- PREV - INDEX - NEXT -






 部隊本部の最上階、部隊長の執務室。その最奥にある、黒樫の机に据え付けられた立派な皮張りの椅子に座り、男は書類仕事をしている……ふりをして何気にサボっている。ペンを走らせていたかと思えばふと窓の外を見たりペンをくるくる回し始めたりする落ち着きのない子供のような男を、斜向かいに置かれた少し小さめの机から叱りつけるという、まあ概ねいつも通りの仕事をこなしていると、不意にノックの音が室内に響いた。
「おう、入れ」
 それに対し部隊長は、誰何もせずに鷹揚に返す。尤も部隊本部にある部隊長の執務室をわざわざノックして、誰とも分からぬ不審者が訪れるという事も中々ないだろうが。新しい暇つぶしの材料でも届いたかのような部隊長の声に答えて入室してきたのは、情報収集を担当するスカウトの部隊員だった。スカウトは、きびきびと部隊長と私に敬礼し、おざなりな返礼を受けると、携えていた書類を部隊長に差し出した。
「例の輸送経路の絞り込みを完了しました」
「うむ、御苦労」
 何がうむだ馬鹿が偉そうに、と思いつつもその書類の方が気になって、私はそちらに視線を向けた。
「何だそれは」
「勿論、次のゲームの下準備に決まってんだろ?」
 整った美貌ににやりと悪餓鬼じみた笑みを浮かべて、指で挟んだ数枚の紙束をぴっと私へと差し出して来る。受け取ってみたそれは、綿密な書き込みが入れられた地図だった。一地域のかなり複雑な地形が、精細に描き出されている。
「エルソードちゃんが今度新しく大規模な砦を建てるってんで大量の資源を輸送してんのよ。殆どはエル領の奥深くを回っていくルートで流石に手出ししようもないんだけどよ、一部がどうも極秘裏に、最前線ギリギリを通っていく予定らしいのな。それをカカッと襲撃してエルソードちゃんをムキーってさせて尚且つ俺たちウハウハダブルピースっていうナイスな作戦だ」
「……何かよく分からんがニュアンスだけは分かった」
 というか面妖な擬態語その他が耳を滑ってニュアンスだけしか分からなかったのだが、ともあれその内容を吟味した私は眉間に皺を寄せ、部隊長を見やった。
「我々に、そんな山賊のような真似をしろというのか?」
「俺たちには似合いだろ?」
 私の冷やかな目線に、けれども男は全く動じない。
「補給経路を叩くってのは別に卑怯なこっちゃねえ。計画書を軍部に提出したら腹黒中佐……フレイズマル卿も喜んでサインしてくれたしな。ちゃんと正式に承認された作戦だ」
「だからってな……」
 まあ、民間人からの略奪行為は国際法にて厳しく禁じられているが、軍隊相手ならばその限りではない。敵国の砦築城を阻害出来、あわよくば我が方の資源確保にも繋がるこの作戦は、日ごろ我々が繰り返している無闇な挑発行為よりは余程意義のあるものではあるだろう。
「出発は明後日。詳しくは今晩の幹部会議で発表するが、ロゼ、明日中に出撃メンバーの選定を行ってくれ。船の手配は既に完了しているからメンバーは出発日、〇七〇〇に港に集合。時間厳守だ」
 と、いう事だったのだが……。

「お前、何やってるんだ! 今どこにいる!? 今日の集合時間は厳守だと言ったのは他ならぬ自分自身ではないか!?」
 砕けんばかりに握り締めた通信石に向かって青筋を立ててがなりたてる私の血圧は、朝っぱらから絶好調であった。……訂正。好調な訳はない。今にも一本二本大事な血管がぶち切れてしまいそうだがもしそうなったらこれは戦傷と認められて恩給の対象となるだろうか。
 先日計画した、資源輸送部隊強襲戦への出撃当日。時刻は六時五十五分。港のどこを見回しても、かの阿呆のように目立つ金髪頭は見当たらなかった。
 集合時刻にはまだ五分あるが、ここはもう五分しかないと表現すべき場面だろう。これから五分以内に到着する可能性もないとは言えないが、私は嫌な予感に駆られて部隊長個人宛てに通信石を操作していた。
 発信後、僅か一秒で通信が繋がる気配を感じる。今起きた、という返答だけはなさそうだ。……今まさに集合場所に向けて走っている最中という辺りだろうか? 相手が返し得る返答を冷静に脳内で予測しながらも、迫りくる出発時刻に否応なく高まってしまう責任者の一人としての焦りは、最高責任者に向けての怒声となって通信石に注ぎ込まれた。
 しかしその、私の憤激の声に返って来たのは、私が想定していた如何なる言い訳でもなく――
「ロゼ……ロゼ、頼む、……助けてくれっ!」
 まるで四方を敵軍に囲まれ絶体絶命の窮地に追い込まれたかのような悲鳴で、私は思わずぎょっと目を見開いた。

