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 再び家に帰り着いた二人は、言われた通りに早速、入手出来る物から順に試してみる事にした。
「カペラの水まずいー」
 まずはカペラの水である。これはある種の薬品の原料として広く使われている比較的ありふれた素材で、首都にある道具屋でも簡単に入手する事が出来る。
 魔女の家からの帰り際にそのまま道具屋に立ち寄って購入し、クォークが平皿に注いでくれたそれを、ミナは泣き事を言いながらてちてちと舌で掬い上げた。ありふれたものとはいえ普通そのまま飲むことはないので知らなかったのだが、カペラの水には苦味に近い癖があって全然美味しくない。
 テーブルの上で、ひーん、と目を固く瞑って必死に水を舐めるミナを、ソファに座り膝の上に肘をついて見下ろしながら、クォークがぽつりと呟いた。
「水で文句言ってたら……」

「や、やだあああ! こんなの飲むのやだああああ!!」
 続けて皿に入れられたどす黒い粘着質な液体に、ミナは全力で悲鳴を上げた。魚の腐ったような生臭いにおいがぷうんと鼻を突く。ミナは本能で、皿に前足でてしてし砂を掛ける仕草をした。
 野獣の血。エスセティア大陸に生息する地獄の猟犬の名を持つ魔物、ヘルハウンドから採取する、その名の通りまさに野獣の血液そのものである。
 これもまた、特殊な魔法薬の原材料となる物ではあるのだが、特定の水源で汲んでくればいいカペラの水と違い、恐ろしく強い魔物の中から魔力を含んだ血を持つ希少種を見つけるまで数多く倒す必要がある為、一般の商店で取り扱われる事はない。これを手に入れるには、魔物退治を生業とする冒険者に依頼するか、自ら中央大陸まで足を運び自分の力で魔物を倒してくるかのどちらかしかないという厄介な品だった。
 と、本当であれば入手に大変な手間が必要になる所だったのだが、今は運よくクォークが過去に手に入れた手持ちがあるという事で――以前戦場に行った時にたまたま魔物と出くわして、なんとなく殴り殺したらたまたま希少種だったのだそうだ――、それを提供して貰うことが出来たのだが……
 血、という時点で明らかに飲み物では有り得ないという事に、眼前にそれを突きつけられるまで何故気づけなかったのか。ミナは己の考えのなさを心底から呪った。予め気づいていればもう少し覚悟を持って臨む事も出来たかもしれないが、正直いきなりはいどうぞと言われてそう簡単に口をつけられる程、それは生易しい代物ではなかった。
「砂掛けても駄目。はいはい飲んだ飲んだ」
 だが何と準備のいい事か、クォークは実験室に置いてあるような硝子製のスポイトらしきものを用意していて、ミナの首根っこをつまんで持ち上げるとくるりと仰向けにひっくり返し、液体を含んだスポイトの先端をミナの小さな歯の隙間にくいと押し込んだ。
「むぐうう。棒を無理矢理口に突っ込んで生臭い体液を飲ませるなんてクォークのけだものおおお」
 ミナの悲痛な抗議にクォークは顔を顰める。
「……なにその物凄く人聞きの悪い言い方。どこでそういう言い回しを覚えたんだ」
「前にエルソードの友達が言ってたあああ。意味はよくわかんなかったけどこのことだったのね、まさに鬼畜な所業だわ、鬼、悪魔、ネツァワルううう」
「野獣の血を無理矢理人に飲ますようなシチュエーションがそうそうあるとは思えないけどな」
 細い手足をじたばたと動かし、突きつけられるスポイトからいやいやと顔を背けてしばしの間格闘していたミナだったが、「新しく取ってくるのは面倒だからちゃんと飲んでね」と淡々と言われてはそれ以上拒絶する訳にもいかない。ミナは涙目になりながらどうにかこうにかそれを飲み下した。口中に広がる言葉では言い表せない凄絶な不快感に、じわりと目頭が熱くなる。今回猫になるまで猫も涙を流すことが出来るなどという事実は全く知らなかった。ひとつ勉強にはなったが多分この知識を生かす場面もあんまりないとは思う。



「さて残るは『真実の愛』って奴だが……」
 クォークは呟きながらテーブルの上に広がる本の山々を見渡した。
「……一体なんだろうな、それ」
