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どうも高台を取られたようだ。
敵方による大魔法ジャッジメントレイでの攻撃報告を受け、クォークは瞬時後方を見やるも、すぐさま正面から迫る敵ウォリアー集団に視線を戻した。
霧に紛れて周辺の地形は視認し難いが、この辺りは起伏の激しい複雑な地形をしている。敵のエルソード国部隊は《ベルゼビュート》の猛攻から逃れつつも、攻撃に有利な位置である高台の制圧を成功させていたようだった。《ベルゼビュート》には高低差のある地形での攻撃に有利な雷魔法使いはいないので、高台の占拠を部隊長は策に含まなかったが、相手に雷ソーサラーがいるなら進言していれば良かった。……などと今更思っても後の祭であるが。
「クォーク、ソーサラー隊の方に戻るか?」
ごつい大盾と手斧を構えた同僚の中年兵士が、そんな甘言を囁いて来る。丁度、雷撃が降り注いだのはミナたちソーサラー隊が配置されていた辺りだ。深刻な被害が出たという報告はまだないが、攻撃はこれだけでは済まないだろう。魔法の中でも最長の射程を誇る雷魔法は、専ら同じソーサラーを潰す為に使われる。
心配ではないとは言わない。出来れば戻ってこの身を盾にして庇ってやりたい。しかしクォークは、二度は振り返らずに返答する。
「ウォリアーの俺が行って好転する状況じゃない。高台は、今部隊長がスカウト隊に制圧指示を出したからいずれ沈黙するだろう。こっちに余裕がある訳でもないんだ、余所見するな」
「おお意外と冷静じゃねーか」
クォークは会話相手に顔を向けていなかったが、返ってきた声は明らかににやにやとした笑みの気配が感じられるものだった。全くたちの悪い。それで人を試したつもりかこの中年は。
「つまらない事を言ってる暇があるんなら、ちょっと攻める切っ掛け作りに敵軍のど真ん中に突っ込んでこい中年。猪突猛進だけがあんたの取り柄だろ」
「だけとか言うな! あと考えなしみたいにも言うな! 俺だって突っ込む時と場合くらい考えてんだよっ!」
軽口じみた応酬を続けながらも一切の隙を作らない二人のウォリアーは、部隊の先陣に立ち、競い合うように敵軍の中に斬り込んで行った。
「ソーサラー隊、E5北西ルートから離脱、敵魔法攻撃の射程範囲を迂回し、Dラインにて合流する」
部隊長との通信を終えた通信石をポケットにしまいながら、アイラはパーティメンバーに指示を飛ばした。部隊全体の行動方針を決定するのは後方で采配を振るう部隊長だが、それを実現させる為の具体的な判断は現場の分隊長――このパーティの場合はアイラに委ねられている。部隊長の指示は、ウォリアーのパーティは防御力と機動力を生かしそのまま敵魔法の射程内を強行突破し前衛と合流し、装甲に難のあるソーサラー隊は進路変更して回避、その後合流するという内容だった。一時的に互いの支援がなくなる事にはなるが、消耗を最小限に抑えることが狙いだろう。
「順次、再詠唱開始。先の攻撃で被弾した者は回復薬を飲んどきな」
付近に敵影がない事を確認し一旦足を止め、アイラはパーティメンバーを見回して言った。
ソーサラーは多種多様な魔法を使いこなし、攻撃にも防衛にも長けた兵ではあるが、最大と言っていい弱点が『詠唱切れ』だ。中級以上のソーサラーの魔法を用いるには、予め魔法の力を高め、全身に充満させる『詠唱』という儀式を行っておかなければならない。しかしこの『詠唱』状態は時間が経つと効力が解除されてしまうのだ。非詠唱状態のソーサラーが使える魔法はたかが知れているし、再度呪文を唱えている間は全くの無防備になる為、もし敵前で詠唱切れを起こしてしまったら目も当てられない。一旦儀式を行えば熟練のソーサラーならば一、二時間はもつものではあるが、こうして機会があれば積極的に再詠唱を行っておくのがソーサラーとしての常識だ。
ミナも再度戦闘に入る為の準備を行い、ざっと装備を整え直して隊列に戻る。再出発の指示はすぐに発せられた。
クォークが先頭に立つ前衛部隊とは四十五度程向きを違える方角に、一行は直進する。霧の中は音の伝わり方も違うのか、主戦場から微かに伝わって来る剣戟の音も出所の掴み難い物となっている。遠いような、近いような。視界の悪さと相俟って、五感が捉える感覚は夢の中での出来事のように曖昧だった。勿論、そんな環境であろうと今回この分隊のリーダーを任されているアイラが方向を見失う事はなく、彼女は霧の中に目を光らせながら、ゆっくりと確実に隊を先導していた。
――刹那。
そのアイラが突如、電光の如き早さで魔法杖を振り抜いた。白濁した景色の一点がかっと煌めき、霧よりも尚白い雷撃の一閃が落ちる。純白の雷光に打たれ、潜んでいた敵兵士が声もなく気配を現し、声もなく倒れ込む。
伏兵だ!
