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17


 ぱし、と、乾いた小さな音が耳に届く。
 薄氷が割れるかのような、何かが少しずつ軋んで行くかのような、微かな微かな、
 終わりの、音。

 少しずつ、城の破壊が進んでいるのか。暫く前から低い振動や爆発音が、徐々にその間隔を狭めつつ断続的に感じられるようになってきていた。
 今もまた一つ、上階の方で何かが崩れ落ちる音。
 続く、確かな揺れ。
 堅牢な筈の天井が、ぱらぱらと砂粒を落とす。
 クォークもまた、部隊長と同様にミナの直感は無条件で信じるに足ると確信していたので、元より疑いを持っていた訳ではないが、この状況になれば彼女の事を知らない者でもその言葉は正しかったのだと悟る事が出来るだろう。
 ――若干乱れていた呼吸を整える為に、クォークは一度、深く息を吐いた。
 顎下に温く伝わる皮膚感覚。これは汗か流血か。
「少し、動きにキレがなくなってきたようね、クー?」
 からかうような声音に、クォークは目前の女の顔に意識を向ける。
 敵の息にはいまだ乱れはないようだ。
「おかしな薬をキメてる人とは違ってね。普通の人間は疲労ってものを感じるように出来ているんだ」
 クォークの嫌味に、少将はころころと少女のように笑った。
「大丈夫よ。たとえ疲労を感じることがなくなっても、私が厳密に体調管理して常に最高のパフォーマンスを行使できるようにしてあげるから」
「勧誘は諦めたんじゃなかったのかよ。呆れを通り越していっそ感動する。……というか、俺ら共々自爆するつもりだったんじゃなかったのか? まだそんな夢物語を語るのか」
 訝しく思いつつ尋ねると、少将はきょとんとした顔で目を瞬いた。しかしすぐに合点が入ったように、表情を苦笑に変える。
「ああ……そうね。自壊装置を起動したのだったわね。ふふ、もうお終いなのだったわ。忘れていたわ」
(……本当に自爆する気だったのか)
 これは、声に出さずに呟く。
 もしかしたら、この女は近くに秘密の退却路を確保していて、いざとなればそれを用いて撤退するつもりで、この状況に及んでも悠長に攻撃を仕掛けてきているのか、と少し期待していたのだが。当てが外れた。
「お終いにするんだったら人を巻き込むなよ。俺とミナは撤収するからここで一人で死んでくれ」
「あら。《ベルゼビュート》の立場として私を野放しにしてしまっていいのかしら? 始末するにしてもきちんと最期を見届けないと拙いのではなくて? ……万一、生きて逃がしてしまったら、きっと後々、ずうっと大変な事が続いてしまうわよ?」
「ミナの命と天秤にかける程の事じゃない」
 歌うような脅しの言葉と共に、少将の細腕から重い一撃が繰り出される。それを凌ぎつつ、クォークは淡々と返答する。少将の言葉は全くその通りで、クォーク自身の希望としても是非この場で後腐れなくケリをつけておきたいというのが本音だが、さりとて引き際を見誤ってまで固執する程の望みではない。
 クォークの答えに、少将は目と口を半月のように歪める。もうそれは、笑顔と言っていい表情にはとても思えなかった。
「うふふ。そうね。あなたならそう言うと思ったわ。でもダメよ。言ったでしょう、私の大切な宝物は誰にも渡さないって。私のクー。私の大切なお人形。あなたは私のものよ。ずっと前からそう決まっているの。誰にも、渡さない」
 嗤うような、魘されたような、こびりつくような、そんな声で少将は告げる。一つの声音に対して考え浮かぶ感想としては散漫に過ぎる、関連の薄い言葉の群れである気はしたが、それらを全て煉り合せた声というのが感覚的には近い。
 めきょ、という何とも言えない異音が、向き合う少将の身体から聞こえた。
 見る限りでは、彼女の肉体に特段の変化が起こった様子はなかった。しかし、それを境に少将の振るう斧が、その速度を早めた。
「…………っ」
 篠突く雨の如く、少将の戦斧が降り注いでくる。
 まるで、無数の刃が同時に襲い掛かってくるかような圧力だ。敵の獲物がフェンサーの細剣であるならば、或いはこれ程までの連撃も可能かとも思えるが、一振り一振りに渾身の力を込めねばならぬ重量級の両手斧で繰り出せる速度ではない。
 捌き切れない。
 防御し損ねた分厚い鋼鉄の刃が、魔法が付与された装備の守備力すら貫通し肉を抉り骨を掠める。しかし構わず、クォークは足を踏み混んだ。無理矢理敵の懐に押し入って、少将の眼前に迫る。
 前髪が触れる程の距離に肉薄する。
 最早本来の戦斧の間合いではない。技術ではなく、ただ力のみで斬り込んできたクォークに、少将は薄く嗤った。今の少将が相手では、膂力での勝負においてクォークに勝ち目など無い。それは少将も理解する所であろう。無謀な勝負に挑んできた敵に対し彼女は、勝利を確信して笑みを浮かべていた。
 少将が斧を振るう。……だがしかし、如何せん間合いが近すぎた。斧刃はクォークの背を掠め、柄のみが彼の肩口を強かに打つ。
 強烈な鈍器での一撃が、クォークの鎖骨を砕く。
 これでは、両手斧を振るう事は最早不可能。少将の笑みが深まる。

