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 クノーラからセルべーンへと続く広大な原野の一角に、狭隘な渓谷と深い森とで複雑に入り組んだ区域が存在する。大戦力を激突させるには向かない自然の迷宮とも呼ぶべき地勢故、通常は戦闘が勃発する事のない場所だが、こここそが今回の我々の作戦領域であった。
 目標地点を見下ろす崖上の、木立の合間にひっそりと仮設の指揮所が設えられていた。周辺の植生の色合いに埋没するその深緑色のテントの中に今回の出撃要員総勢三十余名が集い、作戦の綿密な最終確認が行われていた。
「予定通りであれば、本日一三〇〇前後に、敵軍輸送部隊がこの地点を通過する事になる。部隊には一個小隊規模の護衛もついていると思われ、敵の総数は我が方よりも多いと推測されるが……これを分断し、叩く」
 両側を切り立った崖に挟まれた細道を通過する関係上、隊列は否応なく縦長になり、自然、護りも散漫になる。これは、その状況を利用して敵の横腹を急襲する作戦だった。
「敵部隊の先頭が地図上このAラインに差し掛かったそのタイミングで、崖上から二点、こことここで工作班が同時に落石を起こし、隊の中程にある資源輸送車の一部を孤立させる。そしてその後、突撃要員が一斉に降下して襲撃、護衛を殲滅したのち、或いは交戦中の隙を見計らって、資源物資を馬車ごと奪取する。状況後は速やかに撤退。ここが細い枝道になっているので盗るもん盗ったら一気にずらかれ。撤退確認後は退路も落石で塞ぎ、追跡を阻止する。以上」
 ……大変大胆かつ乱暴な、山賊紛いの作戦であるが、こちらが少数とはいえ選りすぐりの精鋭を揃えて来た事を考えれば成功の可能性も高く見積もれるだろう。奇襲は私の率いるスカウト隊の十八番だ。
「質問はあるか? ……ないようなら野営地を撤収後、待機に入る。さあ、今回の作戦も楽しんでいこうぜ」
 にかっと笑って付け加えられた部隊長の言葉に、部下たちもそれぞれに不敵な笑みを返し、おうと威勢よく応えた。
「今回も、頼りにしてるからな?」
 指揮所から出がてら、私だけに聞こえるように囁かれた声に、私もしっかりと頷いて見せた。

 最終打ち合わせの後、私を含め分隊長たちは、それぞれの分隊を率いて一帯に広く散開し、鬱蒼と生い茂る藪の中に身を潜め、待ち伏せを開始した。人の手が入らぬ深閑とした原生林は、我々の姿や気配を易々と覆い隠す。ましてや我々が陣取るのは崖上、谷底を通る敵部隊から我々を発見する事は容易ではないだろう。
 今回の私の隊の主任務は斥候としての本来の役割――偵察であった。敵部隊が向かい来る北西方面から崖沿いに兵を点在配置。敵軍の動向を目視で観測し逐一部隊全体に報告する役目だ。万が一にも斥候が敵方に発見されれば作戦の全てが水泡に帰すので、最大限に慎重を期さねばならない。
 やがて、最も敵軍方面に待機する部下から報告が入った。
『標的を確認しました。北西方向より輸送馬車五台、その周囲に歩兵の護衛部隊を確認。護衛の規模は、視認出来る範囲ではウォリアー中心の混成部隊三十程ですが、馬車内にもいくらか潜んでいると思われます』
『来たな。概ね推測通りだ』
 通信石からの報告に、部隊長の声が入る。面白い玩具を目にした子供のような声音に私は嘆息を禁じ得ない。
『各隊、配置に。ロゼ、カウントを頼む。さあ、祭の始まりだ』
 祭、か。この男にとってどんなに切迫した作戦でも祭であり、ゲームなのだ。船上での萎びた姿など最早影も形もない、豪胆な部隊長がそこにはいた。
 私は部下たちの報告を片耳に入れながら、全軍に対し通信を開く。
『C地点通過。……B地点通過。……A地点到着十秒前。……五、四、三、二、一、状況開始』