 魔術書は勿論のこと、鉱物辞典に薬草辞典、魔法道具や呪術に関する論文に、お伽噺に類するような歴史書に至るまで、クォークはおおよそ魔法に関連が有りそうな書物を、部隊の資料室からあるだけ借りてきてくれた。これは恐らくはこのネツァワルに於いて、一般兵士の身分で望み得る最大量の魔法関連資料だろう。それらを片っ端から調べているのだが、『真実の愛』なる物質に関する記述はどこにも見つけ出す事は出来なかった。
「正式名称じゃないのかな。聞いた事もない名前だし……やっぱりその名前から考えられる物を片っ端から当たるしかないか」
 出来ればもう少し人手が欲しいんだけどなぁ、と嘆息に交えてぼやいたクォークに、横合いから不服そうな声が投げ掛けられる。
「人手が欲しいなら俺じゃなくてソーサラーの誰かに手を借りた方がまだ効率良くないっすか」
 クォークとミナ、二人と同じテーブルを囲んでページを捲りつつぶつぶつと呟く青年に、ミナは視線を向けた。部隊本部に資料を借りに行った時にクォークに捕まり、荷運び兼調査要員として引きずり出されてきた彼の部下、サイトという名のスカウトだ。しかしクォークは本から顔すら上げず、恩義の欠片も感じていなそうな声で言う。
「やだよ。うちのソーサラーどもなんぞ、借りを作ったら最後、見返りに何を要求してくるか分かったもんじゃない曲者ばかりじゃないか。魔女よりずっとたちが悪い」
「だからって俺からばっかり重点的に借り入れするのは止めて欲しいんすけど」
 横柄な上官を睨むサイトに、ミナは猫の撫で肩をより一層落として謝罪する。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「あ、いえいえ、お気になさらず。困った時はお互い様です」
 ミナには何故か人の善い返答をするサイトを、クォークは今度は顔を上げ、むっとした目つきで睨みつける。
「ミナに色目使うなよ」
「色目って。今の彼女にどう色目使えと……」
 やだやだ男の嫉妬って醜いっすねーと呆れ顔で上官を見つめ返す部下に、クォークはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「あ、ねえねえクォーク、確か、『ラバーズ・メディスン』って魔法薬、あったよね? ちょっと前にサイトさんに貰った媚薬の」
 クォークが目を通している資料に横から一緒に視線を落としながら、ふと思い出した『真実の愛』かもしれない物質についてミナが肉球をぺふっと打ち合わせた途端、何故かクォークとサイトが同時に噴いた。
「あれ、名前からして『真実の愛』っぽいんじゃないかしら……ってどうしたの?」
 何やら酷く噎せながら額を押さえているクォークを見上げてミナは目をしばたく。ややして呼吸を整えたクォークはミナの方を向かず、何故かサイトをぎろりと睨んだが、サイトはさっと視線を背けてそれを躱した。
 ラバーズ・メディスンとは、少し前にサイトに、「いい物が手に入りましたよミナさんラバーズ・メディスンって媚薬だそうですこれを使えばきっとクォークさんともっと仲良くなれますよふふふふふくすくすクォークさんもきっとヨロコビマスヨー」と物凄く親切ににこやかに手渡された、鮮やかな赤い色をした綺麗な薬だった。その厚意は有り難く受け取ったものの、ミナにはあまりそれが必要だとは思えなかった。だって媚薬というのは多分惚れ薬の事だ。ミナはクォークの事がとっくに大好きだし、クォークだってミナの事を好きだと言ってくれているのに、どうして惚れ薬が必要なんだろう。
 もしかしたら何か自分の認識にちょっとした誤りがあるのだろうか、と首を傾げている間に、クォークは腕を組んでソファに深く座り直し、ミナに視線を戻した。
「それは『真実の愛』じゃない。そんな物を俺は『真実の愛』とは断固として認めない」
「えー」
 酷く断定的な反論に、ミナは唇を尖らせようとしたが残念ながら猫には尖らせられるような唇がない。
「媚や……ああ、いや、惚れ薬でいいや。惚れ薬なんて紛い物の感情だか感覚だかを誘発させるような代物、明らかに『真実の愛』ではないだろ。寧ろ、最も対極にあると言ってもいい物じゃないか」