 本来の彼女であれば寧ろ、かつての部下はこうも意味なく無謀な真似をする男ではないと、警戒心が働く場面であっただろうに。

 クォークは、己の獲物である長柄の両手斧を片手で携え、短射程の武器の如く胸元に、限界まで引き付けていた。それを――
 零距離まで接近した、その瞬間。斧の先端、鋭利な斧頭を、刺突剣のように突き出した。

 ぱし、と。
 まるで硬質で繊細な、何かの結晶を手折るかのような音が響く。
 ぱし、ぴし、
 広がるように、絶え間なく、その音は続く。
 少将の胸元――そこに深々と突き刺さった戦斧の穂先を中心に、放射状のひびが音を立て、見る間に広がっていく。
 やがて――
 高らかな破砕音を上げ、内から爆散するように、彼女の身体は、弾けた。



 少将の肩口と胸の中間あたりに深々と穿たれた傷は、明らかな致命傷であった。傷、というより最早穴と言っていい。夥しい量の鮮血が、その穴のみならず、蜘蛛の巣の網目の如く千々に裂けた全身の皮膚から、どくどくと流れ出ている。
 けれども彼女は、斃れることなく両の足で未だ、立っていた。
 微動だにすることなく佇立するその様子からは、意識があるのか、息があるのかすら定かではなかったが。
「どれだけ薬物で身体能力を高めても、所詮人間という器には限界があるって事なんだろうな」
 その姿を横目で見やりながら、クォークは独り言のように、呟く。
 自身の肩口に指先で触れる。目の前の少将程ではないが、深手と言っていい傷を負っていることを認めて、しかし淡々と言葉を続ける。
「まずは認知能力の低下が見られ始める。受け答えに違和感を生じるんだ。そして意識を生贄にするかのように、身体能力が爆発的に高まる。それを、少しずつ振れ幅を大きくしながら何度も繰り返して、徐々に壊れて行き、ついには限界を超え、終局を迎える。それこそ風船が爆ぜ割れるように。そうやって人間が壊れ行く様は何度も見せられた。あんただって、同じデータは十分に得ていたんだろうに。何故その副作用を解決してもいないのに、こんな馬鹿げた薬なんて使ったんだ」
「……結局、この薬が現段階でも一番効果的だったからよ」
 思いの外、はっきりとした声で返されて、クォークは改めて少将に視線を向けた。あの一撃で絶命せしめたとは思っていなかったが、まともな返答が出来るとは正直思っていなかった。この段階で、そこまで清明な意識を保っていることが出来た被験体は、クォークの知る限りではいなかったように思う。
「そういえば、覚悟、とか何とか言っていたっけな。……分からないな。何があんたをそこまで駆り立てるのか」
 クォークの呟きに、ふふ、と、少将の口から笑声が漏れる。
「嘘ね。今のあなたは知っている筈だわ。大切なものの為なら悪魔に魂を売る事だって出来るのだと。私の望みはより多くの人々の真なる平和。全てのか弱き者達の永遠の救済」
「神にでもなるつもりか。馬鹿馬鹿しい」
 嘲るようにクォークは言う。と、その言葉に異議でもあるかのように、ふらりと少将が足を踏み出してきた。
 しかし、最早先程までのような速度はない。
 クォークは、己の血で真っ赤に染まった肩を少し後ろに下げ、少将に対し半身に構え直す。彼もまた、深手を負ってはいた、が――
 かつん。
 放り捨てた空の小瓶が、床に跳ねる。
 意味もなく、即ち回復の時間稼ぎ程度の理由もなく、刺せるとどめも刺さずに無駄話などする筈が無い。
「安心しろよ。あんたがいなくたって、そう簡単に人間は戦争をやめたりなんてしないさ。あんたの望む通りにな」
 辛うじて、物を掴める程度に回復してきた両手で、斧の柄を握り締め、
「あんた一人の背中で背負い込める程、この世界は小さくない」
 横一閃に振るった刃が、少将の胴を上下に断ち割った。

