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彼と彼女と元カノと




「ハイドが暴かれるのは、前衛のプレッシャーの掛け方が甘いからだ。オットマール、片手は敵の視線を常に自分に集めろ。敵に伏兵の気配を探る余裕を与えるな。それとディー、終盤アイラと撃ち合ってたが、あいつの挑発にいちいち乗るな。馬鹿を見るだけだ」
 低いのによく通る声が、訓練場に凛と響き渡る。
 居並ぶ十数人の兵士の視線が集中するその先で、彼――クォークは端的な言葉で講評を与えている。その言葉を聴く部隊員たちは訓練後の疲労に任せて身体を投げ出したまま、はい、うす、とばらばらに返事をした。今この瞬間に万が一国軍の士官が訓練場を視察しに来ようものなら、「義勇兵とはいえ栄光あるネツァワル軍兵士たる者がなんという」云々と言った感じの小言を即座に頂戴しそうなだらしのないさまだが、彼らの視線だけは酷く真剣である事に、兵卒をどやすことしか頭にない士官は果たして気づく事が出来るだろうか。
 ネツァワルきっての不良部隊と呼ばれることもある《ベルゼビュート》だが、野蛮な実力主義を旨とする彼らだけに、戦闘技術に関する習得意欲は皆おしなべて高い。中でも隊員全員が認める実力者である副隊長、クォークの言ともなれば、疲労困憊していようとも皆真摯に耳を傾ける。
 会議の時とはえらい違いだ――と部隊員たちから一歩だけ下がった所で回復薬を飲みながら、サイトはこっそりと思った。
 かの副隊長閣下殿は、ウォリアーとしての実力に相反するように、《ベルゼビュート》の幹部では他に類を見ない程の穏健派なのだった。部隊の方針を決定する幹部会議では、部隊長を初めとする武闘派の面々が提案する実にアグレッシブな侵攻作戦の阻止に孤軍奮闘する姿がよく見られる(サイトは幹部ではないが、速記が出来るので議事録係としてよく駆り出される)。大抵の場合、数の暴力に負けてそのまま押し流されてしまうのだが、めげずに毎度説得に掛かる健気さは賞賛されてもいい事だろう。
 そういう生真面目な所はやっぱり『彼女』と通じる所があるんだろうなぁ……
 クォークと私生活を共にするとある少女の顔を、サイトはぼんやりと思い浮かべた。大部隊の幹部であり国でも指折りのウォリアーでもあるクォークと比較して、その恋人は酷く地味に見える娘だった。炎の魔法を操るソーサラーではあるが、その戦闘能力は全く特筆に価しないし、性格もどちらかと言えば控え目で目立つという言葉の対極にいるような存在に一見、見える。
 しかしながらその彼女が、戦術判断にかけては的確な予測力と実行力を持っていて、いずれ階級が順当に上がれば表で実働部隊を率いるクォークと双璧をなす裏の司令塔となり得る――と、部隊長が密かに未来図を描いているのをサイトは知っている。
 きっとあの少女は泡を食って固辞しようとするだろうが、彼女にうちの部隊長が押し切れる訳がない。当人たちにとっては余り望まぬ未来だろうが、方向性としては面白い案だとサイトも思う。早く彼らの指揮の元で動いてみたいものである。
 ……そんな空想に耽っていた頭を現実に戻す。クォークと部隊員たちは丁度質疑応答を終えた所で、このまま解散に向かいそうな流れとなっていた。
 と思った瞬間、横合いから流れを変える者が出た。
「クォークさん、もうちょっと確認したい部分があるんで、お時間貰えませんか」
「ん……、ああ、構わない」
 サイトは上司を憐れんで軽く嘆息を漏らした。クォークは喋りながら三回は、訓練場の柱に掛けてある水晶時計を見ている。大方この後恋人とデートでもするつもりだったんだろうに察してやればいいものを、とは思うが口を差し挟んではやらない。
 さて俺は帰りますかね、と胸中で呟きながら訓練用の武具の片付けを始めたサイトの向こうで、クォークが人の輪から何歩か離れ、ポケットから取り出した平べったい手のひら大の石を操作し始めた。遠隔通信に使う魔法道具、通信石だ。軍用の連絡に使う物だが、特定の一個人を呼び出して私用通話する事も可能であるし黙認されている。石の表面を指先でなぞって通話先を指定し、しばし待つと接続したらしくクォークは会話を始めた。
「ああ、ミナ? ごめん、ちょっと予定より遅くなりそうだから先に帰ってて。……うん。……うん? ああ、それは構わないけど」
 鞄の中に装備を仕舞い込みながら何とはなしに一方のみしか聞こえない会話を聞いていると、クォークの視線が一瞬自分の方に向けられた気がして、サイトは顔を上げた。その時にはもう彼の視線はあらぬ方を向いていたが、
「じゃあサイトにでも言っとく。うん、また後で」
 自分の名前がはっきりと口に出されたので気の所為ではないようだ。
「……なんすか?」