「んー……」肉球でもにっと顎を支えて言われた言葉を検討してみる。「……言われてみればそうね」
 何だ残念、と溜息をつくと、クォークも妙に疲れたような溜息をついた。サイトだけは何故か俯いたままぴくぴくと肩を震わせていた。

「……そうだ、そう言えばこんな物もあったんっすけど」
 と、サイトが思い出したように、若しくは話を変えるように言って、自分の鞄をごそごそと漁り出した。そこから取り出して見せたのは、子供の握り拳程の大きさの赤いハート、としか言いようのない物だった。金属ではなさそうだが、固くてつやつやした変わった材質で出来ている。
「『ラブ玉』って物らしいんですが。冬の……バレンタインの時期でしたかね、ポッポさんに貰いました」
「えっ」
「えっ」
 ミナとクォークは思わず反射的に身を仰け反らせてサイトから距離を取った。あの容貌魁偉な大剣の教官は、何を思う所があって彼にこんな物を渡したのだろう。さっぱり分からない。
 二人の態度にサイトは「俺見て引いたってしょうがないでしょ、俺が悪いんですか」と不平を述べてから、間を置かず、いきなり手の中のハートをミナの顔面に向けて投げつけてきた。
「にゃっ!?」
 突然の攻撃に、思わず猫っぽい悲鳴を上げる――が、サイトの手にあった時は確かに固い材質だった筈のそれは、ミナの狭いおでこにぶつかると、柔らかいゴムまり程度の衝突の感触を与えてぱふんと破裂した。そしてまるで花吹雪のように赤いハートの小片をひらひらと辺りに振り撒いて、すぐにすうっと空中に溶けてなくなった。
「え、な、なにこれ」
「……単にこれだけの、魔法のおもちゃなんすけどね。……これも『真実の愛』とは違うみたいっすね」
 何の変化を起こす様子もないミナを眺めてサイトは軽く肩を竦めた。

 まだサイトがいくつか持っていたラブ玉をクォークがひったくり、無表情かつ無言のまま何かの腹いせのように次々サイトにぶつけて処分してから――ぶつけられる度にサイトが「いて! ちょ待! ヲリの馬鹿力でマジ投げ止めて!?」と悲鳴を上げていた事から、それなりに力を込めて投げればそれなりに痛いようである――、再度三人は書物に没頭し始めた。
 沈黙の中に、ページを捲る音だけが響く時間が過ぎて行く。昼を過ぎ、ありもので少し遅めになった昼食を済ませた後も黙々と資料を繰り続け、何の有力な手がかりも得られぬままに未着手の山だけを減らし続けていた昼下がり、不意に、今度はクォークが何かを思いついたらしき声を発した。
「なあ、ミナ。『真実の愛』が、何らかの魔法の物質の事じゃなくて、本当にそういう感情を指していたりする可能性ってないかな? 形のない感情みたいなものが、魔法の鍵になること、みたいな」
 問われてミナは三角の耳を無意識にぴくぴくと動かして思案する。
「どうなんだろう……。魔法の糧になったり武技を振るったりする為の人の『精神エネルギー』は、自分の身体の内から何かの力を生み出すことにかけてはとても強力なものだけど、それ自体が直接外界に対して作用できる類のものではない筈だから、それそのものが何らかの魔法に影響を及ぼすってことはないと思うんだけど……」
 呟きながら、兵士になる前に勉強した教本の内容に懸命に記憶を馳せる。先に述べた通りミナは研究者ではないから、ソーサラーとして最低限の、言い換えれば一般人や他の兵種よりはちょっとマシという程度の魔法知識しか持ち合わせていない。
 ミナの意見にクォークは、ちぇ、と頭の後ろで手を組んでソファの背凭れに背を預けた。
「何だ、残念。『真実の愛』なら腐るほど持ってるのにな」
「へ?」
 どういうことかと目をぱちくりとしてクォークを見上げると、背筋を伸ばすようなその体勢のまま彼の瞳がミナに注がれた。
「君に向ける愛情。これは俺としては紛れもなく『真実の愛』だと思ってるんだけど、どう?」
「どっ、どうとか言われても……っ」
 唐突にも程がある愛の告白に、ミナはもふもふの体毛の下で顔を真っ赤にして、あわあわと前脚を振――ろうとしてころんと転げ、クォークの手に助け起こされた。身体を起こしながらちらりと見たサイトに視線すら合わせない興味なさそうな顔で「はいはいご馳走様です」と呟かれ、更に赤面する羽目になる。多分皮膚が出ている所、鼻の辺りなどは、さっきのラブ玉もかくやという程に真っ赤になっているのではないだろうか。
