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いじめに対する後始末




「ほーらおめぇが悠長に様子見しようなんつってっから、横からグリフォンにステーキ掻っ攫われちまう羽目になるんじゃねーか」
「あぁー? 人の所為にするかぁ? お前だってあのネエちゃん、別嬪だけど怖そうだなとか何とか言って尻込みした癖に」
「あ、おねーちゃん、こっちエール二つ追加ー」
 二対二の男女グループが楽しそうに盛り上がるテーブルを尻目に、男ばかりが三人、残念会じみた様相で酒を酌み交わしている。いずれもいかつい体格と顔つきをした、ウォリアーらしき男たちだ。どうやら今日の『狩り』には失敗した事がその様子からは窺える。
 対して首尾良く『狩り』が上手く行った、本日の成功者を羨ましそうに眺めていた男のうちの一人が、少女に視線を止め、にへら、と相好を崩した。
「そっちよかあの子の方がイイな、俺」
「おめーはロリコンかよ」
「ロリコンじゃねえって。よく見ろよ。あの顔立ちで、あんな色っぺえ恰好してるんだぜ。きっとアッチの具合も中々だぜありゃあ」
「まァ、狙い目って感じはするわな、ひひ」
 どこかのキラーマシーンが聞いたならば間違いなく一瞬で縊り殺されていそうな評価を下すが、周囲の客たちはそれぞれ雑談に忙しく、彼らの卑猥な会話を聞き咎める者はいない。
 ――筈であったのだが。
 つまみ代わりに見目麗しい女たちを観賞する男たちのテーブルに、しかし今、かつかつと苛立たしげな音を立て足早に近づいていく足があった。
「ねえ、あなたたち」
 唐突な呼びかけに、男たちは一斉に顔をテーブルの横手に向ける。
「あの子に興味あるなら、ちょっと頼まれごと、してくれない?」

***

 屋台に入ってからかなりの時間が経っていた事に、ミナは天幕に下がる日よけの隙間から差し込む夕日で気がついた。
 ハンターの男たちは話上手でその内容も興味深く、ついつい聞き入ってしまっていた。自分の知らない世界の話はやっぱり聞いていて面白い。また、会話の中に事あるごとにミナやアイラの容姿を褒めそやす台詞を入れて来るのが凄いと思った。アイラに対して言うならばお世辞にもならない言葉だが、アイラばかりを褒めていてはきっとミナに失礼だろうと気を使ってくれたのだろう。ミナはそんな事は気にしないが、話の上手い人たちはそういうささやかな配慮を忘れないものなのだなあとこっそり感嘆していた。ミナは気が効いた会話というのが出来ないので、人の優れた技術は大いに参考にしていきたい。
 ミナが外に視線を向けた事で、男のうちの一人もミナが時間を気にし始めた事に気付いたようだった。先程から手に持つ飲み物を軽めのアルコールに変えていた連れを肘でつついて合図を送る。
「ああ、もうこんな時間か。なあ、俺たち今晩はこの砦に泊まらせて貰うんだけどさ、とっておきのヴィネル産のワインがあるんだよ。部屋に遊びにおいでよ」
「……そぉねぇー」
 アイラはまたも迷っている様子だったが、ミナはここでおいとまするつもりだった。多分、警戒任務に出たクォークも、今日中には帰ってくる筈だ。ちゃんと出迎えて直接お疲れ様と言いたい。
 その旨を告げると、男たちは別れを惜しんでくれているのか、残念そうな声を口々に上げた。
「何だー、彼氏持ちかぁ。ま、そりゃそうだよなー」
「彼氏帰って来るまでいーじゃん? え? 駄目? ひゅー、愛されてんなー彼氏。羨ましいぜ」
 そんな冷やかしに、ミナは頬を染める。アイラはまだもう少し男たちと一緒にいる事にしたようで、ミナは先に屋台を後にした。