 私の合図を受けて――森に、耳を聾さんばかりの轟音が響き渡った。魔法による発破によって支えを失った巨岩が進軍する輸送部隊目がけて転がり落ちて、馬車一台どうにか通れるかという狭い渓谷を地響きを立てて塞ぐ。その崩落そのものに巻き込まれた不運な者はいたかどうか――。何にせよその前触れなき惨禍に、今の今迄黙々と歩みを進めていた敵部隊の隊列が突如蜂の巣をつついたかのような混乱に見舞われた。が、彼らにとっての惨劇はまだ始まったばかりである。もうもうと土煙が舞い上がる中、続けざまに鬨の声と共に崖を滑り降りて急襲を開始した我々を視認し、敵軍全体に動揺の気配が走る。しかし、流石に敵もずぶの素人ではない。浮足立った様子ながらも剣を抜き放ち、応戦の気配を見せる。馬車からも、武装した兵士たちが飛び出して来るのが確認出来た。
 孤立した馬車は三台だった。『ちっ、五台全部は無理か』という部隊長のボヤキが入ってきたが何欲かきまくってるんだ貴様。それは孤立させたとは言わない。
 大雑把に考えればこれで敵戦力を五分の三に減じる事が出来た筈だが、車内に潜んでいた敵も考慮すれば私たちの突撃部隊と同数か、それを上回る人数が残っている可能性もある。油断は出来ない。
 我が方のウォリアーが敵を数名斬り倒し、それを皮切りとして敵味方入り乱れる乱戦が開始された。
 人数で勝ち切れないのであれば、一手で効率よく多数の敵を相手取らねばならない。これは、言葉で表現する以上に困難な事ではある。この作戦に当たり精鋭を選抜しては来たが、どれ程の強兵であろうとも一人は所詮一人。二人の敵に挟撃されてしまえばひとたまりもない。数に勝る敵をばっさばっさと斬り倒して突き進めるのは、物語の中の勇者のみである。
 ――が、その人数差を唯一覆し得るのが我々スカウトの技だ。ウォリアー部隊の突撃に先行し、深く敵中に切り込んでいた我々スカウト隊が敵陣の至る所にヴォイドダークネスの武技を撒き散らし、敵の視界を奪い取る。更には、ガードブレイク、パワーブレイク……数々の妨害技は、敵に与える直接のダメージは微々たるものだが、戦闘力を大いに削る。そこへ、敵軍の輸送馬車を挟んで位置取った我が方のウォリアーが、馬車ごと吹き散らすかのような勢いで大剣を振るった。ソードランページ。複数の敵兵が逆巻く剣風に巻き込まれ、なすすべもなく刻まれて倒れ伏す。
「おのれっ!」
 ヴォイドの効果範囲外にいたのか、罵倒の声を口にしながら、長柄の戦斧を構えた敵兵が、我が軍のウォリアーに真っ直ぐに襲い掛かって来る。しかしその果敢な突進は横合いから滑り込んだ私のアームブレイクが阻んだ。
「サンキュ、ロゼ!」
 ウォリアーは危なげなく敵兵を斬り倒し、そして混戦の渦中に戻ってゆく。
 ――勝てる、な。
 油断は禁物ではあるが、既に私はそう確信していた。今回の敵部隊の練度は然程高くない。所詮は補給部隊の護衛任務だ。この地域は我が国の支配地域に程近くはあっても一応はエルソードの勢力圏内であるというのもあって、一線級の部隊と事を構える事態にはならないと踏んでいたが、その予想は当たっていたようである。
 味方の一人が敵の御者を斬り倒して馬車を強奪し、騒乱の最中、撤退路に向けて馬車を走らせ始めた。流石に敵軍も何をされつつあるのかに気付いたが、分厚い肉壁に阻まれ奪い去られんとしている資源を追う事は出来ない。
 私は部下たちに手信号で合図を送り、退却を始めるように指示した。今回の作戦の目的は敵兵を倒す事ではない。目標物を奪取し、我々も無事に生還してこそ作戦は完遂する。
 仲間たちが少しずつ、しかし一斉に後退を始める。その撤退支援の為、弓に持ち替えたスカウトや氷使いのソーサラーが足止めの武技を振るい、追撃を阻み続ける。
 血と汗の滴を大地に振りまきながら交戦を続けていた、その時。
 ざわり、とざらついた手で背筋を撫でられるような感覚が、私の脳髄を支配した。
 何だ――!?
