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彼と彼女と元カノと・後日談


 ミナがその件について思い出したのは翌々日の夜になってからだった。
 夕食に用意した、チーズをふんだんに使ったマカロニグラタンをスプーンで掬い上げた瞬間、何の脈絡もなく頭に浮かんできて、善は急げとばかりに彼女はその場でそれを決めた。
「あ、クォーク。私明日部隊の見学に行ってくるから」
 今まさにスプーンを口へ運ぼうとしていた所で声を掛けられて、意識を会話に持っていかれたクォークは、真っ白い湯気を立てている熱々のそれをつい無防備に口に突っ込んでしまったらしい。
「あっつ!」
 叫んで、でも口に入れたものを出さないように手で覆って耐え凌いだのは流石は熟練のウォリアー……なのは多分関係ない。
 眉間に縦皺を刻んでもごもごと口を動かした彼は、口の中のグラタンをゆっくり咀嚼し嚥下すると、その表情のままミナへ視線を向けた。
「何だって?」
「だから、見学。一昨日言ったでしょう? 部隊に入るって」
「ちょ、ちょっと。その話はもう終わったんじゃなかったの?」
 思いもよらない事を蒸し返されたという感じで、酷く動揺した口調で言って身を乗り出してくるクォークに、ミナはきょとんと首を傾げた。
「どうしてよ。前々から考えてたって言ったじゃない。別にそれは嘘じゃないわよ?」
「ええと……、念の為に聞くけど、ここに住んだまま通うんだよな?」
 更におずおずと尋ねる彼にミナもまた更に首を傾げる。
「だめでしょそれ。そこはちゃんとけじめをつけないと」
 一昨日、ミナが彼にその話を切り出したのは確かに彼の元を離れたいが為だった。その件についてはもう解決していて、ミナにも積極的にこの家を出たいという願望はもうない。が、よく考えたらやはりこのままではまずそうだという現実に気がついたのだ。
「クォークは、家事をちゃんとしてるからいいって言ってくれたけど、部隊に入ったら行動計画がクォークとずれちゃうから、今みたいにはちゃんと家事は出来ないと思うの」
 今はクォークの部隊行動の予定にフリーのミナが合わせているので、彼が首都にいる間はきちんと彼の為に家事を行うことが出来ているが、ミナが部隊に入ったらそうも行かない。しかしクォークは尚も食い下がって来た。
「別にそんなのは構わないよ。ミナだって元々家事が本業じゃないんだし。どうしても気が咎めるっていうなら家賃でも入れてくれればいい。ルームシェアって形にすれば問題ないだろ」
「んー、小規模な部隊だと、首都に拠点を持たずに大陸の砦に常駐している所も結構あるそうで、そういう所に入るのもいいのかなって思ってるんだけど」
「おいおいおい!? 首都にも帰ってこない気か!? そうなったらいつ会えるんだよ!」
「年に何回かは帰ってくると思うよ?」
 補給とかもしなくちゃならないし、もしかしたらもっと頻繁に帰ってくるかも。月一とか。と付け加えて言うと、クォークは本格的に愕然とした顔をしてから、何やら物凄く悲しそうな、哀願するような声を出した。
「……なあ、ミナ、君はもしかして俺の事が好きじゃないのか?」
 そのいかにも哀れましい声の調子とその内容にミナは仰天する。
「ええっ? そ、そんな訳ないじゃない。酷いよクォーク、そんな事言うなんて……」
 抗議の途中でそれがまさに先日、ミナが彼へと向けた疑念と同じものであった事に気がついて、ミナの語尾がごにょごにょと濁った。成程これは傷つくなあと今更ながらに自覚して、スプーンを口に運んで間をごまかしつつ、彼の顔を上目遣いで仰ぎ見るとクォークもまた眉尻を下げながら尋ねてくる。
「君はそんなに長期間俺と会えなくても平気なの?」
「勿論嫌に決まってるわ。だからこそ、ネツァワルに来てから二ヶ月も決心がつかなくて、だらだらとクォークの家に居座っちゃったんだもの。でも、それじゃだめだと思うからこうやって考えてるんじゃない」
「そもそも、何でそれだと駄目だと思うのかがいまいち俺には理解出来ないんだけど。もう今のまま野良だっていいじゃないか別に。どうしても部隊に入りたいならウチに入ればいい。《ベルゼ》はまだ怖い?」
「怖いって事はもうないけど……」
 彼の部隊《ベルゼビュート》は国内外双方から恐ろしげな噂を囁かれている部隊だが、実際に顔を合わせてみれば思いの外気のいい人たちが多い。最初は恐怖の象徴でしかなかった部隊長の女性も、ちゃんと話をしてみれば機知に富んだ会話に知性を窺わせる、理知的な人だった。何より、クォークの事をちゃんと大切に考えてくれていることが態度の端々から分かるから、今のミナは彼女に信頼を寄せている。良い部隊だと思うが、活動方針的にも技量的にもミナにはとても合わないであろう事がネックだ。
「……まあ、ウチに入るのはあんまり君にとっていい選択だとは思わないけどさ」
「元カノがいっぱいいるから?」
 クォークは以前はアイラの他とも結構遊んでいて、どうもその相手は部隊員が多かったらしい。あの後クォークが不承不承にぽつぽつ話してくれた内容を思い出して特に他意もなく訊くと、彼の気配がびきっと音を立てて固まった。「どうしたの?」と目をしばたいたミナを、クォークは苛められた子犬のような瞳で見る。
「君って子は時折本当に容赦なく男心にぐさぐさ刺突剣をぶっ刺してくるよね」
「ええ? 私気にしないって言ったじゃない」
「君が気にしなくても俺は気にするの。……って、俺の言いたかった問題はそっちじゃなく、単に部隊の気質が君とは合わないだろうなって思っただけ」
 目の前の殆ど空になりかけているグラタン皿の隅っこの焦げをスプーンでこそげつつ、クォークは唇を尖らせてぶつぶつと言った。
「……まあ何にせよ、明日何件か部隊を回ってみるわ。もっといい条件の部隊もあるかもしれないし」
 そんなクォークを見ながらあっさりと話の軌道を元に戻して纏め上げるミナに、クォークはさも不服そうな視線を向けたが、それ以上はもう何も言わなかった。



