- PREV - INDEX - NEXT -






 昨日より今日。
 今日より明日。
 少しずつ、でも、確実に、私の想いは膨らんで行く。
 遠くから見ていたあの時よりも、ずっと。ずっと。
 彼の傍にいると、嬉しくて。胸の辺りがほんわかと暖かくて。でもちょっぴりきゅんと切なくて。
 日々がただただ薔薇色の幸せに満ちていて。

「クォークさんって、……彼女、いるんだよ」
「え……?」
 ――そんな時に聞かされた友達の言葉は、浮かれ切っていた私の頭に、兜の上から鈍器で殴られたような衝撃で響いた。

 部隊に入隊してからの初めての休暇日。早速、元の部隊の友人たちと連絡を取ってカフェでのお茶会を取り付けた私は、うきうきと《ベルゼビュート》に於ける新生活の――主にクォークさんについての話をし始めた。訓練初日からの親切で丁寧な彼。入隊二日目で、早速個人訓練の機会を得られた事。そして、その日盗み聞きしてしまった、アイラさんとの会話……
 自慢したいとかそういう意味じゃなくて、どっちかと言うと、何もかも私の独り善がりな可能性がもしあるのならそれを注意してもらえるかなって事を期待したのだ。私って、結構自分一人で突っ走っちゃう所があるから……。この《ベルゼビュート》に入隊しようっていう無茶な挑戦からしてそんなものだし。ここにいる皆は、ちょっとキツい話でも必要があればちゃんと言ってくれる、本当の友達なんだ。
 でも……今聞いた話は、少々のキツい話は覚悟していた筈の私を、声も出ない程に呆然とさせる内容だった……
「何人もいる遊び相手、じゃなくて?」
 暫くしてどうにか我を取り戻し、私がそう聞き返したのは悪足掻き以外の何でもなかったかもしれない。恋多き男であるらしいことは知っていた。大部隊の幹部で物凄く強く、おまけに見た目も爽やかな人なので当然なのだけど、クォークさんは凄くモテる人で、彼の周りから女の人の噂が絶える事は一切なかった。その恋人たちはその誰もが、最初に彼自身が言った通りに《ベルゼビュート》に所属する優秀な兵士ばかりだったので、部隊外で彼に憧れる殆どの女の子は私みたいにずうずうしい挙に出ることもなく遠巻きに眺めているだけだったけれど、チャンスがあればお近づきになりたいと考えている子は掃いて捨てる程いたと思う。
 もしオーケーしてもらえたって遊ばれるだけだよ、とは友達にも言われたことはあったんだけど、私は諦め切れなかった。多分彼は皆が言うよりもずっと真面目なんだと思うから。だって、本当に節操がないのだったら、部隊員だけなどという制限を掛けずに言い寄ってきた女に片っ端から手をつけてしまう筈だ。
 でも、特定の彼女がいたなんて……
 そんな大切な事を知っていたのだったら、どうして初めから教えてくれなかったんだろう。不服に思うのはお門違いだって分かっているけど、今更聞くには余りにもショッキングな内容過ぎて友達を見回すと、友達は申し訳なさそうに視線を合わせながらおずおずと呟いた。
「その……噂を聞き始めたのは、ジャンヌが《ベルゼ》に入るんだって必死に頑張ってる最中だったんで、言うに言えなかったんだ……。ほんと申し訳ない話なんだけど、まさか本当にジャンヌが《ベルゼ》に入れるとは思ってなくて……」
 うぐっ。それを言われたら返す言葉がない。私だって同意見なんだもの。
「半年……か、それ以上前かな。それまでに付き合ってた女を全員清算して、一人の恋人と暮らし始めたんだって」
 目の前が真っ暗になったような気がした。
 そんな……そこまで真剣な態度で、同棲までしているなんて。
 アイラさんがクォークさんに非難めいた事を言っていた理由が分かった。あれは、本命の彼女がいるのに全然違う女に優しくしているその態度を咎めていたんだ……
 顔を真っ青にして俯く私を前にして、皆は気まずそうに顔を見合わせていた。
 けど、皆がその話を口に出しあぐねていたのには更にそれ以上の理由があった。
「でも、本当に問題なのはそこじゃなくって。その子が……ね。直接知ってる訳じゃないけど、物凄く評判悪いんだ」
 え……? 私は声を出す事すら出来ずに唇だけ開き、皆を見つめる。
「見た目は大人しそうなんだけどね、実際は結構節操のない女みたいで。クォークさんの方は本気みたいなんだけど、その女はクォークさんだけじゃなくて、《ベルゼ》の他の部隊員とも付き合ったりしてるんだって。別の人とデートしてる所を実際に見たことある子から聞いた話だから間違いないと思う」
「実力もない下級兵の癖に《ベルゼ》に取り入って、凄くしたたかな女だって、うちの先輩も言ってた。……だから、すぐにクォークさんも目が覚めるんじゃないかって思ってて、今はジャンヌには黙ってようって……ごめんね……」
「皆……」
 皆もどうしていいか分からなかったのだろう。心から私の事を案じる皆の視線を受けた私は、内心だけとは言え皆を責めかけた自分の態度を恥じた。