 ――三十分後。私の血圧は更に上昇する羽目になっていた。
「言葉で説明して分からぬというのなら、殴り倒して捨てて来ればよかろうに! 事もあろうに部下をっ、じょっ、情事の現場などに呼びつけおって! 恥を知れ恥をッ!!」
 男が追い込まれていた窮地。それは、一夜を共にした男女の些細な感情のもつれから始まった修羅場の場面であった。救援を請われるまま指定された宿におっとり刀で駆け付けた私が宿の主から鍵を借りて一室の扉を開くと、そこには全裸のままベッドの上で言い合う男女の姿があって私はうっかりその場で卒倒するところだった。男の下半身は辛うじて寝具で隠れていたので変なモノを見せ付けられるようなえぐい事態にはならなかったが……あああ気色悪い! 何が悲しくて他人の後朝の姿など眺めにゃならんのだ!
 漏れ聞こえる所によると、状況は言い合うというよりも女が一方的に男を責め立てているようで、女の主張を要約すると、女は男が自分よりも仕事を優先してそっけなく立ち去ろうとした事が気に入らなかったらしい。馬鹿か! 阿呆か! 子供か!
「殴るって。兵士でもない女相手にそんな事出来る訳ないだろー……。はあもう朝っぱらからとんだ災難だったぜ」
「それはこっちの台詞だ!」
 男女の情交の残り香漂う怖気の走る一室は、私の登場によってより一層酸鼻を極める地獄絵図と化した。冷静になって考えてみれば、相手の女の心情も分からないではない。立ち去ろうとした男をなじっている所に、それを連れ去らんとする別の女が現れたのだから……。しかしあの時は私もまた冷静とは程遠い心境にあった。狂ったように喚き散らして濡れ衣極まりない罵倒を重ねてくる女に発作的にパニの封印を解き放ち叩き込まなかった私の自制心は賞賛されてもいいと思う。
 男は眠たそうに、ふあぁ、と大きなあくびをして、ぼそぼそとぼやいた。
「あの女、会うたび会うたびしつこくなってきてさ、面倒くせえんだ。あいつとはもう潮時だなー」
 本気で最低だなこの男は!……まあ仮に私がその立場であったとしても今後の付き合いを考えたくなるような相手だとは思ったが、だからと言って女を面倒になったら捨ててよい消耗品の如く扱う事には同意しかねる。最低男を白い目で見ていると、ふとその男の眼差しが私の方へと向けられた。
「な、ロゼ。お前、俺と付き合わねえ?」
「はあっ!?」
 想定外な一言に、私の顎がかくんと落ちた。が、男は、私の驚愕には一切構わず、ぺらぺらと言葉を続ける。
「お前だったらあんな女みたいに人の都合を考えずにしつこくまとわりついてきたりはしねえだろ。お前と一緒なら絶対寝坊だってしないだろうし。……あーいいなそれ、すげえぐっすり眠れそう」
 これ以上ない名案とばかりに自分で言って自分で頷いている男に、私は硬く握った拳をふるふると震わせた。他の女の匂いを全身から漂わせながらそんな事を言われて喜ぶ女がこの世にいるとでも思っているのかこの馬鹿は!
「断る!! 私は貴様の安眠枕でも目覚まし時計でもないッ!」
「いでででででっ! ロゼちゃん耳引っ張んないで僕耳弱いのもげちゃうう!」