 二つに分かたれ床に落ちた少将は、驚くべきことにまだ息があった。大量の血液が咲かせる深紅の花の中、這うように、ずるりと腕を動かす。
 クォークは無感情に血の海に足を進め、斧を再度振り上げる。
「ただ一度きりの情けだ。介錯してやる」
「ま……だ……よ……ッ!!」
 生命の残滓を絞り出すような呻きが上がるのと同時に、少将の身体が青白い輝きを放った。
 その光は、ここまでの秘匿された研究とは異なり、メルファリアの兵士であれば誰しもが見慣れたものであった。これは、召喚儀式の反応光。
 二つに分かたれたうちの上半身の方に、クリスタルが生み出した輝きが収束していく。
 上半身だけだった身体が光の中で変形し、五体満足な女の身体に作り替えられる。長大な角と蝙蝠の羽根を持つ、青白い皮膚をした妖艶な女悪魔の姿。
「それは……召喚獣リリス? 今更何を」
 ふわり、と宙に浮かび上がるその人ならぬ姿を見、しかし訝しく思ってクォークは呟く。この『リリス』は、主に味方支援の強化魔法を使う召喚獣だ。そこそこに強力な魔法攻撃も行ってはくるが、どちらかと言えば主戦場でこそ生きるタイプの能力で、正直な所、一対一で対戦して後れを取るような相手ではない。
 召喚獣については大して詳しくないクォークですら、この場面でこれはないと思うような選択である。この少将は、何を思ってこの召喚を選んだのか。死を間際にして錯乱でもしていたのだろうか……
 そう思っていると、『リリス』が唐突に雄たけびを上げた。女悪魔の口から獣じみた咆哮が響き渡る。途端、ぐらり、と酩酊でもしたかのように平衡感覚が狂う。
 クォークは思いもよらぬ攻撃に驚きつつも、その音波をやり過ごそうと片耳を抑えた。『リリス』が使う筈のない魔法。漸く意味が理解出来た。
「これはボルテックスのイリーウェイブじゃないか。成程、今度はそういう手品」
 多芸な事だな、と呆れにも似た賞賛の念を覚える。
 この分であれば、他にも様々な召喚獣のスキルを持っていても不思議ではない。
 そう思う間に、再度、『リリス』は吠える。今度はキマイラのブリザードブレスだ。
 未だボルテックスの混乱効果が残ってはいたが、これは慣れさえあればどうにでもなる。だが、キマイラのスキルは発動が早い。
 猛吹雪が、狂ったように広範囲に吹き散らされ、氷の縛鎖がクォークの足を地に縛める。
 クォークとてのんびりと真正面から食らいたかった訳ではないが、召喚獣の攻撃は軒並み攻撃範囲が広く、正直回避は試みるだけ無駄というスキルも多い。これもまたその手の攻撃だ。この間合いで繰り出されては中々に対処が難しい。
 敵前で、氷結による足止め。戦場であれば割と危機感を感じる状況だ。だが、……
「けど、本当に最後の最後の手段が、よりにもよって召喚獣か……何というか」