――という分かり切った事実を口にする者はなく、その代わりに響いてきたのは、
「ウェイブ!」
端的な、魔法の名称だった。その声にミナは咄嗟に反応し、思考するよりも早く氷魔法フリージングウェイブを放った。術者を中心とする円環状の冷気の颶風が左右を囲む藪を薙ぎ払い、その向こうに何かしらの手ごたえを感じた。見ると、かなり至近にまで迫っていた敵兵が風圧に弾き出されていく姿が目に映り、背中に冷や汗を感じる。剣の間合いには辛うじて入っていなかったが、危機一髪という距離だ。
装備と接近の手法からすると、敵はスカウトであるようだった。スカウトは強制的に詠唱切れを起こさせるパワーブレイクなどといった厄介な武技を使う、ミナたちソーサラーの天敵となり得る相手だ。
ソーサラーの一団と見て、仕掛けて来たのか。奇襲にまんまと嵌っていれば命はなかったであろうが、仕掛けた相手が《ベルゼビュート》きってのハイドサーチの名手であるアイラ率いるパーティであったというのが敵にとっても不運だった。そして他の《ベルゼビュート》部隊員たちも、苦手の敵と相対したからとて恐怖に駆られ身を竦ませるような惰弱な兵ではない。
更に――
っゆん!
弓が風を切るささやかな音に続いて、とす、というやはりささやかな標的を射抜く音がミナの耳に届いた。ミナが今しがたフリージングウェイブで弾き飛ばし、丁度身を起こした所であった敵兵が、今度こそ力を失い草むらの中に仰向けに消えゆく。その眉間には、赤い矢羽のついた真っ直ぐなシャフトが、一輪差しの花のように突き立っていた。倒れた敵から見て、ミナを挟んだ丁度反対側に当たる位置で、淡々とサイトが次の矢を矢筒から抜き出し弓に番えていた。このアイラ隊はソーサラー主体のパーティだが、伏兵の存在を見越し、スカウトの一部を密かに護衛として付けていたのだ。
「援護します。攻撃を」
強弓を引き絞りながら言う心強い味方にミナは頷き、向かい来る敵へと杖を構えた。
「うふふ。流石は《ベルゼビュート》。期待通りの働きだわ」
部隊長と同じ通信に耳を傾け戦況を見守る少将が、弾んだ声で賞賛するのを部隊長は黙したまま聞いていた。この部隊間通信とは別に私兵とやらを経由した独自の通信網も持っているのかも知れないが、現状で入手し得る情報にそう大差はあるまい。
違う点があるとすれば、恐らく、既に持っている情報の方だ。
手のひらにある通信石にじっと視線を落としつつも、部隊長は意識だけを、背後の上機嫌な女に向ける。
――何を、考えている?
無論、少将からは、部隊長を始めとする《ベルゼビュート》に対する攻撃の意思は微塵も感じられない。この将官が表しているのは、至って純粋かつ無垢な、配下の働きに対する賞賛だ。
だが……だと言うのに、背後の女から感じるのは、まるで敵に背中を取られたかのような、鋭利な刃物を突き付けられているかのような、肌をひりつかせる気配。
どこからどこまでが企みであるのか。まさか、この女がわざわざエルソード兵をこの地に引き入れたという事はないだろうが……
中々腹の内を見せない隙のない相手ではあるが、少将は一つだけ明らかなミスを犯している。身内である筈の《ベルゼビュート》に対し、確実に一つは嘘をついている、という確信を与えるというミスを。
ミーティングで公開した今回の作戦に関する情報について少将は、『情報部が掴んだ』と言っていたが、それは有り得ないのだった。何故ならば、《ベルゼビュート》は国軍情報部には伝手がある。情報部が掴んだ情報は大抵のものならば《ベルゼビュート》は入手出来るのだ。しかも『砦攻略を目的として自国支配領域に潜入してきた敵』の情報など、国軍としても本来ならば隠蔽などせず、寧ろ積極的に義勇兵部隊に告げて対処に向かわせる類のものだ。《ベルゼビュート》が掴めない訳がない。
何が嘘であるのか。情報源の方か、はたまた敵の正体に関する方か。こちらを欺くその意図は。
クォークの傍にはシグルドを、ミナの傍には最前線から下げる事の出来ないクォークに代わりアイラとサイトをつかせているが、果たしてこれで足りるか。
