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いじめに対する後始末




 砦の廊下を歩いていると、小うるさい子犬の鳴き声が突如飛び込んできて、アイラは片方の耳に指を突っ込みつつ、何とはなしに窓の外を見た。
 小うるさい子犬というのは比喩表現で、実際は小うるさい小娘どもの喚き散らす声である。子供の喚き声かとも一瞬思ったが、この中央大陸の激戦区域でそんな声を聞くことは少ない。中央大陸にも集落は存在し、場所によっては砦の中に地元の商人が訪れる事もあるが、長らく激戦地帯となっているこのオリオン近辺の村落は、その多くが放棄されて久しく兵士と魔物のみが跋扈する廃墟と成り果てていて、訪れる民間人はせいぜいが各地の砦や前線を巡る隊商くらいのものだ。全く、正義も何もあったものではない世の中である。色とりどりのご立派な旗を掲げる各国の軍勢など、住民にとってはどれも皆等しく、畑を荒らす害獣以外の何物でもないのだろう。
 まあ、そんな細かいことはどうでもいい。……もしかしたらそんなに細かくないかもしれないが興味がないので置いといて、目下心惹かれる対象である騒動の発生源を目で探し、程なく見つけておやとその目を見開いた。
 建物の丁度陰になる、昼間でも薄暗い倉庫前にいたのは四人の少女たちだった。状況も踏まえて言うならば、三人と一人、と表現すべきか。一人の少女の前に、三人の少女が半円状に立ちはだかって相手をそこに足止めし、喚いたり睨んだりを当番制であるかのように代わる代わる繰り返している。しかしアイラを瞠目せしめたのは人目のつかない物陰に人を呼び出して吊るし上げなんて古風な事を今時やる人いるんだあという事実の方ではなく、吊るし上げられている少女が顔見知りであった事の方だった。ろくに反論もしていなかったので気が付かなかったが、それは親しい友人と言っていい少女、ミナだった。
(おやおやぁ?)
 薄情にも、友人が苛められていることによる憤慨よりも興味の方が勝り、アイラは静観を続行した。
 一体どうしてこんな事になっているのか。
 ミナ単体のみを見ればごくごく平凡で大人しい少女であるし、その割に色々と嫉妬を受ける要素もあるので、聞えよがしに陰口を叩かれる事もあるとは知ってはいたのだが、まさか強力無比な後ろ盾を持つ彼女を面と向かっていびる兵士がこの国に存在するとは思ってもみなかった。彼女の持つ後ろ盾は、国外の敵にこそ弱点と見做されて、彼女の身に危険が及んだ事も実際にあったが、国内では誰もが恐れおののいて近づく事すら憚られるくらいの威光を放つ完全無欠な防御壁であると思っていたのだが。
 とりあえず、窓枠に肘をつき、状況を把握せんと耳障りなばかりの騒音を人語として解する努力をしてみる。
「だから何とか言ったらどうなのよ、売女っ」
 ……おお何とも直截な罵倒語。
 どうもその後ろ盾に関する不服申し立てのようである。勇気あるなあ。
 命知らずな女兵士たちの蛮勇に少々感心しながら、ミナの方に視線を移す。三人の女たちは何とか言ったらどうなのなどと言いつつ相手に反論の機会など与えるつもりはないようで、息つく間もなく罵詈雑言をまくし立てている。対して口のうまくないミナは案の定、口を挟むタイミングが全く掴めないようでおろおろと困っている。……困ってはいたが、怯えているという風ではない。きゃんきゃんと喚き立てられ首を縮める様子は萎縮している風にも見えるが、あれは単に大声にびっくりしているだけだろう。多少難しい顔で相手の形相を見つめているのは不満ですらなく、恐らくは三つの口で矢継ぎ早に並べ立てられる文句をどうにか整理して相手の主張を理解しようとする真摯さだ。全く真面目な少女である。
 だが相手は、真っ向から自分らを凝視してくる少女の態度がお気に召さなかったらしく、より一層ヒートアップする。……するわな。
「何よその目は! 文句があるならはっきりと言えば!?」
