- PREV - INDEX - NEXT -



14


 《ベルゼビュート》側の事態に対する反応は、クォークですら舌を巻く程に迅速だった。
 特異な発砲音から一瞬にして武技の種類を判別した部隊長が、手の振り一つで指示を送る。それに応え、最前列のウォリアーが一斉に横にずれ、背後に素早く下がる。その影から現れたのは弓を構えたスカウト隊だった。
「撃てーッ!」
 部隊長が巻いた勅書を指揮杖代わりに、白煙の向こうの敵に突き付け叫ぶ。既に射撃準備を完了していたスカウト隊は一糸の乱れもなく矢を斉射した。
 その、長年行動を共にしてきた仲間たちの行動を見、クォークもまた迅速に己の成すべき事を判断する。
「ミナ、走るぞ」
 呼び掛けるのと同時にミナの腕を掴むと、クォークは宣言通り、飛んで行く矢と同じ方角に躊躇なく走り出した。
「えっ!?」
 弾幕の中を突き進もうという彼の指示にぎょっとしたらしいミナが、驚愕の声を上げる。仲間の撃った矢で蜂の巣にされかねない、と、普通は思うのだろう。しかしクォークは何の迷いもなく返す。
「攻撃と同時に上がらなきゃ意味がない。大丈夫。ウチに身内の背中を撃つようなヘボはいないさ」
 一頭の獣が己の手足の動きに疑念を抱かぬのと同じように、互いの技量を無条件に信頼する。《ベルゼビュート》にとっては、このクォークの思考こそが『普通』なのだ。
 漸く、徐々に白煙が晴れて来る。あちらも進撃を開始していたらしく、隠されていた敵の姿は初期位置よりもかなり近くなった地点に見えた。すかさず、部隊長の次なる命令が飛んだ。
「フォーメーション・んゆー☆!」
「んゆーーーーーーーーーーーー☆」
 ふざけているとしか思えない号令に、スカウト隊が男女問わず、気味の悪い鼻にかかった声で即応し、それを掛け声にして武技を放つ。ピアッシングシュート。精神力の限りを込めて放たれる颶風を纏った矢が、場に残る白煙を吹き散らした。
「その様式美はやめろ」
 前を向いたまま、クォークは後に続く味方たちに苦言を呈する。普段の戦場と同じように。如何なる時でも、どんな敵と相対しても、洒落を忘れず、戯言を紡ぎながら、命がけで遊ぶ。――全く、たちの悪い身内たちだ。
「露払いは任せておけ」
 そんな声が、クォークの耳に届いた。或いはそれは肉声ではなかったかもしれない。
 けれども、ピアッシングシュート、味方の血路を開くこの武技こそが、どんな言葉よりも雄弁に部隊長以下、《ベルゼビュート》の総意をクォークに伝えていた。
 白煙で視界を遮られていたとはいえ、真正面から撃たれる見え見えのピアッシングシュートに引っかかる敵はいなかったようだ。全員、回避に成功している。しかし、敵が攻撃を避ける事によってそこに兵力の空白地帯が生まれていた。その味方が開けてくれた空隙に滑り込むように、クォークは敵集団の中を疾駆する。雑兵どもに用はない。用があるのはただ一人。
 左右の景色と共に高速で後ろに流れていく敵兵たちを無視し、煙と兵士の防壁を抜け切ったその先に、しかし先程までいた少将の姿はなかった。それを少しクォークは訝しく思う。この場所から姿を消したとなればその先に位置する階段から撤退したに違いないのだが、あの女が保身を考えて一人撤退するとも思えない。
 ――誘っているのか? なら、一度くらいは追いかけてやろうじゃないか。
 逃走と追跡の立場が逆になった事実を認識し、口の端を少し上げる程度の笑みを浮かべたクォークは、ミナを連れ、そのまま足を止めずに階段を駆け上がった。

「皆は大丈夫かしら」
 階段を登りきり、続く廊下を走りながら、ミナは最早誰の姿も見えない背後を不安げに振り返っておずおずと囁いた。背後からの追撃はなかった。少将の指示か、《ベルゼビュート》への対応でそれどころではないのか。
「大丈夫だろ。人数は勝ってたみたいだし」
 ミナの不安に対し、クォークは興味のない声で返す。告げた自分の声を聞いて、少し薄情に聞こえただろうかと何となく考えたが、事実、下の仲間たちの事についてはあまり心配していないのだから仕方がない。
 ざっと見た所、《ベルゼビュート》側も部隊全員ではなく、厳選したメンバーで乗り込んできたようだった。具体的に言えば去年の武技大会出場陣に弓スカウトを加えた陣容だ。敵の人数よりも僅かにではあったが多かったように見えた。人数勝ちしている戦場で、白兵戦にて《ベルゼビュート》が敗北を喫した事は、クォークが知る限りはない。
 仲間たちの事は頭の隅に追いやり、空いたスペースに記憶の中にある地図を広げる。大元、ここが王城であった頃、貴族の執務室として使われていた部屋の多くは今は研究室となっているようだった。少将個人はその中でも大臣が使っていた格式の高い部屋を使用していた。彼女が今その研究室に向かったという確証はないが、ここで行われている一連の実験が国王の意に反する事であるなら、他の研究員や研究資料を押さえる事も十分有効である筈だ。
 先程は息を殺して逃走していた王城内を、今度は姿を隠す事なく走る。岩盤をくりぬいて築かれた無骨で堅牢な廊下に、遠くから、戦場の喧噪に似た音が伝わって来るのが分かる。恐らく、正面突入部隊に加わらなかったメンバーによって王城内の制圧作戦が同時に開始されたのだろう。四方八方から攻め入って来る《ベルゼビュート》部隊員を相手取りながら資料の隠蔽を図る事は相当に困難な仕事であるに違いない。形勢は、逆転したとまで言えるかどうかは不明だが、当初よりは大分こちら側に傾きつつある。
 ――さて、どうする? 少将殿?
 無論、届く筈はないが、クォークはいずことも知れぬ少将に向けてせせら笑いに乗せた思念を送る。
 ――誘っているんだろう?
 ――誘っている癖に現れないのなら、遠慮なく足元から切り崩しにかかるけど?
 その、無音の声が届いた、という訳ではないのだろうが。
 進んでいた廊下の突き当たりに見える扉が、二人を招き入れようとしているかのように、ひとりでにゆっくりと開いて行くのが目に飛び込んできた。
「お。ゴールはあそこかな?」
 短い声を上げ、クォークが軽く興味を示すと、後に続いて来るミナが少し泡を食ったような声を上げる。
「ク、クォーク、罠かも」
「あれだけあからさまなご招待に何を今更」
 クォークはそのまま躊躇することなく、示された扉の中に駆け込んだ。