 声の調子はごく軽いものだったが、この上司は気楽な声で結構面倒臭い頼みごとをしてくることもあるので要注意だ。少々警戒しつつ尋ねると、クォークは通信石をポケットにしまいながらあっさりとした口調で言った。
「ミナが訓練見学しに来るって言うから、来たら入れてやって。入れたら帰っていいから」
「あ、その程度っすか。了解」
 思わずほっと胸を撫で下ろすと、お前は俺を何だと思ってるんだ、とでも言うような顔をされた。
「もっと仕事したいんならいいぞ、奴らの訓練の手伝いに入っても。丁度短が足りない」
「俺は弓寄りです。遠慮しときます」
 サイトは《ベルゼ》部隊員の中ではやや向上心に欠ける方だ。訓練をサボったりはしないが、居残ってまで特訓したいとも思わない。そもそも僻地での少数戦闘よりも主戦場での集団戦に対応する訓練を主に積んでいて、この訓練で求められる、ハイドからの敵後方の封殺という仕事は不得手だ。
 荷物を持って訓練場の隅に移動して、出入り口脇の壁にもたれて座りながら待機する。参加する気はないが少し眺めて行こうと思った者は他にもいたらしく、女ソーサラーの一団も駄弁りながら端によって場を開けた。それらの視線の先でクォークと数名の部隊員たちは散開し、武技の訓練を再開した。

 それから十分も経たないうち、サイトは訓練場の扉が外から控え目にノックされる音を聞き、ドアを開け、顔を外に覗かせた。
「こんにちは」
 ドアの向こうでは、栗色の髪を顎先の長さで切り揃えた小柄な娘が、彼を目にしてちょっとほっとしたような笑顔を浮かべていた。クォークの恋人のミナだ。
「どもっす。聞いてますよ、どうぞ」
 見ると手に大きな紙袋の荷物を抱えていたのでドアを広く開けてやると、彼女はぺこりとお辞儀して入ってきた。
「買い物帰りっすか?」
 紙袋の中身は生活感に溢れた野菜や果物だった。そこそこ可愛らしい顔立ちをしているのに妙に垢抜けない彼女には妙にしっくり似合うアクセサリーにこっそりと微笑んでしまいつつ尋ねると、ミナは少し気恥ずかしそうに頷いた。
「今日は市民街の方に買い物に来てたから、クォークの訓練の終わりと時間が合うようだったら、一緒に帰ろうって事にしてたの。でも、クォークが訓練してる所見たかったから、無理言って来させて貰っちゃった」
 無理言って、というのは部隊訓練が基本的には部外秘の物である事を知っているからだろう。だが《ベルゼビュート》の場合は部隊員の知己であれば結構オープンだ。そんな事よりもサイトは、このおっとりとした少女がわざわざ野蛮な殴り合いに興味を示すという方に少し驚いた。――彼女も兵士ではあるが、争いごとを好まない性格だと思っていた。
 というような内容をそれとなく訊いてみると、ミナは訓練風景に目を向けたまま少しだけ首を傾げて考えて、呟くように言った。
「私、クォークが戦ってるのを見るの好きよ。殺し合いは好きじゃないけど、強い人が戦ってる姿って凄く格好いいと思う。私がネツァワルに来たのはクォークの事が好きだからだけど、兵士としてのクォークに憧れたからでもあるのよ」
 思いがけず熱っぽい少女の声音を聞きながら、ふとサイトは、ミナがクォークに向ける視線の強さが、彼に教えを請う部隊員たちと同じものである事に気付く。……そう言えば、と思い出した。かつて戦場でクォークが彼女を拾った頃には、彼女は悪い意味で目を瞠るほどの実力者だったが、クォークの指導を受け始めてからはそれでも少しずつその能力を向上させつつあり、何だかんだで現在はまあまあ並のソーサラーと言っていい程度には戦闘技術を身につけているのだという話を。サイトは直接はクォークとミナの訓練を目にした事はないが、この真面目な少女なら、《ベルゼビュート》の部隊員にも匹敵する程の真摯さで取り組んでいるであろうことは疑うべくもない。
「私も訓練、真剣にやってるつもりなんだけどね。人一倍どころか二倍三倍努力してもやっと人並みに行くかどうかで、彼には迷惑をかけて申し訳ないとは思ってるわ」
 サイトの内心の呟きを読んだような言葉が自嘲気味に呟かれ、一瞬彼は声に出してしまったかと動揺したが、単にその前の言葉の続きだったようだ。
 別にあの人は迷惑だなんて思ってないっすよ、とか何かしらのフォローを入れようとしたが気の利いた言葉が出て来ずまごまごしているうちに、ミナが不意に顎を上げて視線の先に注意を向け、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。彼女の見つめる先に視線を移せば、訓練がひと段落ついたらしいクォークが、こちらへと――否、彼女の方へと近づいてくる。
 それに気付くやミナはすぐに立ち上がり、飼い主に呼ばれた子犬のように嬉しさを全身から振りまいて彼の方へと駆けていく。何となく猫属性な少女だと思っていたがこういう従順さは犬っぽい。
 訓練場の壁際にだらりと座ったまま、穏やかに微笑み合う二人の姿をぼんやりと見ながら、サイトは誰にも聞こえない溜息をついた。