 友達とのお茶会を終えて宿舎に帰った私は、力尽きたようにベッドに倒れ込んだ。
 クォークさんに彼女がいたなんて。
 それも、真剣なクォークさんの心を弄ぶ最低な女だなんて……ショックにも程がある。
 クォークさんともあろう人が、そんな人に心を奪われているだなんて信じられない。けれど、恋というのは時として人を暴走させるもの。私がいい例だ。……クォークさんは正常な判断も出来なくなってしまう程、その彼女の事が好きなのだろうか……
 嫌だよ……そんなの、悲し過ぎるよ……
 枕に顔を伏せながら取りとめのない思考を漂わせているうちに、その彼女というのはもしかしたら先日鉢合わせした、あのソーサラーの人なのかもしれないという事に気がついた。確か、ミナさん……とか言う名前だったあの人だ。
 皆の言う、『見た目は大人しそうな女』で『実力もない下級兵』というキーワードに、失礼ながら彼女ならば合致してしまう。
 ……ただ、見た感じ、とてもそんな悪女であるようには思えなかったけれど……
 でもあの目端が利くクォークさんを騙すような人なのだ、私の目なんて欺かれて当然なのかもしれない……
 それに友達を疑う訳じゃないけど、あれはあくまでも噂話だ。どこからどこまでが本当の話であるかは分からない。もしかしたらクォークさんの彼女は実はそんなに悪い人ではないという可能性も否定は出来ないし、彼女持ちという噂自体、本当ではないかもしれない。
 けれど火のない所に煙は立たないとも言うし……
 そんな風に「でも」と「けれど」を際限なく繰り返しながら一晩考えた所で得られた結論は、たったあれだけの邂逅では結論が出せる筈もないという事だけだった。結局もやもやとした物を抱えたまま、翌日、私は眠い目を擦って部隊の本部に出勤したのだった。

 戦争がない時の兵士の仕事は主に訓練だけど、内勤のお仕事もある。負傷や年齢で引退した部隊員の内の一部が内勤専門として残ってはいるそうだけれど、現役だからと言って何も分からないでは困るので、今日は本部で事務作業について教えて貰う事になっていた。
「ふあぁ……むぐ」
 先輩のサイトさんに付き従いながら本部の廊下を歩きつつ、私はあくびを噛み殺した。いけないいけない。いくら深刻な悩みがあると言っても、私事は私事、仕事は仕事だ。しゃんとしなくちゃ。
 ……そう言えば、と、目の前を歩くサイトさんの後頭部を見上げる。サイトさんはクォークさんの部下だけど、親しい友人でもあるのだそうだ。年齢も殆ど変わらないので気の置けない仲だという。
 サイトさんなら、クォークさんの彼女について知っているのだろうか?
 ……でも、新入部隊員の立場でそんな事を尋ねたらおかしいと思われるだろう。入隊の動機が不純なのではないかと疑われてしまいかねない。……ううん、疑うべくもなく不純なんだけど……
 サイトさんから丁寧な説明を受けながら本部の各部署を回っていたそんな時、廊下で部隊員の女性たちが立ち話をしているのが不意に耳に入った。