 どうしても船は定刻に出さざるを得ない事情があったので、部隊員と積荷は予定の船で先行させ、私と部隊長のみ後発の、別の部隊の船に便乗させて貰って中央大陸に渡り、現地にて合流する手筈を整えた。
「重要な用事がある時くらい自重出来んのかあの色情魔はっ!」
 出航までに微妙に時間が空いてしまうことになったので部隊長の耳を引っ掴んで一旦部隊本部に戻り、男を執務室に放り込んだ私は、その忌々しい顔を見ずに済むよう別フロアの談話室に引っ込んで、誰とはなしに怒りを発散させていた。
 ソファを占拠し頭から湯気を立てる私を、たまたま居合わせた、既に前線を退き本部で事務仕事に従事している古株の部隊員が苦笑して私を宥める。
「ありゃ病気だからしょうがねえよ、勘弁してやれ」
「ああまさに病気だろうな!」
 本当に毎晩飽きずに女と同衾しているあの男には呆れを通り越して感嘆する。女と寝ていないのはせいぜいが戦地で野営している時くらいではないだろうか。全くどこまで元気な男なのだ。
 しかも、しかもっ! なぁにが「俺と付き合わねえ?」だっ!? 毎日毎晩とっかえひっかえ女を喰い漁っておいてあの男はまだ足りないのか! 何よりも! 副官として他の誰より奴に振り回され面倒を掛けられストレスを溜めながらも貢献している私を、そんな有象無象の女どもと一緒くたに扱おうとは……恩知らずにも程がある!
 談話室のおんぼろクッションに殴る蹴るの暴行を加えどうにか怒りも静まった数時間後、今度こそは絶対に出港時刻に遅れる訳にはいかなかったので早めに執務室に迎えに行くと、男は机に座って書類に目を通していた。朝は随分と眠そうだったので昼寝でもしているかと思ったが、机上に積まれた書類の山はかなり嵩を減らしており、あれからずっと仕事を続けていた事を窺わせた。……このやればできる子っぷりをもう少し頻繁に発動していて欲しい物だ。
「出発の時間だ」
 声を掛けると男は、私の内心などこれっぽっちも気にした様子のない、すっきりとした笑顔で答えた。
「おう」

 乗船後、まず真っ先に便宜を図ってくれた別部隊の幹部である友人に礼を述べに行った。部隊長も大概顔の広い男であるが、今回使った伝手は私の物だった。かつてはコミュニケーション能力に盛大に難のあった私だが、副隊長という役目を押し付けられて以降、そんな気儘な引きこもり生活もしていられなくなり、大分独自の人脈も構築する事が出来ている。こちらの不手際により迷惑を掛ける事を部隊長の後頭部をぐりぐり押さえて詫びると相手は笑って受け入れてくれた。その後私は部隊長を、用意してもらった個室へと案内した。
「個室? そんなの……よかったのによ。わざわざ予定外の船に急遽邪魔をさせて貰ってるんだから、大部屋で十分だったのに」
 いくらこの馬鹿の所為でこんな目に遭ったのだとしても、国でも名のある部隊の部隊長を兵卒たちと雑魚寝させる訳にも行くまいと思っての配慮だったのだが、この男には無用の物であるようだった。ばつが悪いのか何なのか、部隊長は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、ちらりと私を見る。
「お前は?」
「私は船底の大部屋だ」
 この状況で流石に自分の睡眠環境まで配慮する程図々しくはなれない。そう答えた途端、部隊長は心なしか勢い込んだ早口で言ってきた。
「じゃあ代わってやるよ、船底じゃ揺れて寝にくいだろ」
「気遣いは無用だ、私は船酔いはしないたちだ。というより、その場所は女性兵士専用の一角だ、変われん」
「なんだとぅ……」
 何故か物凄く苦々しげな顔で呻く男に私は首を傾げる。
「何か問題でもあるのか?」
 問うと、男は何事かを言おうと唇を開きかけて、しかし「何でもねえ」と顔を背けた。