「ふー……」
 少し火照った顔を手扇で扇ぎながら、ミナは兵舎への帰路を歩んでいた。
 ミナはアルコールは飲んではいなかったが、興味深い話を興奮して聞いていたので身体は熱を持っていた。――世の中には色々な職業があるものだ。ミナは学校を卒業してからすぐに兵士として戦場に出るようになったので、それ以外の仕事というのはした事がなかった。兵士以外の仕事をしてみたいと具体的に思った事も余りなかったのだが、こうやって話を聞いてみると興味が湧いて来る。魔物が隠し持つ貴重な鉱石を求めて大陸を放浪した話には、子供の頃、母親に枕元で物語を読み聞かせて貰った時のように胸が熱くなった。そんな心躍る冒険をミナも一度はしてみたいと思う。ソーサラーには向かないというのが残念だけれども。
 ……そんな感想を述べたら、アイラが非常に意外そうな顔をした。アイラにとってそれは、ミナの印象からはかけ離れた感想であったようだ。しかしミナは、アイラが思っている程大人しい娘ではないと自分では思っている。というか、《ベルゼビュート》の人たちは、ミナの事を現実以上にお淑やかだと思い込んでいるふしがある。《ベルゼビュート》の人たちの豪快さに比べれば、確かにミナなど大人しいものだとは思うし、料理と裁縫が趣味と言えばそう見えるのかもしれないが、別に取り立てて女の子らしい性格ではない……筈だ。ただちょっとどんくさいだけで。
 徒然とそんな事を考えながら、ミナは一回へくちっと小さくくしゃみをした。夜の帳が落ちつつある時刻の空気は冷たく、歩いているうちに頭を満たしていた熱気は次第に寒さに入れ換わって来ていた。余り冬には相応しくない薄手の装備の露出した腕をさすりながら(魔法防御はある程度は寒気すらも遮るようで、本当に素肌でいる程寒くはないのだが)兵舎に戻る足を速めた所で、不意に遠くから「すいませーん」と声を掛けられた。
「はい?」
 歩みを止めて振り向いたミナの前に、三人の男たちが駆け寄って来た。見た事のない顔だが、いずれもウォリアーのように体格がよく、いかつい顔立ちの男たちだ。先程の二人組と同じハンターだろうか。
「すいません、物資の搬入を頼まれたんですけど、倉庫ってどちらの方にありましたかね?」
 しかしその強面に似合わない猫を撫でるような声で話しかけて来る。
「食料品ですか? あ、武器? こっちです。どうぞ」
 にこりと愛想よく笑って倉庫へと爪先を向ける。先導する少女の後を、男たちはぞろぞろと続いた。
 ミナの視界の外で、男たちが顔を見合わせてにやりとほくそ笑む。
 夕暮れの薄闇の中であった事も災いして、荷物の搬入を頼まれたという男たちの誰ひとりとして、そんな荷物など所持していない事にミナは気付いていなかった。