「さて。今日はどこの部隊から見学するんだ?」
 翌朝、朝食を二人で食べた後、出かける準備の為に少しの間自分の部屋の方に篭っていたミナが居間に戻ると、当たり前のように外出の支度を済ませたクォークが既にそこで待っていた。
「え、えーと。クォークもどこかにお出かけかしら?」
 直前の台詞はなんとなく聞かなかったことにしてそう尋ねてみると、クォークは数秒の間、じいっと無表情でミナを見つめた後、極めてわざとらしい笑みを浮かべて見せた。
「うん。一部隊の副隊長として、後学の為に他の部隊ってのも一度くらいは見学しておこうかなって思って」
 普段ならば、流石クォークは勤勉ねー等と呑気な事を思って納得していたかもしれない。が。何故か。どういう訳か。いつもは察しの悪いミナですら、今はその彼の言葉が物凄く信用し難いものであるという事が分かる。
「ちょ、ちょっとクォーク? ついてくる気? ついてきてどうする気?」
 少々引き気味に問うと、クォークは無駄に爽やかな笑みを湛えて誠実な副隊長を装う顔で答える。
「だから、見学だって。他の部隊がどういう方針で活動しているかとか、新規部隊員へどういう処遇を行うのかとか、そういうのを聞いておく事は今後の《ベルゼ》の部隊運営にとっても参考になると思うんだ」
 一般論的には言っていることはおかしくない。おかしくないが……絶対真意は違う所にある。
 クォークの笑顔を胡乱な視線で見つめつつミナは考える。彼はミナが他所の部隊に入る事に反対している。正確には家を出る事に反対しているのだが、ミナの中ではそれはイコールで繋がるので平行線だ。もしかしたら彼は、入隊の邪魔をする為についてくる気なのかもしれない。もし邪魔をするとしたらどういう邪魔をしてくるだろう。わざわざ一緒に出掛けるということは、ミナではなく先方にミナを入隊させる気をなくさせるような何らかのアクションを掛けるつもりかもしれない。
 と、そこで先日の事件を思い出す。全くニュアンスの違う一件ではあるが、他人に、ミナに関わる気を一発でなくさせたアイラのあの発言……
「や、やめてよね? 俺の恋人だからとか変な事言い出して人様を威嚇しないでよね?」
 あの時はクォーク本人がいなくとも、他人がその事実を公開しただけで大の兵士が裸足で逃げ出す程の威嚇となり得たのだ。当人が真っ向からそれを宣言した場合の破壊力はいかばかりか。という直接攻撃力の問題も恐ろしいがそれより何より恥ずかしい。
「んっ?」
 しかしクォークは言われたことが全く分からないとばかりににこやかに首を傾げて見せた。余計怪しい。聡い彼がミナの言いたい事を理解出来ない筈がない。
「まさか本気で言うつもりだった!?」
 戦慄して言うミナに、けれども彼は今度は朗らかに笑って明確に否定した。
「やだなあ。そりゃあミナは俺の彼女だぞって会う人会う人に自慢して回りたいのは山々だけど、そんなのろけみたいな真似、実際にはしないから安心してよ」
「じっ、自慢にはならないと思うなあそれ……」
 考え過ぎならいいんだけど……。幾らなんでも自惚れが過ぎる発想だったかといささか恥ずかしく思って頬を染めつつ、ミナとクォークは連れ立って家を出た。