 思わず私はその場から飛び退り、顔を青褪めさせて周囲を見回した。
 異様な殺気。――いや、殺気そのものは、最初から、四方八方より向け続けられている。当然だ。ここは命の取り合いをする場、戦場なのだから。しかしそれとは全く質の違う……目の前にいる敵兵たちには決して発する事の出来ない、余りにも不吉な視線を向けられた……そのような気がした。あたかも地獄という窯の蓋が開き、そこから漏れ出す濃密な蒸気に触れたかのような、冷気を感じる程の灼熱を帯びた忌むべき視線――……
 しかしそれは一瞬の出来事で、次の瞬間には霞の如くにその気配は消え失せていた。どこから向けられたかも定かではない視線の主を私は探したが、暗く生い茂る森の中にはその手掛かりすらも見出す事は出来なかった。
 ……錯覚……?
 とめどなく流れる汗が、それが錯覚などではなかった事を如実に告げていたが、しかし今や、異質な気配はその痕跡すらも残っていない。悪夢を見て飛び起きた子供のように呆然自失としていると、横合いから現実的な殺気が迫りくるのを感じた。
 今度のそれは、肌に馴染んだ殺気だった。戦場の正しい空気とも言うべき、敵を殺すという純粋な敵意。ハイドの武技を使っていた私の位置を正確に察知して、敵兵が武器を振りかぶっている。……しかし、直前の異様な気配に心を奪われていた私は、不覚にも意識による反応が遅れてしまう。
 アームブレイクを、と思ったその瞬間には、思考を経ずして身体の方が勝手に反射を起こしていた。
 地を蹴り、敵を飛び越す勢いで跳躍した私の双短剣が、敵の延髄に直角に振り下ろされる。
 かつて最も慣れ親しんでいた技――暗殺技、パニッシングストライク。

「ロゼ!」
 仲間の悲痛とすら聞こえる叫びを耳にして、部隊長は混戦の中を縫ってこちらへと近づいて来た。
「ん、ああ、事故ったか」
 返り血を全身に浴びた私の姿を一目見て、私の状態に気付いたらしい。作戦上、少々のイレギュラーでは動じないこの男は、今回も全く迷うことなく、血まみれでがたがたと震える私を自分の外套で包み込んだ。
 部隊長の言う所の『事故』――人を殺す事に甚大な嫌悪感を感じるようになってしまった私が誤って敵を殺害してしまう事は、入隊以降幾度かは発生した。殺す気がなくとも混戦の中で鋭利な刃物を振り回している以上、これはどうしても避け得ぬことであると私も一応は理解している。その度に、激しい嘔吐感と悪寒と身の毛もよだつ不快感にのたうつ事になったが、私はあの日以降二度と兵士を辞めるという選択肢を選ぶ事はなかった。自らの禁忌に触れ苦悶する可能性があろうとも、この男の配下でいる事を私は選んだのだ。今回もきっと、冷静な状態に立ち戻ればそのように自身を立て直す事が出来る筈……ではあるのだが、今の私は吐き気を堪えるので精いっぱいだった。気持ち悪い。気持ち悪い。額から冷たい汗がどっと噴き出て返り血と混じる。気持ち悪い。私を支えるかのように肩に大きな手が触れられて気が緩んでしまい、がくりと膝が折れるが、私の身体が地につく前に部隊長の腕が私を抱き留めた。
「二分。この場を維持」
「了」
 耳鳴りのような甲高い不快な音が脳内を埋め尽くしていて、その騒音に頭が割れそうだった。うるさい。うるさい。気持ち悪い。周囲の音声は正しく聞こえているのに何でこんなにうるさいのだろう。
 私に触れる手が、微かに振動させるという程度に私の肩を揺さぶった。真っ暗な視界の中に一筋の光が降る。眼球だけを動かして視線を上げると、腹が立つくらいに端正な顔が間近にあった。
「ほれ、水。……うっかり事故っちまった時のおまじないは教えただろ。言ってやれよ。『ざまあwwwww』ってさ」
 私の手を包み込むように取って水筒を握らせ囁く声は、耳鳴りの洪水の中に低く穏やかに響いた。騒音が、少し弱まった。
「ざまぁ……」男の呟いた言葉を繰り返そうと唇を開く。そこから漏れた余りにもか細く弱々しい声に、私は口の端から失笑を漏らした。「……ないな」
 ざまあない。本当に、ざまあない、私は。たかだか――そう、兵士にとってはたかだかの話だ。たかだか、人を一人斬っただけの話ではないか。生きて帰りたかったであろう、夢も希望もあっただろう、失って泣く者もいるであろう、人を。
 私が、この手で、終わらせた……!