 変わったなあ、と思う。ミナではなく、クォークがだ。ミナの事は彼女がこの国に来た二ヶ月程前からしか知らないが、クォークとはかれこれ四年程の付き合いになる。人当たりもそこそこよく友人も慕う者も多い彼が誰かと笑い合っている姿は以前から全く珍しい物ではなかったが、以前の彼の笑い方とは明らかに違う。具体的にどう違うと言われると説明が難しい違いなのだが、以前よりももっと、こう――……
「あ。あれクォークの彼女じゃない? 例の、エルから来た」
 と、唐突に聞こえてきた女の話声が、サイトの思考を遮った。サイトに向けられたものではなく、向こうで女同士で喋っていた部隊員たちの雑談の声だ。壁際で大人しくしていたとはいえ途中入場してきたミナに今の今迄彼女らは気付いていなかったようだが、それは訓練を真剣に見学していたからか、それともお喋りに夢中だったのか。
「へぇ、どれどれ。私ちゃんと見たことないのよね……おお、何かちっちゃい、かわいー。あいつ趣味変わった?」
「だよねー、私も思った。クォークの女って今迄はどっちかって言うと……」
 サイトの思っていた事と内容は違うが、奇しくも彼女たちもクォークに対して「変わった」という感想を抱いているようだ。その言葉を横で聞きながら、サイトもああ、と内心頷いてしまう。そういえばそれについても大分変わったと言える。クォークのこれまでの恋人はサイトの知る限り、例外なくこの《ベルゼビュート》の部隊員だった。この横暴が一塊になってベインワットの片隅にたむろしているような部隊に、ミナのようないかにも儚く可愛らしいタイプの女がいる筈もなく、当然クォークの恋人たる女性も部隊の気質まんまな性格が多かった。中でも直前の彼女だったあの人は最たるもので――
 それについて思い当たった途端。サイトは撤退戦中にサンダーボルトの魔法に撃たれたかの如き強烈な危機感を覚えた。
 がばっと顔を上げ、彼に衝撃を与えた姿を探してざざっと視線を巡らせる。が――その時にはもう既に、サイトの思い浮かべた姿は標的の余りにも近い場所に迫っていた。
「あ」
 談笑していた女性陣の口からも、どこか呆気にとられたような声が漏れる。同時に、
「ハァイ、クォーク」
 クォークの背後に当たる位置から二人の傍に歩み寄っていた一人の女が、奇妙に明るく弾んだ声を彼らにかけた。

 それに対するクォークの反応は、冷静と言えばごく冷静な物だった。サイトはうっかりと直前まで失念していたが、それまでずっと彼女を含んだ一団に稽古をつけていたクォークが、その女の存在に気付いていなかった筈もない。それでも実際に話しかけられるとは思っていなかったらしく、それとなく相手の視線を遮るようにミナの前に立ち、女の方を睨んだ。
「何だよ、アイラ」
 つっけんどんな口調で名前を呼ばれた背の高い女は、整った顔を彩る赤い唇にコケティッシュな笑みを佩き、後ろ手に手を組んで首を伸ばした妙に色気のあるポーズで、クォークが隠そうとしているものをわざわざ覗き込む仕草をした。クォークが明らかに嫌がって眉間に皺を寄せるが、背中に庇われるミナはきょとんとした表情でその女を見つめ返す。
「何よぉ、邪険にすることはないじゃない。その子が新しい彼女でしょ? 紹介してよぉ」
 少し鼻にかかった甘ったるい声は、見事なプロポーションと並ぶ、この女の武器の一つと言えるだろう。無論、女性としての。
 渋面のまま答えを返しあぐねているクォークを背後からミナは見上げ、どういう態度を取るのが適切なのだろうかと僅かに逡巡する様子を見せてから、目の前の恋人の知人に礼を尽くす事に決めたようだった。
「あ、あの、初めまして。火ソーサラーのミナです。ええと、部隊は未所属です。宜しくお願いします」
「アイラよ。《ベルゼビュート》の氷サラ……」
 クォークに半ば視界を遮られながらぺこりと頭を下げるミナに、アイラはにっこりと微笑んで返す。アイラはミナの頭の天辺から足の先までじっくり観察するように眺めてから、変わらない明るい声で付け加えた。
「……で、誰かさんの元カノって奴? 誰かさんが勝手に新しい女作んなきゃ、今もそうだったとは思うけど」
「アイラ!」
 忍耐の限界を超えたかのようにクォークが怒声を張り上げた。ミナは驚愕の表情で彼を見上げたが、当のアイラは平然としたものだった。流し目のような視線で、ちろりとクォークを見上げる。表情を凍らせているクォークに、ふふん、と婀娜っぽい笑みを送ってから、アイラはくるりと背を向けた。
「訓練お疲れさまでしたぁ。お先に失礼しまーす」
 ひらひらと手を振って引き返して行く女を、クォークが睨むように見つめ、その彼の横顔を目を丸く見開いたミナがじっと見上げていた。

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