタメ張る規模の部隊が連合組んで攻めてきてな。流石のウチも苦戦を余儀なくされていた。
 ウチも野良や小規模部隊に指示を出し、複数の戦線を揺さぶりながらどうにか抗戦していたが、敵はそのうちの一つに戦力を集中し突破する策を立ててきた。そこは序盤はこっちに有利だった場所で、かなりヤベェ位置にオベリスクを建ててて。……少しでもオベで稼がねえと勝負にならん戦場だったからな。
 ――魔法建築物の『オベリスク』を戦場に建造することで、その付近一帯に特殊なフィールド――自軍に有利な魔術的力場が形成される。具体的な効能を挙げれば『マップ』への投影、他魔法建築物の建造エネルギー確保、敵魔法建築物の阻害と様々あるが、何より重要なのは領域魔法攻撃の礎となる事だ。……小難しい理屈はさておき、自軍オベリスクの防衛及び敵軍オベリスクの破壊が、その戦場の勝敗を決める重要な要素だと言ってよく、破壊を狙えるオベリスクがあるなら、当然相手は積極的に狙ってくる。戦列のすぐ真後ろにあるオベリスク。それを護りつつ、目標を目前として意気軒昂たる多数の敵を迎え撃たねばならぬ絶望は想像に難くない――
 その時、別の戦線で指揮を取っていたその女は、配下に指示を出した。
 この戦線の半数は一旦転進し、劣勢戦線の助勢に向かえ、と。捨てるのならばこちらだ、と。
 女はそのまま、代わりに劣勢となったその場所に残り、そして……
 ……俺もその後の様子はよく知らねえが、半分も戦力が抜けたってのに最後までよく持ち堪えてたって話だ。
 そうしてまた、紫煙がくゆらされる。形なき煙が空中に、今の私の思考のように取りとめなく曖昧な模様を描き、掠れて消える。
 ……その後の奴は、正直見ていられなかった。身内に死人が出なかったのが不思議なくらいの酷い荒れようで、誰も止めることなんて出来なかった。腕っ節であいつを止められる奴なんかいなかったしな……。お前は知らないだろうが、あいつの両手斧のウデはマジでやべえぞ。一線級の部隊だとか言われるウチの中でさえ抜きんでた腕前で、ついた渾名が『ネツのキラーマシーン』。
 話が逸れたな。……何ヶ月か経つうちに、近くにいる奴なら味方まで無差別にぶちのめすような真似は収まったけど……あれは、壊れた状態で落ち着いちまったって言うのが正しいんだろうな。あいつはそれまでとは真逆って位に変わっちまった。なりもやたらと派手にしたがるようになって、女遊びに耽るようになっちまって。まあ、腕は相変わらずだったから、誰も文句言いやしなかったけどよ。
 暫くしてから部隊長の地位を継いで、その時に、奴は両手斧をあっさり捨てて片手剣に持ち替えた。ウチは歴代、部隊長が盾持ちってのは伝統みたいなもんだけど、あいつまでもがその慣習に倣ったっていうのは実を言えば少し意外ではあったな。
 あいつは何も言わなかったけど、皆、あいつはいつか斧一つ持って単身敵陣に斬り込んで、彼女の後を追うように一人で死のうとしてるんだとばっかり思ってたんだ――

「なんか面白そうな話してんじゃねーの。俺も混ぜてくれよ」
 いつからかそこにあった気配に、声を掛けられた事で初めて気付いて、私たちは即座に後ろを振り向いた。談話室の入り口のドア横に、腕を組み気楽に凭れる男の姿があった。いつも通りの涼やかな、人をからかうような眼をして、こちらを見ている。
「げっ……ぶ、部隊長」
「人の顔見て蒼褪めるような話を見つかるような場所でしてんじゃねーよ。殺すぞ」
 その言葉はあくまでも軽口の延長で、単語の強さとは裏腹に、明瞭な殺気も不快感すらも含まれてはいなかった。けれども話し手の男は余程ばつが悪かったのか慌てて煙草を揉み消すと、そそくさと談話室を後にした。大柄な男が背中を丸めてすごすごと逃げ帰る様子に部隊長は軽く肩を竦め、入れ替わりに私だけが取り残された室内に入って来る。ズボンのポケットに親指を引っかけてすたすたと、私の正面のソファまで歩いてきてどっかと腰を下ろすのを、私はその場から動かずに目で追った。
 部隊長はソファに浅く腰かけだらんと背凭れに背を預け、何も言わずテーブルの中央に置いてある、吸い殻の落ちた灰皿をじいっと見ていたが、やがて空気を持て余したように鼻息だけを吐き出した。この男に喫煙の習慣はない。
「なぁんか、色々悪ぶった事をやってみたけど、煙草だけはやんなかったんだよな。どうも匂いが好きになれなくて」
 小さく呟かれた声に、私はただ、視線だけを変わらずに向け続けた。男は灰皿を凝視したまま、長い睫の並ぶ瞼を眠たそうにしばたいた。
「恋人がいたんだな」
 思いの外、その声は冷静に出す事が出来た。それに私はまず驚き、そして、そんな事に驚いた自分に更に驚いた。この男に、愛した一人の女がいた事実が、何故自分を揺らがせると私は考えたのだろう。今のこの男の有り様から考えると余りにも意外であり過ぎる過去だからだろうか……
 男の怜悧な瞳が、私の言葉に異議があるとでも言いたそうに眇められてこちらに向けられる。
「人を恋愛の一つも出来ない人格破綻者か何かだと思ってただろお前」
「間違っていないだろうに」
 少なくとも今は。そこまでは言わなかったがそう言外に付け加えたのは男も気付いた事だろう。それは恐らく紛れもない真実で、きっとこの男は特に躊躇なく肯定するだろうと思い込んでいたのだが、やはり男は不服そうな表情のまま「……ひっでえ」とぼやくように呟いて首を仰け反らせて背凭れに頭を預けた。
 私はそれ以上声に出しては何も言わなかったが、私の視線での問い掛けに、男は何という事はない雑談のように答える。
「よくある昔話だろ。わざわざてめえで言いふらすような事でもねーから言わなかっただけで、別に秘密でもなんでもねえ」
「何故……盾を持つようになった?」
 その問いは、男の想定にはなかった物だったようで、少し考える素振りを見せた。
「深い意味はねえよ。まあ、死ぬ少し前のあいつに言われた事を思い出しはしたがな。『あなたの戦況を読む勘の鋭さは自分一人のものとして使うのは勿体無い。盾を持って最前線に立ち、皆に分けてあげた方がいい』だとさ。……あいつは死んだから。あいつの言葉だけでも、俺は生かしておく義務がある」
 言って、ははっと乾いた嗤いを漏らす。そして、囁くような声音が続く。
「俺が死にたがってる? 逆だよ。簡単にくたばる気はねえ。……どうして安易に死ぬ事が許される」
 彼女を護れなかった俺などが。
 動かなかった唇が、そう語ったような気がして、私は息を止めた。
 黒く静謐な瞳が抱える獰猛なまでの激情に。
 その、余りの想いの深さに。

 心臓を貫く氷の棘から、冷たい血が一筋、流れる。

 ――ああ、そうか。
 唐突に理解する。
 ――私は、この男を、愛していたのだ。

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