「凹むな凹むな。ちょっとしたハプニング。たいしたこっちゃねー」
 軽い言葉で笑い飛ばそうとするその声は、私の神経を酷く逆撫でした。硝子を引っ掻くような騒音が耳の奥に蘇り、私はその不快感を少しでも遠ざけたくて金切り声で絶叫する。
「お前は……ッ! 人の死を悲しんだ事がないのか! 仲間を失ったことはないのか!?」
「んな訳ねーだろ。俺が何年兵士やってると思ってんだ」
 落ちついた声が即答し、更なる誹謗を吐こうとしていた私は、冷や水を顔面に浴びせかけられたかのような衝撃を受けて喉にあった空気の塊を飲み込んだ。硬い物を呑んだような痛みと、ごぎゅ、という妙な音が喉奥から漏れる。
 ――今しているのは仲間の死の話ではない。あくまでも敵の、そもそも殺すべき相手の話なのだ。一体何を言っているのだ私は。僅かながらにも冷静さを取り戻してみれば、余りにも見当違いな自分の暴言に気付き、私は首の根元から顔を紅潮させた。
 しかし男はそんな私になんら感情の波を立てる事はなく、穏やかな低音で告げる。
「それとこれとは違う、とは言わねえよ。命は命だ。敵のだろうと、味方のだろうと、てめえのだろうと。何ら変わらねえ一個の命だ。……だからこそ、だ。ロゼお前さ、てめえ自身の命にはとうに覚悟ついてんだろ?」
 その問いは唐突な物ではあったが、私に迷いを一切与えなかった。いびつな心構えでありながらも兵士たる事を選んでいる以上、自分の命など端からないものと思っている。真っ赤な顔をしながらも当り前のように頷く私を男は微妙な苦笑を浮かべて見つめ、言葉を続ける。
「だったらさ、もし自分が死んだ時に周りの皆が凹みまくっていつまでもさめざめ泣き暮れてたら寝覚め悪ぃだろ? まあ死んだらもう寝覚めねえけどよ。……だから、凹むな。敵の死でも。自分の死でも。仲間の死でも。大切な誰かの死でも。笑え、ロゼ。お前はまだ生きている。笑える。前を向ける」
 一言一言を、鑿で深く刻み込むような声で紡ぐ男を、私は最初呆然としたまま見つめていた。そして徐々にその言葉が耳に染み込んで来るのと共に、私の目が丸く見開かれていく。それは、私の発言と同じくらいに飛躍した、強引に過ぎる論理ではないだろうか。けれども、男の眼差しは確固たる意志に溢れていて、私を圧倒する。耳の奥からは、いつの間にか頭を割らんばかりの耳鳴りが消えていた。
「そら、ロゼ。撤退を支援するぞ」
 そう言って、男は私の両脇を子供のように支えて立ち上がらせると、あろうことか私の尻をばしっと叩いた。
「ぎゃっ!!」
 私は一旦鞘に戻した短剣を抜き放って敵よりも先に部隊長に振り上げた。ええい、ケツを叩くな!