 口篭ってしまったミナを見て、クォークは拗ねるように唇を尖らせる。
「そんなに呆れないでよ。傷つくなあ」
「べ、別に呆れてる訳じゃないけど……」いきなりそんなに熱烈な事を言われるとは思っていなかっただけで。
「すいませェーん。いつまでもいちゃいちゃしてないでサクサク作業を進めて欲しいんですがァー?」
 上目遣いでクォークを見上げるミナに容赦のない叱責が入り、ミナはわたわたと足元に置かれた本に視線を戻すふりをした。
「あ、で、でも、ええと、感情そのものではなくて、愛情によって生み出される何らかの物質や、運動エネルギーとかを便宜的に『真実の愛』と表現してるとしたら、あり得るかもしれないわ」
 いまだに少々パニックの余韻は残っていたものの、どうにか話の路線を戻しながら告げると、クォークが僅かに瞼を持ち上げて、顎に手を当てた。
「愛情が生み出す物質か運動エネルギー……」
 ミナの言葉を繰り返してぼそりと呟いた彼の声に、何やら不穏なものを感じたらしいサイトが眉間に皺を寄せた。
「……あのクォークさん? 何か今物凄く卑猥な事を考えてませんか?」
「え?」
 その言葉の意味が分からなかったミナがサイトを見、続けてクォークを見やると、クォークは仮面のような無表情で、書物に視線を戻しつつ、一言呟いた。
「考えてない。」
「え?」
 いやにきっぱりとし過ぎる断言に逆に不思議に思ってミナが更に首を傾げると、やはりいやに平坦過ぎる声音で念を押された。
「全然考えてない。」

 破られた沈黙を契機として、再び三人は声に出して論を交わし始めた。
「何か、どこかの名家に伝わる品で、『真実の愛』っぽい物ってありませんでしたっけ」
「……ああ、さっき読んだなそんな記述。ええと……これだ、『永遠の宝石』『不屈の白金』『情熱の刻印』。……確かに名前は少し『真実の愛』っぽいとは思って栞挟んでおいたんだけど……これ、人んちの家宝だろ? まさか人んちの家宝つまんで食ってみる訳にも行かないし、どうしたもんかな」
「うーん」
「でも待ってクォーク、テオネラ様は、確か『食べろ』とは言ってなかった覚えがあるんだけど……。『取り入れろ』みたいな事は言ってたと思うから、言葉の綾って気もするけど」
「『その身に与えなさい』だな、正確には」
「……そんなに細かい言い回しまでよく覚えてるわね。……宝石や金属を身に与える……身につけるってことかしら。刻印だったらどうしよう。焼印を押せってことなのかしら」
 家畜のように焼きごてを押される恐ろしい光景を想像して、ぶるっと震えたミナに反証を与えるようにクォークが呟く。
「でも、これも言い回しの問題かもしれないけど、魔女は、『真実の愛ひとつまみ』って言っていたんだ。となるとその使い方じゃ、少し違和感があるように思う」
「ああ、そっか……、焼きごてひとつまみって表現も変よね。あ、でもそれって、逆に考えれば最低限、つまめるものではあるって事よね?」
 ミナは思案しながら、肉球の並ぶ指を握ったり開いたりした。が、その仕草から理解することが出来るのは、せいぜい猫の指は意外とよく動くという事くらいだった。だが、何はともあれ、『ひとつまみ』という表現からは、液体や気体のような無形のものではなく、粉状か、粒状……どれだけ大きくとも人間の親指と人差し指で挟めるくらいの大きさであると考えるのが適切ではないだろうか。今更だが、これは大分重要な手がかりになり得る情報かもしれない。
「ひとつまみ……ひとつまみ、……」
 ミナと同じように自分の手でつまむという形を再現していたサイトが、不意に何か閃いたらしく、ソファから腰を浮かせた。
「一個思いつきました、買ってきます」
 そう宣言して出掛け、二十分程して戻ってきた時には、彼は可愛らしい装飾を施されたカラフルな紙箱を抱えていた。
「あー! それ、今街で流行ってる、評判のお菓子屋さんの箱よね!」
