- PREV - INDEX - NEXT -






 ミナはクォークの数歩前を歩きつつ、前方を警戒し続けていた。ソーサラーとウォリアーのパーティなら、通常はソーサラーの方が一歩下がって位置取るのが定石だが、今はミナの訓練だからか、クォークは彼女が先行するように指示をした。ミナに後方の警戒を任せるのは不安だ、という理由ではない事をミナはこっそり祈る。
 ともあれそんな訳で、次の異変には、全方位を警戒していたクォークよりもミナの方が先んじて発見することが出来た。
 それを目にした途端、ミナの全身は一瞬ならず強張った。歩み続けていた脚すら止まって棒立ちになる。クォークは、彼女をそうさせた原因よりも先に彼女の状態の変化の方に気がついて、耳打ちするように後ろから顔を近づけてきた。
「どうした?」
 ミナは黙ったまま、ぷるぷると震える指で真っ直ぐ前の、木立の向こうを指差した。その先に、ゆうらりと蠢く暗い影を認めて、クォークが、ああ、と軽く声を漏らした。
「骨か。こんなのまで出るんだな」
 骨、またはスケルトン等と呼び慣らされるそれは、戦場に散った兵士達の亡霊とも言われる骸骨の魔物だった。闇の中をあてどなく彷徨う人骨という不気味なその姿にミナは慄然とする。後ろにいるクォークが、囁きに近い声で呟きながら何気なく肩に手を置いた瞬間、ミナはぴょこーん!と比喩でなしに飛び上がった。
「……どうした?」
 全く同じ台詞で掛けられてきた問いかけに、ミナはぎぎぎ、とぎこちなく顔を向けた。涙腺が決壊寸前まで潤み、口角を限界まで下げた情けない顔にクォークは黒瞳をしばたく。
「もしかして……」
「…………おばけこわい」
 思わず子供のような言葉が漏れてしまったが、ミナにはそれを恥ずかしがる余裕すらなかった。あらゆることに関して人並み以上に怖がりだという自覚があるが、中でも幽霊とか、そういう方面は本当にだめなのだ。戦場に纏わる怪談話は小耳に挟んだだけで意識が薄れかけるし、前に首都の近辺に兵士だか盗賊だかの亡霊が出た、という噂が立った時には首都を出て戦場に行くのすら嫌だった。以前、「兵士が何言ってるんだよ、今迄殺した敵兵の怨念が背中に……」と友達にからかわれた時には、泣きながらうっかりその友達の怨念を背中に背負いかねない程に杖で滅多打ちにしてしまった事さえある。
「普通の魔物だよ。いわくはあるけどさ」
「そのいわくが怖いんじゃない……」
 からからに渇いた喉でどうにか抗弁すると、クォークは微かに笑って彼女の頭にぽんと手を置いた。
「じゃあ今回だけサービスな」
 肩に両手斧を気楽に担いだまま彼はミナの前に歩み出て、直後、何の気負いもない挙動で地面を蹴った。ゆらゆらと陽炎のようにうろついていた骸骨が、意外な程敏感に敵の接近を察し、歯列の剥き出しになった顔をこちらへと向けた。その凶貌にクォークではなくミナの方が細い悲鳴を上げて後ずさる。骸骨は、片刃の両手斧で武装していた――戦場の露と消えた兵士の持ち物を拾うのか、武装している魔物というのは案外珍しくはないのだが、厄介な事にそういった魔物には人の兵士に似た武技を使ってくるものまでいる。
 目の前の骸骨もその例に倣い、猫背気味の身体を大きくしならせると、ぶんと大きく斧を振り、ウォリアーのソニックブームに似た衝撃波を放った。しかし敵の攻撃態勢を見た時点で回避行動を起こしていたクォークは、余裕の体でそれを避け切り、魔物に向けて自分の斧を振り下ろす。ぎゃりっと音を立ててクォークの斧の刃が肩甲骨の辺りを断ち割り、息つく間も与えぬ二撃目で背骨を断って、瞬時にして魔物を叩き伏せた。