 多分、薬によって視野の狭まっていた少将は気付いていなかった。
 暫く前からずっと、ミナの姿がここに無かったことに。
 その、意味に。

「あんたの懸念は正しかったよ。やっぱり彼女はあんたの天敵だったみたいだ」

 高らかに響く蹄の音。
 高く跳躍し舞い降りてくる、巨大な馬影。
 重量感のある着地と共に繰り出された槍での一撃が、『リリス』を背中から刺し貫いていた。

「がぁあアぁ…………!?」
 そんな、獣のような絶叫が、振り向きざまに女の口から迸った。
 やはり通常の召喚獣とは勝手が違うのか。本来は召喚状態でも人語を話す事ができる筈なのだが。
 その証左に、ミナの声が、頭上高くから降ってくる。巨馬に跨り剛槍を携える鎧の武人の姿をした召喚獣……ナイトの姿から。
「えっ、何故って。そこにクリスタルがあったから」
 ただその第一声の文脈が、クォークには瞬時には理解出来なかった。一体ミナは誰と会話をしているんだろう、と疑問を覚えたが、どうやらその相手は少将であるらしい。先の少将の絶叫をミナは、何故、という問いかけとして受け止めたようだった。
 その解釈が正しいものであったのかどうかは、分からないが――
 深傷を負った『リリス』は、ミナの言葉に応えることなく、雷撃を放った。これもキマイラの技だ。しかしミナが操るナイトは素早く移動し、直撃を避ける。
 そしてすぐさま踏み込み、再度、槍を突き出した。
 ナイトの槍は肉体ではなく魂を貫く。正しく言えば、現世に呼び出された実体なき召喚獣と、その依代たる召喚者との繋がりを断つ……らしい。ともあれ、その長大な馬上槍による一閃は、歩兵に対してはそよ風程度の衝撃しか与えることはないが、召喚獣にとっては――
「……ッギャあああアあぁぁ!!!」
 耳をつんざくけたたましい声が、その槍が与える絶大なダメージの程をこれ以上なく表していた。
 『リリス』は、浮遊する身体をぐらぐらと不安定に傾げながらも、ミナに攻撃を放ち続ける。炎。不可視の刃。氷。通常では考えられない技の連打ではあったが、ミナの操るナイトはその悉くを華麗に躱し、隙の少ない槍使いで淡々と、確実に、敵の命を削っていく。
 召喚獣が、彼女から剥がれていくのに従ってか――
 彼女の、獣のようだった声が、少しずつピントを合わせるように、人のそれへと戻ってくる。
「……ガ、ア、ァあ。どぃ。ひどい。酷いわ。理不尽よぉ……っ」
 泣いているような、笑っているような、そんな表情が女悪魔の顔に浮かぶ。
 あの、貌は。
 少将のそれとは造形の違う女の顔に浮かぶ、その貌は。
 絶望に直面した人間が、もう一切打つ手なしと本能的に悟った末にしばしば浮かべる表情であると、クォークはよく見知っていた。
 その、哀れな叫びを耳にして。心優しいミナが、ここで敵に情けをかけてしまうのではないか、と、彼はふと思った。
 けれど、クォークの心配をよそに、裏方に従事する彼女は、真の意味で兵士であったようだった。
「そうね。理不尽だわ。だって戦争だもの」
 波風の一切立たない澄んだ湖面のような声で告げ、ミナは敵の身体の中心に、槍を振り下ろした。



 ゴゴゴゴ、と、音を立てて城全体が揺れている。
 ミナに貫かれた『リリス』は、地に崩れ落ちるのと同時に召喚状態が解除され、後に残ったのは少将の上半身のみだった。
 ぴくりとも動くことなく、床に落ちている。
 最早対応は不要と判断し、クォークはその姿から視線を外した。
「ミナ」
 代わりに、騎士に目を向ける。
「……さっきからいないなとは思ってたけど、この最前線でクリ掘りとは。流石は裏方千人長」
「褒めても何も出ないわよ」
 皮肉と受け取ったのか、或いは素なのか。クォークの称賛にミナは衒いもなくそう返した。
 先程、マップが開放された時、この戦闘実験室に程近い別室に、大クリスタルが秘匿されている事は確認していたので、戦闘の途中から姿が見えなくなっていたミナがそちらへ向かったという可能性は考慮には入っていたのだが。本当に掘ってた上に何と召喚まで用意してくるとは。
 ――などと感嘆しつつ見ていると。
 不意に、召喚時のような前触れもなく、ナイトの巨体がふっと空に溶け消え、すとんと小柄なミナが落ちてきた。
「あれ、解けちゃった。あのまま逃げれたら良かったのに」
 意図的な解除ではなかったようだ。城の崩壊に伴い、魔法装置に不具合が生じたのかもしれない。
「取り敢えず、脱出しよう」
 クォークが促すと、ミナはこくりと頷いてから、一旦、後ろを振り返った。つられて、クォークも一瞥を向ける。
 女の上半身はやはりもう、動く様子はない。
 それだけを確認し、クォークは出入口に向けて走り出した。