 少女らの一人がそう言ってミナの肩をどんと突き、ミナの小柄な身体が一歩後ろによろめいた。悪意を持って睨んでいるつもりは全くなかったらしいミナは、直接攻撃よりもその主張の方に面食らった様子で、困惑がその表情に広がる。その困り果てた様子が、相手にささやかな勝利感情と更なる苛立ちを与えてしまうと言うのに、そんな無防備に内心を曝け出しちゃ駄目じゃないのさほんとにもう愛い奴め。
「ほんと、あんたみたいなどんくさいのがよくクォーク様を誑かせたものね!」
 様(笑)。ガチな信者っているんだなー。
「馬鹿なだけで可愛がられるなんて人生得よねー」
「あーあー私も馬鹿になりたーい」
 大丈夫。あんたら十分馬鹿だから。
 なーんてストレートな皮肉は多分あの人の好い少女の頭にはこれっぽっちも思い浮かばないのだろう。
 困ったように眉を寄せていたミナは、漸く唇を開いた。
「私は確かに馬鹿かもしれないですけど、別にクォークは私が馬鹿だから付き合ってくれている訳じゃないと……」
 まあ正論だが、何の役にも立たない反論だ。
「馬鹿だからじゃないなら、身体で落としたって認めるって事よね、この恥知らず!」
 どうしてそうなる。
 ああ言えばこう言うを斜め上の路線で突き進む三人の少女らに流石のミナも辟易し始めた様子で、どーしたらいーのかなーとばかりに視線を泳がせ始めた。と、その目が偶然こちらを向き、気楽に観戦しているアイラにようやっと気付いた。
 ん、どうする? 助けて欲しい? いつも手作りのおやつ貰ってるし助けてあげないこともないよ?
 という視線の意味は非言語情報から相手の心情を察する訓練を行っていない少女には読み取れなかったらしいが、その代わり、少女は三人の女どもが気付かない程ささやかに、アイラに一つアイコンタクトを送ってきた。
 曰く、
『あ、こんにちは』
 ……こ、この状況でこんにちはされたー!!
 思わずぶふぅっと声に出して噴き出してしまい、その途端三人の女たちが飛び上がらんばかりの勢いでこちらを振り向いた。あ、人に見られたらまずい行為をしている自覚はあったのね。
 アイラは今たまたま通りがかったような何食わぬ顔をしてそちらに声を投げかけた。
「何か声がしてたみたいだけど、何してんの?」
「か、下級兵に対する指導です」
 へー。三人がかりで人目のつかない所で一人を取り囲んでかー。……という面倒ないびりはしない。ミナちゃん、助けてくれとは言わなかったしね。
「んじゃ、それが終わったらその下級兵に、奥の倉庫から訓練用の杖二本、ウチの部屋まで持って来るように言っておいて」
「は、はい! すぐさま」
 言うや否や、女らは顎で居丈高に行きなさいよ、という指示をミナに与え、ミナの方は三人にご丁寧にもぺこりと一礼してから踵を返して走り出した。

「よくあんの、ああいうこと」
 言い付けた通りに訓練用の杖を持ってきたミナにアイラが尋ねると、少女は儚げに、困ったような曖昧な笑顔を浮かべた。
「ああー……、ええと、たまに」
 あるのか。《ベルゼビュート》の威光って、そんなに過信してはいけない物なのかもしれない。
「クォークには?」
 続けて尋ねた瞬間、女どもに詰め寄られても困りこそすれ怯んではいなかったミナの顔が急に、何かを恐れるようにびくっと強張った。なにそのリアクション、と目で問うと、ミナは頬を強張らせたまま、非常に言いにくそうに呟きを漏らす。
「……ええと、その、サイトさんは、曲がりなりにも《ベルゼビュート》の部隊員だったんですよ」
 何でここでサイト? 首を傾げるアイラに、ミナは続ける。
「……サイトさんならクォークの猛攻もある程度の時間は凌げると思うんですけど……私とそう大して腕前が違わないような女の子だと。その。クォークに本気出されたら。制止する間もなく死ぬ?」
 ……ああ、そう言えばあいつ、ちょっと前にミナにちょっかいをかけたサイトに凄絶な死の恐怖を与えつつボコったらしいね。アイラは指先でこめかみを押さえた。相手が男だろうと女だろうと下級の兵士だろうと、ミナに仇なすものに対しては一切の情けをかけず、無表情なツラで平等に抹殺するクォークの姿が……アイラと付き合っていた頃には想像も出来なかったそんな姿が、何故か今は容易に想像出来る。つい先日も、自分に好意を寄せていた女にミナとのラブシーンを見せつけるという極悪非道な手段で、一筋の希望も与えず綺麗さっぱり振ったそうだし。まさに『ネツのキラーマシーン』の名に恥じぬ残虐非道っぷりである。