 鮮やかな手並みにミナは直前まで感じていた亡者に対する恐怖すら忘れて手を叩き、彼に駆け寄った。称賛の視線を彼の顔に向けると、しかしクォークは、笑みの戻らない眼差しで最早ぴくりとも動かない骸骨の残骸を見下ろし続けた。
「どうしたの?」
 先程彼が掛けてきた問いと同じような物を、今度はミナが彼に投げる。
「いや。何か思ったより硬くて。一撃で殺れると思ったんだけど」
 平坦な声で呟いてから、クォークは不意に視線を頭上へと上げた。
「そう言えば、今、何時だ? いくらなんでも日没にはまだ早いだろ」
 クォークの言葉にはっとして、ミナも上を振り仰いだ。
 周囲は奇妙な薄暗さに支配されていた。あたかも自分が小人の世界の住人になってしまったかと錯覚してしまう程の巨大な古樹が連なる森は、こんもりと生い茂る濃緑が分厚く空を遮って、地表に殆ど日の光を届かせない。しかし、駐屯地を出発したのが正午過ぎくらいだったから、せいぜいまだ昼下がりと言っていい時刻の筈だ。よくよく考えてみれば、骸骨がうろつき回るような時間ではない――この魔物は、日没を迎え大地が闇に支配される刻限になってからしか出没しない習性がある。
「……森があんまりにも暗くて夜だと勘違いしてるとか」
「骨には視力はないって聞くけどね。目玉すらないし」
 ミナの仮説を軽くへし折ってから、クォークは息を軽く吐いた。
「ま、いいか。気にしてもしょうがない」
「の、呑気ね」
 ひょいと再度軽く斧を担ぎ上げて歩き出したクォークの後を、ミナは小走りに追いかけた。

 そこから更に二人は森を貫く林道を進んで行った――のだが、どういう訳か進めば進む程、一層周囲の闇は深さを増していくように感じられた。天気が崩れ始めているのか、思いの外時の進みが速く日没が近いのか。周囲の景色に変化がなさ過ぎて時間間隔も失せてきた頭では、それすらも判然としなくなる。こんなにも深い森なのに何故か虫や鳥の鳴き声一つ聞こえて来ず、妙な不安感に掻き立てられて、ミナはせわしなく周囲を見回した。
「ね、ねえ、……なんかこれ、おかしくないかな」
 あくまでもこれは単なる新兵訓練だった筈だ。目的地は道なりに進んだ先だという事で、マップすら配布されなかったくらいのごく簡単な任務だった筈なのに、歩けども歩けどもそれらしい研究施設などは見えず、おかしな白昼夢のように延々と同じような古木の森が続くのみ。多分、一人きりだったらとっくに泣いていると思う。
「道に迷った……のかな……?」
「迷う要素は特になかったと思うけど。ただ一点を除けば」
 緊張に喉を強張らせて呟いたミナに、冷静な声が応じてそれが少しミナの心を落ち着けた。けれども、その言葉はミナがここまで疑念を感じながらも言葉にしなかった部分に踏み込んでいて、胸中にまた別のもやもやとした物が沸き起こってくる。――ここまで二人は指示された通りに、森の中に刻まれた道に従い歩いてきただけであったし、途中に分岐路もなかった。そう、ただ一点を除けば……
「トランスポートクリスタル……」
 道を違える余地があるとすればあの不可思議なクリスタルとの接触以外にはないと思われた。
「……これが、最初に言われてた『運用試験』の一環……なのかしら」
 例えば、任意の場所に使用者を転送する機能の試験、であるのだとすれば聞いていた場所と違う場所にいるらしいことの説明はつくが――しかしいくら訓練だからと言っても、何も知らされずにそんな実験に供されるなどという事があり得るのだろうか。何の予備知識もなく右も左も分からない場所に放り出されては、帰還することもままならない。熟練兵を伴わせたのはまさかの時の為の予防線とも考えられるが、わざわざそんな事までして秘密にする必要もないように思う。