 途中、アクシデントに見舞われたものの、我々は当初の計画通りに逃げおおせ、作戦を成功裏に完了させたのであった。死者はなし、負傷者は流石にいたものの、魔法回復薬で治療済み。戦利品は馬車一杯のクリスタル鉱石。採掘したままの原石で、戦場で召喚魔法や魔法建築などの媒体にするのではなく、武器や防具への組み込み用に使うならば精製し魔力を安定化させる必要がある代物だが、これだけあれば一財産と言って余りある程の額にはなる。正式な作戦である以上、一部は軍部に納入せねばならないだろうが、それを差し引いても部隊の臨時収入としてはまずまずだ。 

「尋問は終わったか」
「は。複数名の捕虜にそれぞれ尋問しましたが、前情報と違わず、砦築城の為の資源物資輸送任務であるとの事でした。状況から見ても、証言に特に不自然な点はないかと……」
「ふむ……」
 いつの間に指示していたのか、部隊長は数名の敵兵を捕虜として捕らえていたらしい。いくらか、敵側の今回の任務に気になる点があったようだ。敵軍との捕虜返還の交渉を進める間、我々は中央大陸にある我が国の砦の一つに留まり尋問を行っていたのだが、結果得られた情報は男の期待に添う物ではないらしかった。男は不服気に尖った顎を手でしごいた。
「何か腑に落ちない点でもあるのか?」
「何でこんな輸送経路を使ったんだろうな」
 私の問いかけに、男は独り言のような口調で呟いた。
「恐らくエルソードが砦を築城しようとしているであろうウォーロックへの最短ルートだから、あの輸送経路を使っても不自然って程じゃあねえんだが……多少大回りにはなるが、ルダンあたりを経由して海路を使えばもっと安全な領域を通って輸送出来た筈なんだ。何故そうしないのかって思っててな」
「裏をかいたつもりだったのではないか? まさか補給路が敵側に漏れるとはエルソードも思うまい。よしんば漏れたとしても、あれだけ大規模な護衛部隊を付けていれば問題ないと考えたのではないか?」
 言うまでもないが兵站の生命線たる補給線に関する情報は最大級の機密だ。そして護衛も相応に多かった。私としてはそれ程不自然なようには思えなかったのだが、部隊長は未だ納得しきれないような顔をして、頭の後ろで手を組みぎしりと椅子に背を預けた。
「物資の出所がウチの国からだとか、とても公には出来ねえ密書でも運んでいたとか、そういうのを期待してたんだがなあ」
 さらりと言われた不穏極まりない『期待』の内容に、私は思わず目を剥いた。
「まさか」
「まあ、出所が国軍だったら国軍が承認する筈もねえからな、正規軍絡みの線は最初からねーんだけど」
 淡々とした言葉で告げる男の声は、私の頬に一筋の冷や汗を齎した。最初の計画提出時点からその可能性について視野に入れていたこともさることながら――本当にそこで正規軍に関連があったとしたら、計画書提出自体が危険なヤマではなかったのではないだろうか?
 私の、呆れにほんのりと畏怖の入り混じった視線の意味を察したらしい部隊長は、何とも豪胆な事ににやりと笑って見せた。にやりで済ますな!
「軍絡みではないにせよ、よっぽどイレギュラーなもんでも運んでんじゃねえかなと楽しみにしてたんだがな。全く、とんだ期待外れだぜ。……しかし、あの視線、……」
 ぽつりと独りごちるように付け加えられた言葉に私は頭を撥ね上げた。――あの視線! あれはやはり、私だけの錯覚ではなかったのだ。私の反応を部隊長は横目で確認して、微かに頷くような仕草をして見せた。
「……お前も気づいてたか。何か、変なのがいたな……あれ以上ちょっかい掛けて来そうな様子もなかったし、多分追わせても無駄な手合いだと思ったんで、放置したが」
「……あれは、一体何だったのだろう」
 一流の戦士は、その気魄だけで相手を圧倒する事が出来るが――あれはそういった、超越した猛者の気配とはまた一線を画した、酷く不吉であるとしか表現しようのない視線だった。明確な殺意であるようで、そうでないような。例えば手練の気配が敵を斬る苛烈な意思であるとするならば、あの視線の主はまるで毒虫のように、獲物にじわじわと毒を注いで嬲り殺すかのような――……
 不意に、禍々しい死神の鎌が闇に閃く幻影が脳裏に映し出されて、全身が総毛立った。逃れ得ぬ災厄が、我らの身に振りかかろうとしているのではないのだろうか? そんな不吉な予感が背筋を撫でる。
 が、机に肘をつき、頬杖をついて虚空を睨み据えている男は、私の位置から見える片頬に獰猛な笑みを浮かべてみせた。
「まあ、どんな相手がどんな意図で刃を向けて来ようと、叩き潰すまでだ」
 日暮れも近い砦の室内は薄暗く、男の端正な顔に深い陰影を落とす。その表情には今しがた私が思い浮かべた死神の鎌に似た陰惨さが現れているような気がして、私はただその顔を見つめている事しか出来なかった。

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