 その影を見たのは、深夜、手洗いに起きた私が、女性兵士たちが蓑虫のように転がる大部屋をそろりと抜け出て用事を済ませ、部屋に戻る途上での事だった。
「……む?」
 出航から半日が過ぎ、夜半を回った海上を行く船はひっそりと静まり返っている。メルファリアの外海は押し並べて波が荒いが、本国から中央大陸への航路は通年比較的穏やかで、戦地に赴く兵士たちは元より船員たちも航行に支障が出ない最低限の人員を残して夜間は休息を取るのが常である。
 ぽつりぽつりと申し訳程度に明かりの灯る、静かな廊下を歩いているとふと視界の端に金色の影が横切った事に気付き、顔を動かした。阿呆のように目立つアッシュブロンド。うちの馬……部隊長ではないか。自室で眠っている筈ではなかったのか。奴も手洗いか? と思ったが方向が違う。
 翌朝早くには中央大陸の港に着く。行軍の遅れを取り戻さねばならないので明日のスケジュールは普段以上に過密なものになるというのに何をふらふら出歩いているのだあの男は。私は船底に向けていた爪先の方向を変えて、男が向かったと思しき甲板の方へと歩き出した。
 外へ出る扉を開けると、びゅうと少し強い夜風が吹き込んできたが、それは一瞬の事だった。僅かに眇めた目を開ければ、今の突風が幻であったかのように海は凪いでいて、暗い海原を切る船の音と心地よい潮風が耳朶を撫でた。雲のない夜空には半月が幽玄な光を放ち、満面の星が控え目に瞬いている。
 空から視線を下ろして周囲を見回すと、甲板に置かれた木箱の一つにだらしなく座ってぼんやりと首を仰け反らせている男の背中が見えた。
「何をしている」
 その背中に真っ直ぐ近づき、私は声を掛けた。
「風に当たってるんだよ。良い子はサッサと寝ろ」
 こちらに顔も向けずぞんざいに追い払おうとする声に、私は少々むっとして、わざわざ男の前に回り込み倍返しの勢いで言い返した。
「お前こそサッサと寝ろ。昨晩はお楽しみが過ぎて大して寝られなかったんじゃなかったのか? それとも今晩もお楽しみに耽る為に女と待ち合わせでもしているのか?」
 今朝の恥辱を思い出し、いささか刺々しくなってしまった私の声に、部隊長はしばし硬直してから何かを悔いるように額に手をやった。
「……ああ、そうか。くそ、その手があったか……」
 その手って何だ。おかしな事を言う奴を眉根を寄せて眺めると、男は前髪をかき上げるような恰好のまま僅かに私の方に視線を動かした。
「ロゼ……今から、俺の部屋に来ないか」
「は!?」
 私は目を剥いた。一体何を言い出すのだこのトンチキは! 今朝方の寝言をまだ言い続ける気か!
「ふざけるのも大概にしろっ! 私はお前の女ではないっ!」
 再び、私の脳裏に今朝の光景が蘇ってきて、怒りと羞恥の余りに眩暈すらしてくる。生まれたままの姿で向き合う男女の姿。あの時は口論を交わしていたが、昨晩はあの場所で、男は同じ口から睦言を紡いだりもしたのだろう。それを想像すると、何故か心臓を鷲掴みにされるかのような不快感に苛まれる。
 これはきっとストレスによる胃痛に違いない。ぎりぎりと胸を締め付けるような痛みを胸元を掴んで堪えつつ怒鳴ると、男は頭を抱え俯いたまま力無く頭を振った。
「違う、違うんだ。……ベッドはお前一人で使え、俺はソファで寝るから。絶対に何もしない。指一本触れない。だから、同じ部屋で寝てくれ、頼む」
 月明かりの下であるにしてもいやに青白い男の顔に、私は訝しさを感じて口を閉ざした。急速に頭が冷え、胃の痛みが意識から遠ざかる。切羽詰った男の様子は、普段の不埒な態度とは明らかに違う。
 私が視線を向け続けていると、いつも余裕綽々の男にしては珍しく、やや苛立った様子で頭をがしがしと掻いてから、苦い顔をして呻いた。
「一人寝ってのがどうしても駄目なんだ。別に女じゃなくって男同士の雑魚寝でもいいんだが……近くに人の気配がないと寝られねーんだよ。眠っても、最悪な夢を見て飛び起きる」
 その唐突な告白に、私は目を見開いた。不意に、昼間、部隊本部で聞いた部隊員の言葉が脳内で再生される。
 ――ありゃ病気だからしょうがねえよ、勘弁してやれ――
 病気? 病気って…………
「……砦ではどうしているんだ。まさか毎度女を呼びつけることは出来ないだろう」
 今この場面で質すに当たり、これが最も重要かと問われると否と答えざるを得ないが、私はまず最初にそんな事が気にかかり、尋ねていた。義勇兵部隊の部隊長には特例として、砦でも個室が宛がわれる。男は言い難そうにぼそぼそと呟いた。
「……他の奴に大部屋を手配してもらってるんだよ。部隊長の特権なんて気取ってるようで気に入らねえってのも別にでたらめな言い訳じゃねえしな」
 そこで、私の激昂のスイッチが再び入った。
「だったら何故私に言わない、そういう事は副官の私に言うべきだろう! 私が最初からそのように手配すれば済む事ではないか!」
 私はお前にとって弱みとも取れる部分を秘さねばならない相手だったのか。そこまで信用のならない人間だったのか。そう言い募ると、男は私の言い分に一旦ぎょっとしたような表情を浮かべたが、すぐにぷいと横を向き、拗ねたように答える。
「そういう意味じゃねえが……言える訳ないだろ。俺にだってプライドってもんがあるんだよ」
「見くびるな! お前が単に恰好つけなだけの馬鹿だという事くらいよく知っている! たかだかそんな性癖の一つ二つが追加された所で、今更貴様への評価などフェアリーの爪程も変わらんわ!」
 男に指を突きつけ、私は傲然と言い放った。何がプライドだ。笑わすな! お前の情けない姿など、今朝方の一件のみならず、飽きる程に見てきているわ!
 再び私の方を向いた男の丁度鼻先に当たる位置にある私の人差し指の先を、男は普段は切れ長な瞳を大きく見開いて、ただただ凝視していた。私がフェアリーの爪などと例えたから私の爪でも気になっているのだろうか? 残念だったな、私はお前やお前の女どもと違って自らをちゃらちゃらと飾り立てる趣味などない。爪も切ったらそれでそのままだ。
 鼻息をふんと吐き出しながら私はそう思ったが、爪の磨きの足りなさが気になっていたという訳ではなかったのか、私の指先を見ているうちに、強張っていた男の肩からふっと力が抜けた。
「……ははは、そうか。そうだったな。……なんだ、最初からちゃんと言ってりゃ良かったんだな」
 男はがしがしともう一度髪を掻くと、視線に普段のそれに近い悪戯っぽい光を戻して私を見た。
「つう事で、そこまで言うからには一緒に寝てくれるんだよな?」
 私は目をぽかんと見開いてからしばたき、言われた言葉の意味に気がついて、うぐっと息を呑んだ。そ、そうなるのか? 今の話の流れだとそうなるのか? 副官の私に悩みを相談しない事に対し抗議したのだから、それを解決するのは私の役目でなければ道理に合わない事になるが…………、その結論になるのか?
 しばし私は目を泳がせながら考えたが、結局混迷する頭の中では適切な代替案は浮かばず、渋々と頷いた。
「……や、止むを得まい」
 ――もしかして本当に私が頷くとは思わなかったのだろうか。今度は男が息を呑む番だった。