「それとも、事故、かな……?」
 そういえば、先程の骸骨の魔物にもクォークは、何かしらの違和感を感じていたようだった。それも関連性があるのかないのかは判然としないが、漠然とした不安に駆られて恐る恐る呟くミナに、クォークはちらりと視線を向けた。
「わざわざ最終調整と銘打って兵士を招集した段階で、こんな根本的っぽい事故ってのもな。それだったらこういう実験だって言われた方がまだ納得行くけど」
「でも、何の為に説明の一つもなく?」
 どうしてもミナはそこが引っかかる。眉根を寄せて悩むミナに、どことなく気楽な声でクォークが言った。
「んー……、突発的な状況にも対応出来るようにする為のサバイバル訓練も兼ねてるとか」
「そんな命懸けのスパルタ訓練を平気で課してくるのはクォークくらいなもんだわ」
「俺は大分優しい方だと思うんだけどなぁ」
 ぷんぷんと頬を膨らまして少し脇道に逸れた抗議をすると、クォークは両手斧の背で肩をとんとん叩きながら悪びれる事もなく言った。どーこーがー、と思いつつも膨らましていた頬の中から空気をぷすーと抜いて、ミナは思考を切り替えた。
「その辺は後でじっくり話し合うとして、まずは今の状況をどうにかするのが先決よ。本当に日没を迎える前に、どこか最寄の軍の施設に辿り着くか、最低でも駐屯地に連絡を取って指示を仰ぐかしないと」
 焦りの色の滲んだ早口で言うミナへの返答もまた、妙に気楽なものだった。
「ちゃんと林道が作られてるんだから、多分そう心配しないでもじきにどこかには辿り着けるとは思うけどね。最悪その辺で野営する事になっても大丈夫な準備はして来てるし」
「……とことん呑気ねえ」
「そりゃ、いくら少々妙な魔物が徘徊してる場所だって言っても、戦地のど真ん中で夜を越す羽目になるのに比べれば呑気でもいられるさ。駐屯地への連絡だって……」
 と、その時。突如区切りの悪い所で言葉を切ったクォークにミナは首を傾げた。
「どうしたの?」
 途端、人差し指を口の前に立てて見せられて、口を噤む。クォークは聴覚に意識を集中するように半ば瞼を閉じ、けれど視覚も疎かにするつもりはないらしく、感情の色の抜けた瞳で暗がりに沈む木立の向こうをじっと凝視した。
「一瞬ハイドかと思ったけど、違うな。何だこれ……でかいけど、グリフォンでもリザードでもない。……近づいて来る」
 言いながら、クォークは一歩前に進み出て、肩に担いでいた大振りの両手斧をゆっくりと下ろした。森の奥を見つめたまま鋭い音を立てて空を斬り払い、ミナを後ろ手に庇うようにして下段に構える。
 その頃になって、クォークが聞き取っていた音をミナの耳も漸く捉える事が出来るようになってくる。何かが重く草を踏み、荒々しく藪を分ける音――
 クォークがぴくりと顎を上げた瞬間、そこに、めきり、と生木を断ち割る音が加わった。
「ミナ、下がってろ」
 淡々とした声で指示されるが、ミナは身じろぎ一つ取る事が出来なかった。地面に落ちた、周囲の闇よりも尚暗い巨大な影に、縫いつけられてしまったかのように足が動かない。
 大樹の太い枝をまるで雑草のように無造作に押しのけて、地表に覆い被さる暗雲のようにそれは姿を現した。
 黒鉄色の隆々たる筋肉に鎧われた、召喚獣ジャイアントすらも及ばぬ程の巨躯。一本一本が大剣にも匹敵するとてつもない大きさの鉤爪を備える手指。鋭く前に突き出た雄牛の如き角を頂く頭部に、赫焉として燃える一対の瞳。――悪魔、としか形容しようのない姿をした魔物が、口から低い唸りと妖気のような白い吐息を吐き出して、二人を見下ろしていた。

- PREV - INDEX - NEXT -