 目をきらきらとさせながら即座に食いついたミナに、サイトは頷いて蓋を開けて見せた。仕切りのついた箱の中に、一口大の、ぷっくりとつややかなハート型のチョコレートが整然と並んでいる。ミナは、わぁと歓声を上げた。
「『らぶチョコ』っていうお菓子っす。何でも、今首都の女性の間で大人気らしくって、朝早くに並ばないと中々買えないんですよ」
「その割にはよくこの時間で買って来れたな」
 もう正午も随分と回った遅い時間であるし、その店がどこにあるかにもよるが、並んで買って来たにしては戻りが早い。二重の意味でクォークが尋ねると、サイトはふっと遠い目をして答えた。
「ああ……、部隊長が発売当初から嵌りましてね。もう毎日のように大量に買いに行かされるもので、すっかり常連のお得意様としてある程度の融通が効くんっすよ……」
「パシリおつ」
 クォークが短く労いになっていない労いを掛けた。ミナは話題のお菓子を食べてみたい衝動も手伝って、早速そのチョコレート粒に前脚を伸ばそうとしたが、肉球がハートに接触する直前、はたとあることに気づいてその格好で動きを止めた。
「どうしました? 掴めませんか?」
 指をぱっと開いた猫の手をぷるぷると震わせているミナをサイトが覗き込む。振り返ったミナは彼の目を真剣な眼差しで見上げながら言った。
「猫って、体質的にチョコって毒になるって聞いた事があるわ……! 食べても大丈夫なのかしら……?」
「ど、毒!?」
 思いもよらない危険を告げられて、ミナを囲む二人の男は動揺の声を上げた。

「あ、本当だ……犬や猫にとっては、チョコレートは一種の神経毒になるらしいっすね。ただ、普通のチョコレートならカカオの含有量は大したことはないから、そう多量に食べなければ大丈夫みたいです。致死量は、だいたい板チョコ一枚弱くらいだって書いてありますから、このチョコ一粒くらいなら大丈夫なんじゃないすか」
 用意してきた資料の中にたまたま入っていた、獣医学関連の書籍の中にその記述を見つけ出し、要点を抜き出して読み上げたサイトにクォークは渋い顔を作った。
「それは大人の猫の話じゃないのか? ミナはこんなに小さい子猫なんだぞ。体重比を考えたら一かけだってやばいと思うんだが」
「……猫って言っても、召喚魔法と同じような原理で身体が変化してしまってるだけでしょう? 体質までは変わらないんじゃないっすかね。召喚したって、ウォリアーはソーサラーの魔法に弱いとかいう大元の体質は残るじゃないっすか」
 ぼそぼそと諦め悪く呟いたサイトにクォークは少し考えて、いや、と首を横に振った。
「それを言ったら、召喚獣の体質の方が強く出る筈だ。召喚した途端、ナイトの攻撃が強烈に効くようになるだろ。……いいか、これを見ろ」
 クォークはポケットから何やら薬包紙の包みを取り出し、おもむろにそれを開くと、中身をさらさらとテーブルの上に開けた。何だろう、とミナは覗き込む。それは茶色い色をした、少し目の粗い何らかの粉末だった。見たことのない薬品だったので、なんとなく匂いを嗅いでみようと鼻を近づけたその途端――
 ミナはその粉末の中に、勢いよく突っ伏していた。
「み、ミナさん?」
 微妙に引き気味のサイトの声を意識の外で聞きながら、ミナはそのままそれにひげの付け根辺りをずりずりと擦り付けた。擦り付けずにはいられなかった。酷く気分が高揚し、かつうっとりと陶酔したような感じになる。自然と鼻息が荒くなり、ぱふぅ、と粉を吹き散らしてしまうが、飛散した粉末の上に更にミナは勢いよく横転し、さながら砂浴びをする小鳥の如くごろんごろんと粉を全身にまぶし続ける……
「ま……またたびっすか」
 次第に突発的な興奮状態からまったり……というかねっとりとした酩酊状態に移行し、テーブルにだらんと突っ伏した体勢で顔だけを動かしてしきりに粉を舐め続ける怪しい子猫を見下ろして呟いたサイトに、クォークが重々しく頷いた。
「という実験結果からも分かる通り、体質的には完全に猫なので、チョコも危険だと思う」
「は、はあ……危険性は何か物凄くよく分かりました……」

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