 微かに動揺の気配を残す部隊長と共に船室に行くと、部隊長はベッドにあった二枚の寝具のうちの一枚を取り、寝室と仕切りのない居間にあるソファへと移動した。部下たる私が上司のベッドを取り上げる訳にもいかないので、私がそちらに寝ると申し出たが、奴は奴で、男たる自分が女をソファに寝かせる訳に行くかと譲らず、言い合いをしているだけで夜が明けそうだったので最終的には私が折れた。ソファは船内設備にしては立派な物だったのでそれ程寝苦しくはあるまい。
「夜中。何度か傍に寄ると思う。気持ち悪りぃと思うけど、呼吸してるかどうか確かめるだけで何もしねーから」
 少し躊躇うような声で呟く男に、とうに腹も括り終えた私は特に何とも思わず頷いた。
「構わん。好きにするがいい。どうせ私は眠ったら、敵襲でもない限り朝まで起きん」
 船底の板の上に布を敷いて寝る本来の寝床の百倍は寝心地のいいベッドに遠慮なく潜り、私は特に躊躇いなく目を閉じた。
 ――その夜実際に、睡眠中に息を確かめに来たかどうかは私は知らない。奴に告げた通り、私は一旦眠ったらもう滅多な事では起きないので。
 翌朝、船室の小さな窓から差し込む朝日を瞼に浴びて目覚めると、男は既に起きていて、着替えすら済ませてどっかりとソファに座っていた。その様子からは、もう既に昨夜の弱々しさは欠片も見られなかった。
「眠れたか?」
「おかげさまで」

 その後――
 食堂の隅に向かい合って陣取った朝食の席で、私は少し疑問に思った事を口にした。
「わざわざ近寄って呼吸を確かめなきゃならん癖まであるのなら、同じベッドで寝ればよかったのではないか? 何もしないと言うのなら、別にそれでも構わなかったのだが」
 同室で眠っている以上、多少の距離などあってもなくても変わりないだろうに、と、一応男の隠しておきたいらしい性癖を慮って周囲に聞こえぬように小声で告げた所、男は口の中に放り込んだスクランブルエッグをぶほっと吹きやがった。うわ、何だ、汚いな!
「ロ、ロゼお前なぁ……。あんなに俺と寝るのヤダって言ってたくせに」
「お前と付き合うのは嫌だとは言ったが、別に睡眠環境自体には拘りは持たん」
 勿論一般論的に、異性と共に眠る事は危険性を伴う事は理解しているが、何もしないとお前は明言したではないか? 事実同室で眠った所で何もなかったし。と私が首を傾げると、部隊長はまじまじと私を見た後、何故か微妙に複雑そうな面持ちを浮かべてはぁと溜息をついた。
「……ほんと、お前は凄ぇわ」
 テーブルを布巾で拭きつついっそしみじみとした口調で言う男を、私は怪訝な眼差しで見つめた。
 やっぱりこの男の言う事はよく分からん。

- PREV - INDEX - NEXT -