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ラバーズ・メディスン


「悩める若人クォーク君! おじさんが君にいい物をあげよう!」
 部隊本部の片隅で、書類に適当に目を通していたその最中、唐突に投げかけられてきた怪しい声に、俺は顔を上げた。
 テーブルを挟んで真向かいに立っていたのはシグルドという同僚のウォリアー。どこぞの英雄のようなご大層な名前の癖に、むさ苦しい山賊みたいなツラをした、四十絡みのおっさんだ。
 岩を荒く削り出したようなごつごつした顔に、子供が見たら泣き出しそうな笑顔を浮かべる男に、俺は胡乱な視線を無遠慮に向ける。
「……何?」
「これだ!」
 いや、何をくれるの、ではなく、一体あんた何言ってるの、って意味だったんだが。
 普段は大剣をぶん回している、これもまた岩の塊のようなごつい手がぬっと目の前に突き出され、ついつい防御反射で手を出してしまう。そんな俺の手のひらに押し付けられたのは何やら赤い液体の入った小瓶だった。
「……何これ」
 一見魔法薬のようだがこんな色の物は見た事がない。ワインにしても少し赤みが鮮やか過ぎる。眉根を寄せてそれを見て、再度シグルドに視線を向けると、その男は何を表現したいのか、不器用に片眼を瞑りながらぐっと親指を立てて見せた。
「ラバーズ・メディスンだ!」
「だから何それ」
 しれっと知らない薬品名を言われたって分からないんだが。ラバーズ・メディスン……恋人達の薬?
 あ。何かちょっと嫌な予感。
「いわゆる媚薬らしいぞ!」
 ……うん。一瞬可愛い語感だと感じもしたけど、ウチの部隊の事だからどうせシモ系だと思ったんだ。
「いらない。結構です。間に合ってます。」
 かん、と音高く小瓶をテーブルに叩きつけ、俺は仕事に戻ろうとした。が。
「はっはっは! 間に合ってないと専らの噂だぞ!?」
「噂って何だよ!?」
 無視すればいいものを、うっかり釣られて声を張り上げてしまった俺は、その瞬間に怒涛の如き後悔に襲われた。あーあーあー。分かってるよ、分かってる。何だよだのと問うまでもなくネタも出所も分かってる。
「新しい恋人と中々上手くヤれてないそうじゃないか。時には薬に頼ったって全然恥ずかしいことじゃないぞ!」
「十分上手くやれてますんでお構いなくッ!」
 性的でない意味ならな!
 ……ってそんなことより一体これはどういう事だ。何で知ってるんだ。サイトや部隊長や噂好きの女どもならいざ知らず、このゴシップに疎い脳筋中年ですら知ってるって事はほぼ部隊員全員に知れ渡ってる状況だぞ経験上。一体何の嫌がらせなんだ。直接殴るだけじゃ飽き足らず、遠隔攻撃まで仕掛けてくるとは部隊長、あいつどれだけ俺の事嫌いなんだ。
 俺はテーブルの上の書類を手早く纏めて席を立った。勿論小瓶は置いていく。これ以上本部にいたら誰に捕まってどんな逆セクハラを受けるか分かったもんじゃない。
 立ち去る俺にシグルドが声を掛けてくる。
「おうい。忘れ物だぞー」
「自分で飲んでろ! 最近若い頃みたいには行かなくなったとかぼやいてたじゃないか!」
 要するにそういう薬なんだろ、知らんけど。
「だからお前にも分けてやろうって……」
「あんたの事情と一緒にするな!」
 シグルドを残した部屋の扉を力いっぱい閉め、それ以上の声を遮った。全く以って腹立たしい。


「あ、おかえりなさいー」
 家に帰った俺をキッチンにいるミナが笑顔で出迎えてくれる。それは俺にとって、何度体験しても泣きたくなる程の安らぎを感じる日常のワンシーンなのだが、何だか今日は別の意味で少し泣きたくなった。
 居間に置いてある、ダイニングテーブルとしても使っているソファセットの真ん中に、何故かさっき見たばかりの赤い小瓶が二つ、鎮座ましましているのが目に入ったのだ。
「……ミナ」
 何のホラーだこれ。テーブルのすぐ傍に呆然と突っ立ってそれを見下ろしていると、振り向いたミナは布巾で手を拭いつつ朗らかに言った。
「ああ、それ? ラバーズ・メディスンっていう媚薬でしょ。サイトさんに貰ったの」
 今度はサイトか。あいつ次会ったらヘビスマの刑。……っていうか。
「媚薬って……、君、意味分かって言ってる?」
 時折色々肝心な所が足りないミナの語彙を心配して問うと、ミナは自信満々に答えた。
「それくらい知ってるわよー。惚れ薬の事でしょ?」
 惚れ薬……? 惚れ薬……なのか?
 完全に的外れとは言い難い返答に、俺は言葉に詰まるが、いやいやいや。広義的には間違ってはいない気もするがニュアンス的なものがきっと大分かなり違う。
 しかしそれをどう説明したものかという新たなる問題を即座に解決する事が出来ずに渋い顔を作っていると、とことことこちらに歩み寄ってきたミナは、俺の懊悩に気づくことなく気楽な仕草でその小瓶を一つ手に取った。
「でも、そんなの飲んだって意味ないのにね」
 透明な瓶の中に入った赤い液体を眼前に翳し、きらきらとランプの光に透かすミナの、その言葉の真意を測りかねて横顔を見ると、彼女は俺の方を向き、俺の顔を下から覗き込むように小首を傾げて微笑んだ。
「だって私もうとっくに、これ以上惚れようがないくらいクォークのこと大好きだもの」
 ――――
 まったく……
 俺は胸の裡だけで天を仰ぐ。
 このお姫様はどこまで無邪気に、俺の理性という砦を攻め続けるんだろう。
 どんなに堅牢な砦だって、攻め続ければいつかは崩壊するって事を彼女はちっとも分かっていない……
 ふと、邪心が一かけら、砦の城壁を越えて転がり落ちてくる。俺はテーブルの上に残る小瓶を手に取ると、蓋を開け、それを呷った。口中に甘さが広がり、飲み下せば喉を熱さが焼いた。一見口当たりがいいので女性にも飲み易そうだがかなり強い酒だ。成程、媚薬ってのはそういう意味かと納得しながら、瓶を両手で持ってほけっと俺を見ていたミナと視線を合わせる。
「美味しいよ」
「美味しいんだ?」
 俺の感想に興味をそそられた目で手の中の瓶を見て、ミナは迷わずに蓋を開け、何の疑いもなく、勢いよく一気に飲み干した。
 そして……、

 見るからに酒に弱そうなミナは想像以上に弱かったらしく秒速で落ちた。中毒を起こしたかと一瞬ならず動揺したが、幸せそうに何やらもにょもにょ言いながら眠っているので多分大丈夫なのだと思う。
 ……えーと。
 いや、何も知らない彼女に本気でナニかしようと思った訳では決してなく、ただちょっと、ほんのちょっぴりいちゃいちゃするきっかけになったらなーとか思っただけなんだけど。流石にこれに手を出したら……駄目……?
 ですよねー……。

【Fin】

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