極風の冷気を全身に浴びているような心地で、しかし身じろぎもせずにいる部隊長に、少将は背後から柔らかな微笑みを投げかけた。
「新手か」
敵スカウトと交戦しながらも、アイラは視線を一瞬だけ横合いに向け、口中で独りごちた。まだ間合いが遠い為か、殺気という程の敵意は感じないが、敵スカウト隊とはまた更に別に、森の奥に蟠る気配を察知する。高台に雷ソーサラーを振り分けた上にまだ伏せる兵があったとは。エルソードは思った以上の規模でこの地に侵入してきたようだった。……うちの国軍は一体何をしているんだ。直接的な対処はともかく、敵の動向の監視と侵入の阻止は義勇兵部隊ではなく国軍の仕事ではないか。
軽く舌を打ちつつ、配下の兵に指示を送る。方針は変えずまずは敵スカウト隊の対処を優先する。新手の敵には、接近されるよりも先にこちらからスカウトを送り込んで先手を取りたい衝動に駆られるが、連れている味方スカウトは数が少なく、この状況で分散するのは悪手であると考えを改めた。
僅かな味方同士、背中を護り合えるよう、極力密集した陣形を崩さないようにアイラは隊を動かす。
そうして最大限の努力を尽くす中、少しずつ一団から遅れ始めている者がある事に彼女はまだ気付いていなかった。
「ひゃっ!?」
遠くから射られてきた矢が鼻先を掠め、ミナはたたらを踏んで後方に回避した。辛くも命中せずには済んだが、先程から断続的に、恐ろしく遠くからかなりの精度で矢を射かけられている。……紛れもなく、ミナは狙い撃ちにされていた。この一団の中でミナが断トツでのろまな兵士である事は敵の目にも明らかであるという事だろうか。
「ミナさんっ」
クォークか部隊長に言いつけられているのか、ミナが隊列から遅れる度、サイトが足を止めて声を掛けてくる。そしてそれ以上の攻撃が彼女に向かないよう応射してミナをフォローしているので、必然的に彼まで後れを取る事になってしまう。
「サイトさん、はぐれちゃうわ。先に行って」
もし、万が一犠牲になるとしても、それは実力不相応にこの部隊について来た自分だけがなるべきだ。サイトまで巻き込む訳にはいかない。しかしその言葉にサイトは矢を番えながら苦笑して見せた。
「ミナさんを置いて自分だけ本隊に合流したらその方が命が危ういっす。クォークさんに殺されますよ」
軽快な射出音が言葉の末尾に被り、矢が疾る。霧の向こうに消えゆく矢の行方は、恐らくサイト自身にも預かり知らない所だろう。悲鳴という形での明確な手応えはない。一矢の元に止めを刺せば、悲鳴も上がりようがないが。
しかし敵側からも返礼とばかりに矢が飛んでくる。赤い炎を鏃に纏い、円弧の軌道を描いて飛んでくる矢はブレイズショットだ。直撃は何とか避けたもののミナの足元を掠めるようにして落ちた矢から小爆発が起こり、その爆圧に足を取られてミナが転倒する。
「きゃ……っ」
「ミナさん!」
サイトが近づいて来ようとする音が聞こえるが、それを遮るように、更なる火矢が射かけられて来る。火焔に炙られた手足がひりひりする。火の粉から顔を庇って腕で顔を覆うミナは、その狭まった視界の端に、ゆらりと黒い影が映り込んだ事に気付いた。
「クォーク?」
少し遠目の木立の合間。こちらからは離れるように進んで行こうとする兵士の姿を見て、ミナは咄嗟にそう呟いた。
霧に紛れて顔貌までは確認出来ない。ただ、装備と背格好はよく似ているように思えた。そして何より、空気が似ている。強く、逞しく、揺るぎないものである筈なのに、どこか空漠とした、時折、目を離したら消えてしまうのではないかと不安になってしまう、彼の持つ独特の空気。
その、彼に似た気配が。
ミナたちを攻撃している敵に向かっていくかのように、木立の向こうに溶け消えた。
「だ……だめっ!」
矢が放たれる頻度から、ミナを狙う敵兵はどう見積もっても数人はいる。いくらクォークでも一人で向かってただで済む訳がない。
前方から飛んできた火矢を転がるようにして避け、立ち上がると、ミナは無我夢中でそれを追いかけて走り出した。
「えっ!? ミ、ミナさん!? どこいくんすか!」
背後から聞こえるサイトの驚愕の声は、霧にかき消されるようにしてすぐに遠くなった。