「カモにされてるのが分かってないのよね、クォークってさ、根が単純だから」

 ――え?
 聞き耳を立てるつもりなんて勿論なかったけど、その名前には反応せざるを得なかった。思わず顔を向けてしまう。
「散々貢がされてるだけなのにねぇ。たまに見れるいい目でころっと騙されてんのよね、かわいそーに」
「ま、あいつ金だけはあるからねー。あの子も上手くやってるよ」
 そんなお喋りを遮るように、こほん、とサイトさんが咳払いをする。そこでこちらに気付いた女性たちは慌てた様子で口を噤んだ。
 ……今の、って……
 私の背中に冷たい汗が伝う。今の話は紛れもなくクォークさんに関する件で、文脈から考えれば、あの子、って言うのは……クォークさんの彼女の事……だよね?
 さっとサイトさんに視線を向けるが、サイトさんはそれ以上女性たちに関わろうとはせずに足早にその場を過ぎ去っていく。私はサイトさんにも女性たちにも話の詳細を聞く事が出来ずに、胸に抱えた書類をぎゅっと抱き締めて先輩の後に続いた。
 どきん。どきん。
 心臓が、痛いくらいに、鳴る。
 ……やっぱり、ただの噂じゃなかったん、だ……

 その後、私は少しぼんやりしていたらしい。
「ちょっと昼休憩がてら、お使いに行って来て貰えないっすか?」
 そんなサイトさんの言葉で、私は自分の状態に気がついた。
「す、すみません! 私は大丈夫です!」
 青くなって弁明するが、サイトさんは少し気遣わしげな笑顔で首を振る。
「いや、俺もちょっと片付けなきゃいけない仕事があるんで。少し時間は早いですが昼食に行って、帰りに中央通りの武器店から注文の品を受け取ってきて下さい。《ベルゼ》の使いだって言えば分かりますから。十三時にホールに再集合で、一旦解散ってことで」
 ぽんと肩を叩かれて送り出され……私は悄然として歩き出した。


 * * *


「おーびっくりした。さっきのあの子、例の、クォークに気があるかもっていう新入部隊員の子よね?」
「……てか何でクォークの話題避ける方針になってんの? 意味ないじゃん。寧ろ黙ってた方が可哀想じゃん」
「んー、状況を生温かく見守ってじっくり楽しみたいアイラ陣営と、極力クォーク絡みの恋愛のごたごたは回避する方向でやり過ごそうっていう部隊長陣営に別れてて、共通の結論として今は黙っとこ、みたいな感じになってるって所かな。ほらミナちゃんって、ただでさえクォークのファンの下っ端たちにやっかまれてるじゃない?」
「あああれー。腹抱えて笑いたくなるような妙な噂とかあるよね! 女の嫉妬怖えー!」
「クォークもさぁ、カモられるだけのカジノ通いなんかやめてその分貯蓄に回せば、兵士やめてミナちゃんと一緒に田舎に引っ込むって夢ももっと早くに叶うのにねー。ミナちゃんもそんな無駄金使うくらいなら貯蓄にもっと入れてって文句言ってやりゃいいのに」
「そーいやあいつ、無趣味だと思ってたけど、意外とそんな趣味あったんだね」
「あー、あいつがやるのはカードじゃなくてルーレットなんだけどさ、最初はシグルドとかに引っ張られて行ってたみたいなんだけど、頭使わないで時間潰せるのが何か性に合ったっぽいね」
「まあでも、ミナちゃんと付き合い始めてからカジノに貢ぐ額も相当減ったんじゃない? 前は長期休暇があると大体カジノに入り浸ってたけど、今なんかずーっと自分ちに籠りっぱでしょあのムッツリスケベ。……そもそもあいつは収入多いから、多少散財しても腹が痛まないんだよね。ミナちゃんも上手くやりくりやってるみたいで貯金も順調に増えてるって言ってたよ」
「全くラブラブで羨ましい限りで」

- PREV - INDEX - NEXT -