 視界が、大きく開ける。
 野外のような煌々とした照明に照らし出される、広く、無駄な物は何もないがらんとした一室であった。
「ここ、は」
「戦闘実験室。ここしばらくの間、ひたすらここで召喚獣とかと戦わされたよ」
 入室するより先にクォークは気付いていた事であったが、少将によって用意された次なる舞台は、施設にいる間何度となく戦闘試験が行われた部屋の一つであった。これまでの戦闘試験に於いては、レイスやキマイラ、先日のデーモンといったような対人戦闘用召喚獣が相手であったので、部屋に飛び込んだ瞬間アイスバインドの一つも飛んでくるかと注意していたのだが、少なくともその瞬間に二人に攻撃が浴びせかけられる事はなかった。
 上階には戦闘の様子を観察出来るように、クリスタルガラスで仕切られた研究者たちの席が設えられている。しかし今はそこには誰の姿もなく、招待者は広い空間の中央で二人の客を待ち受けていた。
「よく来てくれたわね、クー」
「そりゃ、あの場面で逃げられたら立場的に追わざるを得ないだろ」
 部隊長が少将の逮捕令状を取ってきたのはクォーク救出の為に部隊を動かす口実に違いないが、それが正式な書類である以上、《ベルゼビュート》には容疑者を確保する義務が生じている。クォークは軽口を叩きながらも抜かりなく敵対者の武装を確認した。彼女の手には先程の銃はなく、クォークの愛用する武器に似た、長柄の両手斧が握られている。
「スカウトに転職したのかと思ったが違ったのか。銃も斧も使いこなすとは器用なおばさんだな」
 クォークが揶揄混じりの感想を漏らすと、少将は気を悪くした様子もなく笑い、手の中の斧を羽根ペンでも扱うかのようにいとも簡単に持ち上げて見せた。
「伊達に歳は重ねていないということかしらね」
「戦う気があるならさっきの場所でよかったじゃないか。わざわざこんな奥まった場所に誘い込むなんてまだるっこしい事をしないでも」
「折角、久々にクーの成長を直接確かめられる機会なのに、他の人から余計な茶々を入れられたくないもの」
 そんな、雑談じみた会話をする間もクォークは仔細に周辺状況の観察を続けていた。というよりも、その為に会話を引き延ばしていると言っていい。周囲には隠れる場所もなく、ハイドの武技や国軍の隠蔽装備で姿を隠す兵の気配もない。上階の様子は確認し難いが、嵌められているクリスタルガラスはキマイラのライトニングブレスを受けても砕けない強度があるので、そちらからの襲撃は心配する必要はないだろう。
 そこまで見定めて、クォークは意味のない会話を終了する事にした。代わってミナに短く指示を出す。
「ミナ。出入口の警戒を頼む」
「分かったわ」
 目の前の敵との戦闘に参加せず警戒に徹しろという指示を、ミナは兵士として正しく判断し、迷わず承諾した。味方の背中を守るというその任務も十分に重要で、尚且つ困難であるという事は理解しているようだ。いつ敵が飛び出してくるとも知れない出入口を一人きりで警戒するのは、彼女には中々難しい筈である。そしてクォークにも、自分の教官でもあったこの女との一対一の勝負を繰り広げながら彼女へのフォローに意識を払う余裕は恐らく生まれない。
 ミナは緊張の面持ちで、クォークの後ろで詠唱体勢に入る。同時にクォークは斧を構え、少将に向け走り出した。
 平らかな床を滑るように駆け抜け、瞬く間に敵を斧の間合いに捕らえる。横凪ぎに振るわれるクォークの技を認め、流水の如き滑らかさで振り上げられた少将の斧が、瀑布に転じて叩き下ろされた。
 二振りの戦斧が激しく激突する。鋼と鋼が奏でる硬質な音が、衝撃波じみた残響を周囲に撒き散らす。
(重い……)
 表情を一切変えず、クォークは思う。
 噛み合う刃越しに彼を見つめるその眼を、少将は楽しそうに細めた。

- PREV - INDEX - NEXT -