 ――結論から言うと。
 ミナの発想は一部間違っていたものの大体合っていた。というかもしかしたら、ミナに突っ込まれて急遽修正したという所が実情かもしれない。
「どーも初めまして。《ベルゼビュート》のクォークと言います。この度は俺の大っ切な『弟子』の部隊参加を検討してくれて有難う」
 アポイントメントを取っていた部隊の担当者の意識は、ミナと挨拶を交わす間もずっと、ミナの連れに釘付けだった。それはそうだろう。単なる入隊希望の新参兵が見学しに来たと思っていた筈なのにその付き添いに、ネツァワル国の兵士であればその名を知らぬ者はいないというレベルの有名人が何故かくっついて来ていたらミナだってそっちを見る。ミナと挨拶を終えた担当者にクォークが愛想よく声を掛けると、担当者は閲兵の時のようにびしぃ!と姿勢を正した。
「今日は、こちらの部隊が俺が手塩に掛けて育てた可愛い可愛い弟子を預けるに相応しい所かどうか隅々までガッチリくまなく見定めさせて頂きますんで宜しくお願いしますね?」
 あくまでも穏やかに、にこやかに、けれども部分部分妙に強めの口調で言うクォークに――
「…………すみませんとても当方の部隊でお預かりできる人材ではないようにお見受け致しますので、大変申し訳ないのですが入隊許可をご辞退させて頂いても宜しいでしょうか」
 担当者は、お望みなら土下座なりなんなりしますとでも言いたそうな顔で、何も悪い事などしていないのに即座に謝ってきた。

「恋人を弟子に変えただけじゃない…………」
「んっ?」
 ミナの突っ込みに、やはりクォークは素知らぬ風を装って妙に小気味よく首を傾げるだけだった。

 その日はその後二部隊見学に行ったのだが双方で同じようなやり取りが交わされ、翌日今度は一人で別の部隊を覗いてみようと自宅から通信石で連絡を取った所、少し前は愛想の良かった先方の担当者が何故か物凄く怯えた感じ且つやたらと丁重な口調で来訪自体を断ってきた。
「あはは、門前払い食らっちゃったね」
「……クォークぅ?」
 通信を切り、その内容を報告するよりも先に、最初から会話の内容が分かっていたかのような事を言うクォークを、ミナは横目で睨む。
 昨日の他部隊とのやり取りを何らかのルートで知られてしまったのだろうか。それとももしかして、ミナの知らないうちに彼が直接先方に釘でも刺してきたんだろうか……。それはないと思いたいが、昨日の彼の様子から考えると後者も十分あり得そうで怖い。
 何となく気が抜けてしまって居間のソファにぽふんと腰を下ろすと、向かいに座っていたクォークがわざわざ隣に移動してきて、ミナの肩に腕を回す形で背もたれに手を置いた。その鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な横顔に、ミナはさっきの件は紛れもなく後者なんだという至りたくない確信に至る。
 ――そうか。そうだった。ふと思い出す。ミナがエルソード国兵士として最後に参戦したあの戦場。あの時だって、彼はミナを力ずくで攫って行こうとしたじゃないか。……彼は最初から、こういう無茶苦茶な力技を使う人だった。
「公私混同とか職権乱用とか言うんじゃないの、これ? 幹部がこんな無理を通して、《ベルゼビュート》の評判を地に落とすことになっても知らないんだから」
「半分は俺自身のネームバリューだし、ウチの評判なんか元から底辺を這い蹲ってるさ」
 飄々と受け流すクォークに最早溜息をつくしかない。諦めた顔をして、ミナは彼の肩口にとんと頭を寄せる。
 ミナの融通のきかない頑固さを、力で無理矢理ねじ伏せてしまうずるい男。……でも一番ずるいのは本当は自分であることをミナは知っている。彼の力強い腕に囚われて、彼の思うがままにされている事が本当はこんなにも嬉しいのだから。
 クォークの大きな手にふんわりと頭を撫でられる。ミナはまどろみのような心地よさの中でそっと目を閉じた。

【Fin】

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