「くそ、ここも駄目か。相変わらずしょうがない穴倉だな、ベインワットは」
 戦闘実験室を出て、来た通路を逆に辿って階段を降り、城の大広間までは作りの頑丈さ故かまだ良かったものの、更に先に進んで見えてきた旧市街の様相は、壊滅的なものだった。
 市街地はかつて放棄されたまま、特に利用されてはいなかったのだろう。かつて街中を照らしていた壁の篝も長らく使われた様子はなく、明かりひとつない暗闇だったので、即席の松明を作ってミナに魔法で火をつけてもらい、照らし出してみたのだが――天井も壁面も洞窟内に造られた建物も、あらゆる所が崩壊し、その地形を大幅に変更させていた。落盤が通路を塞ぎ、所によっては地面まで抜けて、黒々とした奈落が口を開けているような有様である。市街地には元々、崩落が起きた時の為の細い枝道が多くあるのでどうにか外周近くまでは出る事が出来たのだが、あと少しの所で完全に足止めを食らってしまった。
 揺れが一層、激しさを増す。
 いよいよなのかもしれない。
「クォーク」
「……本来のあいつの目的は王城内部の証拠隠滅の筈だ。市街地までをも完全破壊するような準備はしてないと思う。取り敢えず崩壊がひと段落するまで頑丈そうな退避路で待機しよう」
 クォークは、暗い洞窟の天井を仰ぎ、止むを得ずそう決断した。
 天井を支える梁が一番密で頑丈そうに見える辺りに場所を決め、松明を消し、ミナを抱えて隅に屈み込む。ふと思い立って、着ていたコートを脱ぎ、自分とミナに頭から覆い被せた。見た目はただの布地とはいえ、それこそ巨岩の如き両手槌の一撃にも耐える魔法の防具なのだから、気休め程度の効果はあるだろう。
 暗く狭いコートの下で、顔をすぐ傍に寄せたミナが、クォークの肩に腕を回し、耳元に囁いた。
「大丈夫。私、運はいい方だから。助かるよ。絶対」
 自分も恐ろしい筈なのに、クォークを勇気づけようとそんな健気なことを言う愛らしい少女に、つい顔が綻ぶ。
「……俺は不運な方だと思ってたけど、ここまでどうにか生きて来られたんだから、実はいい方なのかもな」
「そうよ。だから大丈夫」
「そうか。ミナが言うなら大丈夫だな」
 くすくすと、全く視界の効かない中、吐息がかかる程の距離で笑い合う。柔らかな空気に目を細めながら、クォークはそっと囁いた。
「ミナ。キスしよう」
「こんなに揺れてたら歯が当たったりして危なそうだからだめ」
「そんな色気の無いキスの断り方初めて聞いた」
「その代わり。ぎゅー」
 言ってミナは、言葉通りにしっかりと、クォークにしがみついて来る。暗闇の中でも確かな、小さくて温かなその身体を、クォークもまた包み込むように抱き締める。
 雷鳴じみたひときわの大音響が、強い震動を伴って肌を叩いた。落下感を感じる程の強烈な縦揺れが二人を襲う。がつん、と肩に強い衝撃を覚え、クォークはミナを包む腕に力を込める。ウォリアー用の特に強靭な魔法装備を纏ってこの威力を感じるとなると、ミナのソーサラー用の装備では心許ない。
 大小の礫が間断なく降り注いで来る。回復薬によって塞がりかけていた傷が、恐らく開いたようだと気づいたが、クォークの腕が緩むことはない。例え、岩盤に押し潰されたとしても、奈落に突き落とされて叩き潰されて、一欠片の肉片になったとしても、最後まで、彼女だけは。

 落下感というよりも、浮遊感。
 虚無の淵に放り込まれたような、頼りない感覚が全身を包み、
 やがて鼓膜を突き破る程の轟音と身体を粉砕せんばかりの衝撃が、同時に襲い掛かってきた。

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