***

「……アイラ! お前、何やってるんだよ!」
 砦の中をふらふらと、見知らぬ男たちと機嫌良く歩いていたアイラを見つけ、クォークは怒号を上げた。アイラの左右に侍る男たちは、いきなり叩きつけられた怒声に驚いてびくっと身体を硬直させたが、アイラ自身は気圧された様子もなく、のんびりと顔を向けた。
「おー、ちゃんと生きて戻って来たかー」
「当り前だろ。警戒任務なんてつまらない出撃で命なんて落としてたまるか。そんな事よりミナはどうした」
「ん? 先に兵舎に帰ったわよ」
「いなかった。こっちに来てるって言われたから来たんだよ」
 苛々としたクォークの声に、アイラの柳眉がほんの少しだけひそめられる。
「……寄り道してるんじゃない? 戻ったの、そんなに前じゃないから」
「寄り道って言ったって、砦の中だぞ。露店だって昼間見て回ったんだろ」
「心配性ねえ。あんたの言う通り、砦の中なんだから別に危険はないでしょ。いくら今日は外部の人間が多いからって、一人でうろついてた所で取って食われやしないわよ」
「取って食われる直前みたいな状態の癖して何言ってるんだ」
 唸りつつ、クォークがアイラを囲む二人の男をじろりと睨むと、本職の兵士の迫力に怯んだ男たちは引き攣った笑いを浮かべた。が、やはりアイラは平然としたものである。
「失礼なー。私が取って食うのよ」
 けろりとそんな事を言い、しかしその表情をやや真剣な物にして、左右の男たちに顔を向けた。
「……あんたらの同業であんたら以上に手癖悪いのっている?」
「あ、ひっでぇ。俺ら紳士じゃん」
 肩を撫でる男の手を、アイラは然程気を悪くした風もなくぺしんと叩く。男はその手を「いてて」と振りつつ、少し声を低めて呟いた。
「でもぶっちゃけ、俺らみたいに綺麗な兵士のお姉さんを引っかけようとしてる奴はいると思うぜ。手癖も……褒められた奴の方が少ねえし。とはいえいくらあの世慣れてない可愛いお嬢ちゃんでも」
 男の台詞の途中でクォークが、犬歯を剥き出しにした狼のような目で睨む。
「あ? 何、人の女を慣れ慣れしく可愛いとか言っ」「面倒くせえ所でキレて話遮んなアホ」
 すかさずアイラが脛に蹴りをかまし、クォークの視線にかアイラの挙動にか、怯える男に「で?」と促す。
「……かのお嬢様でも、まさか知らねえ野郎についてくような真似はしねえと思うけど……、ただあの恰好だしなあ、男の目は引くかも」
「恰好?」
「その件は置いといて」
 またお前は何かしたのか、と険悪な眼差しを向けるクォークからは視線を外し、アイラは考え込むように腕を組んだ。
「って言ってもミナちゃんが自分から男の誘いに乗るって事もないだろうし、いつだかみたいな妙な絡まれ方は、流石にここじゃあされないだろうし。余程特殊な意図を持って悪意を向けられない限り危険は……」
 言いかけた所で、アイラの声が途切れる。女の端正な顔からこれまでのような余裕の笑みが消えた事にクォークは気付いた。
「アイラ?」
「悪意を向けて来そうな奴はいる、か……。でも、いやまさか、流石に、ねぇ……」
 と、独りごちる口調でアイラが呟いたその声を――
 唐突に、どんっ! と、どこからか響いた鈍い衝撃音が遮った。
「何!?」
 兵士としての反射で、攻撃性を感じるその音に危機感を覚えてアイラは周囲に意識を振り向ける。彼女にはその音の発生源を察知する事は出来なかったが、人よりも数段鋭敏な感覚を有するクォークは、その一瞬で方向を定め、駆け出していた。
「ミナちゃん?」
 ハンターの男たちをその場に置き、クォークの後に続いて走りながら、アイラは問うた。それに顔を向けることなく、クォークは答える。
「分からない。が、多分魔法……フリージングウェイブだ」
 クォークは、既に判明している目的地に向かうような迷いのなさで疾走する。通路の角を曲がる時すら殆ど速度が落ちない。それにアイラはたたらを踏みつつも黙って追随する。彼が目指す方向に疑問をぶつける愚は犯さなかった。こと戦闘に関わる件で、この男がそうだと言うならそうなのだ。戦いの場に於いては、この男の勘はいかなる事実よりも信頼出来る。
 クォークの横顔を斜め後ろから見て、そこから先程まで見せていたような焦燥が抜け落ちている事にアイラは気付いた。彼が浮かべる表情には、一見した所、焦りも怒りもない。――間違いなく、気が狂いそうな程にそれらの感情に駆られている筈だと言うのに、ただただ彼が見せるのは硝子玉のような、冷徹で空虚な瞳だった。
 その、静謐であるとさえ言える男の表情を見ながらアイラは人知れず唾を呑む。さながらそれは、炸裂する直前の、必殺の威力が極限まで凝縮された魔法の火球のようだった。

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