 まあそれはそれとして。
「あの子らもどっかの部隊に所属してるんでしょ? 部隊長経由でちょっと釘刺してもらう事は出来ると思うよ?」
 ならばと別の手段を伝えるが、ミナは困り顔で逡巡して、けれども遠慮がちに首を横に振って見せた。
「ああ……いえ。そこまでする必要もないと思います。彼女たちが文句を言いたくなる気持ちも分からないではないから……」
 その言葉にアイラは眉を寄せる。この子の悪い癖がまた出た、と思う。
 クォークも、自分がミナには相応しくない考えている節があるが、ミナもまた、自分の事を何も出来ないつまらない人間で、クォークの恋人として釣り合わないと信じ込んでいる部分がある。本当に、変な所ばっかり似た者同士だ。
 戦闘能力なんか男と女の間に関係なんぞある訳ないとクォークだって説明している筈なのに、意外と頑なな彼女は一切聞かない。実体験としてアイラ自身、強いからなどという理由でモテたことなど一度もない。
 大体、彼女が苦手としている戦闘に関する分野だって、彼女はそこまで卑下しなくてはならないような兵士ではない。白兵戦に関しては、訓練を重ねて大分マシになったとはいえせいぜい十人並みだが、こと状況分析にかけては非常に優秀な能力を発揮する。
 以前クノーラ雪原へ進攻した時だったが、《ベルゼビュート》はやや珍しいE3地点崖下に自軍拠点を造営した事があった。布陣図を一目見るやミナはHラインの崖から敵軍は絶対にキマイラを出して来る、と即座に予言した。その後、言葉に違わず敵軍はその後、まさにその通りのルートでキマイラを召喚し、それに対応すべく予めナイトを出していたミナは遥か遠くからマップ上の光点だけでそれを察知し一騎でさっさと撃退したのだから大したものだった。
 何より感嘆したのは、そこまで分かっていたのに何でセオリー通りに敵拠点間近で警戒していなかったの、という問いへの回答だった。曰く、多分この戦場では自軍より召喚されるナイトはごく僅かだと見積もられるので、警戒に逆に警戒されて予想外の手段を取られたり、護衛を量産される危険を犯すよりは、自軍拠点の間近まで接近される事になっても、わざと甘い隙を見せて油断させ、想定内のルートで出撃させてそれを迎撃した方が確実だから、との事だった。要するに、召喚戦に不得手な《ベルゼビュート》の尻拭いの為である。頭が上がらないとはこの事だ。
 ……これで一体何を引け目に感じる事があるんだか。アイラはそう思わずにはいられない。
「ミナちゃんね。いじめを一人で我慢したって偉くもなんともないわよ。嫌がらせする人をいい気にさせるだけにしかなんないんだから、ちゃんと毅然と対処しなさい」
「あー、うー。はい。我慢出来なくなったら、クォークにやり返して貰います」
 言わないんだろうなあ。単なる自己犠牲の精神というよりは、卑下と自己否定から来る自信のなさが、相手の言葉に正当性を感じさせてしまっているのだ。
 あーもう、本当にしょうがない子なんだからこの子はっ!
 さっきは苛められている現場を放置しようとしておいて何だが、これ以上エスカレートするさまを見るのは本意ではない。とはいえよく考えればアイラやクォークが鶴の一声を発しても、事態は一時は沈静化するかもしれないが、根本的な解決にはならない。同じ階級にある義勇兵たちの中でミナが孤立しかねない。ミナ自身の意識改革が必要である。
「おっけー、ミナちゃん。お姉さんがいっちょミナちゃんを鍛え直してあげる」
「? あ、ありがとうございます」
 アイラの思考の流れがよく掴めなかったらしい少女は首を傾げながらも、善意に対して礼を言う。アイラはうんうんと頷きながら、戦闘中と同じくらいに頭をフル回転させてプランを練り始めた。

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